題      名: 「召されたことを確かなものとする」 2010.1.31 古川恵子先生
氏      名: DiceK
作成日時: 2011.03.26 - 23:11
Uペテロ1:1−11

私たちはたくさんのものを与えられています。家族、友達、信仰の友・・・
全てが神様からの召しなのです。
もちろん、この世で一人のクリスチャンとして生きていくということは大変といえます。様々な問題を抱えることが多いからです。

Uペテロ1:14、15からもわかりますが、ペテロは豊かに成長しました。そして、ついにはみんなが尊敬する牧師(長老)になったのです。

しかし、そんなペテロでしたが、様々なつらい出来事や、決めるべき問題を抱えていました。

ステパノ、ヤコブの殉教。悲しみの中でトップとして支えていく。
当時はサウロの問題もありました。彼を受け入れるのか受け入れないのか。
さらには、異端の問題や、エルサレム会議での割礼の話などなど問題はたくさんあったのです。

福音書にあるペテロの姿とは全く異なる人となっていました。

今日は、この個所を通して、召されるということは?というテーマで古川先生が語ってくださいました。

@召されたことの目的

4「神のご性質にあずかる者となるためです。」⇒そのために召された!!

具体的には、5,6,7に書かれています。
簡潔にまとめると、底辺は「信仰」、頂点は「愛」であるということです。
イエス様のために努力しましょう!

私たちはそれぞれみんな特別な賜物を持っています。
しかし、ある一定の賜物がないが故に「ああ、こんなことしかできなかった」と思うこともあると思います。
古川先生も、カーネーションの絵を週報に載せるから描いてくださいと神学生時代に頼まれたそうです。
そして描かれたのですが、結局週報に載ることはなかったということもあったり、奏楽の奉仕も少し弾いただけ、「もういいですよ」と言われてしまったこともあるそうです。

しかし、私たちはそれぞれが素晴らしい人として、賜物を与えられているから、「ああ、こんなことしかできなかった」というようなことはないのです。

★賜物を感謝して使うとき神の栄光があらわされるのです。
⇒必ず、神の栄光があらわされると信じることが私たちの信仰なのです。

8.役に立たないとか実を結ばない者になることはない。

この世の視点から見ても能力は必要です。それは教会でも言えることかもしれませんが、ペテロはそんなものよりも、一番大切なものとして、努力、信仰、徳、知識、自制、忍耐、敬虔、兄弟愛、愛に目を留めたのです。

A神の性質とは?

ヨハネ20:19⇒十字架にかかりよみがえられて弟子のもとに初めてやってこられたシーンです。
そして、イエス様は「平安があるように」とまず言われました。

26、29ではトマスの話が出てきます。
しかし、ペテロの言葉は出ていないのです。

ヨハネ21:7 ここでペテロは初めて出てきます。
ここには、どのような言葉を出したかはかかれていません。そうこうしているうちに他の弟子たちがイエス様のことを囲んだのでしょう。

ペテロは福音書でかつて登場していた時のような積極性はありませんでした。
21:7でペテロは登場していますが、なにも話さないで、黙っていることが分かります。
なぜなら、彼は、三度イエスを知らないといったからです。(気が引けたのかもしれません。)
それでも、ペテロはイエス様のもとにいただけでもすごいと思います。

しばらくして、イエス様はペテロのところにやってきて話しかけます。
ペテロはイエス様から目をそらしていたかもしれません。自分がイエス様に対してひどいことをしたから合わせる顔がないと思っていたかもしれません。
でも思い切って頭をあげました。

すると、そこにはいつもと変わらないイエス様の目がありました。

15「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たち以上にわたしを愛しますか」

ここには、イエス様の愛があります。
ペテロは、だれひとりついていけなくても私はついていきます!!と思ったこともありました。

イエス様の愛はこうです。
★ペテロ、あなたはこの人たち以上に愛しているんだよね。よくわかっている。でも人間は弱さがあるからね。
と励ましてくれたのです。

そして、ペテロは3000人の教会の牧師となります。
全ての問題はイエス様によって、守られ、支えられたのです。

イエス様が愛したように私たちも愛する。
それが神の性質ではないでしょうか。

Bわたしたちが性質を頂くために

Uペテロ1:5、6、7から・・・

信仰(神は最善であると知ること)⇒
徳(イエス様らしさ)⇒
知識(聖書やクリスチャン系の読み物から得る。聖書などを通して徳が自己流にならないように。)⇒
自制(傲慢にならないように)⇒
忍耐(神様を輝かせるために必要。苦しい中にも神様がいるんだ!)⇒
敬虔さ(忍耐を通してうまれる。それは神様との縦のつながり。)⇒
兄弟愛(友達、家族など横のつながり)

このような方向性をもっていくことを私たちが神の性質を頂くために目指し、導かれるところです。

これはまさに、イエス様のような見返りを必要としない愛です。

イエス様の愛、そして、ペテロの愛を見習いたいものです。

Uペテロ1:10「ですから、兄弟たちよ。ますます熱心にあなたがたの召されたことと選ばれたことを確かなものとしなさい。これらのことを行っていれば、つまずくことなど決してありません。」