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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   4/14ペテロの信仰(6)あなたは、わたしに従いなさい。 ヨハネ21:17〜23
☆聖書個所     ヨハネ21:17〜23

17イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
18まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」
19これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
20ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。
21ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」
22イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
23そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に行き渡った。しかし、イエスはペテロに、その弟子が死なないと言われたのでなく、「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか」と言われたのである。

☆説教  ペテロの信仰(6)あなたは、わたしに従いなさい。

ヨハネの福音書の最後(の章ですが)、私(藤本牧師)はずっとモーセの話をしておりまして、受難週に入りまして、ペテロ(の信仰をシリーズで学んでいますが)、今日で完結してもう一回来週モーセに戻りたいと思います。
21章の25節をちょっと見てください。ヨハネの福音書の一番最後です。こう記されています。

25イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。

ヨハネはこの最後の文章というものは決めていたようでありまして、実はもう既に一回書いています。それが20章の一番最後です。20章の30節(〜31節)に――

30この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。
31しかし、これらのことが書かれたのは、(イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。)

つまり書きたいことはまだたくさんあるけれども、ここで筆を置くということは、20章の最後で一回彼は書いています。そして改めて21章の最後に書いているということは、21章の今日読んでいただいた部分というのは、あとがきのような形で一旦筆を置いたヨハネがもう一度記しているということがよくわかります。

福音書においてイエスが何を語られ、どんなことをなさったかということを記して一度完結させておいた上で、どうしても書きたいことがあったということがよくわかります。そのどうしても書き加えたいことは何であったのか、それは、今は既に世を去って主のみもとに帰った、なつかしい自分の仲間、ペテロのことでありました。

そのペテロのことを私たちは繰り返し学んでいる訳ですけれども――
イエスさまが引き渡される前の晩に、最後の晩餐で、私は死んでもあなたについて行きます、と豪語したペテロ。豪語しておきながら、その晩、イエスを知らないと三度否んでしまった、その大きな失敗。
自分の口から出た言葉は、2度と戻ることはありません。
裁判を終えて出て来たイエスさまと目が合った途端に、自分が三度否んだことを気がついて、ペテロは外に出て大声で泣きます(ルカ22:62)。

その大きな失敗を乗り越えて、ペテロはこの21章で再びイエスさまと会っている。
その時イエスさまはペテロに「あなたはわたしを愛するか」と三度問うておられる。
三度問われながら、ペテロにだんだんわかって来たことは、イエスさまは私の失敗を追及して責めておられるのではない。私が愛する以上にイエスさまは私を愛しておられるということが、ペテロに解って来ました。

それでもペテロは自信がない。三度聞かれても答えが思うように出て来ないペテロは17節でこう言います。

17イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

いっさいのことをご存じです――自分が失敗してしまったことも、自分が自信がないことも、自分の弱さも、自分の不安も一切を知っていてくださるイエスさまに、ペテロは自分のすべてを委ねました――主はこういうペテロに近づかれる。

「死んでもあなたについて行きます」(マタイ26:35、マルコ14:31、ルカ22:33、ヨハネ13:37)と自分の弱さも知らずに強がっているペテロではなく、
挫折を抱えながらも、自信なさげではありながらも、「主よ。あなたはいっさいのことをご存知です(ヨハネ21:17)。わたしの心の内にある不安も悩みも一切ご存知です。こんな私を知っておられます」と、なんとか主について行こうとしているペテロを、イエスさまは尊ばれました。

そしてこのペテロに(ヨハネ21章)18節であらためてこんなことをおっしゃいます。今日はここから話を始めて行きたいと思いますが、――

18まことに、まことに、あなたに告げます。(大切なことを言うからよく聞いておきなさいですね。)あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」

自由を失うということもあるでしょう。でもそれだけではないですね。年老いてからやって来る不自由とともに、やがてペテロに襲いかかる迫害、そして十字架を表現しています。ですから19節に――

19これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。

ペテロが最期、迫害の内にいのちを遂げるということ、自分の手を伸ばして、他の人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行くというその死に方は、決して不名誉なことではない。19節に、それは神の栄光を現す生き方だということも、ヨハネは記しています。

その上で、19節の最後に、イエスさまはペテロにおっしゃいます。
19……(こうお話になってからペテロに言われた。)「わたしに従いなさい。」

さて、3つ短いポイントでお話をします。

1)そう言われて、自分の人生の先を想像しながら、思わず怯むペテロですね

イエスさまは何度も、ペテロに「わたしの羊を飼いなさい」と仰りながら、さらにその道が非常に厳しい道であると示唆された時に、思わずペテロの心によぎった、20節――

20ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。

イエスが愛された弟子というのは、ヨハネです。イエスの右側にいて――ですからあのレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」では、イエスの右にいるのはヨハネです。21節にそのヨハネが自分の後から来るのを見て思わず、イエスさまにこう言った。

21ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」

この人はどうなんでしょうか?そんな厳しい道を行くのは私だけなのでしょうか?他の弟子を指さして、主よ、この人はどうなのでしょうか?(と、心の中を吐き出すペテロです。)

自分に与えられる人生というのは、みな独特で複雑です。週報に記しましたように、昨日多磨霊園で、森廣姉のご主人の10年目の記念会をいたしました。10年前の4月13日に天に召され、そして10年後の4月13日に会社の仲間(彼は○銀行ですが)も皆集まって、彼を偲びました。

本当に突然のことで、あの夜のことを私たちはよく覚えています。社葬にしたいという提案がありまして、いいですよと、社葬というものがどういうものか分からない(笑)私は、気軽にいいですよと言いました。でも当日雨の晩、田園都市線の高津駅から高津教会の間、この町内の一周を3周、会葬者が並んだ。会葬者が900名。それはそれはショッキングなニュースでありました。

私(藤本牧師)は改めて写真を見ながら、亡くなった歳が57歳で、今の私が56歳ですから、どんなに早く亡くなったかなと思いますし、この10年間ふたりのお嬢さんと特に奥さまは、どれほどの苦労を通られたのかなと(察しました)。とってもお元気なご様子を拝見しまして、力づけられました。

人に与えられる人生というのは、とても複雑です。イエスさまは、私たちの人生の祝福も試練も、同じ杯(さかずき)の中に入れて私たちの前に差し出します。私たちは信仰をもってその杯を飲み干しますけれども、その杯がとても苦い時もあれば、とても甘い時もあります。そして往々にして苦いさかずきの方が多いのかもしれない。

イエスさまはペテロに、「あなたは若い時には自由にそして楽しく過ごすかもしれない。しかし年をとって、人に帯をされて、行きたくない所へ連れて行かれるというような、大変な苦しみがあなたの人生で待っているよ」と言った時に、ペテロは思わず、イエスさまに「この人はどうなのでしょう」ということは、別にこの人のことを言っているのではないです。

(ペテロには)自分の人生にとっても不安があった。――「わたしについて来なさい」とイエスさまは仰るけれども、果たして本当について行けるのだろうか?私だけですか?私だけが違う道なのですか?その苦しみの道がみんな同じだったら、まだ勇気を得るかもしれないけれども、私だけが(たとえば)病気になるのですか?とかペテロは怯みます。

そして、その疑問を素直に主の前に吐き出します――それがいかにもペテロらしいと言われています。
かつて、湖が大風で荒れ狂っていた時に、イエスさまが湖の上を歩いて彼に近づきました。(***マタイ14:22〜33)
その時とっさにペテロの言葉はこうでした。――「主よ。もしあなたでしたら、私を湖の上を歩いてあなたの所に行かせてください」――大胆な発言ですよね。
「主よ、どうか来てください。助けに来てください」と言うのは普通です。
でも、「私を湖の上を歩かせてあなたの所に行かせてください」と言うのは、いかにも衝動的なペテロの性格をよく表わしていると言われています。

この場面(ヨハネ21:17〜21)で、自分の将来にふりかかるであろう試練を指摘された時に、ペテロは思わず「この人はどうなんですか」と泣きつくように尋ねます。
そして自分の心の中にあるものを吐き出すペテロです。

私、喘息で今いい薬がありますので、全然発作が起きませんけれども、△病院に月に1回行きます。ここのところ、○(病院)から喘息の専門医が来ておられまして、その先生はすごく暇をしておられる(笑)。ものすごい専門医だから、普通の患者を相手に話をするのは面白くない。私が月に一回行きますと、私のあとの人のことは全然考えないで(笑)、ひたすらどんな研究をしているのかということを私に話すのですよね。

まぁ、藤本さん、最近こんな先端医療がありまして、最近効いている先端医療は、ここにラジオ波を当てて、気管支の平滑筋肉を焼いてしまう。すると収縮を起こさないので、3年間発作が起こらない。
これがアメリカのFDA(***食品医薬品局)でも、ユーロ圏でも、全部認可されていて、ユーロ圏で認可されるとアジアは認可される。医療がいっつも一番遅れるのは、日本と韓国だ。特に日本はひどい。厚生省がこれを認可するのに、あと5年はかかると、まぁそんな話を聞かされたり……。

先週(2週間前)に聞かされた話は、今○で、先端医療で喘息の末期の患者にやっている方法は、発作のときに空気を抜く弁を胸につけてしまう(というやり方)。これがついていますので、発作を起こしたら、機械的にこの弁から呼吸ができるように空気を抜いてしまう。
そこで、改めて先生が、「藤本さんもおわかりでしょうけれども、喘息って、発作のときに息が吸えないんじゃないのですよね。息が吐けないのですよね。息が吐けないから息が吸えないのです」(と言われた)。

ですから人工的に弁をつけて息を抜いてしまうというのが、ものすごくいい方法であることは私もよく解ります。人は息が吐けないから息が吸えない――これはよく覚えておいた方がいいですよ。

ペテロの性格は衝動的だったかもしれません。でも彼は実に自由に、衝動的に、イエスさまの前で息を吐ける人物だったのです。実に自由にイエスさまに向かって、心の中の不安を話します。それを彼は貯めこまないですね。
素晴らしいことに、息を吐くように尋ねますと、イエスさまの息が返って来る。
イエスさまはペテロに向かって、そんな不平・不満を言ってとか、そんな心配ごとに頭を悩ませてとか、彼を叱るようなことは、イエスさまはおおよそ仰らないです。

私たちの心の中の悲しみや悩みを、主に祈りの中でお話しするということは、息を吐くことです。
そして私たちが息を吐かない限り、主の慰めと力付けという主の息を吸うことはできない。
ですからこの場面のペテロはまさに私たちの人生であり、私たちの対応だということも覚えておきたいと思います。

2)ここでイエスさまは圧倒的な答えで、ペテロに迫りました。

22イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」

ヨハネのこれからの歩みがあなたに何のかかわりがあるのか、あなたは、わたしについて来なさい。
私たちの周りには――人の人生って本当に違いますよね――みんな人生って違うんだなぁって思いますが、この人の人生、あの人の行く道、それがあなたに何か関係があるのかと言われたら、ないです。実際にはない。
私たちは様々な意味で比較しますけれども、それがあなたに何のかかわりがありますかとイエスさまに問われたら、それは(関係が)無いです。

実際弟子たちはみんな別々の道を行きます。
*ペテロはシリアに、そしてコリント、最後はローマで奉仕をして、ローマで殉教をしたと言われています。
*ヤコブはイエスさまの十字架から間もなくして、十二弟子の中で一番最初に殉教した人物です。
*トマスはインドに福音を伝えたと言われています。
*ナタナエル、別名バルトロマイはアルメリヤに伝道して、最後は皮をすべてはがされて殉教したと伝えられています。
あのミケランジェロの大作、システィナ礼拝堂に描かれている「最後の審判」で、イエスさまを中心でその右わきにナタナエルがいます。彼は手に自分のはがされた皮を、顔のついた皮を持ってイエスさまを見上げています。
*アンデレはギリシャ半島の南、ペロポニソスで十字架刑で殉教したと言われています。
*熱心党のシモンは、16世紀のフランスの画家ラ・トゥールの絵では、のこぎりを持っています。
伝説によりますと、彼はのこぎりで引かれて殉教を遂げたと言われています。
*ピリポは、ヒエラポリスの町で、異教の神殿で礼拝されていた竜を、十字架を持って追い払ったと言われています。
ですから同じようにラ・トゥールの絵では、彼はのこぎりではなくして、十字架を持っています。
*憤った神殿の僧侶は、ピリポを捕らえて、十字架に磔(はりつけ)にします。

みんな、ローマの迫害とこの世界の様々な困難の中を、キリストの弟子として生き抜いて行くのです。別にペテロだけではなかった。みんな十字架を負ったのですよね。
イエスさまが仰った通り――だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負ってついて来なさい(マタイ16:24、マルコ8:34、ルカ9:23)――それはその人固有の十字架でした。

でも、あの人があなたに何のかかわりがありますか――というのは事実であります。
それでいながら、みんなその人固有の十字架を負いながら、イエスさまについて行く。
ペテロだけではない。みながイエスさまについて行く。私たちもそうです。
私たちもそれぞれの十字架を背負いながら、それぞれに祝福を受け、それぞれに守られ、それぞれに導きを受け、別々の境遇に置かれています。

詰まるところ、あの人のことがあなたに何のかかわりがありますかとイエスさまに尋ねられたら、そんなかかわりはない、と言わざるを得ない。
しかし、みんな「我に従え」と仰るイエスさまについて行くのです。

3)「あの人のことがあなたに何のかかわりがありますか。あなたはわたしに従いなさい」(22節)と仰った主の言葉は、実はペテロに言われているのではないと私(藤本牧師)は思います。

この言葉は実は、ヨハネが聞いているのではないか。

もちろんこの場面で、ペテロが「主よ。この人はどうですか」と言って、ペテロがこの福音書を記したヨハネを指さして聞いたのですよね。
そのようにして、ヨハネはペテロとの引き合いに出されたことをここで記しているのですが、イエスさまがおっしゃった、「その人があなたと何のかかわりがありますか、わたしに従いなさい」(22節)という言葉は、確かにヨハネが聞いたのです。
そして今となっては、その言葉は自分に言われているかのように、ここで記しているのです。

なぜならヨハネは弟子たちの中でだれよりも長生きしました。長生きしている間に教会が緩慢になってしまう、あるいは教会が異端によってばらばらになるような体験をしました。
多くの迫害を目の当たりにしながら、彼はいつの間にかひとり残されて、エーゲ海のパトモスという島に流されて行くのです。
そこで彼は「ヨハネの黙示録」を書いたわけですけれども、彼はそう考えますと、弟子の中で一番孤独で、彼が一番違う道を行った。

そう考えますと、「それがあなたに何のかかわりがありますか」とイエスさまがペテロに言った言葉は、実は、自分に言われていたということが彼には分った。
「あなたはわたしに従いなさい」確かにヨハネはその言葉を聞いた。
そして確かにそれは私たちひとりひとりが聞くのです。

この中の皆さんの中には、私の母をよく知っている人がいると思います。
私の母はとても強い人でした。
ある日、父がまだ主任牧師で私が副牧師であった頃、夜中の11時半ぐらいに東海大の病院に救急搬送されて、天に召される兄弟、今これで(延命措置の身ぶり?)一生懸命生かしていると、いう電話がもう寝ようという時に――父はもう寝てたと思うのですけれども――かかって来て、どうしようという時に、私と父は行こうと(なりました)。

母はですね、「そんなもの、行かなくてもいいわよ(ご自身で苦笑)。イエスさまが召される時は召されるんだから」――それが私の母でありました。
信仰というのは、生きているうちにしっかりと叩き上げておくものだと、そして自分の最後が近いと思ったならば、家族に見守られながら、みんなでお祈りをして、何も遠〜いところにいる牧師を真夜中に呼ばなくても……まぁぜひ呼んでください(大笑)。絶対行きますので(笑)呼んでください。私と父は行きましたから。

母の信仰には一理ある。生きている時にきちっと信仰を叩き上げておいて――イエスさまが召されると言ったら、人が何と言おうと召される。しかもイエスさまが迎えに来てくださるのであったら――その人は実に平安に満ちて天国に召されるのだから、なにもあなた方が行かなくてもいいわよというものの言い方なのですね。

ま、必ずしも私たちはだれもがそのような強さを持っている訳ではないですね。
ウェスレー(1703〜1791・イギリス国教会司祭・信仰覚醒運動を指導・メソジストの父)は自分を支えて、自分が従えて来た伝道者み〜んなに囲まれて召されます。みんなとともに讃美歌を歌い、みんなに祈られて召されます。
しかしある人は一人孤独に召される場合もあるでしょう。

私たちはそれぞれの生き方を生きますし、それぞれの最期を迎えるでしょう。
でも「あの人のことはわたしにはかかわりはない。あなたはわたしに従いなさい」と仰るイエスさまに従って、最期に向かうということは、私たちだれもが共通している。
そして恐らくペテロもヨハネも体験したように、私たちはだれもがやがて大変な不自由さを体験し、時に痛みや苦しみも体験します。

でもイエスさまは(弟子の最期を預言して?)仰いました。「これ(***不自由、痛み、苦しみの体験)は、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すか(を示して、言われたことであった。)」(ヨハネ21:19)
私たちは自分の最期をもってしても、神の栄光を現すような存在でありたいと思います。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、「使徒の働き」で記されているペテロは大変力強いですが、福音書のペテロはまことに私たちそのものです。
「それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」“You follow me”と仰ったその言葉を、確かにヨハネは自分の耳で聞き、そして自分に当てはめながらこの福音書を記しています。

同じように、様々な人生の局面で、私たちも思わず怯む。怯んだら、ペテロのように素直に、自分の不安や悩みをあなたに吐き出します。その時に、私たちに声をかけてください。「どこまでもわたしに従って来なさい」と声をかけてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。


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DATE: 2013.04.19 - 10:51

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