☆聖書箇所 創世記48:8〜16
8イスラエルはヨセフの子らに気づいて言った。「これはだれか。」 9ヨセフは父に答えた。「神がここで私に授けてくださった子どもです。」すると父は、「彼らを私のところに連れて来なさい。私は彼らを祝福しよう」と言った。 10イスラエルの目は老齢のためにかすんでいて、見ることができなかった。それでヨセフが彼らを父のところに近寄らせると、父は彼らに口づけし、彼らを抱いた。 11イスラエルはヨセフに言った。「私はあなたの顔が見られようとは思わなかったのに、今こうして、神はあなたの子どもをも私に見させてくださった。」 12ヨセフはヤコブのひざから彼らを引き寄せて、顔を地につけて、伏し拝んだ。 13それからヨセフはふたりを、エフライムは自分の右手に取ってイスラエルの左手に向かわせ、マナセは自分の左手に取ってイスラエルの右手に向かわせて、彼に近寄らせた。 14すると、イスラエルは、右手を伸ばして、弟であるエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。マナセが長子であるのに、彼は手を交差して置いたのである。 15それから、ヨセフを祝福して言った。 「私の先祖アブラハムとイサクが、 その御前に歩んだ神。 きょうのこの日まで、 ずっと私の羊飼いであられた神。 16 すべてのわざわいから私を贖われた御使い。 この子どもたちを祝福してください。 私の名が先祖アブラハムとイサクの名とともに、 彼らのうちにとなえ続けられますように。 また彼らが地のまなかで、 豊かにふえますように。」
☆説教 祝福を祈る
創世記の48章を見ていただきました。ここにヤコブの最期の方が記されています。 48章の8節――
8イスラエルはヨセフの子らに気づいて言った。「これはだれか。」 9ヨセフは父に答えた。(***イスラエルというのはヤコブのことですと説明)。「神がここで私に授けてくださった子どもです。」
というのは、ヨセフの父ヤコブは今ヨセフとヨセフの子どもたち、つまりヤコブにしてみると、自分の子どもとそして孫たちを前にしている姿が記されています。 10節に――
10イスラエルの目は老齢のためにかすんでいて、見ることができなかった。……
とあります。そして最後に祝福を授ける時に、こういう祈りを捧げます。15節――
15それから、ヨセフを祝福して言った。 「私の先祖アブラハムとイサクが、 その御前に歩んだ神。(***神の名を呼びますねと説明。) きょうのこの日まで、 ずっと私の羊飼いであられた神。 16 すべてのわざわいから私を贖われた御使い。 このこどもたちを祝福してください。 ……
これが今日覚えたい祈りです――「きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。すべてのわざわいから私を贖われた御使い。この子どもたちを祝福してください。」(15〜16節)
75歳から77歳に(***敬老プレゼントの対象年齢のこと)ハードルを上げようと言った理由は非常に単純で、75歳の壮健な方々を見ていますと、「ご高齢」というそのかっこづけをつけること自体、なんだか失礼だなぁと思わざるを得ないですが、それでまたハードルを上げますと、70から75に上げ、75から77に上げ、やがて80に上げますと一向に届かない(大笑)というのも、それもまた問題ですね、とそういう話をO兄としました。まだまだ75でいいんじゃないかなという思いもありますが。
教会では、あるいは聖書の考えでは、「お年寄り」というのはいたわる存在ではないです。尊敬の対象です。 例えば有名なレビ記の19章の32節で、「白髪の老人の前では、起立をしなさい」というのがありますね。 起立をして席を譲りなさい、という意味ではないです。尊敬を払いなさい(と言う意味です)。 座ったまま尊敬を払ってはいけない。相手が立っているのだったら、自分も立ちなさい。
あるいはヨブ記の12章の12節に「老いた者には知恵があり、命の長い者には悟りがある」(***口語訳)とあります。これはもう当然のことです。 普通に大学生の方々に「何歳ぐらいまで生きたいか?」と尋ねますと、かなりの人が60歳と答えるそうです。 「80歳以上の人、手を挙げてください」と手を挙げてもらいますと、周りの人たちがその人たちを見て、「おまえ、ほんとにそんなに長生きしたいのか?」(笑)と、じっくり問いかけをするそうです。 私(藤本牧師)は正直80を越えたいと願っています。80を超えて礼拝を守りたいなぁと思います。 勿論それは健康が許されなければなりませんので、無理なのかもしれませんけれども――
有名な日本の哲学者、禅の哲学が専門の鈴木大拙(すずき・だいせつ 1870〜1966))という人物がいますが、90歳から亡くなるまでの6年間、日野原(重明)先生(1911〜10月4日で104歳になられる聖路加国際病院名誉院長)が主治医になっていました。 で、鈴木大拙さんが若い秘書の方々に語っていた言葉が、「生き方上手」(***2001年出版)という日野原先生の本の中に遺されています。 大拙先生はこう仰ったそうです。「君、長生きしたまえよ。90歳にならないと、わからないこともあるからね」と。
喜びも、祝福も、人生の厚みも、神の恵みも、試練の苦さも、長生きしなければわからないことは沢山ある――この視点は実に旧約聖書に多く語られています。 それがゆえに、「長生き」というもの、それ自体が、神の祝福だと教えられています。 元気で長生きすることが神の祝福だ、だけでなくして、「長生き」そのものが神の祝福ですね。
きょう読みましたヤコブは、ちょっとページを一つめくっていただいて、(創世記)47章の28節を見てください。 47章の7節〜9節までを交替に読んで三節を読んでみたいと思います。エジプトの王の前に立たされた時に、王が質問し、彼が答えています。交読いたします。
<創世記47:7〜9節> 7それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、パロの前に立たせた。ヤコブはパロにあいさつした。 8パロはヤコブに尋ねた。「あなたの年は、幾つになりますか。」 9ヤコブはパロに答えた。「私のたどった年月は百三十年です。私の齢(よわい)の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。」
130年の自分の人生を、年月から考えればわずかで、不幸せだった。 この「ふしあわせ」というものの言い方は、あながち間違っていないと思います。
彼は若い頃に双子の兄エサウから逃げて遠い国で生活し、そこで愛したラケルという女性と結婚しようと思ったら、 夜中にお父さん、義理のお父さんが送り込んできたのは姉のレアでありました。 よくわからずにレアと結婚させられ、両方とも結婚させられ、 そして子どもができることで、家庭の中がぎくしゃくし、ラケルがベニヤミンを出産するときに、子どものいのちと引き換えるようにラケルは他界します。 12人の子どもを儲けて、そしてイスラエルの十二部族のお父さんとなるヤコブ、イスラエルでありますけれども、彼の人生は波瀾万丈でありました。
息子12人の中で、ヨセフは兄たちから憎まれ、エジプトに売られ、ずっと死んだ者であったと聞かされ、しかしその十数年後にエジプトで総理大臣になっていたヨセフに、年老いたヤコブは会いに行きます。 そしてヨセフは自分の父親を王さまに紹介している場面がここなんですね。
お父さんのヤコブは王の前で挨拶をし、そして自分の人生を短く凝縮して言った言葉は、 「私は130歳です。決して長生きとは言えません。それに加えて、私の人生は苦しい出来事ばかりでありました」と(***創世記47:9)。
でも今、この48章にページを戻していただいて、ヤコブが一生を振り返った時に、彼は思わずこう言いますね――それが48章の15節の後ろから二行目の――「きょうのこの日まで、ずっと(というのはず〜っとですと説明)私の羊飼いであられた神。(そしてその苦しみの多き人生でありながらと説明)すべてのわざわいから私を贖われた御使い。この子どもたちを祝福してください」という言葉をもって、自分の人生を締めくくっていくのが、これから始まります49章もずっとその祈りの続きでございます。 48章の15節でヤコブは神さまのことを思わず、「きょうのこの日まで、私の羊飼いであられた神」という表現をします。
先日、So姉とY姉をお訪ねしましたけれども、お二人とも戦中戦後、その戦後の中で高津教会に導かれ、その様々な出来事の中にあっていつも忠実に礼拝を共に守って来られました。 しかしSo姉ともう共に礼拝を守ることができなくなって、もうすぐで20年になろうとしますね。 私はSo姉に幼稚科の時に、幼稚園生の時に、So姉が幼稚科の先生でしたから、ずっと教会学校の先生で教えていただき、やがて献身して、そして高津教会に戻って来てまたSoさんのお世話になり、でもSoさんはもう礼拝の席に出席することができない。 それはYさんとて、同じですね。 Oh姉というのは、いつもSa姉と二人で礼拝を守っておられました。 Sa姉は十数年前に天に帰りましたけれども、Oh姉は遺されて、そして施設でずっと過ごしておられます。
その様々な試練の中にあって、「きょうのこの日に至るまで、ずっと神さまは私の羊飼いであった」と言えるこの『ヤコブの信仰』というのはすばらしいです。 今ヤコブは147年の生涯(***創世記47:28)を閉じようとしています。 そして彼は自分に与えられた最期の仕事をしようとしています――それが自分の子どもたち、孫たち、要は自分の家族を祝福することです。 ヨセフが自分の枕辺にやって来ると、ヤコブは(創世記48章)2節で「力をふりしぼって床にすわった」と書いてあります。 自分の最期の仕事をするために、彼は力を振り絞って、床に座ります。そして3節に――
3ヤコブはヨセフに言った。「全能の神がカナンの地ルズで私に現れ、私を祝福して(くださった、と加えて)(***創世記28章の出来事)
その時から今に至るまで、ヤコブは自分が祝福されただけでなく、自分が様々な試練の中にあり、しかし御使いはその試練から自分を贖い出し、いま最期、自分の信仰を家族に渡しながらヨセフを祝福し、そして孫を祝福したい、と彼は力を奮い起こして、そこに座るんですね。 9節を見てください。
9……「彼らを、私のところに連れて来なさい。私は彼らを祝福しよう」(と言った。)
私は彼らを祝福しよう――これが彼が自分の人生を閉めくくるにあたって、したかったことです。
モーセの最期も同じでありました。 彼は約束の地カナンに入って行くことはできません。(***民数記27:13) しかし彼はイスラエル十二部族ごとに、その直面している課題、その部族の負い目、様々なことを考えながら、一つ一つの部族を呼んで、その部族にふさわしい神の恵みを祈っています(***申命記33章) ヤコブは人生の最期に、力を振り絞って、自分にできる最大のことを実行する。 「この子どもたちを祝福してください」(***創世記48:16)
皆さん、普通に考えますとね、やっぱり親であれば家族に財産を遺すってことを考えますでしょう?ま、それは遺すものがあればの話ですが(笑)。 何かの教えを残したいというのもありますよね――特に子どもたち同士でケンカしなさんなと。 自分が信じて来た神への信仰を遺したいとも思いますよね――「きょうのこの日まで、ずっと私を養い、導き、助けてくださった神さまこそ、あなたの神だ。我が家の神だ」 「主は私の羊飼いであってくださるように、おまえたちの羊飼いでもあってくださる」――ヤコブはそう言って、「この子どもたちを祝福してください」と祈っているんですね。
親子関係というのは複雑です。複雑ですねぇ(としみじみ語る藤本牧師)。 Nはあまり「お父さん、誕生日おめでとう」とか、うんともすんとも言って来ない(大笑)ですね。 考えてみると、私も父(藤本栄造牧師)にうんともすんとも言わない(大笑)。 ほんとに、特に男の子というのは複雑なんでしょうね。考えてはいるんでしょうけれども。 私(藤本満牧師)はアメリカにいましたときに、7年間アメリカにいて1回しか日本に帰って来てないんですね。 圭子と結婚するために一回帰って来たきりで、全然帰って来ない。 ある時、父から父の住所が書いた封筒がどっさり届きました(大笑)。少しは手紙を書けという意味ですよね。 「おまえ、住所を書くのがそんなに面倒くさいなら、封筒とちゃんと住所を書いてそれを用意してやるから、一か月に一回ぐらいはどんな生活をしているのか書け」と。 私(藤本満牧師)、その封筒を使って一度も書かなかったんじゃないかなぁと(大笑)思います。 思ってないわけでもない。考えてないわけでもない。でもどこかで、何かこう当然と思っているのか、あるいは時にすれ違うのか、親子というのはそういう部分があるんですね。
で、父はもう晩年ですけれども、やはり晩年ですから、信仰の話しかしないです。 信仰の話って、ご高齢の方がする信仰の話って、いったいどんな話なのだろうと思いますでしょう? それはここのヤコブの話と全く同じですね。 それは、自分の人生70年80年90年を振り返って、今に至るまで、試練の時も喜びの時も、ひと時も私を離れず、私を祝福してくださった神に感謝し、その神がまた自分の家族を祝福してくださるように祈る、というセッティングで親子は会うんですよ。 それ以外の目的で親子が会うということはあまりないですね。
先日こんな話を雑誌で読みました。 将来を有望視されていた青年が大学を卒業しようとしていました。 最終学年の彼は大学のすぐそばにある高級車のショールームで、非常にこの車に乗りたい。 で、彼は何か月もその前を通り、その車を眺めて――ま、父親は裕福な実業家です。別荘をいくつも持っているような実業家ですから――青年はお父さんに願ったんですね、その車のことばかり。 「あの車があれば僕は幸せなんだ。どんなに幸せなことか」と言わんばかりに、まぁ、お父さんと目を合わせる度に車の話をするんです。
大学の卒業式の夜、父は息子を自分の書斎に呼びました。そして父は言いました。 「どんなにか優秀な成績で卒業した息子を誇りに思っているか。自分はどんなに息子を愛しているか」 そしてきれ〜いに、包まれた贈り物の箱を彼に手渡しました。 青年は目を輝かせてその箱を開け、そして失望するんです。中から出て来たのは革張りの聖書でした。 そして表には彼の名前と大学を卒業した年が、金文字でその革に刻印されていました。 青年はがっかりした。 「きっとお父さんはこの箱の中に、自分が何度も言って来たほしいと思った車のカギを入れてくれたに違いない」 そのカギの横に、聖書のことばが、ま、記されている位のことを想像していたわけですね。 青年はかっとなって、聖書を父親の机に叩きつけました。 「お金持ちのお父さんが、実業家のお父さんが、僕の卒業式に聖書をくれるとは思わなかった。僕が欲しかったのは、あの車で聖書じゃない」よと。
で、息子は家を出ることを決意します。 年老いた父親の顔など見たくもないと出て行きます。 それから何年も父親に会うことはありませんでした。 そしてある日、電報が届きます。そして、お父さんの弁護士から連絡が来ます。 「お父さんが亡くなりました。そして全財産をあなたに遺されました。つきましては、その手続きのために弁護士事務所にいらっしゃってください」と。
息子はびっくりして飛んで家に帰ります。 そして卒業式の日に、あんなことでどうして家を出てしまったのか、その後、どうしてそんなことを引きずってしまったのか、もう後悔の念でいっぱいです。 彼はお父さんの書斎に入って、いろんな重要な書類に、遺言に目を通しました。
そしてお父さんの机の上に、あの日叩きつけるように置いた聖書がそのまんま、見つかっていました。 めくってみますと、表紙の裏側に父親の手で、みことばが記されていました。 マタイの福音書の7章の11節――「してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう」と。
親であるならば、人間的には立派な親でなかったとしても、子どもには良い物をと考えるではないか。だとしたら、天の父はなおのこと、あなたがたに良いものを考えておられる。
そして、聖書をぱらっとめくったら、その聖書の間に、当時の、何十年も前の日付で、車の契約書が挟まっていました。彼が欲しかったあの車の契約書ですよね。 お父さんはちゃんと彼に車を上げるつもりだった。だけどそんなこと以上に、自分の持っている信仰――きょうのこの日に至るまで、ずっと私の羊飼いであった神さまの守りを、この息子にも与えたかった。 お父さんは、大学を卒業していく息子にこのことを教えたかったわけですね。 ――父親として何でも良い物をと願って来た。それも与えて来た。この車もそうだよと。 しかし、天の父なる神さまは、さらに良い物を、最善のものを与えてくださる。 これから先、おまえの人生は神が祝福してくださる――そのことをお父さんは伝えたかったのです。
これは実話かどうかわかりません。しかし、その気持ちはよく伝わってきますね。 親としていつでも子どもには良い物をと願ってきた。それを与えてあげられる時も、そうでない時もある。 しかし、一番解ってほしいのは、神の愛であり、一番遺したいのは、信仰なんです。 「きょうのこの日まで、いつも私の羊飼いであられた神。すべてのわざわいから私を贖ってくださった主イエス・キリスト。どうか、この子どもたちを祝福してください」(創世記48:15〜16)――この祈りこそ、お父さん、お母さんの祈り。おじいちゃん、おばあちゃんの晩年の喜び。晩年の奉仕なのではないでしょうか?
先ほど「生き方上手」を書いた日野原先生の話をしました。日野原先生はこんなことを仰っています。本の中で。 この先生が「生き方上手」という本を書いた段階で、日野原先生は90歳。 先生は4千人を超える人々を看取って来た。死や看取りに関して、沢山の記述があります。 「死にゆく姿は、その生きざま同様に、ひとりとして同じということはありません。 死は各人各様、生の最期のパーフォーマンスであると、つくづく感じます。」
「死というのは、自分が生きて来た人生の最期のパフォーマンスだ」と。 「その最期のパフォーマンスを、医者として妨げたことがある」と、日野原先生が、その若き日のことを述懐しておられます。 ちょっと読んでみますね(と読み始める藤本牧師)。
――私が今もって忘れ得ないのは、私が医者として初めて受け持った16歳の少女の死です。 仏教への信心の深い少女でした。自分がもう長くはないと悟った彼女は、私に、医者に、母親への別れの伝言を託そうとしました。 けれども私は、その時に至っては何の意味もない注射を打ちながら、「君は死にはしないよ。しっかりしなさい」と繰り返すばかりだった。 なぜ「お母さんにはあなたの言葉を伝えますから、安心して成仏しなさい」と勇気をもって言えなかったのか?(――ここで朗読終わり)
この女の子に、「お母さんにはあなたの言うことをしっかりと伝えるから、安心して成仏しなさい」と、なぜ若き医者であった自分が勇気をもって言えなかったのか?――そのことがず〜っと90歳に至るまで、痛恨の念として残っていますね。 このことを悔いておられる日野原先生は、一言で、この少女にとって地にあっての最期のパフォーマンスを妨げてしまった、医者として妨げてしまったと仰るんですね。
死が人生最後のパーフォーマンスであるとしたら、それは遺された家族への感謝で締めくくられる。 日野原先生はこう言います。 ――地位や名誉は死ねばなくなる。財産も遺したところで争いの種を蒔くだけですが、「ありがとう」のひと言は、残される者の心をも救う、何よりの遺産です。 「ありがとう」のひと言――若き頃の先生は、少女が必死になってそのパフォーマンスをしようとしているのに、それを受け留めてあげることができなかった。
私たち夫婦が、皆さんの最期のベッドに行ってお祈りするときに、このパフォーマンスを強要します。最近(大笑)。 「最近、こいつが(スマホを右手に取り出して見せて)ありますので(大笑)、さぁ、最後の家族へのメッセージです。仰ってください」と強要するんです。ここ数回強要して来たんですね(自ら笑いながら語る藤本牧師)。 「頼むからちゃんとしたことを言ってよ」と(大笑)。 なかなか皆さん、ちゃんとしたことを言わずに、消してしまうことがありますけれどもね(と、思い出して笑いながら話す藤本牧師)。 「頼むからちゃんとしたことを言って」――最期の最期まで「死は最大のパフォーマンスで、そしてその言葉は家族に対する感謝以外にはない」ということをず〜っと言って来たのに、「さぁ、最期のパフォーマンスですよ」とカメラを出すと、ろくなことを言わない(大笑)。すぐ動画は消去ですよね。はい。
ほんとに最期の最期は、私たち夫婦が看れるわけではないですから。でももしその時、力があったら思い出していただきたい。 それは、日野原先生も同意してくださると思いますが、クリスチャンにとりまして、最期の最期のパフォーマンスは祈りですね。 感謝のみならず、「きょうのこの日に至るまで、ずっと私とともにいてくださった羊飼いなる神」に対する感謝。 そして「その羊飼いなる神が私の家族を守ってください」という祈りを、力を振り絞って祈り切ることができたならば、私たちもまたモーセ、ヤコブのランクに加えられる(笑)。
ま、そのことを考えながら、なかなかそうはいかないでしょうけれども、自分の最期の祈りをしたためておく――もっと素晴らしいですね。 元旦を迎える度に遺言を書き直すという方がいらっしゃいますよね。 元旦を迎える度に自分の最期の祈りを書き直すということも、また一つではないでしょうか。
☆お祈り
きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。すべてのわざわいから私を贖われた御使い。この子どもたちを祝福してください。 (創世記48章15節後半〜16節はじめ)
私たちの記憶は飛んでしまいます。もしかしたら私たちは老齢になった時に、自分の家族の名前すら十分に覚えてないかもしれません。でも自分の一生の中で、いつも自分の子どもたち、家族のことを心に留めて来た親たちは、きっと言葉には出せなかったとしても、自分の家族の最善を願ってやまないに違いありません。
であるがゆえに、私たちは信仰を継承したいと思いますし、であるがゆえに、同じ神がアブラハムと歩まれ、イサクと歩まれ、ヤコブと歩まれ、弟子たちと歩まれ、私たちの信仰の先輩方とともに歩まれたように、私たちの羊飼いとなって、すべてのわざわいから私たちを贖ってください、と祈っている私たちをどうか憐れんでください。
そして教会のご高齢の方々の心の中にも、やがてやって来る人生のパフォーマンスを前にして、何度でもこの祈りの儀式を、小さな小さな儀式を家族のためにすることができるよう、私たちに力を与えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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