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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto (http://www.tkchurch.comhttp://www.tkchurch.com)
Subject   母の日――母の愛と神の愛
母の日――母の愛と神の愛

マタイ20:20−23
 そのとき、ゼベダイの子たちの母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て、ひれ伏して、お願いがありますと言った。
 イエスが彼女に、「どんな願いですか。」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」
 けれども、イエスは答えて言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます。」と言った。

 ここに記されているのは、母の祈りです。マルコの福音書を見ますと、この願いを持ってきたのはヤコブとヨハネです。しかし、マタイの福音書では、母なのです。そして、私たちは、そのことに納得を得るのです。やっぱり、お母さんなのでしょう。それは、母の祈りだけあって、切実な祈りなのでしょう。
 ジェームズ・ドブソンというアメリカの児童心理学者が、子どもが小さかった頃の自分の家庭のことを記しています。まだ息子が小さな赤ちゃんだった頃のことです。家に帰ってくると、そこら中散らかって、異様なにおいがする。小さなライアンは病気で、一日中泣いていたらしい。おしめを替えているときに、電話が鳴って、それを取りに行こうとした瞬間、まだおしめをとめていないのに、ライアンはそこで用を足して、そこら中を汚しました。
 お母さんは、片付けて、ベビーベットの布団を洗って、体を拭いてあげて、またおしめをして、あたらしいベビー服を着せてあげて一段落。それからだっこして、カウチのところにすわって、ミルクをあげて、ゲップをだしてあげようと、肩に乗せて、せなかをぽんぽんとしていたら、いきなり赤ちゃんが戻して、お母さんの洋服もカウチも、もどしたものでいっぱい。 
  そこへお父さんが帰ってくるのです。
 「どうした? このにおい?」
 なんか、よくわかるではないですか。そうやって、お母さんは愛情を注いできた。それは「この子のためなら」という愛情です。それを10年、20年と、そそいでくるのでしょう。
 それは、いつも子どものために、その最善のためにです。我が子の最善を尽くす、母親の姿です。それが祈りとなって現れるのです。お母さんの祈り、それはいったい誰のためにある。それはいったい誰に向けられている。それは圧倒的に、自分のためではない、子どものためです。
 先日飛行機に乗ったときに、緊急時の対処の方法のお知らせに耳を傾けていました。昔から、全然変わっていませんね。緊急時には酸素マスクが降りてきます。小さなお子さんをお連れのお母さんは、まず自分がマスクをつけて、それからお子さんにつけてください。このアナウンス、全然変わっていません。まず子どものために――それが徹底して母親の姿勢なのでしょう。母は子どもために祈るのです。
 
2)母親の祈りには、大きな期待が込められていました。
 「主よ、あなたの御国において、私の息子の一人を左に、一人を右に座らせてください」
   「おことばをください」ということは、約束してください、ということです。母親の大胆さです。大胆なまでに贅沢なまでに、イエスさまに約束を迫ります。これもまた、母親の姿です。ずうしいことはずうずうしい。
 しかし、自分の子どもにベストを思う気持ちは、どの母親もまた、同じで、イエスさまはそれを阻まれているのでありません。イエスさまは、ヤコブとヨハネの母親に向かって、「なんとまあ、ずうずうしい願いをするのか」と叱ってはおられないのです。この二人の息子のために、きっと母は大きな犠牲を払ってきたのです。そして今、神の国の働きに関わると言うことについて、誠に大胆な願いを持ってきているのです。
  他の弟子たちは、24節にありますように、出し抜かれたとばかり、ヨハネとヤコブだけではない、その母親に腹を立てたに違いありません。しかし、また彼らの母親もそこにいたら、そうしていたかも知れないのです。大胆に祝福を願う、その母の姿をイエスさまは否定されません。

3)母には神の愛がわかる
 22節「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか」
  イエスさまは、ヤコブとヨハネの母親の願いを責めてはいません。しかし、何を求めているのかわからないのは、ヤコブとヨハネだけではない、母もわからないのです。その願いを出すと言うことは、息子たちがイエスさまの飲もうとする杯を飲むことになる、ということは母もわからないのです。やがて、使徒の中で最初に殉教したのは、このヤコブです。
 お母さんは子どもに最善を、しかも贅沢に望みます。しかし、それが最終的にどのような杯に導かれるのかは、わかっていないのです。子どもを「早く歩かせよう」・「オムツは早くとろう」・「早くにことばが話せるように」。習い事に行かせることも、勉強に専念させることも、この学校に行かせることも。世間では、「子どものためなら何でも」という親の愛が、子どもにプレッシャーを与え、背伸びをさせ、苦しめると言います。
  子どもが、自分は何のためにそんなことをしているのかわからないとしたら、実は親にも本当とのところは、わかっていないのです。とんでもない要求を出してきたのはヤコブとヨハネ、でももしかしたら、そもそもは母親だったのかもしれません。先にどんな苦しみが待っているの、ヤコブとヨハネもわかりませんが、その幸せを願っている母親にも実はわかっていないのです。
 私は、これが究極の子育て論のように思えてなりません。主よ、私は親ですから、子どもの最善を願います。しかし、私の願いが、この子をどこに連れて行くのかわかりません。それがいつの間にか、子どもに無理を強いて、子どもに背伸びをさせ、子どもに飲めない杯まで強いているのではないでしょうか。 
  ですから、主よ、あなたの御前に遜ります。子どもの無知ではなく、子どもの不出来ではなく、私の無知、私の不出来にうなだれます。主よ、私をあわれんでください。私の愚かさを、私の過ちを、私を赦してください。でも、主よ、私が子を思う愛をわかってください。私がどんなにこの子を愛してきたのか、主よ、あなたはわかってくださいますね?
 イエスさまはおっしゃるでしょうね。わたしには、わかっているよ。あなたの気持ちがわかっている。わたしはヤコブとヨハネの母を責めはしなかった。あなたのことも責めない。そして、覚えておきなさい。わたしがあなたの母だ。わたしは、母の愛をもってあなたを愛している。

 ナチスのアウシュビッツの収容所に、ソロモン・ローゼンベルクと、その家族、妻、二人の息子、そして両親が強制収容所にいられました。実話です。強制収容所の原則は非常に簡単で、働ける限りは生きていられる、ということです。体力も気力も労働に見合わなくなった時点で、死がまっています。
 ローゼンベルクはやがて、自分の両親がガス室へ送られていくのを見届けます。その次は、彼の一番下の息子、デビットだろうと思っていました。いつも体の弱い彼が殺されていく、と。毎晩、彼は収容所のバラックに帰ってくると、まず自分の家族の顔を探しました。まだ生きている顔を見つけると、みんなで抱き合って、また今日も生き延びることができたと神に感謝するのでした。
 ある日、ローゼンベルクが戻ってきてみると、家族の顔が見あたりません。部屋の隅っこで長男のジョシュアがうずくまって、泣きながらお祈りをしています。お父さんは胸騒ぎがして、彼を抱き上げて訪ねました。
  「どうした。いったい何があったんだ。お父さんに話してくれ。」
  「パパ、とうとうやつらがやってきたんだ。デビットを連れてっちゃった」
 わかった、おまえ、母さんはどこにいるんだ。
 「デビットを連れに来たとき、デビットはものすごく泣いてね、いっぱい泣いてね。でもママがデビットの手をしっかり握って、言ってた。
 「デビット。こわがらなくてもいいのよ。ママがいっしょだから」
  「それで、ママがデビットの手を握って、デビットといっしょにいった。ママとデビットがいっしょに歩いていった。パパがおまえを守ってくれるって」

 お母さんであれば、この心がよくわかるのではないでしょうか。だとすれば、私たちはしかと心に留めるべきです。
 ダビデの詩篇23
 「たとえ、死の陰の谷を行くときがあっても、私はわざわいをおそれません。あなたがともにおられますから」
 母の愛は神の愛です。子どもが死の陰の谷を行くのなら、自分もその子の手を握って行きたい、と思うとしたら、神もまたそのような心で私たちを見ていてくださる。

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