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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   9/4 やさしい出会い(1)私にも声をかけてくださる マタイ9:9〜13
☆聖書箇所   マタイ9:9〜13

   9イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。
 10イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。
11すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」
12イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
13『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

☆藤本牧師による説教    やさしい出会い(1)私にも声をかけてくださる

前回で「アブラハムの生涯」の学びを一区切りつけました。多分次はイサクに行くんだろうと思いますが、いきなりイサクに行きますと、ちょっとアップアップになってしまうんでしょうから、今日は福音書から、取税人マタイのイエスに従って行く姿から少し学びたいと思って、マタイの福音書を見ていただきました。
とってもいい言葉ですので、9章の9節をもう一回、ご一緒に読んでみましょう。

  9イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると、彼は立ち上がって、イエスに従った。

同じ話がマルコの福音書とルカの福音書にも出て来ます。
そこでは取税人の名前はレビとなっています。
レビというのはユダヤ人によくある名前です。そしてレビという名前が外国で用いられる時には、マタイとなります。
なぜ、レビというこの人物はマタイという外国の名前を持っていたのか?

それは彼が取税人だからです。
ということは、マタイという名前に、彼自身大変な負い目を抱いていました。
聖書の中で収税人とか取税人とかいうこの役職は何回も出て来ますが、これは文字通り税金取りです。
ただ、これは今日の税務署の職員の方々とは違います。
当時このユダヤの世界はローマ帝国の植民地でありました。
ですから支配国のローマ帝国がユダヤの国民から法外な植民地税を取った。
橋を渡るにも、何かの職業に就くにも、役所に出入りするにも全部税金を徴収されます。
自分たちでそれを徴収しますと、ローマの人々は反感を買うことになります。
そこで占領政府が直接税金を徴収するのではなく、現地の人を雇った。それが収税人という職業になりました――ここがローマ(帝国)のうまい所です。
取税人は、へブル民族のプライドを売って、ま、「祖国の裏切り者」となって、ローマ帝国に代わって税金を取る。

憎まれたのはそれだけではありませんでした。
取税人の多くは、ローマ政府が決めた税額よりも、はるかに多くを上乗せして取っていきます――つまりピンハネはする。
また金持ちが脱税するときには、賄賂をもらって見逃すということもあったようです。
同じルカの福音書に、イエスさまに導かれたザアカイという取税人が出て来ますが、
彼がイエスさまに救いをいただいて、神の子とされた時に、喜び勇んでイエスさまに言いますね。
「自分が騙し取った物は、4倍にして償う」と――ああ、やっぱり相当騙し取ったんだと(大笑)。
ものすごい騙し取っていたんですよね。

ザアカイもレビも取税人になったいきさつというか、事情はあったんだろうと思います。
誰も好き好んで取税人になる人はいませんでした。
家庭の事情があったに違いない。
リストラされて職を求めていたのか、それぞれがそれぞれの事情でこの嫌な役柄に、ま、飛びつくことになります。
それが、その仕事に就きますと、つまはじきにされ、軽蔑され、面白くないから金儲けに走り、そうしている自分がますます嫌になり――というのが、この取税人という立場でありました。

9節をご覧いただきますと、「彼は収税所にすわっていた」というこの孤独感。
群衆がいて、イエスさまが通られるとイエスさまを一目見ようと、町を、道を走り回っている中、このレビは一人収税所に座っていました。
どうして座っていたのか?
多分、ザアカイの例を見ますとわかりますように、声をかけてもらえないんですね。

学校で言えば、教室を移動するときも、運動場に行くときも、トイレに行くときも、誰からも声をかけてもらえないという経験は、私たちに非常によくわかります。
声さえかけてもらえれば、運動場で遊ぶのに。
大勢がいるのに、そんなに楽しそうにみんなはしゃいでいるのに、「一緒に行こう」と声をかけてくれる人がいない。

詩篇にありますよね。
「さあ、ともに神殿に上ろうと言ったとき、私の心は喜んだ」
「さあ、一緒に礼拝に行こう」と言われた時に、私の心は喜んだ。
※詩篇122:1
人々が私に、「さあ、【主】の家に行こう」と言ったとき、私は喜んだ。

さて、この出来事から3つのポイントで短く学んでみたいと思います。
先ず第一番目に、イエスさまはマタイという人をご覧になって、9節――「わたしについて来なさい」と言われた。

1)実にさらりと声をかけてくださるイエス・キリストです。

レビがポツリと一人座っていました。
誰でもいい。誰かが声をかけてくれれば、自分もまた仕事を放っておいて走って行く、あの列に加わるであろうと思っていたのかもしれません。
ただ、だ〜れも声をかけてくれない。

ルカの福音書に出て来るザアカイはもっと厳しい思いをしました。
彼は自分一人でもいい、一人でもいいからイエスさまを一目見ようと走り回りますけれども、
みんなが邪魔をして、そして小人のように背の低かったザアカイは、誰からも厚意を受けずにみんながザアカイの邪魔をする。
仕方がないから、ザアカイは最後木の上に登って、イエスさまを一目見ようとします。

名前に戻りますと、マルコもルカもちゃんとレビと呼んでいますが、
マタイの福音書、つまりマタイ自身、レビ本人が記したこの福音書だけが、取税人時代のマタイという名を残しています。
それは何とも言えない彼の証しでありました。
「まさに私は取税人マタイだ」
だれも一緒に行こうという者はいなかった。そんな私に主が近づいて、さらりと声をかけてくださった。
「一緒に行こう。どこまでもわたしと一緒に行こう」
取税人だから、神の子どもになれないのではない。
誰も声をかけてくれない、だから神の子どもになれないのではない。

ザアカイにもイエスさまは仰いました。(***ルカ19:1〜10)
「降りて来なさい。今晩はあなたの所に泊まると、わたしは決めている」とザアカイに声をかけてくださいました。

さて、この瞬間、あまりにもさらりと声をかけてくださるこの瞬間、レビの心臓もザアカイの心臓も、一瞬内側でドックンドックン鼓動が聞こえるほど驚いたに違いありません。
そこで見ていただきたいのが――

2)イエス・キリストの招きに応じるマタイです。

9節の一番最後にこうありますね――「すると、彼は立ち上がって、イエスに従った。」

「すると彼は立ち上がって」――収税所に座っていたんですから、座っていた者が立つというのは当然です。
しかし福音書の中で「立つ」「立ち上がる」というのは、これは動作の問題ではないです。
マタイは、これまでも何度も「立ち上がって」違う道を歩もうとしたに違いありません。
しかし立ち上がることができなかった。
それまでの古い自分を大切にして来たのか、古い自分に甘んじて来たのか、いやそうすることができなかったのがマタイですね。

マタイも、変わりたい自分、新しい人生を歩みたかったかもしれない。
しかしできなくて、依然として座っているしか他なかったマタイ、そして私たち。
しかし彼は不思議に、立ち上がることができました。不思議に。不思議に。

レンブラントの作品に、この場面を描いている有名な絵があります。
横長の絵で、そして収税所に入って来るなり、イエスさまはマタイを指さすんですね。
この指さす、優しく伸ばされた腕の背後から、ま、レンブラントですから、光がぱぁ〜っと収税所の中に差し込んで来る、座っているマタイに光が伸ばされて来る。
手は実際に、マタイを指さしていて「あなただよ。あなたにわたしは声をかけている」

その横長の、ま、こちら側にイエスさまの差し伸ばす手がありましたら、向こう側に税金の帳簿をつけているマタイが描かれています。
それが今日、週報の(裏に載せた)この絵なんです。
絵そのものも、プリンターそのものもあれですので、ほとんどわかりませんけれども、皆さんインターネットで見てくだされば、すぐにきれ〜いな鮮明な絵が出て来ます。

マタイが右手に持っているのはペンです。そして手の下にあるのは税金の帳簿です。税金の帳簿が細か〜く絵に描かれています。
そしてマタイが左手で胸のところに手を当てているのは、「この私のことですか?」と言う手です。
イエスさまの差し伸ばされた手に向かって、「えっ、私のことですか?」と。

そしてレンブラントは、このマタイの右側に、マタイの耳元で囁く天使を描いた。
ですから、この絵のタイトルというのは、実は二つありまして、「取税人マタイの召し」と、そういうタイトルもありますし、「聖マタイに呼びかける天使」というタイトルも見出すことができます。

マタイは税金帳簿をつけていて、彼は机に座っていました。
イエスさまがいきなり入って来られて、そして彼に手を伸ばして「あなただよ。わたしについて来なさい」と。
「えっ、私のことですか?」とイエスさまを見つめるマタイですね。
「あなたについて行くということは、どういうことなんでしょう?」といぶかしげにイエスさまを見つめるマタイですね。

レンブラントはこの聖書の場面を描くときに、その動揺する、微妙に訳がわからず動揺しているマタイを促すように、マタイの後ろでささやく天使を描きました。

なぜ、天使なのでしょう?――それは神の霊である聖霊を描くことはできないです。
マタイの耳元で、マタイの心の中で、「この方の召しに応じなさい」「この方の招きに応じなさい」とささやいているのは聖霊です。
しかし、神の霊というのは描くことはできない。だからそれをレンブラントは、天使で表現したわけですね。
マタイがイエスさまの招きに応えるために、立ち上がることができるように勇気を与えてくださる聖霊の促し――
あるいは自分に声をかけてくださった方がどういうお方なのだろうか、と迷っている彼に、この方が神の子、あなたの救い主イエス・キリストなんだということを教えてくれる聖霊の声なのか――
大丈夫、安心してついて行きなさい。力まずついて行きなさいと、背後から優しく声をかける聖霊なのか――
レンブラントは天使でそれを表現しました。

皆さんに一週間休みをいただいて、本当にリフレッシュされて戻って来たつもりですが、依然として蒸し暑いので(笑)、そんなにリフレッシュされているわけではありませんが(大笑)。
私(藤本牧師)は木曜日に恒例の胃カメラと大腸の内視鏡の検査をいたしました。
戸塚神学生は月曜日に、同じお医者さんで(笑いながら語る藤本牧師)検査をされますが、私は今回、難しかったですね。

胃カメラが入らない。
先生は同じで、看護師さんは一新された感じで、誰も顔見知りの方はいらっしゃいませんでした。
終わってから、先生の声がします。「あのねぇ、緊張するとぎゅーっとすぼまって、カメラが動かないわけね」って先生が言ってるわけですね。
確かにカメラはこの辺で止まっちゃって、そこから5ミリ行こうとすると、ゲボが出るわけですよ。
だから先生はずぅ〜っとそこで待っているわけですね。多分待っていらっしゃったのは30秒ぐらいだと思うんですけれども、私にすると、もう10分ぐらいそこにカメラがいる感じで、声は出せないですし、私はこうやって(机をとんとん叩く音)叩きますし、「先生、それ以上進まないで」と叩きますけれども、先生もそこから抜いたってまた入れなきゃいけないわけですから、じっと落ち着くまでそこで待っているわけです。
「あのねぇ、緊張するとぎゅっとすぼまって、カメラが動かないわけよ。リラックスしないと入らないのね。だからね」と言われているのは、実は私じゃなかった。私じゃなくて、隣にいた看護婦さんだったんですね。
お医者さんは看護婦さんに言っているですよ。

そう言われて私は思い出したんです――前回私がやっていただいた時には、その方は別の看護婦さんで、とても優しい看護婦さんで胃カメラを突っ込まれている私のそばで励ましたくれた。
「藤本さん、力抜いていいんですよ。そんなに大ごとじゃないんだから(大笑)、力を抜いてスッとカメラが入って行きますから大丈夫ですよ」って、励ましてくださったんですね。
すると、先生は看護婦さんに言っていたんです。
「この厄介な患者さんを(笑)励ますのがあなたの仕事だ」と(笑)。
「私はカメラを入れて中をのぞくのが仕事で、あなたの仕事は、この人をいかにリラックスさせるか」――看護婦さんっていう仕事は大変だなぁと思いますけれども――「それが看護婦さんのお仕事なんだよ」ということを、先生はその方に仰っていたんですね。

私(藤本牧師)はレンブラントの絵を見たときに、この天使が女性的に描かれていることに何とも言えない感動を覚えました。
というのは、天使に性別はないんですが、天使は男性的に描かれているのが筋です。女性的に描くことはないですね。
でも、どうしようか迷っているそのマタイのそばで、
聖霊が優しく「さぁ、一歩前に足を出してご覧。この方を信頼して足を踏み出してご覧」と仰っていることを描きたかったんですね。

三番目、実は招かれたのはマタイだけではありませんでした。

3)罪人を招くために

10節から13節までちょっと交読をしてみたいと思います。

  10イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。
11すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」
12イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
13『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
※欄外の注@『』内――ホセア書6:6あるいは、「わたしは犠牲よりもあわれみを好む」。A「どういう意味か」――マタイ12:7

有名な13節の最後ですね――「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
これは、イエスさまがこの世界に来られたことを代表する言葉ですね。
そしてその具体例がマタイ自身であった、ということをマタイは書きたい。
その代表例が自分自身であったということを言いたいがために、自分が召された時のことをほんのわずか、ここで挿入しているということがよくわかります。

で、実際にイエスさまが声をかけてくださったのは、この10節の2行目にあるように、取税人や罪人が大ぜいいて、その大ぜいの一人としてマタイはイエスさまに従って行ったんです。
マタイは後に自分自身を認識します――自分は丈夫な者ではなく病人だったんだ。自分は正しい者ではなく、自分は罪人だったんだ――ということを、後に彼は認識するようになります。

マタイの人生は矛盾や傷や弱さや罪深さで一杯でありました。
私たちは健康ではないです。彼は自分が病んでいることを知っていました。
神さまの御前を離れ、聖さを失い、輝きを失い、迷い、暗やみの中に頭を突っ込んでいる自分を彼は意識していました。

光りの腕に従い、イエスさまについて行くうちに、イエスさまはそんな私を癒すために、その罪を許すために、神の子どもとしての輝きを取り戻すために、いのちを与えるためにこの世界に来られた、ということがマタイにはわかったのですね。

私たちが礼拝で歌う「主の祈り」は、ルカの福音書から来る「主の祈り」ですね。
「……私たちに罪を犯す者を私たちがゆるすごとく、……」
「♪……我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ……」と、私たちは賛美をしながら「主の祈り」を祈りますね。
高津教会はちょっと大変で、これが私たちの他の集会、インマヌエルの他の集会に出ますと、(「罪」が)「負い目」になります。
「……私たちに負い目のある者を私たちが赦すごとく、私たちの負い目をも赦したまえ……」――これはマタイの福音書の「主の祈り」ですね。

「主の祈り」は「罪を犯す者を赦す」という表現がルカの福音書から来た「主の祈り」で、
マタイの福音書から来た「主の祈り」は「負い目(のある者を赦す)」です。
よくその事情を知らないと、何か「負い目」と言うと、「負い目」を負うというのは、何かこうインパクトが弱い、表現が緩やか、明確に「罪」と言った方が表現が強い、という風に聞きますが、しかし絶対にそんなことはないですね。
それは、マタイという人物が税金取りだった、取税人であったということを考えると明らかです。

「負い目」というのは英語では“debt”です。“Debt”というのは借金です。負債です。
すると、マタイにとって負債というのはそんなに軽いものではなくて、負債はどこまでも追いかけて、取り立てて行くというのが負債です。
取税人が「大目に見る」なんてことはなかったです。取税人が「見逃す」ということもない。身ぐるみ剥いででも、取り立てていく。
聖書のイエスさまの譬え(***マタイ18:21〜35)にあるように、あなたが返せないんだったら、家財道具全部売っ払って、自分の家族も売って、それででも返しなさいと。

マタイは――私は赦されるような存在ではない、もし聖なる神の御前に立つことがあるなら、どこまでも追及され、担い切れないこの負債にこの自分のいのちを差し出すしか、他なし――これが「負い目」です。

しかし主イエスはその「負い目」を自ら背負い、十字架にかかり、私を赦してくださった、ということをマタイは実感するんです。
その実感がどこから始まるのか?――それは声をかけていただいた時に、立ち上がってついて行ったという、この9節の「わたしについて来なさいと言われた。すると、彼は立ち上がって、イエスに従った」というこの一行がない限り、マタイの福音書そのものが存在していないということを考えさせられます。

思うんですね。
誰にでも一歩はある。それは必ずしも私たちの信仰の第一歩ではないかもしれない。
9月の第一歩というのもありますね。学校に行きたくないという。でも第一歩はあるんでしょうね。
なかなか決断してもその方向に進まないということもあるでしょうし、自分にはこの問題から離れられないということもあるでしょうし、
でもどんな事にもイエスさまが「わたしについて来なさい」と一歩を踏み出すように仰るならば、
躊躇する私たちのすぐそばで、聖霊が私たちの心に「大丈夫だよ、大丈夫。この方について行くなら、あなたは必ず癒される」と仰ってくださる聖霊の声を聞く。
その言葉に励まされて、秋を踏み出していきたいと思います。

☆お祈り――藤本牧師

イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。(マタイ9:9)

恵み深い天の父なる神さま、御子イエス・キリストはそこにすわっているマタイの人生のすべてをご覧になり、それでも、いやそれがゆえに、「わたしについて来なさい」と声をかけてくださいました。あなたはそのようにして、私に声をかけてくださり、そのようにして私は第一歩を踏み出すことができました。その後も、何度も何度もあなたは声をかけてくださり、その一歩が踏み出せないこともありますが、レンブラントの絵ではありませんけれども、あなたはいつも私たちの心に聖霊のささやきを与えてくださり、私たちが安心してその一歩を踏み出すことができるように導いてくださることを感謝いたします。

献身の道を踏み出そうとしておられる竹内兄の上に、あなたが格別なみ守りを与えてくださり、励ましを与えてくださり、色々緊張する場面がありますけれども、その一歩を踏み出すことができますように導いてください。その一歩を行けば行くほど、あなたのことがよくわかり、あなたの恵みが深く私たちの心に届くことができますように。そして私たちは、聖霊の声となり、天使の声となり、兄弟を励まし助けることができるように、「行ってらっしゃい。この方について行くことが、あなたの最善なのですよ」と、私たちもまた天使のような声かけができるように、私たちをお守りください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。



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