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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   4/7ペテロの信仰(5)再びペテロを ヨハネ21:15〜19
☆聖書個所          ヨハネ21:15〜19

15彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」
16イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
17イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
18まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」
19これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお話になってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」

☆説教       ペテロの信仰(5)再びペテロを

3月に入りまして、ずっと「ペテロの信仰」を学んでまいりました。それは言うまでもなく、十字架と復活に関わるキリストの受難の出来事の中で、ペテロの信仰を見ようと思っていたのです。今日はその最後で「再びペテロを」――ごめんなさい、もう一回あるかもしれませんが――15節からの所を見ていただきたいと思います。ヨハネの福音書の21章の15節――

15彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」

前回は「原点からの再出発」と題して、イエスを捨て、そしてイエスを否んだペテロと弟子たちを、私たち自身に重ねて考えてみました。自分の予想もしなかったほどに試練の中で弱かった弟子たち、強がって信仰を堅く握ったはずのペテロは、思わぬところで挫折してしまいます。

主がそんな弟子たちとペテロを回復させたのは、原点に戻すことから始まりました。共に3年半過ごしたガリラヤの岸辺に戻してやった。そしてかつてペテロと、他の弟子たちが漁師だった頃、「わたしについて来なさい」とイエスさまは声をかけます。その時も一晩漁をして何も獲れなかった彼らに、今回も同じような状況で、再び「わたしについて来なさい」と、チャレンジを与えられます。

イエスさまは、私たちが何かある時に、自分が救われた時に、自分が苦労した時に、自分が初めて神さまと対話した時に、私たちの信仰の原点に戻して、私たちを引き上げてくださるお方です。
そして、食事を共にして、一つのことだけをおっしゃいました。それが、

15「ヨハネの子シモン。あなたは、(この人たち以上に、)わたしを愛しますか。」

何も責めることもせず、イエスさまを否んだ信仰を否定したペテロを、再びご自身のもとに引き寄せられました。

今日はここから3つのポイントで学んでみたいと思います。
先ず第一番目に、15節のイエスさまのことばの最初をご覧ください。――「ヨハネの子シモン。」


1)主は、彼の名前を呼びます。
  
15「ヨハネの子、シモン。」

これは16節にも出て来ます。「ヨハネの子シモン。」それから17節にも「ヨハネの子シモン」と出て来ます。
挫折した男との出会いは、まず名前を呼ぶことで始まります。
名前を呼ぶというのは、温かな味わいです。

聖書の中で神さまから名前で呼ばれているのは、別にペテロだけではない。主に従うすべての人にあてはまる。マタイでも、パウロでも、ラザロでも、バルテマイでも、私でも。
主によって救われ、主によって導かれ、主によって召され、主に仕える者とされる。
主は、いつでも、私一人に目を留め、声をかけてくださる。

私はある時、祈祷会でこんな話をしました。
渋谷の方から田園都市線の急行に乗って来て、高津は各駅しか停まりませんので、二子玉川で降りて各駅に乗り換えたら、その前に松野兄がいたのです。松野兄は新書版の本を一生懸命読んでおられました。私は松野さんの側に立って、そうっと耳もとで「松野さん」って声をかけた(大笑)。そしたら仰天してしまって、そうして、5秒ぐらい何のリスポンスもなかった。悪いことしたなぁと思いながら、それからおもむろに松野さんは私に気づいて「あ、先生」とおっしゃったのです。その5秒の間絶句です。

満員電車にたとえば一両に100人が乗っていて、こんな(ごく近い)距離に人がいるにもかかわらず何の関係もないですよ。不思議だなぁと思います。
新宿の駅の乗降客というのは、一日に120万(人)。その内、実際にすれ違うような存在というのは、その内の何千(人)ぐらいだろうと思いますけれども、それもまた何の関係もない。

私たちはそういう世界の中に住んでいて、ことごとく考えるのです。
この広大な宇宙を創造された神が、何億というクリスチャン、何億という人間の中で、こんなにも小さく、こんなにもつまらない私のことを、果たして目に留めて、導いてくださるのだろうか。これは正直、最大の疑問です。
もちろんこんなに罪深い私を救ってくださるのだろうかというのは、最大の疑問の次に来る2番目の疑問です。
でもおおよそこれだけの人間がいて、おおよそ取るに足らない自分を、イエスさまは目を留めてくださるのだろうかと考えますと、聖書の中で神さまが名前を呼ぶということは、ものすごく大きな恵みだと思わなければいけないでしょう。

沢山の人が電車の所にいて、そして「松野さん」と言った時に、松野さんは一人しかいない。神さまはそのように私たちに声をかけてくださる。
私はよくアウグスチヌスの名言を用います。アウグスチヌスはこう言いました。
「神は、あなたを、あたかも全世界にあなた一人しかいないように愛してくださる。」

今この場面で、挫折したのは別にペテロにだけではない。イエスさまを捨てて去って行ったのは、まぁユダはいませんけれども、他の弟子たちもそうでありました。
しかし、その中で直接的にイエスさまを否んだのは、ペテロでした。
そして否んだ時に、ペテロはイエスさまのことを「あの男」「あいつ」と呼んでいます。しかしイエスさまはそう呼ばれたにもかかわらず、ペテロのことを「ヨハネの子シモン」と、実に親しげに声をかけてくださいます。

2番目に目を留めていただきたいのですが、その質問は――

2)愛するか?
 
イエスは、ペテロに一貫して一つの問いを投げられます。

15「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」 
16「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」
17「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」

この質問は、ペテロにとって、辛い質問でありました。よく言われますように、ペテロが3回否んだので、イエスさまは3回ペテロに「あなたは本当にわたしを愛するのか」と確認しておられるのではないかと思います。

しかも新改訳聖書には、*印が沢山「愛する」という言葉に付いていますが、イエスさまの最初の2回の「愛しますか」という言葉はアガペー、アガパオーですね。

ギリシャ語には「愛する」という言葉はいくつかあるのですが、例えば(***隣人・友人の間でよく使う)フィリア、フィレオ―という言葉、家族の間ではストルゲーという言葉もありますが、恋人同士が愛するのは、エロスという言葉です。
しかし無償の愛をもって愛するのは、これは聖書独特の言葉ですけれども、キリストが使う愛というのは、大体アガペーです。動詞はアガパオーで、見返りを期待せずに愛する純粋な愛です。

イエスさまはそのアガパオーという言葉を使って、「あなたはそのようにわたしを愛するか」(と訊かれる)。
すると、ペテロはアガパオーを使わない。「私はあなたを愛する」という時に、フィレオ―を使う。
――そこまでのレベルであなたを愛する自信はない。
しかし、先生と弟子という関係で3年半過ごして来て、イエスさま、あなたに私は多大な尊敬とひたむきの情をもって、あなたを愛しています、と言わんばかりに、フィレオ―で答えるのです。

何とももどかしい会話が続いています。「愛しますか」という質問にだれもが、まともに答えることはできないのです。
「あなたは自分自身以上に神を愛しますか」――そういう風に訊かれたら、私たちは100%、「いや、あなたより自分を愛します」と答えるでしょう。
私たちは信仰の深い人間だろうと思います。しかし日頃の、日常の生活の中で、「あなたは自分自身以上に神さまを愛しますか?」と訊かれたら、「いや、正直自分を先ず愛しています」とそう答える者だと思います。

そしてもし人生のある機会に、「自分以上にあなたを愛する」と言うことができる機会があるとすれば、それは自分で言っているのではない。イエスさまがそのように言わせてくださる力を、私たちに与えてくださる。
  
さて、このもどかしい会話の最後に、17節、ご一緒に読んでみたいと思います。

17イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

三回言われて、最後にペテロは心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存知です。」――何とも言えない。一切のことをご存知です。
――あなたはわたしが(あなたを)三度否んだことをご存知です。
私が自信なくあなたに答えているのもご存じです。
私がつくづく挫折して、もしかしたら立ち上がることができないことも、あなたはご存じです。
長い人生の中であなたについて行くとしたら、もう二〜三回はあなたを否む可能性が私には充分あるということを、あなたはご存じです。
私の疑問も、どちらかというと口だけで生きている私の姿勢も、もし迫害を受けたら、再びあなたを否んでしまうかもしれない私の弱さも、いっさいをご存じです。

そういう風に考えますと、イエスさまが「わたしを愛しますか」と三回尋ねることによって、ペテロの愛を確認しているのとはちょっと違うということがわかります。

今、妻が私にですね、「あなた、私のこと本当に愛してるの?」って訊かれたら、「えっ、何かあったの?」って(大笑)それを、思わず聞き返しますよね。
日本人は特にそうですけれども、普通はloveという言葉をあまり使わないですね。アメリカ人のように何でもloveでも困るのですが。
“Do you Love me?”みたいな、「あなたは私を愛するか」みたいな会話って、普通しないですよね?
もしこれをするとしたら、親子関係の中か夫婦関係の中ぐらいで、それでさえ稀ですよね。
でもそれ以外の状況で、(そんな会話は)しないです。例えば学校の先生が生徒に向かって、「君は僕を愛するか」って言ったら、もうそれでセクハラですよ(大笑)。普通使わない言葉なのです。

するとものすごくよくわかるのは、三回「わたしを愛するか」と言いながら、だんだん度合いを増して明らかになって来るのは、ペテロの愛ではない。
ペテロは最後「あなたはいっさいをご存じです」と(イエスさまの質問から)逃げている。
だけど、三回尋ねることによって、徹底して明らかになっていくことは、イエスさまがペテロを愛しているのです。
イエスさまがペテロを愛しているのでなければ、敢えてイエスさまはペテロの愛なんか問わないです。

「あなたはわたしに誠実を誓うか?」でもいいですし、「あなたの信仰はあの挫折を通して少しはまともになったか?」と問うてもいいことですし、問い方はいくらでもある。
しかしイエスさまとペテロの関係で、最も根源的なことを問う。
それはイエスさまはペテロを愛している。だからイエスさまは再びペテロを使おうとしている。
再び使おうとしているから、「(あなたはわたしを」愛するか」という会話の最後で、「わたしの羊を牧しなさい」「わたしの羊を飼いなさい」と話はそこへ行く。

3)それでも「わたしの小羊を飼いなさい」とおっしゃるイエスさまです。

すると、ペテロはその時点でわかる。――ああ、主は単に私の信仰を回復させようと願っておられるだけではない。主はもう一度私を使おうとしておられるのだ。
私の空元気も私の疑問も不安も挫折も、不信仰も全部知った上で、主イエス・キリストは私をもう一度使おうとしておられる。

私たちが側にいましたらね、イエスさまに言うのです。「イエスさま、ちょっと早いのではないですか」と、常識的に普通に言いますよ。とりあえず1年試験期間を持って、最終的に弟子として復帰できるかどうか、プロフェッション(信仰告白?)の期間を持つのが普通だと思います。

 【***↑ probation(英語で見習い期間の意味)の聞き間違いだったと思います。
どこかで聞いたことばと思って、気になっていたのですが、このHP「牧師の書斎」の教職制に出ていました。
だいぶ遅れてしまいましたが、今頃気が付きましたので、7/20お詫びして訂正いたします。T・Y】  

どこでもそうですよね。学校でも職場でも。とんでもない事をしたならば、もう一度雇うことは雇う。「でも、1年間の試験期間を置きましょう。それがあなたにとっても、会社にとっても、ベストだと思いますから。少なくとも何らかの処分と、その間の悔い改めと改善点が提示されてから、正式に戻って来ていただくことにしましょう」ですが、イエスさまはそうではなかった。

イエスさまはペテロを愛しておられて、ペテロを用いることしか考えていない。
だから「ヨハネの子シモン」と声をかけ、「わたしを愛するか」とイエスさまの愛をお示しになり、最終的には「わたしの子羊を飼いなさい」というのは、わたしの群れをあなたに任せる(ということです)。

あの大物野球選手で中日の監督になって、1年で中日をリーグ優勝に導いた落合監督というのは誰でもが知っています。もう一つのぼやいてばかりいる(笑)監督と、クールフェイスで何にも言わない落合監督と、日本人はぼやく方が好きで、落合監督は割と嫌われていた。何にも言わない。

彼は明確に、監督になっての第一声で、明確に宣言します。
「これから1年、トレードはしない。大物外国人選手は採らない。今のチームに一人として不要な選手はいない」
当時、他の球団が、名指しで言えば巨人が(笑)、金にものを言わせて大物選手を獲得して、優勝を狙いにいく時、落合さんは言うんです。
「補強は一切しない。今の戦力でも十分に優勝できると私は信じている」
落合監督は、「この戦力じゃ無理だ」とか「あいつはだめだ」というぼやきはひとことも言わなかった。
私は野球のことも落合監督のこともよく知りません。でも、私たちがもし選手だとして、もしそう言ってもらったら、その信頼を受けたら、それは力になります。

ペテロが、イエスさまに「あなたは私の一切のことをご存じです」と言った時に、それは彼の内側の不安な思い、自分がイエスさまを否んでいる時に、目が合ってしまった、あの後ろめたさ、すべてが含まれている自分なのです。
しかし、その自分をイエスさまは愛してくださり、信頼してくださり、群れを託された。
「ヨハネの子シモン」で、この場面が始まり、それがペテロの本名で、それがペテロにある限りの可能性、あるがままのペテロです。
    
イエスさまは、「あるがままのペテロでいい。わたしの小羊を飼いなさい」とおっしゃった。
あるがままのペテロなのだけれども、イエスさまは、少し違うものをヨハネの子シモンに見ておられた。

私たちは、自分というこのチームを見て、これも足りない、あれもできないと思ってぼやくばかりです。
だから、足りないという所を補強したら自分は良くなるんじゃないかと、そんなことも考えます。
サウロというイスラエルの王さまは、強い人物を見つけると、どんな人物もみんな召し抱えて自分の味方につけて、助っ人を呼んで来た人物です。

そうではない。イエスさまはヨハネの子シモンの中に、シモンが見ていたよりも遥かに優れた力、すなわちペテロを見ていた。
それだけでなく、イエスさまは私たちの内に力強く働いてくださり、そのペテロの可能性を引き出し、育ててくださる。
「だから、あなたはヨハネの子シモンでいい。わたしがあなたをペテロにしてあげる。だから、わたしについて来なさい」。
そしてペテロはおもむろに立ち上がって、イエスさまについて行くのです。

新しい環境の中で私たちが苦労することも沢山あるかもしれない。
でも、あるがままでいいと神さまは仰った。
「トレードは、なしだ。戦力補強もない。少しはわたしがあなたを愛しているということを解ってほしい。少しはわたしがあなたを信頼しているということを解ってほしい。
わたしに答えて、わたしについて来なさい。
あなたは、ヨハネの子シモン、そのままでいい。でもわたしがあなたをペテロにしてあげる」(――そのように、イエスさまは私たちを力強くみもとに引き寄せられます)。
 
☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、どこまでいっても、あるがままの自分に納得できない私たち、もっと優れていたら、もっと別の道があれば、もっと違う可能性が与えられたら、いろいろと考えさせられます。

いえ、そのままでいい。先ずあなた自身が、そのままの自分をもっと好きになりなさい。何よりもわたしがあなたを信頼していることをもっと理解しなさい。その時、わたしがあなたに声をかけ、あなたをペテロとして引き上げようとしているその意味があなたによく分かるようになる(、そのようにイエスさまが私を励ましてくださっていることを感謝します)。

どうか、大きなチャレンジに身を乗り出そうとしている小さな子どもたち、兄弟姉妹、さまざまな試練、問題に向かっておられる兄弟姉妹に、力付けを与えてくださり、今週1週間共にいて勇気を与えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2013.04.08 - 19:25
LAST UPDATE: 2013.07.20 - 15:07

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