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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto (http://www.tkchurch.comhttp://www.tkchurch.com)
Subject   十戒(1) 最も大切な戒めは愛
十戒(1) 最も大切な戒めは愛     
    マタイ22:35−40

 神から遣わされて神の言葉を語る牧師として講壇に立つからには、生涯どこかで、この題目で語ることが許されたら、というテーマはいくつかあります。主の祈り、主の山上の説教、そして、今日から始める十戒は、牧師でしたら必ず一度は連続して取り組みたいと願うことでしょう。
 十戒とは、旧約聖書の民が、モーセに率いられ、エジプトから脱出し、やがて約束の地に入るために、神の民として与えられた10の戒めです。モーセは、それをシナイ山の上で、石版に刻まれて受けました。旧約聖書に示された神様の御心凝縮といっても良いでしょう。
 それを今週からご一緒に学んでいきたと思います。そして、今日はその序論、あるいは総括となるかも知れません。なぜなら、ここでイエスさまに律法学者が尋ねた質問は、36節「先生。律法の中で、大切な戒めはどれですか?」だったからです。イエスの時代、ユダヤ教は戒めを611の項目に規定していました。「……してはならない」という否定的なものが365。「……しなさい」という肯定的なものが246です。
 神の御心にかなう生き方を真実に誠実に願う人々にとっては宗教生活は途方もない重荷となっていました。よって、ここで律法学者がイエスに尋ねている質問は、悪質な質問ではありません。最重要の質問です。そして、イエスさまは、申命記六・五の「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」、それとレビ記一九・一八の「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」とを一つにして、ここでおっしゃっているわけです。いわば、これが十戒のすべてである、総括であるといっても良いわけです。

1)愛しなさい、という戒めです。
 この戒めを見ると、すぐに重大な問題に突き当たります。いったい、神さまは私たちに「愛しなさい」と命じることができるのでしょうか。命令、戒めなら、愛というものの自発的な性質を損なうことにはなりはしないでしょうか。「愛しなさい」と命令したところで、その人の内側に愛が芽生えるわけではありません。
 私が尊敬しているよその教団の名古屋の先生がいらっしゃります。この先生は、これまで50組ぐらいの牧師のお見合いを成功させてきたというのです。私は、この先生に憧れて、なんとか努力しているのですが、これほど難しいものはありません。こんなに失敗例ばかりが増えていくと、信用を失うほどです。――「藤本には頼まない方が良い」なんて、評判が立ったら、偉いことです。
 難しさがわかってくださると思います。イエスさまが、「あなたは神を愛すべきです。あなたの隣人を愛し、あなた自身を愛すべきです」――これは、私たちの意志に向けられた直接的な命令です。しかし、愛するとは、意志ではなく心から生まれ出てくるものです。私たちは、自分の意志を命じることはできますが、心に命令することはできません。
 しかし、聖書は語るのです。「あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます」(Tテサロニケ五・二四)。アウグスチヌスは祈りました。「主よ。あなたが命じられたものを与えてください。そして、あなたが願っておられることを命じてください」・・・良い祈りです。あなたが命じられたことをなす力を与えてください。そしてぜひとも、私に命じてください。御心を教えてください。戒めを成し遂げるためには、常に天の助けを仰ぐことです。

2)ここでイエスさまがおっしゃった愛は、アガペーです。
 日本語には、愛という言葉は一つしかありません。恋愛という表現はあります。好きという表現もありますが。ギリシャ語は大きく4つです。「エロス」の愛は、肉体的、性的な愛であり、ときには非常に強い愛国心などにも適用されます。「ストルゲー」の愛は、家族の愛情、すなわち子どもや親族に対する愛です。兄弟愛としてしばしば聖書の中に訳されているのは「フィリオー」の愛です。これは、暖かい友情や、夫と妻の間の深い愛情などを指しています。たとえば、イエスと弟子たちの間には「フィリオー」が通っていました。
 そして、古典ギリシャ語にはほとんど登場しない、聖書が語る「アガペー」です。アメリカでこの愛を説明するときに、よく使われる話があります。ロレーン・ハンスベリーによる「A Raisin in the Sun」という小説です。シカゴの貧民街に住む、黒人の家族を描いています。父親が死に、わずかな保険金が少し降ります。お母さんは、長年の夢を、この悲しみの代償で、実現しようと考えます。汚いアパートを引き払って、小さな家が欲しい。庭があって、花を植えて、バンガローがついていて、明るい日差しが差し込むような家を。
 そこに息子です。彼は、仕事を始めるために、どうしてもお金を必要としていました。チャンスに恵まれず、仕事らしい仕事を持ったことがない彼を友人が誘いました。一緒に事業を始めよう。一生に一度のチャンス。親孝行のチャンスです。彼は、んとかしてお母さんを楽してして上げようと一生懸命でした。そして、泣き倒して、お母さんに頼むのです。
 勿論、最初は、「うん」と言いません。しかし、お母さんも、やがて、そんな頼みを断わりきれなく、家族のことを思って立ち上がる息子をくじくことは出来ない。母親は、遺産の半分を、息子の手に与えます。その先は、どうなったか、大体の想像はつきます。事業の首謀者が、みんなの金を持って、消えた。息子は、唇をかみしめたまま、何も言いません。ただの200万ではなかった。それは、家族の命、父の命、母の夢でした。
 姉さんが、始めます。おまえは、馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど、これほど馬鹿だとは知らなかった。家族が、地獄からはい出ることの出来る唯一の道をおまえはつぶした。母さんの信頼を裏切った。父さんに何んて言うの?おまえの愚かさは、一生ついて回る。そのとばっちりを受けるのは、もうごめん。
 終わると、お母さんは娘に言います。「私は、おまえが弟を愛するように教えてきたつもりだよ。」姉は、返します。「愛するだって。こんな愚かな奴に、愛すべきものなんか残ってないよ。」
 そして、お母さんが言います。
 「いつだって、愛すべき何かが残っている。あなたは、彼のために、涙を流した?お金がなくなったから、自分のためとか、家族のための涙でなくて、おまえの弟のために?あの子が、どんな屈辱を通っているのか、どんな挫折を味わっているのか。おまえには分かっているのかい?人を愛するとしたら、一体いつだい?愛するっていうのは、相手が、どん底にたたき込まれて、人から見放されて、もう自分でも自分が信じられない、そんな時に愛して、初めて愛することになるんだよ」
 これが、アガペーです。愛する対象に価値がなくとも、それでも注ぎ込まれる愛、そして注ぎ込まれた愛の故に、その対象に価値が生まれ、新しい可能性が生まれ、美しく生まれ変わって行く愛です。
 さて、これが愛なら、私たちはそれをどこから得るのか、聖書は記しているではありませんか。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(Tヨハネ四・一  〇)。「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです」(四・一九)。
 「アガペー」の愛は、私たちを愛してくださる神の愛への「応答」として心の中に生じるものです。愛のみが愛を生み出すことができ、神からの「アガペー」が私たちの心の中に「アガペー」を再生するのです。こんな罪にまみれた自己中心な私たちが神に愛され、赦されていると信じるとき、愛はやってきます。私たちは神に受け入れられている事実を受け入れるとき、愛はやってきます。
 第一に申し上げました。これから学んでいく律法の総括が愛です。しかし、私たちは愛を命じられても、必ずしも愛することはできません。ですから、アウグスチヌスと共に祈るのです。「主よ。あなたが命じられたものを与えてください。」あなたが命じられたことをなす力を与えてください。そしてぜひとも、私に命じてください。御心を教えてください。
 そして、第二に申し上げます。十字架を見上げるとき、愛はやってくるのです。こんな罪にまみれた自己中心な私たちが神に愛され、赦されていると信じるとき、愛はやってきます。私たちは神に受け入れられている事実を受け入れるとき、愛はやってきます。

3)もう一歩理解を深めることです。
 十字架を見上げるとは、聖霊の助けを仰ぐことです。十字架は、愛が芽生えることができる唯一の場所です。私たちが十字架を見るとき、この世には存在しないものを見いだすのです。まさにその場所で、私たちは神を最も深く傷つけ、そこで神の御前に最も醜い者と化したのです。しかし十字架こそが、神が私たちを最も愛された場所です。これこそ奇跡です。
 しかし「アガペー」の愛は、十字架を見つめながら、私たちの内側から最上で最善の人間愛を絞り出そうとしても、生まれてきません。パウロは、このことをローマ人への手紙五・五で明確にしています。「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
 神の愛は、私たちに与えられた聖霊を通して、心の中に注がれるものです。神は、聖霊を通して、ご自身の愛を私たちの心の中に注ぎ、そこで私たちが神を愛するようになれるのです。
 愛は、私たちが聖霊に自分を明け渡すにつれ、成熟していきます。何度も何度も、こんな自分ですが、主に明け渡すことです。神に愛されていることを味わう、体験する、理解する、これほど決定的なことはありません。「神を、隣人を愛しなさい」という戒めにとって、こんな自分が神に愛されていることを知ることほど、大切なことはありません。 
  十戒を学ぶというのは、そういうことです。それによって、何度も何度も、私たちは神の教えに及ばない自分に心痛めます。しかし、それによって、私たちはますますそんな私をも愛しておられるキリストの愛をより深く味わうことです。十戒をさらりと頭の中で過ぎ越さないことです。十戒にもまれて、日常生活で十戒に悩まされて、しかし十戒を通して伝わってくる神に愛に触れて、私たちは本物のクリスチャンになっていく、そのことが体験できますように。

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DATE: 2006.08.12 - 16:08

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兼行貴之 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 203.211.240.70
藤本満先生へ
先生の著書「祈る人びと」など読ませていただいています。
2006.09.19 - 13:55 
ふじもと 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 221.114.25.29
ありがとうございます。あの本、韓国の出版社が翻訳してくださるとか。
2006.09.28 - 18:04 
carpinteyrotgd 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 192.151.158.203
I will keep a constant attention to your articles. Really good stuff!
2014.12.29 - 18:20 
pletcherlwd 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 192.151.158.203
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2014.12.30 - 12:40 
z48t1k 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 178.159.37.111
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mo5fbqhghx7fkmj8x0
2017.06.22 - 12:17 
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 次文 シリーズ最後 挫折のペテロと出会うイエス
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