☆聖書箇所 創世記23:1〜20
1サラの一生、サラが生きた年数は百二十七年であった。 2サラはカナンの地のキルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは来てサラのために嘆き、泣いた。 3それからアブラハムは、その死者のそばから立ち上がり、ヘテ人たちに告げて言った。 4「私はあなたがたの中に居留している異国人ですが、あなたがたのところで私有の墓地を私に譲っていただきたい。そうすれば私のところから移して、死んだ者を葬ることができるのです。」 5ヘテ人たちはアブラハムに答えて言った。 6「ご主人。私たちの言うことを聞き入れてください。あなたは私たちの間にあって、神のつかさです。私たちの最上の墓地に、なくなられた方を葬ってください。私たちの中で、だれひとり、なくなられた方を葬る墓地を拒む者はおりません。」 7そこでアブラハムは立って、その土地の人々、ヘテ人にていねいにおじぎをして、 8彼らに告げて言った。「死んだ者を私のところから移して葬ることが、あなたがたのおこころであれば、私の言うことを聞いて、ツォハルの子エフロンに交渉して、 9彼の畑地の端にある彼の所有のマクペラのほら穴を私に譲ってくれるようにしてください。彼があなたがたの間でその畑地に十分な価をつけて、私に私有の墓地として譲ってくれるようにしてください。」 10エフロンはヘテ皆人たちの間にすわっていた。ヘテ人のエフロンは、その町の門に入って来たヘテ人たちみなが聞いているところで、アブラハムに答えて言った。 11「ご主人。どうか、私の言うことを聞き入れてください。畑地をあなたに差し上げます。そこにあるほら穴も、差し上げます。私の国の人々の前で、それをあなたに差し上げます。なくなられた方を、葬ってください。」 12アブラハムは、その土地の人々におじぎをし、 13その土地の人々の聞いているところで、エフロンに告げて言った。「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことを聞き入れてください。私は畑地の代価をお払いします。どうか私から受け取ってください。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。」 14エフロンはアブラハムに答えて言った。 15「ではご主人。私の言うことを聞いてください。銀四百シェケルの土地、それなら私とあなたとの間では、何ほどのこともないでしょう。どうぞ、なくなられた方を葬ってください。」 16アブラハムはエフロンの申し出を聞き入れ、エフロンがヘテ人たちの聞いているところでつけた代価、通り相場で銀四百シェケルを計ってエフロンに渡した。 17こうして、マムレに面するマクペラにあるエフロンの畑地、すなわちその畑地とその畑地にあるほら穴、それと、畑地の回りの境界線の中にあるどの木も、 18その町の門に入って来たすべてのヘテ人たちの目の前で、アブラハムの所有となった。 19こうして後、アブラハムは自分の妻サラを、カナンの地にある、マムレすなわち今日のヘブロンに面するマクペラの畑地のほら穴に葬った。 20こうして、この畑地と、その中にあるほら穴は、ヘテ人たちから離れてアブラハムの私有の墓地として彼の所有となった。
☆説教 アブラハムの生涯(19)妻を葬る
聖書の箇所は少し長い創世記の23章を開いていただきました。 アブラハムもサラも晩年になります。それがこの23章で、そして晩年になれば、どちらかが先に天の故郷に帰る。 先に逝ったのは妻のサラでした。そうして1節が始まります。
1サラの一生、サラの生きた年数は百二十七年であった。
そしてその死に嘆き悲しみ、葬りの労苦をしているのは夫アブラハムです。2節に――
2サラはカナンの地キルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは来てサラのために嘆き、泣いた。
19節を見ますと、最終的に墓が決まっています。
19こうして後、アブラハムは自分の妻サラを、カナンの地にある、マムレすなわち今日のヘブロンに面するマクペラの畑地のほら穴に葬った。
やがてアブラハムもこの墓に入ります。 さて、簡単に――先ほどT兄が読んでくださったので大体の流れは解ると思うんですが――妻を亡くし、墓を求めて土地を取得しようとしているこの一連の流れから、ま、3つ。 3つ(のポイントで話をします)。
1)驚くことがあります(――アブラハムはここまで自分の所有地を持っていなかった。)
それは、アブラハムは若くして神さまに召されました。若くして、 <***創世記12:1> 「あなたの家、あなたの故郷を出て、わたしが示す地へ行け」と(言われる神の声に従い)、その信仰の旅路を始めていきます。 そしてそこに着いて、しばらくして甥のロトから別れて別々の道を行った時に、神さまはアブラハムに仰いました。 <***同13:15> 「目を上げて見なさい。あなたの見えるその土地すべてを、あなたとあなたの子孫に与える」と。
つまりこの時点から、神さまからアブラハムが受ける祝福は二つありました。 @一つは「子孫を海の砂のように増やす」――これは結果的に与えられた子どもはイサク一人でありました。 生きている間に、何人の子ども、何十人もの孫に恵まれたわけではない。息子一人与えられたんですね。 Aしかしです。ここに及んで分かることは、「その土地すべてを、あなたのものとする。相続する」という神の祝福ですけれども、なんと驚くことに、アブラハムは自分の所有地を持っていない、という事実がここでわかります。
妻を葬る土地を取得する――それが初めての彼の所有地になります。 23章の4節を見てください。ヘテ人に彼はこう願いますね。
4「私はあなたがたの中に居留している異国人ですが、あなたがたのところで私有の墓地を私に譲っていただきたい。そうすれば私のところから移して、死んだ者を葬ることができるのです。」
これが一番最初に彼が得ようとしている所有地です。 そうしますと、後のへブル人への手紙が記していることは、なかなか実感がこもっているのではないか? 新約聖書のずっと後ろにあるへブル人への手紙を見てください。11章です。この言葉、非常に事実なのではないかと思いますね。 ちょっと私(藤本牧師)の方で飛ばして読んでいきますが、アブラハムのこの土地に関する考え方がよく書いてあります。8節――(より読み進まれる)
<へブル人への手紙11章8節、9節、13節、16節> 8信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。 9信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、……(未だ所有地は持ってないんですね、と説明) 13これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。 16しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。……
所有地を持たないです。最後まで。唯一持ったのが墓地でありました。 それは、本当にアブラハムが地上にあっては寄留者、そして天の故郷にあこがれていたんだなぁと思います。 私たちは、どんなに多くの回数地上で引っ越しをしたとしても、最後は定住地に住みたいと思うものです。 どこかで老後は落ち着きたいと思いますし、もしかしたらそれが自分の故郷であれば、もう一度自分の故郷に戻ろうかなぁと思ったりもするものです。
しかしアブラハムにとって、自分の父の家を出て、故郷を後にして、神さまの示す地に旅立って行った彼にとっては、もはや地上のすべての土地が寄留地であった。 彼は本当にそう思ってたんじゃないか? ですから自分が受ける相続の地は、神の国、天の故郷だけで十分であると言わんばかりに、彼は土地を取得しませんでした。 ま、それがいいか悪いかは別として、でも不思議なまでに彼は定住地を持たない人間。 最後の最後まで、神に召された人生を羊飼いなる神さまと一緒に、導かれるまま自分の人生を歩んで行った。
私たちは単純に、遊牧民と農耕民族という種類をよくわかっています。 農耕民族は一つの土地に縛られ、その一つの土地からどれ程の収穫を得るかということにこだわり、農耕民族的な宗教から、その「肥沃の神」というんですかね、「雨の神、風の神、五穀豊穣の神」という考え方が生まれますが、
しかし聖書の神は遊牧民の神です。 ダビデの(歌った)ように「主は私の羊飼い。その主は私を緑の牧場に、水のほとりに、死の陰の谷を、敵の前を、生ける日の限り、主は私を連れだって」(***詩篇23篇)旅立ち、私を様々な人生の局面に置かれる。 不思議な程、私たちには実は定住地はない。最後に定職も失う。 そして、その時初めて私たちはアブラハムの心境に立ち、ああ、私たちの本当の故郷は天国だったんだね、ということを味わうだろうと思います。
2)そんな彼でも最後に土地を買った。
もう一回、ここに戻って来ましょう。 そんな彼でもサラを、妻を葬る場所、サラの墓のために土地を買います。
私たちクリスチャンはよく言われますね。 「日本人は墓を大事にするけれども、あんたがたクリスチャンはそうではないね」と。 いやいやいや、そんなことはない。 聖書の中で、葬るという儀式、そしてこのお墓というもの、大変な意味があります。 (創世記23章の)6節をちょっと見てください。 ヘテ人がアブラハムにこう言いますね――
6「ご主人。私たちの言うことを聞き入れてください。あなたは私たちの間にあって、神のつかさです。私たちの最上の墓地に、なくなられた方を葬ってください。私たちの中で、だれひとり、なくなられた方を葬る墓地を拒む者はおりません。」
「アブラハム先生、どうか奥さまを自由に葬ってください」と。 アブラハムは断ります。9節にこうあります――
9彼の畑地の端にある彼の所有のマクペラのほら穴を私に譲ってくれるようにしてください。(ただでもらおうと私は考えていない、と説明)。彼があなたがたの間でその畑地に十分な価をつけて、私に私有の墓地として譲ってくれるようにしてください。」
「私有の墓地として譲ってください」――13節もそうですね。
13その土地の人々の聞いているところで、エフロンに告げて言った。「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことを聞き入れてください。私は畑地の代価をお払いします。どうか私から受け取ってください。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。」
どこへ行っても、彼は丁寧にお辞儀をします(***7節、12節)。 最終的に、墓地としては法外な畑地のほら穴のそんな土地を、銀何十キロという値段で買わないですが、彼はそれを買います。
最近は、お墓も便利になりインターネットにお墓が現れるということもあるでしょうし、自動的にお経が流れるという、そういうようなものもありますでしょうし、日本の葬儀、日本の墓はあまりにも高い、というのは、これはもうちょっと日本の文化としてはどうにかした方がいいんじゃないかなぁと思います。 それでも日本人は墓を大事にしますよ。
と同時に聖書は墓を大事にしますね。 イエスさまも十字架の上で死んで葬られます。 アリマタヤのヨセフの横穴式の墓にきちんと葬られます(***ルカ23:53、マルコ15:46、マタイ27:60)。 つまり人のいのちが死ぬということ、そしてそれをきちっと葬るということ、それを墓に納めるということは、聖書の文化の中にあっても、また信仰的に考えてもとっても大切です。
これをいい加減に考えておられる方もいらっしゃいます。 でもとっても大切にしている方もおられます。 教会員の葬儀があれば必ずその葬儀に列席される方もいらっしゃいます。 あ、自分の仲間が息を引き取って天国に行ったんだ、というその葬りの儀式に、愛された家族の悲しみに身を寄せるように、私(藤本牧師)は葬儀にはなるべく来る教会であってほしいと思います。
さて、墓はいったいどんな意味があったんでしょうか? 私(藤本牧師)は思うに、この墓は、アブラハムにとって、サラにとって、共に生きて来た証しだろうと思います。 彼らは転々として来ました。そしてこの墓は動かない。 やがてアブラハムも、息子のイサクもその妻も、孫のヤコブもその妻も、みんな同じこのヘブロンの向かい側にあるマクペラのほら穴に葬られていきます。 ということは、家族は何代にも亘って、何度もこの墓に戻って来たということです。 どこに住んでいても――自分たちの所有として、父アブラハムが人生に一度だけ買ったその土地は墓であった。そしてその墓というのは、アブラハムとサラにとっての生きて来た証し――でありました。
アブラハムにとりまして、「神さまの召命を受けて、自分はこの家とこの故郷を出る」と言った時に、サラは信仰をもってついて来てくれました。 自分の判断が甘くて、エジプトに行った時に、あの妻サラに大変な迷惑をかけました(***12章)。でもサラは、それでもついて来てくれました。 なかなか子どもが生まれないと、(サラが)自分の世話をしている奴隷ハガルを与えて子どもを儲けてしまった時のあのいざこざな出来事も夫婦で共に背負いました(***16章)。 そうしたことをみんなアブラハムだけでなくして、サラも信仰をもって受け留め、サラも共に祈り、サラも神を信じてここまで来たんですよ。 これは信仰者、あるいは信仰を持ってなくても、どちらかが信仰を持ってなくても、長い間一生を共にして来たということの出来事、そして最後どちらかを先に送り出し、それを葬るということの大変さ、大変です。 そして墓を用意する。墓だけは用意したい。それは人生の記念碑だったんですね。
二年前、私(藤本牧師)もちょっと頭を悩ました出来事がありまして、そして昨日この説教を準備している時に、ああ、二年前もっと積極的にそのことを受け留めてあげたらよかったなぁと、私(藤本牧師)は昨日の夜、ひとしきりそのことを反省しました。
それはインマヌエルのある教会の話なんですね。 その教会はそれほど規模が大きくないです。礼拝は10人ぐらい。 その教会はマンションの一階で礼拝を持っています。 以前ご婦人の先生が牧師だった時には、マンションの三階ぐらいに確か牧師館がありました。 今はご自宅を持っている先生がいらっしゃいますので、その先生が牧会しておられますが――
長い期間その教会は教会堂を建てるために貯金をして来たんです。 貯金はようやく数百万にいきました。そこで教会員が決断したことがありました。 「先生、先に教会墓地を建てましょう」(***自分自身、笑いながら語る藤本牧師) その先生も悩んだんですね。 私(藤本牧師)は、「そんな話、聞いたことない」と。 普通は教会堂が先ですよ。墓地はぐっと後ですもの(笑)。 そして「教会堂のために、20数年かけて貯金をして来たお金を、教会墓地のためにポンと使ってゼロにしてしまうというのは、果たしてどうなんでしょうか?順序が逆だろうと思いますよ」みたいな対応を、私(藤本牧師)は(教団代表として)してしまったんですね。
で、その先生は教会員の気持ちをよく説明してくださいました。 普通はマンションの一角の礼拝堂ではなく、もう借地でも借家でもいい、あるいは中古物件でもいいから自前の礼拝堂が欲しい。 自前の家を一つ買って、礼拝堂に一部改造して、牧師たちが住む――そういう方向に進んで行くのが一番普通だろうと思う。 でもこんな小さな群れで、少しずつしか(教勢が)成長してなくて、やがて私たちはみんな死んでいく。みんな死んでいく。 だったら、これまで一生懸命貯めて来た貯金を使って、教会墓地を先に作ろうというのは、切実な課題であり、非常に実際的な課題です。
で、私(藤本牧師)が昨日反省したことは、その先生に向かって一つ提案したんですね。 「どっかの教会の墓地に一緒に入れてもらえばいいじゃないですか?」と(笑)。 「そんな、そこらに入れる教会があるわけだから、その教会に頭を下げて、 『すいません。お宅の墓地にうちの信徒さんたちを入れてください』と(お願いすれば)、それで済むんじゃないの?」と(いう提案)。 確かにそれで済むんですよね。 (しかし、)教会員たちは、自分の教会堂と一緒に、自分たちの教会家族が一緒になって入れる墓が欲しかったのです。
そう考えますとね、これはアブラハムの信仰に非常に近いと思いますね。 アブラハムは家族みんなに「これが我が家だよ。この広〜い畑、この広〜い牧草地が我が家だよ」と、子どもに自慢することは一度もなかった。 けれども、子どもに「私たちの住むべきところは天の故郷であり、そしてこの墓こそが私たちの信仰の証し――私たちが信仰をもって地上にあっては寄留地として生きて来て、様々な所を旅して、でもその信仰の記念碑として、ここの墓地を持っていたい」(という願いから) 彼は高〜いお金を払って、そしてそれを私有墓地としたんですね。
いま高津教会では、召天者記念礼拝は10月の最後の日曜日で、その午後に津田山の墓地で記念会をいたします。 集まって来られる方は70名から80名です。小さな小さな墓地の前に、集まることのできない程の方々が集まって来られます。 また毎月、あるいは折りに触れて、愛する家族が天に召されたその日に教会墓地を訪ねる方々が沢山います。 時々私(藤本牧師)も納骨その他で墓地に行きますと、新しい花が挿してあって――ま、指す部分が小さいですので、申し訳ないですけれども、それを抜いて新しいのを挿すんですけれども、もう「どうしようかねぇ」と言うぐらい、花が沢山墓地の周りを飾っている時もありますし、雑草一つ生えてない、きれ〜いな墓地です。
それを私たちは墓参りという。それは供養とは違います。 それは信仰の証し。共有して来た人生の思い出。共に歩んだ人生を記念して、思い出して、私たちは墓に入る、墓に足を運ぶんですね。
もちろん皆さんの中には、散骨を希望しておられる方(笑)もおられると思うんですね。 どうぞご自由に散骨してください。 でも私の願いとしては、もし高津教会員として葬儀をし、そして葬儀をされた時でも、教会の墓地の墓碑に、米山石材店にお願いしてお名前をきちっとやっぱり彫っていただきたい。 そうしますと、そこを訪れる度に、あ、藤本満は何歳でこの日に天に召されたのだということがわかる。(アーメン)。
骨を大事にしようだなんて、私はそういうことはあんまり思っていません。だからと言って、邪険に扱っている(大笑)わけではないですが。 ま、そろそろね、三段あるあの教会墓地が、ものすごいいっぱいですよね。 容器をタッパーウェアに移し変えて、きれ〜いに積めばもう半分空くなとか、いろいろ考えておりますので、その時には皆さんお許しをいただきたいと思っていますけれども―― 別にそのご遺骨を云々は、私たちは思っていないです。 でもきっと神さまはそれらを用いて、それが散骨されたものであっても、それらを用いてよみがえりの身体を造ってくださる。創造してくださるわけですよ。
でも何よりも、私たちがその墓地を訪れるという時に、私たちは共に信仰を持った仲間たちと一緒に天に召されて行った、自分の愛する者を、その人生、その歩みを思い描きながら、私たちは教会墓地に行くんですね。
3)墓は大切です。なぜなら墓は天の故郷の一つ手前だからです。
もう一度アブラハムの信仰をよく見ていただきたいと思うんですが、へブル人への手紙の11章の19節をちょっと一緒に読んでみません?。
<へブル11:19> 19彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。
いったいいつの出来事でしょうか? これは数週間前に勉強しました。ひとり子イサクを神にささげようとした時の彼の信仰でした(***6/26創世記22:1〜14)。 その時、彼はこういう信仰を持つようになるんですね――神はいのちを与える神。
実は(へブル11章)11節を見ていただきますと、老齢になった自分と妻の間に、神さまが子どもを授けてくださると仰った時に、11節――
<へブル11:11> 11信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
神さまの真実さを味わっただけではないです。神さまの力を味わった。 神さまこそは、ほんとにいのちのない所にいのちを与える方であり、 そしてイサクを捧げる時には、たとえイサクが死んだとしても、もう一度そのイサクを死者の中からよみがえらせる力がある、ということをアブラハムは信仰として実感したんですね。
アブラハムは「イサクを捧げる」という人生最大の試練を通して――神さまという方が、死の力をも乗り越えることができる、恵みの約束を実現してくださる方なんだ――ということを信じることができた。 だから墓を造る。だから、墓を造るんです。
私たちはアブラハムよりももっと確かに信じています。 なぜならイエスさまの復活を信じているからですね。 礼拝で毎週使徒信条を共に告白する時に、――イエスという方が、死にて葬られ、よみに下り、三日目に死人の中よりよみがえり――ということを毎週毎週私たちは告白します。 それはある意味で、私たちにとっては口だけの告白である場合もあるかもしれない。 でももし私たちが愛する家族を失うとしたならば――必ず失うんです。必ず、失うんです――その時、改めて「三日目に死人の中よりよみがえり」という、アブラハムも味わったところのこの信仰を、私たちは自分のものとするんだろうと思います。
東京の、昔からある多磨霊園の一角に、「また会う日まで」と刻まれた墓石がありますね。 それは明治以来、日本のキリスト教の基盤を作った内村鑑三(***1861〜1930)の、長女ルツ子さんのお墓に刻まれている言葉です――「また会う日まで」 娘さん、ルツ子さん(***1894〜1912)はわずか19歳で病死してしまいました。 この世界を去る時に、その日、ルツ子さんは、お父さんとお母さんに「もう行きます。私は天国に行きます」と言って息を引き取るんですね。 そして父親の内村鑑三は告別式の日にこう言いました。 「今日この日が、ルツ子の結婚式であります。私ども、彼女の両親は、今日私どもの愛する娘を天国に嫁入りさせます」――そう言ったんですね。 それを聞いていた、戦後に東大の総長になりました矢内原(忠雄)先生(***1893〜1961)は、この時まだ高校生でした。 彼は内村鑑三の言葉に感動して、その時の印象を次のように記しています。 「これはただ事ではない。キリスト教を信じるということはただ事ではない。一生懸命ものだぞ。」 これはただ事ではない。キリスト教を信じるということはただ事ではない。一生懸命ものだぞと。
皆さん、私たちね、普通の感覚で愛する者の死――これはもう待ったなしでやって来るんですね。 死にますと、大体12時間以内に病院から出なきゃいけないでしょう。 葬儀屋さんに迎えに来てもらうんですよね。そして急いで葬儀屋さんは大体の段取りをつけて、そして川崎の火葬場に連絡をして、いったい何日が空いているのか、牧師は何日が空いているのか、親族はどうなんだ? やることが沢山ある。そして愛する者が亡くなった後に、通帳はどこにあるか分からない、判子はどうなった、どんな保険に入っているんだって、もう具体的な市役所との関わりから、ありとあらゆる請求書から、知らない所にこんなに遺産があった、ならいいんですけれども(大笑)、なんだこの借金は!督促状が舞い込んで来て、財産放棄。 そうすると、Nさんの所に話が(大笑)、行くんだろうと思いますけれども、もう、なんて言うんですか、教会で葬儀を終えました、だけじゃないでしょう? 山ほどあるんですよ。それで、最後、お墓どうするの?
どうぞご自由にしてください(笑)。 でも私たちの教会墓地は――覚えておいてくださいね――私たちの教会の教会員である必要はないんですよ。 教会員の関係者であれば、きちっと教会墓地に入れる。あるいは一時的にお預かりできるシステムもあります。 そして私たちの教会墓地の墓石に何と書いてあります?「復活」ですよ。 「復活」――どういう意味か?それは私たちにとりまして、墓は天国への門です。 この墓に入ることによって、この墓の扉をくぐることによって、私たちの愛する者は正式に天国に名が刻まれている。
アブラハムは、墓だけは自分のものにしたかった。 そしてこれまで考えられないような代金を払って、彼は唯一そこだけを自分の所有地とします。
墓無くして亡くなる場合もあるでしょう。船が沈めば、飛行機が落ちれば、遺体が発見されぬ場合もあるでしょう。それでもいいんです。 モーセは、墓がありませんでした。神さま自身が葬られたので、モーセの墓は見つけることができませんでした(***申命記34:6)。 エリヤは墓無くして、天から天の使いの戦車が降りて来て、運ばれて行きました(***U列王記2:11)。 そういう去り方をすることができたらいいなぁ(大笑)と思いますが、人生そんなに簡単にはいきません。 せめて、せめてきちっと整える。
アブラハムはこの緊急事態に前もって買っておくことはしませんでしたけれども(笑)、緊急事態が来た時に、きちっとした備えがあって、色々と対応することができたら感謝だなぁと思います。
☆お祈り
恵み深い天の父なる神さま、高津教会に墓地を与えてくださり、そこにあなたが「復活」という文字を刻んでくださいましたことを感謝いたします。既に私たちの信仰の先輩方を多くそこに送り出しました。なぜなら、そここそが天国の扉だと私たちは信じているからです。
お金を払って様々なものを手に入れようとする私たちの人生ですが、どうか時にアブラハムの人生を思い出させてくださり――もし人生でお金を払って必要なものがあるとすれば、自分の信仰の証しのための記念碑だけで十分だ。そこに家族が訪れることによって、自分の生きざま、また愛する者たちのその存在、思い出が大切にされることこそが、私たちの払うべき代価であり、むしろ天に宝を積みたい――と思うほど、天の故郷を大切に考えることができますように、私たちを祝福してください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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