題      名: アドベント第4週の祈りです
氏      名: 牧師
作成日時: 2022.12.17 - 06:54

みなさま

アドベント第四週のお祈りをお送りします。

JECA甲府キリスト福音教会の松村識先生が書いてくださいました。
satoru.matsumura@gmail.com

クリスマスが終われば、あっという間に元旦礼拝を迎えます。せめてこの第四週は、丁寧にクリスマスへの道を歩みたいと願います。

この祈りが用いられますようにお祈りしています。

藤本満

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第4週は、松村先生のワードとPDFが添付で送られてきました。
今回もワードを少し校正しましたので、PDFもこちらで作成したものを載せることにしました。
感じのいい挿絵やフォントの色使いなどはそのままにいたしました。
松村先生のワードは、以下の通りです。ここでは文字だけの黙想になりますけれども、添付のPDFの方には挿絵も入っています。
PDFはA4サイズの両面印刷で、3つ折りできるようになっていますので、どうぞどなたさまもアドベントのしおりとしてお用いくださいますように。
常連の松村先生の霊想に感謝して、改めてイエスさまのお誕生の意味を悟り、そして私たちに与えられた人と神を愛する喜びを感謝しつつ。 (T・Y)

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クリスマスを迎えるこの週、イエス様をお迎えした人たちに自分の歩みを重ね合わせてみましょう。

●12月19日(月)ルカ1:46-48
 マリアは言った。
「私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。この卑しいはしために 目を留めてくださったからです。 ご覧ください。今から後、どの時代の人々も 私を幸いな者と呼ぶでしょう。

 主の降誕を知らされ、「主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は何と幸いなことでしょう」というエリサベツの祝福のことばを聞いたとき、彼女も賛歌を歌います。小さなナザレの町の名もない乙女、まだわからないことだらけでしたが、自分を主が用いてくださることを信じ、その光栄を喜び歌いました。
 やがて宮まいりの驚き、カナの婚礼から始まる公生涯の不思議と戸惑い、十字架と葬りを見届ける悲しみ、すべてがわかるのはよみがえりの時です。それまで忍耐深く主の母としての務めを果たしたのが彼女の信仰です。それは神のみこころをわが思いとして喜び受けとめる従順がすべて。そのはじめの思いのひとつがこの賛歌です。
 あなたの信仰生活に様々な出来事が起こったことでしょう。ときに思いに沿わないこと、悲しみに暮れることや戸惑い。神のみこころを受けとめる従順を祈りましょう。


●12月20日(火)マタイ1:20-21
 彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」

 マリアが嘘をつくだろうか。凜とした佇まい。何があろうと動じない眼差し。しかし、事実は事実。彼は決断を下しました。「ひそかに離縁しよう。」そこに主の使いが夢に現れて、なそうとしている救いのご計画を聞きます。それは罪からの救いです。
 イエスという名は旧約聖書のヨシュア、『主は救い』。神は聖書の中で一貫として罪の悔い改めを求めておられますが、人は罪に頑なです。処女マリアから生まれ、罪なきひとり子であるイエスが、私たちの罪の贖いとして来てくださったのです。
 イエスが罪の救いのために来てくださった。それを聞いて、恐れずに信じることはなんと幸いなことでしょう。

 
●12月21日(水)ルカ2:15
 御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」

 救い主の誕生が最初に知らされたのは、野宿で番をする羊飼いたちでした。彼らは主の使いのことばに『急いで』ベツレヘムへ行き、みどりごイエスを捜し当てました。
 名もなき羊飼いたち、彼らは社会の底辺を生きる人たちでした。生まれたときから、羊飼いとして生まれ、育ち、一年中同じように羊の世話をし、老いて羊飼いとして死んでいく。ずっと変わりなく365日を繰り返してきたことでしょう。主が、彼らをお選びになったのは、神の国が「心貧しき者」たちの迎えられるところだからです。こんな私も神に覚えられている。それは彼らの宝となり、同じ毎日も違って見えたことでしょう。
 神の救いのしるしを見る者にとっては、周りや状況は変わらなくても、救いの新しい目でものごとを見、心励まされて立っていけるのです。

●12月22日(木)マタイ2:9-11
 すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

 星に導かれてはるばるユダヤまで旅した東方の博士たち。王の誕生は当然王宮であると思ってきました。ところがベツレヘムの家畜小屋にイエスを捜し当てました。がっかりしたでしょうか。いいえ。彼らは「この上もなく喜」びました。そして、この日を心待ちに用意し、遠路運んできた宝を献げます。
 私たちの救い主は、立派ななりをしてはいません。むしろ、のろいのしるしである十字架の主です。最も貧しいところに生まれたのは、すべての人に仕え、実に十字架でいのちを与えるためでした。
 その主を喜び、最上のものを献げることがあなたにも求められていないでしょうか。


●12月23日(金)マタイ2:16
 ヘロデは、博士たちに欺かれたことが分かると激しく怒った。そして人を遣わし、博士たちから詳しく聞いていた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させた。

 イエスの誕生に出会った麗しい信仰者たちとは逆に、唯一拒絶したのがヘロデです。ヘロデはユダヤの王として大成功を収めました。一方、そのためには疑わしきは殺せと妻や自分の息子までも殺しました。信じられるのは自分だけ、「たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか」(マタイ16:26)と生きたのです。
 私たちは何のために生まれ生きてきたのでしょうか。限りあるいのちを生かされている私たちです。自分のために生きるいのちはむなしく終わります。
 イエス様が来られたのは、神を愛し、人を愛する喜びをあなたに与えるためです。愛のキリストに従って生きるいのちを、もう一度、問い直そうではありませんか。

●12月24日(土)ルカ23:42-43
 「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

 イエスが来られた地上の最期、共に十字架に架けられた犯罪人の一人のことばです。この世ではもう何一つ望みとなることはありません。しかし、最後の最後、彼に約束されたのはパラダイスの希望です。
 生老病死、ハラスメントや虐待、事故や災害、戦争や紛争、飢餓と難民、この世にあっては身近なところから世界大に至るまで悩みに満ちている世界に私たちは生きています。 
 しかし、信じる者にはパラダイスの希望が与えられています。そのためにこそイエスは来てくださった。それを喜び、この地上にあっても、受けた恵みを与える者になることができるように祈りましょう。


  みことばと共に行くアドベント
       2022
       第4週

     (新改訳2017)