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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   十戒(5)主の日を守る
十戒(5)主の日を守る       
    出エジプト20:1−11

 歴史的に、ある人々は日曜日を喜びと楽しみの日とする替わりに、重苦しい憂鬱な日に変えてしまいました。イエスさまの時代、イエスさまはいろいろな場面で、安息日を破った、という非難されています。人を癒す、弟子たちが麦の穂を積んだ、悪霊を追い出す。どんな厳格な律法があったのだろうか、と思います。事実、当時の律法学者は、モーセの安息日の戒めが39の文字から成り立っていると数えました。この39に39をかけて、1521という数字をはじき出し、信じられないことですが、安息日の戒めを破る可能性のある1521の方法を定義しました。
 これでは、安息日が何のためにあるのか、とイエスさまも批判しておられますが、クリスチャンの世界でも往々にし て当てはまることもあります。ピューリタンは、聖日厳守という大命題を掲げて、アメリカに渡ります。ですから、今でも田舎に行きますと、日曜日に休みの店は多いです。歴史的な記録として、ピューリタン勢力の強かった東海岸で、かつてこんなことがありました。ある船長が二年にも及ぶ航海から帰ってたのを、彼の妻は礼拝を休んで、出迎えて、家に迎えました。ところがそれが日曜日だったというので、彼女は即座に逮捕されたのです。
  これでは、イエスさまの時代の律法主義者と何ら代わりはありません。あたかも、日曜日は聖なる日であって、礼拝を守ることが絶対であって、いや、他のことをしてはならない、と強制すれば、もはや、日曜日を偶像化していることになります。この問題は、子どもたちにはデリケートです。特に私のようなクリスチャンホームの子どもにとっては。何が何でも教会!それが子どもをつまずかせる場合もある。どうぞ好きにしなさい!それが、日曜日の本質を見失うことにもなる。 さて、今日見ていただくのは、この安息日の規定ですが、いくつか情報として知っておきましょう。安息日とは、ヘブル語で第七の日です。ですから、ユダヤの人びとにとっては、神を礼拝する日は土曜日です。キリスト教徒は、これを主が復活された日、週の初めの日に変えました。何のためらいもなく変えました。
 その意味で、イエスさまもそうですが、私たちは、いわゆる安息日の律法からは自由です。いや、初代のクリスチャンは日曜日だけではなく、毎日集まって神を賛美し、感謝をし、パンを裂いていた、というのですから、毎日が聖日だったのでしょう。クリスチャンは、週の初めの日を聖別して、主を礼拝します。私たちは聖日、あるいは主の日、と呼びます。

さて、今朝は、これらを踏まえた上で、この十戒の戒めが私たちどんな意味を持っているのか、2点から間が手置きたいと思います。

1)2)第一に、出エジプト記二〇・八〜一一にこうあります。
「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息日である。····それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福され、これを聖なるものと宣言された。」
 ここで安息日を聖なる日とする戒めは、神の創造の働きのパターンを根拠に命じられています。神が六日働いて、七日目に休まれ、このパターンを私たちすべての中に確立されたというのです。
 木は、じっとしているべき寒い冬の時期には、葉や実をつけることはできません。木には、選択と行動の自由がないのです。しかし私たち人間には自由があり、時にそれが問題となります。人は限界を越えてつぶれるまで、心身を駆使することをします。それ故、神は憐れみをもって、安息日という賜物を与えてくださいました。主の日は休息と礼拝の日であり、それはリフレッシュと喜びの日となります。
 これは、考えておく必要があります。スイスのハグラー博士は、酸素と人体に関する実験を繰り返し、日中の労働による人体の酸素消費量は、夜寝ているときに回復される酸素量を越えていることを発見しました。ですから、六日間連続して働いたときに加算されていく酸素のマイナス量が、七日目の休みによってまとめて回復されるわけです。現代人は、さらに一日の労働量を増やしてしまいましたから、週休二日にする必要があるのではないでしょうか。1日では取り戻せないくらい、いろんなことをしているのです。
 英国の有名な医師であるジェームズ・ブラウン卿は次のように言っています。「私たち精神科医は、たえず患者に対してまとまった休暇を取るように指導をしています。私は、まとまった休暇が、実はかつてつぶしてしまった日曜日を取り戻しているにすぎないと思っています。」
  夏休み、そんなことも考えていただきたい。そう申し上げると、そういうあなたが一番考えなさい、と言われてしまいます。そのうち倒れて、長い休暇を取ると、かつてつぶしてしまった日曜日を取り戻しているんだ、と痛感するのでしょう。
 私は、その意味で、教会が活動過多になることにも、継承をならすべきだと思っています。安息日が、健全な安息日になるように、信仰の営みを、日曜日だけに集中しないで、週日わずかな時間や、いや人生全体を礼拝として考えていくことも必要なのでしょう。神であれ人間であれ、人格というものの基本原則の一つは、活動と休息のリズムです。この戒めは、十戒の石の板ではなく、私たちの心と体、感情と精神の板に刻まれているのです。

3) 第3に、申命記五・一五で、この戒めは再び繰り返され、それを守るべく新たな理由がつけ加えられています。
 「あなたは、自分がエジプト後で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えておかねばならない。それゆえ、あなたの神、主は、安息日を守るようにあなたに命じられたのである。」
 第一の原則は「休息」(rest)でした。第二は「覚える」(remembrance)です。日曜日は、身体と精神に休息を得る日ばかりでなく、たましいが神の恵みを覚える日です。出エジプト20:8は「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」と始まります。
  「覚える」という言葉が鍵です。「あなたは、かつて奴隷であり、それが神の恵みによって解放されたのです。ですから、この日を聖なる日として守りなさい。覚えておきなさい」ということです。なぜ「覚えよ」と命令されているのでしょうか。それは、私たちはすぐに忘れる罪の性質を持っているからです。いつも思い起こさねばなりません。
 聖日は、週日の疲れをいやすばかりか、たましいを刷新し、忘れかけていた価値観を思い出し、愛を取り戻し、そして神を覚える日となるのです。こうして私たちは、再び神を第一とします。この日をいい加減に扱っている人は、勿論のこと神を忘れる人です。この日を覚える人は、神が私たちを罪の奴隷から解放してくださったことを覚えている人です。この日を覚える人は、自分が神の民であることを覚える人です。
 主の恵みによって生かされ、愛する兄弟姉妹と一つ家族にされ、共に主を賛美し、共に祈り、共にみことばに耳を傾ける。この日、私たちは自分がクリスチャンであることを覚えるのです。
 覚えることは、戦いです。この日本という土壌にあって、日曜日に教会に行くと言うことが珍しい日本にあって、主の日を覚えることは戦いです。聖日を偶像化する必要はありません。でも、この日を覚えて闘うことは大切です。夜勤明けで礼拝に来る人がいる。礼拝に来られないと、祈祷会に来る人がいる。インターネットで礼拝を守る人がいる。日曜日に仕事で、教会を懐かしく思う人がいる。遅れてでも来る人がいる。病室で礼拝を覚える人がいる。
 43才で天に召された勝間田寛兄のことを思い出す。心筋梗塞でした。3年後に脳梗塞(脳圧が高くて、小脳を切り取り)運動機能を奪われ、ICUでのリハビリ。圭子や私がお見舞いに行くと、将来が不安、いつ天に召されるかも不安でしょう。彼は、ひたすら、礼拝に出たがっていた。「賛美歌が歌いたい。賛美歌を聴きたい。皆さんに会いたい。
 それは、いつもの生活だった。兄弟は、クリスチャンホームに育ちました。礼拝が苦痛であったときもあったと思います。しかし、礼拝はいつもの恵みだったのです。そして、そこには確かな祝福があったのです。それをよく知っていた兄弟は、何にも増して、退院したら礼拝に出たい、と思っていた。家に帰りたいではない、礼拝に出たい。
 日頃の私たちにとって、礼拝は、喜びであり、戦いです。主の日の礼拝を守るという戦いを乗り越えていってほしい。これが戦いだと思ったとき、その戦いを止めて、世の中の日曜日に飲まれないでほしい。それは、この戦いを守ることほど、「神を尊ぶ」という姿勢が明確にされることは、他にないからです。そして、神を尊ぶ人を、神もまた尊んでくださる。そのことを、日頃から学んでほしいのです。

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