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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   8/7 アブラハムの生涯(21)行き先知らずして 創世記24:45〜67
☆聖書箇所    創世記24:45〜67

  45私が心の中で話し終わらないうちに、どうです、リベカさんが水がめを肩に載せて出て来て、泉のところに降りて行き、水を汲みました。それで私が、『どうか水を飲ませてください』と言うと、
46急いで水がめを降ろし、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言われたので、私は飲みました。らくだにも水を飲ませてくださいました。
47私が尋ねて、『あなたはどなたの娘さんですか』と言いますと、『ミルカがナホルに産んだ子ベトエルの娘です』と答えられました。そこで私は彼女の鼻に飾り輪をつけ、彼女の腕に腕輪をはめました。
48そうして私はひざまずき、【主】を礼拝し、私の主人アブラハムの神、【主】を賛美しました。主は私の主人の兄弟の娘を、主人の息子にめとるために、私を正しい道に導いてくださったのです。
49それで今、あなたがたが私の主人に、恵みとまこととを施してくださるのなら、私にそう言ってください。そうでなければ、そうでないと私に言ってください。それによって、私は右か左に向かうことになるでしょう。」
 50するとラバンとベトエルは答えて言った。「このことは【主】から出たことですから、私たちはあなたによしあしを言うことはできません。
51ご覧ください。リベカはあなたの前にいます。どうか連れて行ってください。【主】が仰せられたとおり、あなたの主人のご子息の妻となりますように。」
   52アブラハムのしもべは、彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して【主】を礼拝した。
53そうして、このしもべは、銀や金の品物や衣装を取り出してリベカに与えた。また、彼女の兄や母にも貴重な品々を贈った。
54それから、このしもべと、その従者たちとは飲み食いして、そこに泊まった。朝になって、彼らが起きると、そのしもべは「私の主人のところへ帰してください」と言った。
55すると彼女の兄と母は、「娘をしばらく、十日間ほど、私たちといっしょにとどめておき、それから後、行かせたいのですが」と言った。
56しもべは彼らに、「私が遅れないようにしてください。【主】が私の旅を成功させてくださったのですから。私が主人のところへ行けるように私を帰らせてください」と言った。
57彼らは答えた。「娘を呼び寄せて、娘の言うことを聞いてみましょう。」
58それで彼らはリベカを呼び寄せて、「この人といっしょに行くか」と尋ねた。すると彼女は、「はい。まいります」と答えた。
59そこで彼らは、妹リベカとそのうばを、アブラハムのしもべとその従者たちといっしょに送り出した。
60彼らはリベカを祝福して言った。
  「われらの妹よ。
  あなたは幾千万にもふえるように。
  そして、あなたの子孫は
  敵の門を勝ち取るように。」
61リベカとその侍女たちは立ち上がり、らくだに乗って、その人のあとについて行った。こうして、しもべはリベカを連れて出かけた。
 62そのとき、イサクは、ベエル・ラハイ・ロイ地方から帰って来ていた。彼はネゲブの地に住んでいたのである。
63イサクは夕暮れ近く、野に散歩に出かけた。彼がふと目を上げ、見ると、らくだが近づいて来た。
64リベカも目を上げ、イサクを見ると、らくだから降り、
65そして、しもべに尋ねた。「野を歩いてこちらのほうに、私たちを迎えに来るあの人はだれですか。」しもべは答えた。「あの方が私の主人です。」そこでリベカはベールを取って身をおおった。
 66しもべは自分がしてきたことを残らずイサクに告げた。
67イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカをめとり、彼女は彼の妻となった。彼は彼女を愛した。イサクは、母のなきあと、慰めを得た。

☆説教  アブラハムの生涯(21)行き先知らずして
(※この説教題は第一回目の元旦礼拝と同じようですが、元旦礼拝は「行き先知らずして、出て行ったアブラハム」
そして今回は、「行き先知らずして、嫁いで行くリベカ」――アブラハムの信仰を受け継いだ人物という内容です。T・Y)

今日読んでいただいたのは、前回の続きのアブラハムの息子イサクのために、アブラハムの一番の長老のしもべが、アブラハムの故郷に行ってイサクの嫁さん捜しをするという記事です。
ものすごく長いですよね(笑)。(司会の)O兄に読んでいただいたのは半分ですが、24章の1節から考えますと、数ページに亘ってこの記事が延々と記されていることは大変不思議だなぁと思います。
余程この出来事に意味がない限り、こういう記事の記され方はしないでしょう。
申し訳ないことに、私は全部その意味がわかりませんし、意図も充分に汲み取れていないと思います。
でも単に誰かのお嫁さんを捜しに行くという以上に、ここには大変大切な信仰の訓練が入っているんだと(思います)。

アブラハムの生涯は今年の元旦礼拝から一緒に学び始めました。
その時に引用した新約聖書のへブル人への手紙、11章でございました。
アブラハムは、ガラテヤ人への手紙(***3:9)では「信仰の人アブラハム」と呼ばれていますし、(へブル人への手紙の)11章には信仰の人と呼ばれる人の証しが沢山出て来ます。
そういう中で、へブル人への(手紙の)記者が最も字数を用いたのが、アブラハムですね。

一番最初は、神さまから、「あなたの父の家、父の故郷を出て、私の示す地に行きなさい」と命じられた時に、アブラハムは「行き先知らずして」出て行ったというアブラハムの信仰を学びました。(***へブル11:8)

中途辺りで、与えられるはずの子どもが九十九歳になっても生まれない。
しかしアブラハムは神の使いのことばを信じました。「来年の今ごろ、あなたは子どもを抱いている」という。(***同11:11)

それから晩年イサクを捧げるという試練に遭った時に、たとえこのイサクが死んだとしても、神さまには必ず生き返らせる力があると信じたアブラハムの信仰、まさに信仰の人アブラハムですね。(***同11:19)

生涯、約束の地を、地上ではなく、神の国、天国を思い描き、彼が地上で自分の所有としたのは妻サラのお墓だけであったという話もいたしました。
そして、そのお墓が本当に故郷天国への門となった、という話も(***7/17の学び、創世記23章)。

私たちの教会墓地のお墓には、「復活」と書いてありますが、まさに私たちは死んで消えて行くのではなく、復活のいのちを与えられて、天の御国を創造(相続?)するために、私たちの教会墓地は天国への入口であります。
地上にあっては寄留者、旅人、その姿をへブル人への手紙11章をちょっと一緒に見ていただきたいと思うんです。
新約聖書のずっと後ろの(へブル人への手紙)11章ですね。13節〜16節までを交替に読んでいきたいと思います。
これがアブラハムの信仰生涯のエッセンスですね。

<へブル人への手紙11:13〜16>
13これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
14彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。
15もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。
16しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。

15節に――「もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう」と(あります)。
もし、出て来た故郷のことを思っているのであれば、イサクを結婚させて故郷に戻すという選択もあった。
でも、さらにすぐれた故郷を憧れ、天の故郷を憧れ、出て来たところには帰らなかった。

K姉の実家は長崎ですけれども、よ〜くこのみことばを心に刻み(笑)、長崎に帰らないでくださいね(大笑)。高津の人になっていただきたいと思いますが、天の故郷に憧れ、ね。

3つのポイントでお話しをいたします。先ず第一に――2つかな、今日は(とつぶやく藤本牧師)――

1)アブラハムは天の故郷を目指していた。

それが先程言いました(へブル書11章の)15節で、逆の表現で上手に記されていますね――出て来た故郷のことに何ら未練はなかった。
ま、故郷というのは大切なものですし、私たちにとって天の故郷と言いますけれども、一度も見たことがない。一度も見たことがない。
やっぱり自分の故郷というのは、それなりのあこがれがあると思いますが、アブラハムはそこに執着はいたしませんでした。
そしてむしろ天の故郷を彼は志し、そして息子はカナンの女性と結婚してほしくない、出て来た故郷からお嫁さんを迎えたい、でも出て来た故郷には戻ってほしくない。
不思議なことですね。不思議なことが強調されています。

つまり嫁さんはともに信仰の家族になって、寄留者になってほしい。
息子は結婚することで、地上のあのペルシャの一角に戻るのではなく、そこから嫁さんを迎えて、ともに信仰の家族になって、寄留者として天国を目指したいという、何とも言えない強い天国に対する思いがアブラハムにありました。

一つの、ま、矛盾ですね――神さまはアブラハムにカナンの地を与え、カナンで祝福してくださると仰ったのに、アブラハムはそれがゆえにカナンとは同化しない。
この地を与えると仰ったのに、カナンの地とは同化しない。
いや、実際神さまが与えてくださるのは、この地上の土地ではなく、天国の相続なんだということを彼は不思議に、不思議に理解していた。
私(藤本牧師)はこの信仰姿勢こそが、私たちがアブラハムから学ぶべきことでないかと思います。

信仰者というのは、神さまの招きに従って旅立って行く者です。
神さまの導きに従って神さまが示す地に行く。たとえ行き先がわからなくても、その道を行くというのが信仰者の本質です。
この本質を狂わせますと、私たちは信仰を狂わせてしまうことになります。
ですから遣わされた先でどれ程用いられても、どんなに大きな家を建てても、どれほど富む者となったとしても、どれほど活躍したとしても、自分が旅人であり寄留者であるということは絶対に忘れない。
まして、この世と同化はしない。この世はわが故郷とはなり得ない。
神さまは天の御国を故郷としてくださった――私たちはその感覚を忘れないために、毎週礼拝にやって来ます。
一週間、一日だけでありますけれども、神さまに聖別することによって、「自分はこの世の者ではない。神の国を目指す旅人であることを思い出す」というのが、礼拝の一つの意味ですね。

津田山に教会墓地があります。そんなに大きくないので、皆さん自分の時には入る場所があるんだろうか(笑)、とご不安な方も多いと思いますが、実際ないと思いますね(大笑)。
もちろん今ある骨壺から骨を出し、そしてタッパウェアーに入れ替え、それをずっと積んでいきますと、あと百は入りますが。

でも実はですね、高津教会には、第二墓地がある。
うちの教会墓地は一つではない。
こんなことを言っているのは、今日はW兄姉が来ていないからですね(大笑)。
教会墓地から少し下った所に、W兄姉の墓地があるんです。
そこを私(藤本牧師)は第二教会墓地と呼ぶことにしました(大笑)。勝手に。「あれがうちの第二教会墓地だ」と(高笑いをする藤本牧師)。

なぜかというと、それはWさんもわざわざそうしたと言うんですけれども、「W家の墓」っていう文字がない。で、面積は実は教会墓地より少し大きい。そして墓石の正面には、「我らの国籍は天にあり」と書いてある。
じゃ間違いなく教会墓地ですね(大笑)って、もうWさん全然いいですね、という感じですよね。

「我らの国籍は天にあり」(***ピリピ3:20)というのは、(2016年1月に)亡くなりました、天に召されましたYK姉(***W姉のお母さま)の一番好きな聖句でありました。
三十年も前に高津教会の証集に、YK姉が「夢」という題の文章の証しを載せています。すごく面白い。

――YK姉の証し「夢」を読んでいかれる藤本牧師――
山の中腹より頂上に近いだろうか?とにかく私はそこにいる。ふと下を見ると、長い長い行列が続いている。キリスト者というだけで死刑にされるのだ。

私は戦争中を思い出した。戦前から戦後にかけて、何百回行列に加わっただろうか?その日の糧を得るために、毎日毎日並んだ。あの時も鮭が、分厚い鮭が買えるということで、しかも一人二切れということで、私も列の一人になった。

だんだん番が近くなり、あと一人という時、突如空襲警報がなった(***これは実話ですね、と説明)。いつもなら、警戒警報が先なのに、突然店の戸はぴしゃりと閉められ、美味しそうな鮭は消えてしまった。あの時の並んだ顔は、不安と飢えの顔であった。

ところが今、山の中腹で並んでいる、皆その顔はどれも輝き、不安も恐れもない。そして私もその中にいる。
だんだん列が進み、頂上が近い。何か声が聞こえて来る。「落とす」「しめる」
何のことか前の人に聞いてみた。頂上から谷に突き落とすというのは、絞首刑だそうだ。谷に落とされた死体は累々と並びまた重なり、私はここでエゼキエル37章を思った。

イエスさまが両手を広げて天に迎えてくださるのだ。何も恐れることはない。
死刑になるのかもしれないけれども、死刑になる者の顔が皆輝いている。
列が縮む。もうじきだ。もうすぐ。ああもう一人。もう一人で私は天国に行けるのだ。イエスさまの所へ。私の心はどんどん弾んで来た。
その時、ここで私は目が覚めた。またしても、あと一人で目が覚めた。
(――ここまで。Y姉の証しを読み終わる――)    

という証しですね(笑)。
何度も行列に並んだ。かつては飢えと不安と恐れの中で、食料配給のために列に並んだ。
今は頂上を目指している。もしそれがたとえ殉教であったとしても、みんなの顔は輝いていた。――もうすぐイエスさまに会える。
    
この姉妹の信仰を貫いた聖書のみことばが、「我らの国籍は天にあり」ですね。
戦中戦後、若い時も老いた時も、健康な時もそうでない時も、
どこまでも人生は旅路であって、信仰をもって、人生の様々な出来事を受け留める。
信仰をもって、様々な出来事を神に祈り、乗り越えて行く。
この地上で、主より与えられた家庭と、主に導かれた教会をしっかりと自分のものにして生きて行く。

しかし目指しているのは、地上のものではない――それは天の故郷。
地上ではどこまでも、行き先知らずして、羊飼いである主に導かれて人生を歩んでいくわけです。
そして決して忘れない。隠さない。あやふやにしない。天の故郷へのあこがれ。あこがれを隠さない。

一体アブラハムのこの信仰を、誰が引き継いだと思います?
アブラハムには一人息子イサクが生まれます。私たちは余裕があればイサクの物語を学びますが、
このアブラハムの信仰というのは――アブラハムは信仰の父でありました。そして私たちは皆アブラハムの子どもと言うことができます。
しかし、アブラハムの家族、直の家族の中で、いったいアブラハムの信仰を誰が引き継いだか?
明らかにイサクではない。明らかに、今朝ともに学ぶリベカです。
「行き先知らずして」出かけるアブラハムの信仰――そしてここへ来て明らかになるのが――「行き先知らずして」嫁いで行くリベカの信仰です。

ちょっと短く物語を追いかけて終わりにしたいと思いますが、聖書をしっかり見ていただいて、22節、こう始まりますね。【***先週終わった所(創世記24:21)まで戻って説明を始められる藤本牧師】

22らくだが水を飲み終わったとき、その人(***と言うのは、アブラハムのしもべですね、と説明)は、重さ一ベカの金の飾り輪(***は、鼻飾りですね、と説明)と、彼女の腕のために、重さ十シェケルの二つの金の腕輪を取り、(***彼女に上げるんです、と説明)
23尋ねた。「あなたは、どなたの娘さんですか。どうか私に言ってください。あなたの父上の家には、私どもが泊めていただく場所があるでしょうか。」

大変な感謝を込めて、金の飾り輪と腕輪を渡し、そして礼を尽くす――こういう所、アブラハムのしもべは立派ですね。
自分は旅をしてそして水を飲ませてもらった。でも自分よりもらくだ10頭に――1頭60リットル、600リットルの水を――リベカは井戸から汲んで飲ませてくれた。すぐその感謝を出すことによって、アブラハムのしもべは好印象を受けます
物語を貫いているのは神の摂理です。神の導きです。
しかし随所に見られるのが、人の努力、人の誠実さ、そしてその好印象が出てまいります。

リベカはこのしもべに心を開きました。
自分の素性を初めて見た人物に、さっと知らせてしまいます。
「私はナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘です」(***24節)と。
要はアブラハムの兄弟ベトエルのお嬢さんであるということが、しもべに判りました。
そして25節に、答えますね。
「私たちのところには、わらも、飼料もたくさんあります。それにまたお泊まりになる場所もあります。」
もう26節で、瞬時にしもべは神にひざまずき、【主】を礼拝して言った。
もう細かい所ですけれども、私たちはこういう所を学びたいですね。

何か一日の中で、「あ、これは助かった」ということがあれば、瞬時にひざまずいて、主を礼拝する。
ま、高津駅で瞬時にひざまずいたら(大笑)、ちょっと心配されちゃいますけれども、私たちはもう瞬時に「主よ、感謝します」という言葉がなかなか出ない。なかなか出ないですよ。
(私たちはせいぜい)「あ、よかった」ですよ。

「どんな時でも、神は御使いを遣わしあなたを守る」(***24:7)と、このしもべにアブラハムは約束したわけですよね。
そして彼は至る所で、「主が私のために取り計らってくださいますように」と祈って祈って取り計らわれた時に、彼はすぐにひざまずいて主を礼拝したんですね。27節――

27……「私の主人アブラハムの神、【主】がほめたたえられますように。主は私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった。【主】はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。」

と、とんとん拍子に行く、主の取り計らいを感謝しています。28節――

28その娘(リベカ)は走って行って、自分の母の家の者に、これらのことを告げた。

しもべは招かれるんですが、急いでリベカが走って行く途中で、兄さんに出会うんですね。
29節、ラバンですが、そして、すぐに娘の鼻の飾り輪と腕輪を見つけまして、「いったいどうしたんだ?」ま、事情を走りながら話したんでしょうね。
33節でしもべは家に招かれ、そして夕食の準備が整います。

33それから、彼の前に食事が出されたが、彼は言った。「私の用向きを話すまでは食事をいただきません。」(***私は一つの案件を持って来ています。それを話すまでは食事をいただくわけにはいかない。そうしますと、と説明)「お話しください」と言われて、
    
という所から、長〜い「そのアブラハムと息子イサクの嫁探しのために、私は旅をして来た。その間、神さまはいつも私を守ってくださり、私の祈りに答えてくださり、本当に神さまが取り計らってくださった」ということを実に真実に家族に伝えるんですね。
「でも、もしかしたら(***嫁になる女性が見つかったとしてもカナンの地まで)来てくださらないかもしれない」という不安まで伝えます。
包み隠さず、何の策略も講ぜず――彼には作戦も策略もありませんでした――祈りと誠実な行動と正直な謙虚な姿であります。
そして全部を、これまであったすべての経緯を話した時、リベカの父ベトエルと兄のラバンが答えます。50節を見てください。50節、ご一緒に読みましょうか。

50するとラバンとベトエルは答えて言った。「このことは【主】から出たことですから、私たちはあなたによしあしを言うことはできません。

随分すんなり言ったものだなぁと思いますけれども(笑)、もうすんなり、しもべの話に納得します。
天の使いが先に遣わされて、説得してくれたんだろうと思いますが、「私たちはあなたによしあしを言うことはない」と。で51節に、

51ご覧ください。リベカはあなたの前にいます。どうか連れて行ってください。【主】が仰せられたとおり、あなたの主人のご子息の妻となりますように。」

私たちの世界ではあり得ないですね。
まず最初にリベカの意見を聞かなきゃ(笑)。ね、親の意見は最後の最後でいいんですが、先ずリベカの意見を聞かなきゃいけないわけですけれども。
当時は許嫁(いいなずけ)の世界です。
マリアとヨセフもいいなずけでありましたけれども、それは何かいいなずけというのは婚約者という意味ではない。
親が決めた結婚相手という、大体小学生、ま、生まれた時にすでに決まってしまいますが、
わけのわからない人とは決まりません。
大体親族の間で決めますので、この場合のように、アブラハムとベトエルは兄弟であったということがよく解るんですね。

もう話はとんとん拍子に進んで行きます。しもべは結納品を出してしまいます。53節――

53そうして、このしもべは、銀や金の品物や衣装を取り出してリベカに与えた。また、彼女の兄や母にも貴重な品々を贈った。

二週間の旅で持って来たアブラハムから預かったところの結納品をここで渡しているわけです。
そしてしもべは「もう明日出発します」と言うんですけれども、いやそれはいくらなんでも早いでしょう、ということでリベカの母と兄が言います。55節に――

55すると彼女の兄と母は、「娘をしばらく、十日間ほど、私たちといっしょにとどめておき、それから後、行かせたいのですが」と言った。

56節でしもべは、「できるだけ早くお願いします」と。「アブラハムは最近妻を亡くしていつ天国に行っちゃうかわかりませんので(笑)、できるだけ早くお願いします」と(言います)。

56しもべは彼らに「私が遅れないようにしてください。【主】が私の旅を成功させてくださったのですから。私が主人のところへ行けるように私を帰らせてください」と言った。
57彼らは答えた。「娘を呼び寄せて、娘の言うことを聞いてみましょう。」

ここで初めて、リベカの意思確認が問われます。
ね、そしてリベカにすっと聞きますね「この人といっしょに行くか」と。

58それで彼らはリベカを呼び寄せて、「この人といっしょに行くか」と尋ねた。すると彼女は、「はい。まいります」と答えた。

数千年前の物語であります。数千年前の社会、おおよそ聖書を見たらわかると思いますけれども、女性が中心に描かれていないです。
私たちは女性が中心になって描かれていない物語をそのまま読むのではなく、その背後にある女性の気持ちを汲み取りながら読まないと、物語の半分しか読めない。
書いてあるのは男性が表に立って書いてある。

でもリベカは恐らく柱の陰、隣の部屋でこの会話を聞きながら、私はいったいどうなるんだろうか?ということを、頭に巡らしたに違いないですね。
そしてもし神の使いが先に行っていたとしたなら、神の使いは彼女に触れ彼女を説得したに違いない。
そんなことは説教者である私(藤本牧師)の作り事です。聖書に書いてありません。
いやいや、聖書に書いてあることだけがすべてじゃない。
絶対書いてないことを読み取る力がない限り、聖書の字面だけでは話は解らないですね。

リベカにはしもべが連れて来た十頭のらくだにひたすら水を飲ませる、女性としての働きぶり、親切心、献身的な働きがあった、ということは既にわかりました。
でも私たちはここに来てよくわかる――リベカは別に親の言いなりになっているわけではないですね。
リベカもまたアブラハムのしもべのような、不思議な神さまの導きを感じていたということがわかります。

2)リベカも不思議な神さまの導きを感じて行動していた。(アブラハム第二号?)

しもべの方はとりあえず井戸端に座り、女性が夕方水を汲みに来るのを見ていたんですね。
町に入ったなり、お嫁さんになるべき人は誰かなぁ、と町中巡り巡って捜し歩くことを彼はしない。
きっと神さまが備えていてくださるに違いないと思って、彼はまず祈るんですね。
そしてリベカを見た途端に、もしかしたらこの人物かもしれない、というそのひらめき、信仰のひらめきが、見守りながらその方向へとずっ〜と進めて行くわけです。

じゃ、リベカはどうだったんだと言うと、ここには書いてないです。
リベカはどうだったんだ?
例えばこの人に、らくだ十頭分の水を親切に汲み上げ、その人がいきなり荷物の中から金のお礼(の品々)を出して来た。あ〜あ、一生懸命やれば、必ず報いがあるんだな(大笑)と、その程度のもだったのか?

でも「あなたはどこの娘ですか?」(23節)と言った時に、「それは遠く私の主人アブラハムの兄弟に当たります」という話を聞いた時に、どういう神さまの導きなんだろうか?(と感動したはずです)。
そして家に着くなり、ま、足を洗って、食事を用意するわけですけれども、この人物ときたら「私はまだ用件を話していませんが、用件を話し終えるまでは、食事には手をつけません」(33節)と、そして長〜い話をするわけですよ。

彼女は(しもべの話を聞きながら)いろんなことを思い巡らしたんでしょうね?
アブラハムがいったいなぜこの町から出て行ったのか?今どこにいるのか?そしてどれ程の祝福を受けたのか?
そのアブラハムの人生を貫いていた原則は何だったのか?
それは「神さまによって召し出され、神さまに選ばれ、そしていかなることがあっても、神さまが目指せと言った場所について行く、その信仰」――にリベカが触発されたと読まなければ、
これは単に、「親の言いなりになって、リベカは連れて行かれました」――それはもう「赤い靴履いていた女の子」(童謡・大笑)みたいな話になっちゃうわけですよ。

私(藤本牧師)はね、この長〜い長い物語の中に、ほんのわずか「はい。まいります」(58節)というリベカの中に、アブラハム第二号と言いますか、アブラハムの信仰を受け継いだ人物がここにいたんだということがわかります。
    
私たち教会家族も、個人の家族もそうですけれども、信仰って誰が継承し、誰が成長させていくんだろうか?これは必ずしも家族の者が受け取らない場合があります。
でも神さまはいろんな人物を、皆さんと引き合わせて加えてくださる。    
この教会も別にこの教会で生まれた者たちが引き継いでいくわけではない。この教会に摂理的に導かれた者たちが、この教会の信仰を引き継いでいくんです。

リベカはアブラハムのすべては知らない。すべては知らなくてもいいんです。
でもアブラハムが信仰の人であれば、その信仰に憧れる思いがある人物が、高津教会を引き継いで行くんですね。

父の信仰を子どもが倣って信仰が受け継がれた、ということもすばらしい。
でも神さまはさらに大きな器を外から用意してくださって、私たちを成長させてくださるということに期待したいと思います。

☆お祈り――藤本牧師

57彼らは答えた。「娘を呼び寄せて、娘の言うことを聞いてみましょう。」
58それで彼らはリベカを呼び寄せて、「この人といっしょに行くか」と尋ねた。すると彼女は、「はい。まいります」と答えた。
(創世記24:27〜28)

恵み深い天の父なる神さま、このリベカの不思議な信仰、詳細には記されていませんが、しかしたった一人でリベカもまた、この町から召された町へと旅をしていきます。やがてリベカも相続地が天の御国であるということ、そしてどこへ行っても、主の使いが先を備えていてくださり、どこへ行っても主が守って祝福していてくださるということを味わっていきます。

どうかこの教会にも沢山のリベカを与えてください。またこの教会の男性にも女性にも、リベカの信仰を教えてください。私たちは調べることは調べ、考えることは考え、計画を一生懸命練りますが、最後は私たちの先を行ってくださる御使いが全てを取り計らってくださるという大らかな気持ちで、問題課題に向かうことができるように助けてくださいますようによろしくお願いいたします。愛するイエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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