題      名: 一冊の聖書が……
氏      名: fujimoto
ホーム: http://www.tkchurch.com
作成日時: 2006.01.28 - 15:03
礼拝:真理はあなたを自由にします(ギデオン聖日)
                    2006.1.15
      ヨハネ8:31−36

世界中に聖書を無料で頒布している団体、ギデオンの方を証しに迎えました。そこで、説教は聖書についてです。

 ナチス・ドイツの強制収容所、アウシュビッツの正門には、「働けば、自由になれる」という言葉が掲げられていました。もちろん、偽りのスローガンです。強制的に収容されて、自由を心から待ち望んでいる人びとに、このスローガンは目標になっていたのかもしれません。しかし、どんなに働いても、彼らは自由にされることはありませんでした。
 私たちは誰もが、自分が捕らわれていることを感じます。奴隷であると。過去に縛られ、不安におとしめられ、人の目に縛られ、欲の奴隷となり、富みに心を奪われ、権力を崇拝し、と。それらから解放されることを願って、私たちは、努力を重ねます。成功が私を自由にする。努力が私を自由にする、そうしたスローガンを自分で掲げて、自由を求めてもがいているのです。 
 しかし、私たちのスローガンも、ナチス・ドイツがアウシュビッツに掲げたスローガンと似たり寄ったりなのかもしれません。私たちは、自由にされないのです。
 イエスさまは、「真理があなたがたを自由にする」とおっしゃいました。成功があなたを不安から自由にするわけではない。お金や権力があなたを罪から自由にすることはできない。まして努力が私たちを罪から自由にすることなどできません。真理が、あなたを自由にするのです。

1)第一に、その真理とは、キリストのことばによって知ることができるものだということです。
 31節「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら……あなたがたは真理を知り」
 金曜日の夜、青山学院で拉致被害者横田めぐみさんのお母さん、早紀江さんの講演会がありました。拉致被害の実情だけでなく、その中で信仰を持たれ、その信仰に生きておられる証しを聞くことができました。
 お嬢さんが忽然と姿を消した、その日。警察犬が何度も、お嬢さんの帰宅の足取りをたどったそうです。友人といっしょに帰ってきて、別れて道路をまっすぐに自宅まで。ある所に来ると、警察犬が立ちすくんでしまう、何度やってもそこで立ち止まってしまう。きっと、そこで車に連れ去られたと理解できたそうです。
 それから、警察から焼死体が見つかったと聞くと、めぐみちゃんでしょうか、と警察からと連絡があり、海岸に白骨が流れ着くと、まためぐみちゃんの歯の治療のデータを取り寄せたり……
 さまざまな宗教が、やってきたそうです。この神さまを信じたら、見つかるはずです。この像を買ったら、印鑑を買ったら、みつかります。だんだんご自分を責めるようになったとおっしゃっていました。めぐみさんが、こんな目に遭うなんて、自分が母親として失格だったからに違いない。自分が親としてふがいないから、こんな災難が我が家を襲ったに違いない、と。
 どんどん、迷信的な教えに揺さぶられて、人生に降りかかった不条理に捕らわれて、もう死んでしまいたいと考えていたとおっしゃっていました。
 そんなとき、かつて友人が、置いていった聖書を読んでみようと思ったそうです。最初、その聖書は分厚い書物で、読む気にもならずに、ただ机の上に置いたままだったそうです。文字がいっぱいで、びっしりで、分厚くて。その友人は、ねえ、ヨブ記を読んでみてね、そうおっしゃって、聖書をおいてゆかれたそうです。
 横田さんは、ヨブ記を読み始めました。1章には、盗賊によって、突風によって、子どもたちのいのちが失われる、という痛ましい不条理な事件が記されています。
  その苦悩の中で、ヨブは自分の人生を悟ります。
  「私は裸で母の胎から出てきた。
  また、裸で私はかしこに帰ろう。
  主は与え、主は取られる。
  主の御名はほむべきかな」

 自分は裸でこの世界に生まれ、裸でこの世界を去っていくだけの小さな存在だということ。そして、自分の人生を自分で収めることができない、大きな神という存在が、与え、また取られ、また与えて下さるという、そのみことばが、横田早紀江さんのたましいに電気のように走ったとおっしゃっていました。
  真理があなたを自由にします。自分の人生に起こった様々な不幸を自分のせいにする、祖先のせいにする、という迷信から解放され、人生の不条理の中で悶々として、自分の人生を呪う思いから自由にされたのです。
 一冊の聖書です。ギデオンの働きの証しを聞かせていただき、一冊の聖書をすべての人に届けるという使命を担っておられるギデオン戦士の信仰に私たちもあずかるために、この箇所を開きました。
 横田早紀江さんを自由にしたのは、一冊の聖書です。そこに記されている神の言葉によって、真理を知ったのです。そして主がおっしゃったように、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。真理はあなたがたを自由にします」

2)第二に、私たちは生きる限り、キリストの言葉、聖書の言葉に「とどまる」のです。
 31節「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら……」
  「とどまる」というのは、ちょっとかじったとか、信じたんだけどしばらくしたらやめた、というのではありません。その言葉に住むということでしょう。私たちを生かす空気として、私たちを休める家として、私たちを潤す水として、私たちを元気づける食物として、みことばを捨てず、そこから離れず、主のことばにとどまっていくことです。
 横田さんのお嬢さんが拉致されたのは、1977年です。もう30年も前です。その日以来、戦いは続いてきました。悲しみを越えて、憤りにつぶれず、無気力を乗り越え、あきらめずに、キリストの言葉にとどまり続けてこられたのです。
 お母さんは、ヨハネの9章のみことばも引用されていました。弟子たちが道ばたの哀れな人を見て、この人がこのように生まれついたのは、この人の罪のせいですか、親の罪のせいですか……。イエスさまはおっしゃいました。「この人の罪でも、両親の罪もでありません」。そのみことばに、どんなに平安を得たことかと。
 しかし、主がおっしゃったのはそれだけではないのです。
 「神の栄光が現れるために」
 今の時の悲しみから、悲惨から、やがて神の栄光が現されるという、この御言葉を信じて、長い年月の戦いを乗り越えてこられたのです。神の栄光が現れるために、キリストの言葉の中にとどまり続け、長い戦いの年々を生きてこられた。