題      名: 賛美に伴われた祈り
氏      名: fujimoto
作成日時: 2004.06.23 - 15:01
さんびに伴われた祈り      
             U歴代20:1ー13

 ヨシャパテは、ダビデの王国が南北に分裂して約80年後に登場するソロモンから数えて4代目の王です。ヨシャパテは、ソロモンの時代からユダの国進入していた偶像崇拝をことごとく国から取り除きます。この先、ユダの国には、ヒゼキヤあるいはヨシヤという宗教改革を推進する信仰的な王様が登場しますが、人々の草の根まで信仰の建て直しをはかることができたのは、このヨシャパテただ一人です。
 一七章の七〜九節には、ヨシャパテの司やレビ人や祭司たちが「主の律法の書を携えて行き、ユダのすべての町々を巡回して、民の間で教えた」と記されいるように、聖書の教えと信仰のあり方は小さな町や村の人々のレベルにまで浸透していきました。
 そして、二〇章で、ヨシャパテの生涯で最大の危機を迎えます。モアブ人とアモン人の大軍が、エンゲディ、エルサレムのすぐそばに集結し、戦闘の準備を整えました。彼は、いち早く、緊急事態の情報を集めたことでしょう。そのようにして得た結論は、万事休す、でした。彼の明確な現状把握が、彼の祈りの中で正直に述べられています。「私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません」(二〇・一二)。
 さて、この事態にあってヨシャパテが祈った祈りを、三つの点から考えてみましょう。

1)民を前にして祈る王
 まず、ヨシャパテの祈り特色があるとすれば、それは民を前にした祈りだったということです。
 五節に「ヨシャパテは、主の宮にある新しい庭の前で、ユダとエルサレムの集団の中に立って、言った、と始まりますように、神の助けを祈る祈りは、全会衆の前で、民を前にしてなされました。その時点で彼はすでに、事態の緊急性を全国民に知らせて、断食を布告していたのです(三節)。そうとは言え、その祈りは、あまりにも正直に自らの無力さを認めるものでした。
 祈りは、こう閉じられています。「私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです」(一二節)。ヨシャパテが祈りを締め括ったとき、「ユダの人々は全員主の前に立っていました。彼らの幼子たち、妻たち、子どもたちも共にいました」(一三節)。
 世の中の王たちが、指導者たちが、もしこれから軍隊を率いて先頭に突入しようとするとき、これほどあからさまに自らの非力を認めるでしょうか。「私たちとしては、どうすればよいのかわかりません」と、現状を神殿の庭を前にして、そんな弱気に率直に認めたら、それを聞いている全会衆が動揺するのではないでしょうか。そのような祈りを王の口から、指導者の口から出たら、弱気になっている指導者をどう批判するでしょうか。威信がまるつぶれになるのではないでしょうか。
  しかしヨシャパテは、王の威信には頓着しませんでした。なぜなら、威信を貫いたら、国が滅びるのです。このおびただしい大軍に当たる力は、どこをさがしても持ち合わせていないのです。それが現実でした。
  イギリス議会の歴史の中で、「ボールドウィン首相の祈祷演説」と呼ばれている出来事があります。一九二五年、当時の首相ボールドウィンは、議会における長い演説の真っ最中に、祈りを始めました。「天の父なる神さま・・・・」。数分間続き、祈り終えると、また演説の続きに入ったというのです。国は、第一次世界大戦を越え、しかし立ち直る間もなく、第二次世界大戦へと動いていくのです。彼は、二つの世界大戦の期間を、三期首相を務めます。国が危機的な状況にあるのを痛感し、自分がいかに非力であるかを認めて、議会の集団を前にした首相が演説の途中で遜って祈りに入っていきました。その不安げな首相の姿に、議会と国民は失望したのでしょうか。いいえ。神の御前に遜って自らの非力を認め、神の導きと力を祈り求めることは、指導者の情けない姿ではなく、また聞く人々を不安におとしめるものでもありませんでした。それは、指導者の神に対する信仰の現れであり、その真実な姿に人々は心動かされ、その祈りに自分たちの祈りを重ねたのです。
 神の御前に遜って自らの非力を認め、神の導きと力を祈り求めることは、指導者の情けない姿ではなく、また聞く人々を不安におとしめるものでもありませんでした。それは、指導者の神に対する信仰の現れであり、その祈りによって人々は平安を得たのです。

2)天地の主に視線を据えて
 危機に迫られ、集団を前にしたヨシャパテの祈りは、こう始まります。
 「私たちの父祖の神、主よ。あなたは天におられる神であり、また、あなたはすべての異邦の王国を支配なさる方ではありませんか。あなたの御手には力があり、勢いがあります。だれも、あなたと対抗してもちこたえうる者はありません」(二〇・六)。
 たしかに、危機を前にしてどうしたらいいのかわからない王の祈りです。しかし、ヨシャパテは祈りにはいると、すぐに自分が信じている神がどのような御方であるのか、そこに思いを集中します。どうしたらいいのかわからない自分を延々と見つめないで、彼は、神を見つめました。ヨシャパテと民が信じている神は、すべての王国を支配され、力と勢いに満ちた方で、この全能の神の御手を遮るものはいません。
 ここが大切なのです。私たちの祈りは往々にして逆ではないでしょうか。「天の父なる神さま」と呼びかけておきながら、その方がどのように愛と力に満ちておられるかを忘れ、一心不乱に自分の課題に集中し、願い事を並べて窮地におぼれていくのです。ヨシャパテは、この一大事であったからこそ、ことさら時間をかけて、呼びかけた神がどのような御方であるのかを思いめぐらすことをします。自分たちが信頼している神は、「すべての異邦の王国を支配なさる方」であり、「地のすべての王国の神」なのです。
   この後、アッシリヤ帝国を相手に同じような危機に取り囲まれたヒゼキヤも、同じように祈りの冒頭でまず自分が信じている神がいかなる御方かを告白しています。
 「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました」(U列王一九・一五)。
 自分たちが信じている神に呼びかけ、そしてすぐに自分の窮地を訴え、願い事を並べるのではなく、まず呼びかけた神がどのような御方であるのかをに思いを集中する祈りです。自分たちが信頼している神は、「すべての異邦の王国を支配なさる方」であり、「地のすべての王国の神」なのです。ヨシャパテもヒゼキヤも、不安が先立って問題課題に振り回されるような祈りではなく、神の尊厳と威光に思いを潜め、自分が信じている神がこの世界において絶対的な支配を握っておられることを確認して、祈りにはいりました――これこそ、窮地にあって一番求められている、どっしりとした重みのある祈りです。
 次にヨシャパテは、神を「私たちの父祖の神」と呼び、イスラエルが受けてきた恵みを思い起こします。この王国は「とこしえにあなたの友アブラハムのすえに賜った」ものとして、永遠に立つべきものです。さらに彼は、ソロモンが神殿を奉献したときに捧げた祈りを引用します。
  「もし、剣、さばき、疫病、ききんなどのわざわいが私たちに襲うようなことがあれば、私たちはこの宮の前、すなわち、あなたの御前に立って――あなたの御名はこの宮にあるからです。――私たちの苦難の中から、あなたに呼ばわります。そのときには、あなたは聞いてお救いくださいます」(九節)。
 神殿の奉献式の時、ソロモンはイスラエルの集団を従えて、将来の危機を見越して神の救いを引き出す祈りを捧げました。ヨシャパテは、今、同じようにイスラエルの会衆を従えて、同じ神殿に立ち、「主よ、今がその時なのです」と訴えているのです。ヨシャパテは、自分と民の信仰だけで祈っているのではありません。あの神殿奉献式の時のソロモンと民の信仰に訴えて祈っているのです。父祖の重みのある信仰ととこしえに真実である神の約束に立脚して祈りました。

3)唯一の作戦――賛美
 この祈りに対して、主は、彼らの信じる力を試すかのように、非常にむずかしい信仰の挑戦を与えられました。「この戦いはあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ」(一七節)。
 動揺せずに、恐れずに、気落ちせずに、ひたすら神に信頼せよ、というのです。しかし、このような事態にあって、動揺し、心騒がせ、右往左往するのが人間の習性です。ありとあらゆる手をつくすために動き回るのが、私たちの本能です。それに対して、神は「しっかり立って動かずにいよ」と命じられました。信仰とはまことに私たちの習性と本能に背くことを要求するものです。
 そのとき、ヨシャパテは人々の信仰の力を励まして、説教しました。
  「ユダおよびエルサレムの住民よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたの神、主を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい」(二〇節)。
  「言うことを聞きなさい」――こんな説教に効果はあったのでしょうか。これが説教の難しさです。信じろと言えば、それだけ不安になり、勝利を得なさいと言えば、他人事のように聞こえてくるではないでしょうか。
 そこでヨシャパテは作戦を練りました。「民と相談して」(二一節)作戦を練ったのです。これが、この戦いにおける唯一の作戦です。その作戦は、奇妙な、しかしたいへんな妙案でした。その作戦とは、聖歌隊を先頭にすることです。聖歌隊は、軍隊の前に出ました。そして賛美します。
 「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」
 これが賛美の力です。先日、内田姉のお姉さんの直子さんが久しぶりに高津教会に礼拝に出席され、その後、お手紙をいただきました。その中に、こう記されていました。
 「昨日は久しぶりに心からの礼拝を捧げることができました。メッセージもさることながら、賛美歌五二七番は、大学受験の勉強で疲れたときに、下手なピアノを弾きながら歌っていた曲でした。昔が思い出され、原点に戻ったような気持ちになりました」。
 みなさんもおわかりになりますでしょう。これが、賛美の力です。私自身、思い返してみると、説教を聞いて涙を流したことはほとんどありませんが、賛美歌を歌いながら、感極まって目頭が熱くなることが何度あったことでしょう。思い出に残る説教の場面はあまりなくても、思い出に残る賛美の場面がなんとたくさんあることでしょう。
 大学を終えて献身するとき、「いかなるところに我、ゆくともなどか恐れん」という賛美歌をよく口ずさみました。七年の学びを終えて帰ってきたとき、感謝会で横溝恭一兄がこの賛美歌を独唱してくださいました。私の信仰の原点となる賛美歌を覚えていてくださったのかと感激したと同時に、その歌によって、自分の信仰の原点に帰ってきたんだと実感しました。
 アメリカで直樹が一才だったとき、圭子と直樹が一緒にしばらく帰国をしました。ある日曜日、私は同じ寮にいた友人のビル・ユーリーといっしょに礼拝に行きました。何のかわりもないつもの礼拝でした。普通に賛美歌を歌い出しました。
 「Like a Rive Glorious」(神のまたき安けさは……」
 隣のビルは、大きな口で礼拝堂に響き渡る声で思いっきり賛美していました。途端に霊的な感動を受けたといますか、涙が出て仕方がありませんでした。主よ、感謝します。私は、彼の揺るぎない、喜びに満ちた賛美によって励まされました。私は一人ではなく、これほど多くの兄弟姉妹の賛美の中に入れられ、礼拝を捧げることができ、感謝します。
 こうして賛美によって信仰の原点に返り、賛美によって祈りが支えられ、賛美によって信仰が励まされて、私たちは信仰生活を進んできたのです。