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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   6/5 戸塚神学生:見ずに信じる者の幸い ヨハネの福音書20:19〜29
☆聖書箇所     ヨハネ20:19〜29

  19その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
20こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
21イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
22そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
23あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」
  24十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。
25それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。
 26八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われた。
27それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
28トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
29イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

☆戸塚神学生の説教      見ずに信じる者の幸い
(※初めの挨拶部分を割愛させていただきました。T・Y)

今日、お開きしましたヨハネの福音書の20章の19節〜29節を通して、「見ずに信じる者の幸い」と題して、恵みを分かち合いたいと思います。
          
説教をするって、ほんとに大変だなぁと思います。
一番の大変さはネタが尽きていくということです(大笑)。
藤本満先生はよく毎週準備してここに立てられるなぁと。
教会学校のように、何か物語が順番に決まっていてお話するというのだったらいいんですけれども、説教の準備するっていうのは、もう七転八倒の苦しみですね。

何を話したらいいんだろうか、ネタがない。
「ネタがない、ネタがないんですけれど」と神さまにお祈りしていたところ、
「ネタがないということを言わなくていいんだ。あなたが素朴に聖書を読んで、なぜだろうと思っていることをそのまま話せばいいんじゃないですか?」と神さまから言われたような気がして、
「あ、そうか。聖書を読んでいる時に、あ〜なんでこういう風に書いてあるんだろうか?なんでこの人はこういう風に思ったんだろうか?こうしたんだろうか?その時自分だったらどう感じるんだろうかというようなことをネタにして説教をすればいいのかなぁ」っていう風に思いまして、そのようにして導かれた一つの箇所が今日の箇所でした。

1)今日の箇所、一番あれっ?て思ったのが、20章の24節です。

24十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。

彼らといっしょにいなかった。
十二弟子の一人で、デドモと呼ばれるトマス。せっかくイエスさまがいらっしゃったのに、他の11人――これはユダが一人いなくなってしまったので11人ですが、そのうちトマスがいないということは他の10人ですね――他の10人の弟子と一緒にトマスはいなかった。
で、私(戸塚神学生)は考えました。なぜいなかったんだろうか?
なぜトマスはここにいなかった?とても気になりました。なぜトマスだけいなかったんだろうか?
他の10人の弟子たちはユダヤ人を恐れて戸が閉めてあった。19節――

19その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。……

と書いてあります。しかし、そこにトマスはいなかった。
戸は閉められて――なんで戸が閉められていたんでしょうねぇ?
恐らくユダヤ人を恐れていたんだと思います、弟子たちが。
自分もイエスの弟子だということで、追われて何かされるんじゃないだろうか、もうびくびくするような気持ちで、戸を閉めて10人、11人固まっていたんじゃないかと思うんですが、しかしトマスはここにいなかったんです。

トマスは――恐らくトマスもユダヤ人を恐れていたと思うんですけれども――トマスはユダヤ人を恐れる以上に、恐れを乗り越えてでも、何かこの時間やりたいことがあったんじゃないだろうか、私(戸塚神学生)は考えました。
じゃ、それはいったい何なのでしょうか?
その手がかりとなるみことばをずっと捜していましたら、そうしますと、今日読まなかった17節ですね。
よみがえったイエスさまが、初めて出会ったマリヤにこのように言われています。

<ヨハネ20:17〜18>
17イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」

こうマリヤは言われて18節――

18マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。

と書いてあります。
マリヤは弟子たちに、「私は主にお目にかかりました」と告げたんですね。「私は復活のイエスさまとお目にかかったんですよ」
このマリヤのこの言葉を聞いて、トマスはこのマリヤの言葉が気になったのかもしれません。
そして、あ、今日イエスさまが復活されたんだ。そしてマリヤと出会われたんだ。
私も復活されたイエスさまにお目にかかりたいなぁ。この目で確かめたいなぁ。本当に復活したかどうかを見て、信じたいなぁ――トマスはこう思ったのかもしれません。
しかもイエスさまはマリヤに、「もうすぐ神さまのもとに上る」という風に仰いました。「もうすぐわたしは上って行くんだ」
そういう風にマリヤにイエスさまが仰ったということをトマスは聞いたんで、あ、これは上らないうちに早くイエスさまを捜しに行こう――トマスはそう考えたのかもしれません。
それでトマスが他の弟子たちと一緒にいなかった。

トマスがやりたいことは、イエスさまを捜すことだった。
他の弟子たち以上に、トマスはイエスさまに会いたくて会いたくて、イエスさまのことを気にしていました。
でも一生懸命捜しても、おそらく見つからなかったんでしょう。
トマスは弟子たちのいる所へ帰って行きました。しかしなんとイエスさまが去られた後でした。

2)そしてトマスは衝撃的な言葉を弟子たちから聞いたのです。25節――

25それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。……

こう書いてあります。
「トマス、おまえどこに行っていたんだよう。私たちは復活されたイエスさまを見たんだよ〜。私たちは主を見た」
トマスはこれを聞いてショックを受けたかもしれない。
何だって!「私は主にお目にかかりました」ってマリヤが言っていたけれども、マリヤだけではなかったんだ!ここにいる弟子たちにもイエスさまは現れてくださったんだ!
ああ、道理で私がイエスさまを捜してもいなかったわけだ。
この部屋にいらっしゃったのかぁ。いいなぁ。私も会いたかったのに。
ああ、神さまのもとに上って行ってしまわれたら、私はもう会えないじゃないか。それはないよ、イエスさま〜。
私だけ、まだお目にかかっていない――トマスは何とも言えない疎外感を味わったのでしょう。

でも弟子たちは興奮のあまり、盛り上がっています。
「私たちはイエスさまに会った、主に出会った」――もう喜びでわくわくしている、そのノリについていけなかった、そういうトマスでした。
それに、追い打ちをかけるかのように誰かが言ったんでしょう。恐らくペテロかもしれませんけれども(笑)、悪気はないのに、嬉しそうに――
「イエスさまが部屋に入って来られた時に、鍵がかかっていたのに、す〜っと入って来られたんだよ。そして私たちに現れたんだよ。
そしてその第一声は、『平安があなたがたにあるように』っていう言葉だったんだよ。
そしてその手とわき腹を私たちに見せてくださった。
そして私たちは遣わされたんだ、イエスさまに。
そのために、イエスさまは私たちに息を吹きかけて『聖霊を受けなさい』と仰った。
私たちに聖霊までくださったんだ」

そういう話をわ〜っとトマスは聞かされるわけです。
トマスは――え〜っ、自分だけ仲間外れなのか、こんなに会いたかったのに。
そしてたまりかねて、25節の後半にトマスはこう言っています。

25……しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」……

こう言ったんですね。
「イエスさまが復活された」ということをトマスは疑った、とは聖書に書いてないんです。
トマスは疑っていない。ただ「信じません」と言った。
この「信じません」と言ったこの気持ち、私(戸塚神学生)考えてみると、
あまりにも盛り上がって、あまりにも嬉しそうで、あまりにも恵まれているその姿を見て、
よけい心に疎外感が生まれ、そしてよけい何か自分とは別の世界だという感じになってしまい、孤独感に襲われ、しかもすねちゃって、もういじけちゃって、
そして「もう信じるもんか」と思わず言っちゃったんじゃないか、と私(戸塚神学生)は思うんです。
何かもうこの言葉を見ると、「その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、」なんて、ほんとはやりたいと思ってはいなかったのかもしれない。
でも思わずそう言っちゃったのかもしれない。
そんな疎外感、苛立ち、なんかこういじけちゃった感じ――それがこのトマスの気持ちだったんだと私(戸塚神学生)は想像したんです。

でも、もしかしたら私たちも「イエスさまを信じたいなぁ」と思っている人の妨げになっていることがあるんじゃないかって、私(戸塚神学生)はこの記事を見ながら反省させられたことです。
「恵まれました。感謝です。救われました。きよめられました。聖霊のバプテスマを受けました。病が癒されました。ハレルヤ、ハレルヤ〜」
と、興奮のるつぼ、恵みのるつぼの中に、そういう雰囲気に「あ〜感謝ですねぇ」って応じられる方と、
そうじゃなくて、そういうことを聞けば聞くほど、「あ〜私とは違う世界だ」そういう風に思って、教会から離れてしまう方々がいるんじゃないか?このトマスのように。
「どうせ私は信じられませんよ」「どうせ私はそんな恵みとは縁遠い者ですよ」――そういう風に思う方々がいるんじゃないか。

イエスさまは好きなのに、「教会が嫌いだ」と言う方がいます。イエスさまを信じているのに、「クリスチャンにつまずいた」と言う方がいます。
私がそんな存在だったかもしれない。
私は無意識のうちに、何人の人をこのトマスのように「信じるもんか」と言わせてしまったのだろうか?――私(戸塚神学生)はそう考えさせられました。

トマスは不信仰というよりも、イエスさまにも、弟子たちにも置いてきぼりにされてしまったこの孤独感、この疎外感に打ちひしがれてしまったのではないかと私(戸塚神学生)は思うんです。
そしてその気持ちが八日間続いたんですね。
八日間、他の弟子たちはトマスを一生懸命なだめたのでしょうか?どうしたのでしょうか?
恐らくなだめてもどうにもならなかったのかもしれない。慰める言葉もなかったのかもしれない。
しかし、26節――

26八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われた。

3)八日後、今度はトマスも一緒に11人の弟子が集まっていました。部屋に。

その時に、八日前と同じように鍵がかかっていたのに、す〜っとイエスさまが部屋に入られた。
八日前と同じようにイエスさまが彼らの中に立って、
八日前と同じように、「平安があなたがたにあるように」ってイエスさまは言われたんですね。
そして、すぐにイエスさまはトマスに言われました。27節――

27それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」

とイエスさまは仰った。
恐らくこんな気持ちでイエスさまは仰ったのかもしれない。
「トマス、あなただけがわたしの言葉を聞いて、マリヤからわたしの言葉を聞いて、わたしを捜しに出た。そのことをわたしは知っているよ。
でも、わたしとすれ違いになってしまって会えなかった、という疎外感も寂しさも悔しさもわたしは知っているよ。
ほら、トマス。そんなあなたに特別サービスだ。さあ、あなたの願いを叶えて上げよう。
(***両手を使って、身振りを入れて語る戸塚神学生)
なに、釘の跡を見たい?これがわたしの釘の跡だよ。あなたの指をここにつけてごらん。穴の開いているところに、ほら、指を差し入れてごらん、トマス。
ほら、わき腹も見たい?はい、じゃ、わき腹。わき腹の傷はあれから一週間以上経っているけれども、ちょっとかさぶたになっているかもしれないけれども(大笑)、今はこうなっているよ。
指を差し入れたいんだろう。ほら、ここがわたしの傷だよ。
トマス、いつまでもいじけてなくていいんだよ。そんなに開き直ってしまわなくていいんだよ。
信じるもんか、なんて言わず、信じる者になりなさいよ、わたしを。
トマス。あんなにもわたしのことを信じたかったんだね。でもわたしは今ここにいるよ」
イエスさまはこんな気持ちで、トマスに言われたのかもしれません。
イエスさまはトマスの心の奥底までご存じで、そこにタッチされました。
その気持ち、そのやるせなさ、悔しさ、寂しさ。

で、トマスは思わず告白します。28節――

28トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」

「私の主。私の神」――この短い言葉の中に、トマスの気持ちが込められていると私(戸塚神学生)は思います。
「イエスさま、もう結構です。すみませんでした。
あなたは確かに復活して私にも出会ってくださった。ありがとうございます。
あなたに会えてよかった。ほんとに嬉しいです。
あなたを私の主、私の神として、いま信じます。
復活されたことを、ほんとに復活されたことをいま信じます」
トマスはイエスさまにこう申し上げたんだと思いますね。
そしたらイエスさまは仰いました。29節――

29イエスは彼に言われた「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

「あなたはわたしを見たから信じたのですか?」
あなたはわたしを見たから信じた――このトマスへの質問の中にイエスさまの気持ちが込められている。
「マリヤは、わたしを見て信じた。
ここにいる十人の弟子たちも八日前、わたしを見て信じた。
でもトマス、その場にいなかったあなたは、弟子たちの証言を聞いただけで、見ずにわたしを信じることができるとわたしは思っていた。
わたしはおまえに期待していた。
でも残念ながら、あなたも結局はわたしを見たから、わたしに会えたから、十字架にかかって復活したということを、そういう証拠を見たから、あなたも信じたんですね。トマス」
そういう気持ちだったのではないかと思うんですね。

4)で、この後、イエスさまはとどめの一発を発しました(大笑)――「見ずに信じる者は幸いです」(29節最後)

「トマス。こうしてわたしを目の当たりにせずに、八日前はわたしの言葉やマリヤたちの証しを聞いただけで、あなたはわたしを捜そうとしてくれたではないか。
わたしを見ていないのに、信じたいという気持ちをあなたは持っていたではないか。
見ずに信じようとする、そのあやふやだけれども真実な信仰こそ、思いこそがすばらしいのですよ」
イエスさまはこう仰ったと思うんですね。

「見ずに信じる者は幸いです」――このイエスさまの言葉はトマスに向けられていましたけれども、それだけではなかった。
「見ずに信じる者は幸いです」――同じ部屋にいた10人の弟子たちにも、おそらく言い聞かせるようにイエスさまは「見ずに信じる者は幸いです。おまえたちは見て信じた。でも見ずに信じる者は幸いなんですよ」ってイエスさまは仰ったと思うんです。
でもさらにそれだけでもなかった。
イエスさまは聖書のこの箇所を読む、あらゆる時代のすべての人に向かって、そして今ここでこのお話を聞いている私たちに向かって、私に向かって言われた言葉でもある――「見ずに信じる者は幸いです」

恐らく何か映画だったら、映像だったら、こんなシーンが浮かぶんですね。
「あなたはわたしを見たから信じたのですか?」と彼に言われた。
「あなたはわたしを見たから信じたのですか?」その時に(***と、左方に身体を向けて)視線はここにいるトマスにイエスさまは向けた。
(***左横向きからパッと90度向きを変え正面の私たちを見て)
でイエスさまは、ふと私たちの方を向いて、「見ずに信じる者は幸いです」と言われたんじゃないか。
「見ずに信じているでしょう?あなたたちはわたしのことを」
「見ずに信じる者は、見ずに信じるあなたは幸いです」――私に向けられているんですよ、このイエスさまの言葉は。
「見ずに信じているでしょう。あなたは」

考えてみれば不思議です。
私(戸塚神学生)も見ずに信じることなんかできないと思っていた、かつては。
聖書に書いてあること?そんなのほんと?イエスさまが復活した?まさか〜、そんなのあり得ない――私もそんな人でした。見ずに信じるなんてやって行けない人。
それなのに、不思議です。見ずに信じられるようにさせられちゃった。
私(戸塚神学生)は今ここでイエスさまに申し上げたい。
「イエスさま、私もあなたをこの目で一度も見たことはないんです。でも今こうして信じています、あなたのことを。
あなたによって、聖霊の働きによって、また多くの人たちの祈りによって、信じるようにさせてくださった。ありがとうございます。イエスさま」
このようにイエスさまに申し上げたいんです。

もしかしたらここに、かつての私と同じように、「信じることができない」そう思って坐っていらっしゃる方がいるかもしれない。
信じることができない――でも大丈夫です。信じることができるかどうかは、あなたが決めることじゃない。
もちろん自由意志がありますよ。信じる自由、信じない自由がある。
でも「信じることができるようになる」というこのすばらしい恵みっていうのは、人間わざじゃないんですよ。
「神さまの一方的な働き」ですから、必ずどこかでわかる日が来ると私(戸塚神学生)は信じています。
「イエスさま、私も信じることができました、あなたを見ずに」そうすると、イエスさまは何と仰るでしょうか?
「幸いです。(***戸塚神学生ご自身の左手の指で○を作りにこやかに)、オッケー。ばっちり(大笑)。大丈夫です。
わたしを見ないでいま信じていますね。すばらしいですね」

私たちは見ずに信じていることが沢山あります。
もちろんイエスさまの十字架や復活もそうですし、聖書に書いてあることすべて、使徒たちの証言全部、見ずに信じている。
これは奇跡的なことですよ。よくぞ信じられている。
でもそれだけじゃない、見ずに信じていることは――今日これからのこと。神さまがいっしょにいてくださる。
明日のこと。あ、明日あれもやらなければならない。ああいう問題がある。神さまが助けてくださる。神さまが一緒にいてくださる――見ずに信じています。
この一週間、この6月の月も、またこの一年も、何が起こるかわからない。でもイエスさま、あなただけはすべてのことを働かせて益と変えてくださる――見ずに信じることができる。

見ずに信じなければならない、信じる、信じていることがほんとに沢山ある。
将来のこともそうです。天国に行ってからのこともそうです。
私たちはやがて天国に行く――見ずに信じている。
共におられる復活のイエスさまが最善をなしてくださる、すべてのことを――そう私たちは見ずに信じているんです。
恐れや不安なことや戸惑いや弱さに打ち震える私たちに、イエスさまは言われます――「見ずに信じる者は幸いです(29節)。信じない者にならないで、信じる者になりなさい(27節)」と。
一度も見たことのないイエスさまのこの声が、聞こえるというこの恵みこそが見ずに信じる者の幸いです。

☆お祈り――戸塚神学生

愛するイエスさま、感謝いたします。イエスさまは人間となってこの世に来られ、十字架で私たちの罪を贖い、復活して今も共に歩まれる救い主です。そのようなあなたをこの目で見たことがないのに、あなたを信じさせてくださった恵みを、幸いをありがとうございます。

トマスのように、様々な出来事の中で、信じたくても信じられない状況に置かれることがあるかもしれませんが、何度でも「わたしのところに来て」(***マタイ11:28)、「信じる者になりなさい」(ヨハネ20:27)と語り続けてください。力づけてください。イエスさま、あなたのお名前によって父なる神さまにお祈りいたします。アーメン。


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