題      名: 受難週の霊想ワードとPDF
氏      名: T・Y
作成日時: 2020.04.03 - 22:19
5(日)この場が聖所
「水のない、衰え果てた乾いた地で、私のたましいはあなたに渇きます。……私はあなたの力と栄光を見るためにこうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています。」(詩篇63:1−2)

 神さま、いま礼拝に行けない状況が世界を包んでいます。しかし、ダビデがユダの荒野であなたをせつに求めたように、私はこの場を聖所として、あなたの力と栄光を仰ぎ見ます。この日が、イエスさま、あなたがエルサレムに救い主として入られたことを覚え、私はこの場を聖所としてあなたをお迎えします。私たちは礼拝を自粛しているのではありません。この場を聖所としています。
  荒野にあってあなたを砦としたダビデを、あなたは「御翼の陰」に守ってくださいました(7節)。どうか私たちをお守りください。コロナウィルスの感染と戦っている人々を支えてください。苦しみに耐える力を与えてください。孤独や不安の中にあってもあなたを助けとしている私たちをお守りください。荒野が御翼の陰となったように、1人で捧げる礼拝が、栄光にあふれた一瞬となり、しっかりとあなたに守られているという確信をお与えください。

 
6(月)まことの羊飼い
「イエスは舟から上がって、大勢の群衆をご覧になった。彼らは羊飼いのいない羊の群れのようであった。イエスは彼らを深く憐れみ、多くのことを教え始められた。」(マルコ6:34)

  主よ、私たちはみな羊飼いのいない羊の群れのようです。明日のことも、次の週のこともわかりません。新しい感染症の情報に振り回され、経済的なこと、今年予定されていたこと、みな混沌としています。そのくせ、羊がひたすら下を向いて草を食んでいるように、主体的な行動もなく、ただ流されているに違いありません。
  羊飼いなる主よ、どうか私たちを導いてください。教えてください。イザヤ40:11に「主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、懐に抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く」と記されているではありませんか。
  愚かな弱い私たちを引き寄せ、懐に抱き、優しく導いてください。教えてください。何をすべきなのか、どのようにして守るべきなのか。あなたにまず相談します。
  何よりも、滅び行くものと永遠の世界に関わることを区別し、どのような中にあっても、あなたの救いをいただいている神の民として、聖霊に支えられながら背筋を伸ばして生活することができるように力を与えてください。

7(火)いのちを捨ててくださった
「わたしは良い牧者である。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます」(ヨハネ10:11)
 イエスさま、あなたは私たちを引き寄せ、教え、導いてくださるだけでなく、私たちが神の御前に立つことができるようにいのちを捨ててくださいました。私たちが神の子どもとして死からいのちへと移されるように、いのちを十字架の上でお捨てになりました。それを心いっぱい感謝する受難週を歩んでいます。
 どうか、このパンフレットの祈りを読んでいる私たちの足を止め、心から感謝することができますように。
 そして、思い起こします。「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たち恵んでくださらないことがあるでしょうか」(ロマ8:32)との御言葉を。あなたの備えは万全であり、あなたの摂理は最善であることを心にしっかりと留めることができますように、信仰の弱い私を助けてください。

8(水)捨てられないとは考えない
「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず」(ピリピ2:6)
  イエスさま、私たちには自分のやり方考え方に固執します。しがみつきます。一歩譲ってしまえば、どんなにうまくいくのにと思いながらも、最後は、「いや、捨てられない」と。
   私の計画もあります。その通りにいかないと大変な不幸を味わっているかのように考えてしまいます。しかし、あなたが神の栄光のお姿を捨てて、この世に私のために来られたことに比べたら、私たちに捨てられないものはないはずです。
   無念さも、悲しみも、自分の主張も計画も、それが「捨てられない」と固執するのではなく、あなたにおゆだねすることができますように。捨てられないものは、あなたへの信仰、家族への愛ぐらいか、と。

9(木)あなたのために祈った  
「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)
 主よ、わたしはあなたに祈られ、あなたの祈りに支えられてここまできました。悔い改めたことも、信仰を持つことができたことも、疑いの中にあっても信仰生活をたどることができたのも、ひとえにあなたがわたしのために祈ってくださったからです。
 ですから、そんな私たちには周囲の人々に何かできるはずです。あなたの愛を伝えることも、失意の底にある人に声をかけることも、挫折している人を励ますことも、きっと私たちにはできるはずです。なぜなら、私は小さな土の器であなたに祈られてここまで来たからです。立ち直らせてください。力づけてあげる者としてください。
 
10(金)わたしは渇く
「それからイエスは……『わたしは渇く』と言われた。」(ヨハネ19:28)
   イエスさま、あなたの十字架の上での言葉を思い起こします。あらゆる苦痛の中で、うめくようにあなたはおっしゃいました。「わたしは渇く」。イエスさま、あなたは渇くだけでなく、引き裂かれる痛みを覚えられ、母マリヤと分かれる悲しみを味わわれ、嘲笑される悔しさを体験されました。
   わたしは渇くとおっしゃったあなたは、私たちが経験する身体的苦痛、精神的悩み、霊的な弱さ、それらすべてを味わわれたお方です。
   どうか私に同情してください。「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。(ヘブル4:15)。

11(土)わたしが石を転がす 
 彼女たちは、「墓の入り口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか」とみなで話し合っていた。(マルコ16:3)
  主よ、毎年受難週の最後は、この御言葉をもって祈ります。転がしてください、私の日常をふさいでいる石を。私の心をふさいでいる、大きな石を。
  よみがえりの朝、女たちにはできませんでした。あなたが天の使いを送り、その御力を発揮してくださらなければ、石はころがりませんでした。
  主よ、同じように、あなたがた助けてくださらなければ、どうしようも動かない石が、私の心に、日常に立ちはだかっています。
  お願いです、主よ。あなたにはできるのですから。その期待をもって明日のイースターの礼拝にでかけてゆきます。もし行くことができなくても、同じ期待をもって日曜日を迎えます。復活の恵みを私にも与えてください。
 

みことばとともに
十字架の足跡を

2020
4月5日(日)〜4月11日(土)