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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   3/20 パームサンデー:平和の主とともに歩む マルコ11:1〜10
☆聖書箇所  マルコ11:1〜10

1さて、彼らがエルサレムの近くに来て、オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づいたとき、イエスはふたりの弟子を使いに出して、
2言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。
3もし、『なぜそんなことをするのか』という人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます』と言いなさい。」
4そこで、出かけて見ると、表通りにある家の戸口に、ろばの子が一匹つないであったので、それをほどいた。
5すると、そこに立っていた何人かが言った。「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか。」
6弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた。
7そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
8すると、多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。
9そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んでいた。
    「ホサナ。
    祝福あれ。主の御名によって来られる方に。
10 祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」

☆説教     平和の主とともに歩む

さて、今日は棕櫚の聖日ですので、そのお話をしたいと思いますが、(今朝交読した)詩篇の118篇はまさにその棕櫚の聖日の歌として使われております。

「ホサナ。ホサナ」と人々は賛美し、そしていま祈りましたように、「枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで」(***詩篇118:25)というこの日、イエスさまはエルサレムに入られました。

イエス・キリストの宣教のほとんどはガリラヤで過ごされています。エルサレムから北に位置した、ま、田舎のガリラヤで、そしてある時主はエルサレムに向けて歩を進めて行かれます。それは独特な意味がありました。
イエスが救い主メシアという観点であれば、まさしく王としてイスラエルの都に入るというのが、エルサレム入京の意味です。
王としてエルサレムに入られる主を、人々は歓迎しました。
マルコの福音書を見ていただきますと、11章の7節から――

7そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
8すると、多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。
9そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んでいた。
  「ホサナ。
  祝福あれ。主の御名によって来られる方に。

これがヨハネの福音書の記述(***12:13)ですと、「木の葉」というのは、「しゅろの木の枝」となっています。
それはなつめやしの枝を敷いたということが出て来ます。
そして、人々が「ホサナ。祝福あれ」(と大声で叫んでいた)。
ホサナとは「主よ、救ってください」という意味ですけれども、エルサレムの人々はエルサレムに入って来られるイエスに何を期待したのか?

明らかに救い主を期待しました。
そしてその救い主というのは、他国の支配からイスラエルを救う救い主でした。
イスラエル400年の歴史の中で、ず〜っと異国の支配に悩まされて来ました。
バビロンに始まり、やがてペルシャ、ギリシャ、今はこの時代にあってはローマという帝国に支配されているイスラエルを、救ってくださる救い主を人々は待ち焦がれていました。

さて、今日は棕櫚の聖日、そのものから今日は学んでいきたいと思いますけれども、3つの点で話を整理いたしました。

1)確かに、主は王としてエルサレムに来られました。

それはイエスさまご自身が示されたことです。王として。
(マルコ)11章の2節を見てください。弟子たちにこう仰るんですね。

2……「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。

なぜろばなのか?
この時代ローマの王でありましたならば、黒光りするアラビアの馬ではなかったでしょうか? 
一帯を征服したギリシャのアレクサンダー大王の壁画が残っていますけれども、彼は戦車に乗っています。
馬に引かせた戦車に乗って、勇ましく走っている姿が残っています。
それこそが王として都に入るのにふさわしい姿でありました。

しかしイエスさまは、王として都に入るときに、ろばの子ども、子ろばを選ばれます。
なぜろばの子を選ばれたのか?
なぜなら、それが旧約聖書に記されている救い主がエルサレムに入る姿だったからです。
ちょっとゼカリヤ書の9章というところを開いてください。
ちょっとご一緒にこの一節だけは、読みたいと思うんです。
ここになぜ王として、しかしろばの子であったのか?という言葉が出てまいります。
ゼカリア書の9章の9節、一緒にお読みいたします。

<ゼカリア書9:9>
9   シオンの娘よ。大いに喜べ。
  エルサレムの娘よ。喜び叫べ。
  見よ。あなたの王があなたのところに来られる。
  この方は正しい方で、救いを賜り、
  柔和で、ろばに乗られる。
  それも、雌ろばの子の子ろばに。

書いてありますね――「あなたの王があなたのところに来られる。この王は、ろばに乗られる」と。
イエスさまは明らかにこの言葉を意識して、「わたしはろばに乗る」と仰いました。
「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。あなたの王があなたのところに来られる。ろばに乗って来られる。しかも子ろばに乗って来る」

イエスさまは弟子たちに仰いました。「子ろばを持って来なさい」
「しかもまだだれも乗ったことのない(マルコ11:2)ろばだ」――すなわち初乗りになりますね。
その途端に、弟子たちは叫んだに違いない。やっぱりそうかと。
私たちが従って来たこの方は、やっぱり救い主だ。いよいよ旧約聖書のゼカリア書の預言が成就する時が来た!
弟子たちの群れは、自分たちの上着を道に敷いて、棕櫚の葉を振って、喜び叫びます。
旧約聖書以来、恵みの、喜びの象徴でありました棕櫚の葉を振って。

そして「ホサナ、ホサナ」の大合唱が始まります――主よ、救ってください。救ってください。

イエスさまは、紛れもなく、救い主としてエルサレムに入ることを意図しておられました。

2)しかし、イエスさまは王として、メシアとしてエルサレムに入られますが、それは人々の、また弟子たちの思い描いたイメージとは違っていました。

よく考えたら、人々が描く王の勝利の行進とは違うイメージであったことは、すでにゼカリア書に記されているではありませんか。
9章の9節の後半部分、「この方は柔和な方」だと、欄外には「遜った方」という風に訳されています。
いったいどういうことなのか?
それは「救い主は、力によって敵に勝利して支配するのとは違う。遜った方である。神から遣わされるまことの王は、力によって、権力によって王になるのではない」ということは、もうすでにゼカリア書の預言で明確に記されています。

ですから、ゼカリア書にあっても、軍馬とは対照的なろばの子なんです。
「戦車や、軍馬や弓は絶たれて、平和が告げられる(***ゼカリア9:10)、その行列を祭壇の角のところまで組め(***詩篇118:27)」と、ゼカリア書はすでに教えていました。
主イエスは確かにまことの王としてエルサレムに来られます。
しかしこの方はローマ帝国の総督ピラトを敵としていませんでした。
この方は人類のそもそもの罪の力、死の力を敵として、ご自分から私たちの罪を背負って十字架にかかり、自ら死を味わい、そしてそれを覆してよみがえってくださいました。

この方の勝利はいつも平和を作り出すこと。
神に敵対する私たちに和解を与え、人と人との壁を、民族と民族の壁を打ち壊し、すべての人々を等しく神の子どもとするために、十字架の道を選ばれました。

3)私(藤本牧師)は今日、この「行列を組め」(詩篇118:27)という言葉に大変こだわりたいと思っています。

皆さん、行列を組んだことがありますでしょうか?あるいは何かの行進に加わったことがありますでしょうか?
ま、私たちが学校で習う行進というのは、いかに整然と整列するかということにこだわりますけれども、しかしデモ行進ですと、むしろ整然でない方がいいでしょう。
一生懸命、交通整理のために警官は、道から出ないように言いますけれども、しかしデモ行進というのは、実に雑多な人々が雑多に集まって来ます。
今の時代で言いますと、スマホやメールの呼びかけによって、どこから来るとはわからず、だれが参加しているともわからず、行列は組まれます。

イエスさまのこの棕櫚の聖日、エルサレムに入って来た人々を見ますと、そこにはイエスの弟子たちもいれば、巡礼の人々もいますし、ユダヤ人もいれば異邦人もいますし、病の癒されたバルテマイもいれば取税人もいますし、罪深い人々もいますし、まっすぐに生きて来た人々もいます。
しかしそれらが皆、行列の中に入り、「主よ。救ってください。祝福してください」と叫んでいる姿は、整然と整った行列ではなく、私たちのこの教会のようであります。
でも皆が十字架の道に繋がるこの平和の行進をともに歩んでいます。

時に私たちはまさに十字架の道を歩みます。
しかし「その十字架の道は同時に、やがて復活の道に行く」ということを互いに信じながら、呼びかけ合いながら、私たちはこの道を行きます。
一人で行くのではない。行列を組んで、その行進を一歩一歩進んで行く――それがきょう「棕櫚の聖日」。
そしてそれは救い主とともに歩む行列であって、平和の行進です。

キリスト教に残る平和の行列というのがあります。
それはマ―ティン・ルーサー・キング牧師(1929〜1968)がワシントン・モニュメントに100万人の人々を集め、黒人白人、人種差別を乗り越え、「私には夢がある」と言ったあの行進ですね。
「人々がもはや、肌の色や教育や言語の違いによって判断されるのではなく、人々の持っているキャラクター、その生き方、その信条によって尊ばれるような世界がもう来ようとしている。それが私の夢だ」
という演説を彼はいたします。映像が残っていますよね。

100万の人々が集まるっていうのは、いつも私たちは不思議に思いますよね。
お手洗いはどうするのだろうか(大笑)とか、帰りはどうなるんだろうか?とか、お腹が空いたらどうするのだろうか? とか。
集団的自衛権に反対するために、平和を願って多くの人々が行進している姿を見ていて、いったいどういう風にして集まるんだろうか?
高津教会の中でもそういう行進に加わっている方々がいらっしゃいますね。
必ずリーダーがいます。必ずどうでもいい人も入っているはずです(大笑)。
そして私たちは時に自分がリーダーにならせられる場合もあり、時にどうでもいいかのようにその列に集っている者たちであるかもしれません。
しかし、大切なのは「この祭りの行列の中にいる」ということです。ここにいるということ。
キング牧師はやがてこういう演説をします。少し読んでいきますので聞いてください。

――マーティン・ルーサー・キング牧師の演説――
   あなたがたの他人を苦しませる能力に対して、私たちは苦しみに耐える能力で対抗しよう。(***公民権運動に反対する人々に対して、彼は言うんですねと説明)。あなたがたの肉体による暴力に対して、私たちは魂の力で応戦しよう。どうぞ、やりたいようにやりなさい。それでも私たちは、あなたがたを愛するであろう。

   どんなに良心的に考えても、私たちはあなたがたの不正な法律には従えないし、不正な体制を受け入れることもできない。なぜなら悪への非協力は、善への協力と同じほどの道徳的義務だからです。だから私たちを刑務所にぶち込みたいなら、そうするがよい。それでも、私たちはあなたがたを愛するであろう。

 私たちの家を爆弾で襲撃し、子どもたちを脅かしたいなら、そうするがよい。辛いことだが、それでも私たちはあなたがたを愛するであろう。

 真夜中に、頭巾をかぶったあなたがたの暴漢を私たちの共同体に送り、私たちをその辺の道端に引きずり出し、ぶん殴って半殺しにしたいなら、そうするがよい。それでも私たちはあなたがたを愛するであろう。

 国中に情報屋を回し、私たち黒人は文化的にもその他の面でも人種統合にふさわしくない、と人々に思わせたいなら、そうするがよい。それでも私たちはあなたがたを愛するであろう。

 しかし、覚えておいてほしい。私たちは苦しむ能力によってあなたがたを疲弊させ、いつの日か必ず自由を手にする、ということだけでなく、私たちは自分たち自身のために自由を勝ち取るというだけでなく、きっとあなたがたをも勝ち取る。(***あなたがたを友として勝ち取る、と説明して読み終わり)。

いま黒人差別をし、暴力によって抑えつけようとしているこの白人たちと黒人たちとの間に、「私は(苦しみに)耐える力によって、必ず平和を実現する」と、彼は大勢の人々を従えながらこの演説をするわけです。

もちろんキング牧師がこのように語ることができるのは、イエス・キリストが十字架の上で死によって、人と人との間に存在する敵意をご自身の身に受け、罪を身に受け、罪を滅ぼしてくださったからです。

そしてキング牧師が「いつの日か私たちは勝利することができる」と確信を持って語ることができるのは、父なる神さまが主イエスを死者の中から復活させ、死の力にも勝利していてくださることを知っていたからです。

それこそが、平和の主であるイエスさまとともに行進する私たちの姿です。
私(藤本牧師)はキング牧師の言葉を読むことはできます。
しかしキング牧師のように、言葉を考えることはできないです。
ましてキング牧師のように、何十万という行列に対して、このように勇気ある発言をすることはできないです。
でも私はそれでいいんだと思うようになりました。

なぜなら私たちは、勇気をもって平和を宣言する人たちと一緒に、行列を組んでいるからです。
ですから私たちはだれかが声を上げたら、デモ隊と同じように一緒に声を上げます。
私たちはだれかが平和の力強い宣言をしたら、それが自分の言葉でなかったとしても、一緒に歩きながら、こぶしを空に向かって突き上げます。
それでもいいんだろうと思います。

なぜならイエスさまはバルテマイにも仰いました(***マルコ10:46〜52)。
「わたしを信じて一緒についておいで」と。
バルテマイはイエスの行かれるところ、どこにでも一緒について行ったということは、この行列の中に生まれつき目の見えないバルテマイ、乞食であったバルテマイ、しかし主によって目の開けられたバルテマイもこの中に入っていました。
三年半イエスにつき従っていた弟子たちもいれば、つい先日イエスさまを信じてついてくる者も一緒でありました。
しかし皆で一緒に声を上げる――「ホサナ。ホサナ。どうぞ、主よ、救ってください。あなたこそ、私たちをあらゆる心配事から、あらゆる汚れから、罪深さから、あらゆる愚かさから、救ってくださるお方です」と。

イエスさまが「一緒についておいで」と言われるのであれば、私たちは言います。
「はい、主よ。ついて行きます。私のような者にも声をかけてくださり、ありがとうございます」
そして一緒に歩いているうちに、いつの間にか、キング牧師のように勇敢な言葉を叫ぶ人たちと一緒に、わけの分からぬ声を上げながら(笑)、頷きながら、一緒に行進を十字架の所まで、復活の所まで組んでいく高津教会でありたいと願っています。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、祭りの群衆がわけも分からず叫んでいたように、私たちもわけも分からず叫んでいるような者たちであります。しかし、私たちはみことばによって教えられました。これは政治的な救いではなく、私たちの魂の救いであること、しかしこれこそが、真の意味での平和の行進であること。

そして私たちは自らの判断によってあなたの行進に加わったのではなく、あなたに招かれて「わたしについて来なさい」と言われている内に、いつの間にかこの大きな棕櫚の聖日の出来事に、私たちもまた加わっていったことを、主よ、感謝いたします。私のような者に声をかけてくださったことを感謝いたします。

しかし、せめてこの行進がいかなる行進であるのかを、私たちもまた知ることができるように助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。



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DATE: 2016.03.21 - 15:22
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