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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto (http://www.tkchurch.comhttp://www.tkchurch.com)
Subject   神の恵みに足りる
神の恵みに足りる           
           Uコリント12:1−10

 勝間田房子姉が天に召され、火曜日・水曜日と葬儀がありました。高津教会創設時からの姉とともに高津教会の歴史を歩んできた方は、たくさんいらっしゃいます。皆さん、特にご高齢の方々はよくおつどいくださいました。勝間田姉は、がっしりした体格の方でしたが、すっかり痩せておられて、しばらくお会いになっていらっしゃらなかった方は、びっくりされたことでしょう。
 火葬場で、収骨の前に確認しに言った順子姉が、私の隣でぼそりとおっしゃいました。「骨太の人だとは思っていたけど、こんなに細くなってしまって……」。私もそれを見ながら、同じ思いでしたから、うなずくものがありました。
 しかし、勝間田姉が骨太だったのは、体型のことではなく、信仰のことであったということを、順子姉も私も含めて皆さんが知っておられることです。私は、「骨太」という言葉を聞きながら、ああ、勝間田姉にふさわしい、良い表現だなと思いました。勝間田綾子姉の証しのなかでは、房子姉とは、勝間田家に嫁いだお嫁さん同士で、当時の話も出てきました。勝間田木工所が、高津教会に多くの犠牲を持って資材をつぎ込み、倒産します。その後の苦労の中、また4人のお子さんを育てていく苦労を背負っていながら、房子姉の口から不平を聞いたことがなかったというのです。同じお嫁さん同士で、仲良く働いたそうですが、いつも感謝で、苦労の中でも不平を口にしない、骨太の信仰だったな、ということは、晩年になって、長男の寛兄を亡くし、ご主人の保生さんを介護しても、同じでした。そのような骨太の信仰を持つことができた、秘訣を今日は、パウロ自身の告白から2点学びたいのです。

1)パウロは、「キリストの力」を教えてくれます。
 9節「しかし主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である』。というのは、わたしの力は……。同じ力に関することが、10節の最後にも出てきます。「なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いのです」。パウロが骨太の信仰を持ち続けることができたのは、自分の力によるのではありません、キリストの力によります。そして、パウロが強調していることは、そのキリストの力が私に及ぶときは、むしろ私が弱いときだというのです。
 言うまでもなく、ここでパウロは自分自身の病のことについて告白しています。この病をいやしていただくように彼は、3度真剣に祈ったようです。それを彼は、7節にあるように「肉体のとげ」と呼んでいます。この持病がなければ、どんな自由で、どんなに力強く奉仕することができたのでしょうか。とげは小さなものでも、いつでもずきずきと全身を痛めます。
 しかし、彼は最後に悟るのです。自分はこのとげの故に、高ぶる罪から遠ざかることができた。この病の故に謙ることを学んだ。のみならず、彼はイエスさまの声を聞きました。「わたしの力は、あなたの弱さのうちに完全に現れる」と。
 あの骨太の信仰を持った勝間田姉が祈るとき、もう祈りの枕詞のように出てきた言葉が、「私のような弱い、愚かな者を、虫けらのような私を、主よ、あなたは……。回りで聞きながら、私などは思わず、「いや、勝間田さん、あなたは強い方で、賢い方で」とフォローをしたくなるほど、しかし、私などがとうてい及びもつかないご苦労の中を通りながら、姉妹は弱さを痛感し、その弱さの中で自分を強くしてくださるキリストの力を味わっておられたということを、思い起こす次第です。

2)骨太の信仰生涯の二番目の秘訣は、9節の主の言葉。「私の恵みは、あなたに十分である」でしょう。
 以前の訳ですと、「我が恵み汝にたれり」です。足りている、十分だある、不足はない、ということです。満ち足りる満足です。パウロは、これを学びました。習得しました。ピリピ4:11「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。」「満ち足りる」というギリシャ語と、「わたしの恵みは、あなたに十分である」の「十分だ」というギリシャ語は、同じことばです。
 私たちは、恵みに満ち足りることを、学ばなければなりません。骨太の信仰を培うために、私たちはこの恵みを学ばなければならないのです。祈りながら、勝間田姉がほぼ毎回引用される聖句がありました。詩篇103「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」この聖句の力強いことは、ダビデが自分で自分のたましいに言い聞かせているところです。どんな苦境にあっても、どんな事態にあっても、我が魂よ、忘れてはならない。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
 感謝に対する強烈な意志です。感謝できないような弱さや苦難の中にあっても、感謝しようとあえて、自分のたましいを主の良くしてくださった様々な事柄に向けていくのです。
 「私は神に願った」という題名の、出典の分からない有名な詩があります。
 私は神に願った。様々なことを成し遂げる力を。しかし、私は謙って従うことを学ぶように弱くされた
 私は神に願った。より大きな事を成し遂げる健康を。しかし、より良い事をなすように病気になった。
 私は神に願った。幸せになるために富を。しかし、賢くなるために貧しくされた。
 私は神に願った。人の賞賛を得るための権力を。しかし、神を必要としていることを感じるようにと弱さが与えられた。
 私は神に願った。人生を楽しむためにすべてのことを。
 願ったものは何一つ与えられなかったが、望んでいたすべてのものは与えられたのだ。口にした私の祈りとは反対に、口にしない私の祈りが答えられた――神は私を願うに勝って祝福してくださった。

 民数記11章は、出エジプトの民が、荒野を旅して、天からのマナに養われた出来事が記されています。1節に、神に対する不平・つぶやきで始まります。4節に、「あるものが激しい欲望に駆られた」とあります。不平不満をつぶやく民にして神さまの裁きが及びます。多くの民が疫病で死んで、彼らを葬った場所の名前が、最後に出てきます。34節「キブロテ・ハタワワ」「欲望の墓」という意味です。
 この欲望の正体は何だったのでしょうか。一言で言えば、恵みに足りることをしないということです。人は、何によって欲望の墓に落ちるのでしょうか。民数記11章によれば、何も食べ物がなかったからではありません。彼らの不平は、6節にあります。「見渡す限り、マナばかりじゃないか」。人びとはマナに飽きたのです。
 民数記と平行して記されている出エジプト記では、このマナが「天からのパン」と何とも美しく呼ばれています。マナという呼び名の語源ですが、人々が驚きに包まれて、これは一体、「何、何なんだろう」「マン、フー」と言ったことに始まります。
  マナという食べ物は、神さまの恵みの象徴でした。朝ごとに天から与えられる恵みの糧、日毎の糧です。その日の、その人の必要に十分見合うところの恵み。それによって、人々は荒野の旅路を養われていくのです。ですから、「どこを見渡してもマナばかりじゃないか」ということは、「どこを見渡しても、恵みだけで、何にもない」と言っていることです。
  恵みに足りることをしないということは、神さまに足りることをしないということです。神さまに足りることをしなければ、つまり神さまを不足とするならば、人生に不満です。絶望的です。
 パウロを見ても、また私たちの信仰の先輩たちを見ても、明らかではないですか。この世で最も不幸な人は、自分が願っている物を得られない人ではない。自分が得ている物に満ち足りることができない人です。ですから、主よ、今朝、私たちの心に、パウロに語りかけたように語ってください。「わたしの恵みは、あなたに十分である」と。その十分な恵みに、満ち足りることを教えてください。

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DATE: 2005.10.24 - 14:59

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A.Fujitomi 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 218.219.208.172
献げて、倒産して・・・なおつぶやかない骨太の信仰。ステキですね。
2005.11.13 - 21:25 
dillWrilliops 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 178.150.142.210
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Isozyrolo 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 178.150.142.210
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