題      名: 2010.4.18 種を蒔くとき
氏      名: DiceK
作成日時: 2011.03.26 - 23:29
今回はギデオンの平井兄がメッセージをしてくださいました。
要約するのも一つですが、今回は僕自身の感想を通して要約とさせていただきたいと思います。


あるとき、教頭先生に「ちょっと待ってください」と言われたそうです。ちょうど、ある学校に聖書を配布していた時のことだったと聞きました。聖書なんか配らないでください!!という教頭先生の言葉だったと言えると思います。

僕は、一度だけ聖書を学校の門の前でクリスチャンの友達とともに配ったことがあります。その時の緊張感は忘れることができません。通る人々がみんな聖書なんか配るなよという顔に見えてしまったのです。変な人だと思われているんだろうなとか妙に緊張していた自分がいたことを思い出します。
ギデオンではそんなとき、「引き下がって祈りなさい」と教えられているそうです。僕はこれを聞いたとき、斬新な思いでした。普通に考えれば当たり前ですが、聖書を配りあせっていたあのときの僕は恐れているだけで「引き下がって祈って」いなかったのだと気付かされました。

「イエスキリストに導く」 これがまさにギデオンの使命であると平井兄ははっきりとおっしゃっていました。
聖書をもらった人が確実に神様の言葉に触れ、信じていく姿を目の当たりにされているのだと思います。素敵だなと思います。

メキシコで聖書を配ってらっしゃる時、平井兄は一瞬どうして自分がこんな暑くて排気ガスで苦しいメキシコで聖書を配布しているのだと思ったそうです。しかし、そんなときに幻をみて、「自分がここに遣わされている」ということが分かったそうです。

メキシコの現状を見られて、地上の苦難に会われて、つらい思いをされていたのだと思います。
僕も、よくあります。学校には本当にたくさんの人々に出会います。というかすれ違います。そんなとき、「こんな大きな学校でどうしてクリスチャンがこんなにすくないのだ。」と現実を見てしまうことがよくあります。そんなとき無性につらい思いになるのです。

「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。」 
                                   コロサイ3:2

ついつい地上のことに気が取られてしまい、天を向けなくなります。しかし、神様は、大丈夫だから天を向きなさい。私があなたをそこに遣わせているのだよと語りかけてくれているのです。

もう一度、立ち上がらせてくださる。
⇒クリスチャンは幸いですね。

平井兄は力強くこう語ってくださいました。本当に同感でした。

メキシコでは、プロテスタントとカトリックでは宗教が違うそうです。
だから、片方では、「なんで、聖書なんか配っているんだ!!」とクレームをつけられたり、もう一方では「聖書をありがとう!」と言ってくれる方もいるそうです。

カトリックの方も聖書を受け取りギデオンの方と話しているうちに、神様に触れられ改宗を決意する人もたくさんいらっしゃるということを伺いました。
本当に素晴らしいと思います。
しかし、カトリックからプロテスタントに改宗するということはすごい決意がいるということも知りました。
親族から勘当されるそうです。それでも、イエス様を信じたい。
主イエスは唯一の救い主であることを再確認しました。

ギデオンの方々は、病院、刑務所にも行かれ、聖書を配布するそうです。
どんな人にも聖書を配る。読んでもらうんだという決意が伺えました。

伝道することの難しさによくぶつかる僕も、本当にこの決意を見習いたいなと思わされています。

神様は罪びとである私たちを用いてくださる。前回の日曜日のメッセージの中で何度も繰り返されていた言葉でありましたが本当にそうだなと感じました。
これは不思議なことです。用いてくださる神様に感謝します。なぜなら、私たちに力があるのではなく、背後に神様が共におられるからです。

背後にあるのは、神様だけではありませんでした。それは、とりなしの祈りもその背後にあるのだとおっしゃっていました。
聖書を配布していると、多くの方が「来てくれてありがとう」とおっしゃるそうです。しかし、そんなときに平井兄は、とりなしている皆さんのことを思い浮かべるそうです。そして、神様を思い浮かべるそうです。

「祈ってくれてありがとう。」、「聖書を配ってくれてありがとう。」、「ギデオンの働きを支えてくれてありがとう。」―

たくさんの「ありがとう」を感じておられるんだなと思いました。そしてそのようなことを思える働きなんだなとしみじみ思いました。尊い奉仕であると思います。

今、この働きを覚えるとき、僕もギデオンの方々が毎日聖書を配布しているこの現状にありがとうと言いたいと思わされています。

メッセージを通して、感謝の気持ちの大切さと祈りの重要さがよく伝わってきました。

感謝なひと時でした。