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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   12/4 待降節第二主日・戸塚神学生:支え合いの恵み ルカ1:34〜56
☆聖書箇所     ルカ1:34〜56

34そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
35御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
36ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
37神にとって不可能なことは一つもありません。」
38マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
  39そのころ、マリヤは立って、山地にあるユダの町に急いだ。
40そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。
41エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。
42そして大声をあげて言った。「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。
43私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。
44ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳に入ったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました。
45主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」
46マリヤは言った。
    「わがたましいは主をあがめ、
47 わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
48 主はこの卑しいはしために
      目を留めてくださったからです。
      ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、
      私をしあわせ者と思うでしょう。
49 力ある方が、
      私に大きなことをしてくださいました。
      その御名は聖く、
50 そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、
      代々にわたって及びます。
51 主は、御腕をもって力強いわざをなし、
    心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
52 権力ある者を王位から引き降ろされます。
    低い者を高く引き上げ、
53 飢えた者をよいもので満ち足らせ、
    富む者を何も持たせないで追い返されました。
54 主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、
    そのしもべイスラエルをお助けになりました。
55 私たちの父祖経ち、アブラハムとその子孫に
    語られたとおりです。」
 56マリヤは三か月ほどエリサベツと暮らして、家に帰った。

☆戸塚神学生の説教    支え合いの恵み

この朝は先程N兄によって朗読していただきました、新約聖書ルカの福音書の第1章の34節〜56節の所から「支え合いの恵み」と題して恵みを分かち合いたいと思います。

柏木哲夫先生という先生がいます。大阪大学の名誉教授で、淀川キリスト教病院の理事長をしておられ、ターミナルケアを専門としておられる精神科のお医者さんです。
この先生がこんなことを書いているんですね。
「人生には三つの坂があるとよく言われます。
上り坂という坂。皆さんにも上り坂があったことでしょう。そういう時は、元気で色々なことがうまくいきます。
ところが、やることなすことうまくいかない下り坂もあります。下り坂という坂もある。
どんどん上るばかりという人はいませんし、下りっ放しの人もいません。
そして、上り坂、下り坂の他に、もうひとつの坂があります。それは「まさか」という坂です(大笑)。まさか。」

柏木先生の言われるように、全く思いがけない「まさか」という出来事が、私たちの人生に待っています。
ま、そういうようなものが人生なのでしょうね。

1)マリヤの人生に起きた「まさか」の出来事――信仰一本ではどうにもならなかった

で、マリヤの人生にも「まさか」という出来事が起こりました。
それがルカの福音書の1章の31節、ご覧いただきますと、これがマリヤの「まさか」です。
天使が現れてこう言いました――

31ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。

え〜?私がみごもる?しかも男の子の赤ちゃんを産む?どうして?
どうして?という「まさか」――マリヤはどのようにして、この「まさか」という現実に向き合うことができたのでしょうか?
マリヤは恐れ、戸惑いました。当然でしょうね。
34節をご覧いただきますと――

34そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」

しかし、その戸惑う中で、御使いの語った言葉、37節――

37神にとって不可能なことは一つもありません。」

このおことばをマリヤは信じる決心をしたんです。38節――

38マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」……
 
「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」
生誕劇の台詞でも、定番の台詞です――「私は主のはしためです。どうぞおことばのとおりこの身になりますように」
すらすら言っているように、マリヤも、台詞のように読んじゃえば、あっという間なんですけれども、
でもマリヤの心の中は、恐れと戸惑いをかき消すことはできなかったでしょう。
そう簡単ではなかったに違いない。

あまりにも衝撃的な、絶対あり得ない「まさか」です。
しかも自分の手には負いかねる事態です。
しかもこれからどうなるのだろうという不安でいっぱいの状態です。
「未婚の処女の妊娠はやがてわかるだろう。私はふしだらな小娘だと言われるだろう」

マリヤは16歳ぐらいだと言われていますから、高校一年生の女の子ですよね。
そんな若い女性が、このような大きな重荷を背負わなければならなかった。
マリヤを蔑むような世間の目、冷た〜い目が待っている。自分にそれが浴びせられるような日々が待っている、と思うと不安に違いなかった。

マリヤはこの日から悩み続けたに違いありません。悩み続けた中で、
「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と言ったのです。
何かこのセリフだけ読むと、マリヤは喜んで「はい、解りました。神さま、あなたにお従いします」っていう感じですけれども、そうじゃなかったに違いない。
悩んで、悩んで、悩んだに違いない。

もちろん信仰は大切です。マリヤは信仰で、38節の応答をしました。
信仰で応答した、そしてこのようなおことばを言った、マリヤは。
でもいつか(高津教会主任牧師)藤本満先生が、礼拝でこう仰っていました。
「聖書の字面だけ読んでいてはいけない。
聖書に書かれていない行間を読むことが大事だ。
ただ書いてあることをすらすらと読むだけでは、本当に聖書を理解したことにはならない」
と、藤本満先生が説教で語っていたのを思い出します。
あ、そうだなぁと思います。
この38節のマリヤの台詞の中に、どうすることもできない悩みの中に打ちひしがれているマリヤを想像したいと思います。

「うたいつつあゆまん」(***福402)という讃美歌がありますね。
(戸塚神学生ご自身で歌い出して)「♪主にすが〜る我に 悩みは〜なし 十字架の〜みもとに 荷を降ろせば〜」
(歌いつつ 歩まん ハレルヤ! ハレルヤ! 歌いつつ 歩まん この世の旅路を)
私がこんな所で独唱したくないんですけれども(大笑)。
「主にすがる我に なやみはなし 十字架のみもとに 荷を降ろせば」――何でもない時は歌えるんですよ。
ほんとに歌えるんです、この讃美歌――ああ、感謝します。主にすがる私に悩みはない。悩みはないと。

でもほんとに深刻な悩みの中にある時に、私はこの讃美歌が歌えなくなったことがありました。
「主にすがる我に悩みはなし」?――この讃美歌の作者、全然人間の現実を解ってない(大笑)。きれい事しか言っていない(大笑)。
心は血を流しているのに、何か蓋をして「大丈夫だ、大丈夫だ」と自分に言い聞かせているような、嘘くさい讃美歌かもしれなかった。
「主にすがる我に悩みはなし」――なんか「悩みはない」というイメージをもって、自分を偽って、悩みの中を過ごしていた時がありました。
でも悩みは全然消えない。「悩みはなし」なんて嘘だ――これが人間の現実世界です。

「まさか」の状態にいざ置かれる時に、信仰一本ではどうにもならないことがいっぱいある。
少なくとも私にはいっぱいあった。今もある。信仰一本ではどうにもならなかった。

2)親類のエリサベツに会いに行くマリヤ――出会った瞬間、二人は聖霊により変えられた

この時、マリヤはどうしたのでしょうか?
見逃しそうな一節があるんですね。それが39節、40節です。

   39そのころ、マリヤは立って、山地にあるユダの町に急いだ。
40そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。

と書いてあります。
こんな悩みの中で、マリヤはどうしたのでしょうか?
「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と天使にはお返事したけれども、全然苦しみや悩みがなくならない状況の中で、
マリヤは親類のエリサベツという婦人に会いに行きました。
(エリザベツというのは、)ザカリヤ(***バプテスマのヨハネの父・アビヤの組の祭司・ルカ1:5〜)の奥さまですね。
エリサベツとお話がしたい。

このエリサベツはその6か月前に、既に夫のザカリヤによってみごもっていました。36節に――

36ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。

と天使は言っています。
この言葉を聞いて、マリヤは思ったのでしょう。
「エリサベツなら、私の『まさか』の気持ちを解ってくれるに違いない。
他の人には絶対言えないあの出来事を、きっとわかってもらえる。
私ほどあり得ないことではないけれど、エリサベツだって神さまの介入によって、あんな高齢なのに妊娠六か月、私と同じように男の子を産むこともわかっている。
エリサベツに私の悩みを聞いてもらおう」
マリヤはこう思って、エリサベツの家に行きました。

で、マリヤはエリサベツと出会ったんですけれども、
マリヤがエリサベツと出会った瞬間に、二人とも聖霊によって変えられてしまったことがここに書いてあります。
マリヤはエリサベツに出会い、エリサベツもマリヤに出会い、共に恐らくこのマリヤの情報はエリサベツにも伝わっていたと思います。
そして一番最初に変えられたのは、出会った時に変えられたのは、エリサベツでした。41節を見ますと――

41エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。

と書いてあります。
その場でマリアと出会った時に、聖霊に満たされた状態になった。
そのエリサベツは大声を上げて、マリヤに語りました。
大声を上げてマリヤに語った、その内容は3つです。

@「マリヤ、あなたはすでに祝福されていますよ」。それが42節に書かれています。

42……「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。

A「あなたは主の母ですよ」。43節に――

43私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。

「私の主の母」――こう書いてあります。「私の主」というのは、これはイエスさまのことですね。
エリサベツはもうここで、「私の主」がどなたかが解っていたのかもしれない。
あるいは、自分でもわからないうちに預言しちゃったのかもしれない。
「私の主の母」――それが目の前にいるこの女性である。

Bしかも「あなたは信仰の人だ」と言っています。45節――

45主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」

と言っています。
エリサベツは、このようにマリヤに3つの宣言をしたんですけれども、

マリヤも、このエリサベツからの大声のメッセージで変えられました。
自分に与えられた使命や生き方っていうのが、悩みの中でもはっきりと示されたのです。
やはりその内容は3つで、46節〜55節までに書いてあります。
これは『マリヤの賛歌』と言われている有名な箇所で、ラテン語では『マグニフィカート』と言われている所なんですけれども、
この46節〜55節の『マリヤの賛歌』の中に、マリヤは3つの証しをしています。

@「主が私に目を留めてくださった」。48節をご覧いただきますと――

48 主はこの卑しいはしために 
      目を留めてくださったからです。
      ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、
      私をしあわせ者と思うでしょう。

このように言うことができる者に変えられたのです。
私はしあわせ者なんだ。そしてその幸せは、その周りには、これから後、どの時代の人々も私を幸せ者だと言ってくれる。
時空を超えた、そういう主の憐れみが私に注がれているんだということが、マリヤにはわかった。

A「力ある方がこのことをなされたんだ」。49節――

49 力ある方が、
    私に大きなことをしてくださいました。

力ある方。

B「私のお腹の中の子は」と言ってもまだわからないんでしょうけれども、その方がどういうお方なのか、お腹の中の子がどのような方なのか、を解らせていただきました。
それが51節以下に書かれています。

51 主は、御腕をもって力強いわざをなし、
    心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
52 権力ある者を王位から引き降ろされます。
    低い者を高く引き上げ、
53 飢えた者をよいもので満ち足らせ、
    富む者を何も持たせないで追い返されました。

これはイエスさまの受肉による逆転現象ですね。
神のみ子、ひとりごがこの世に降ってくださったがゆえの逆転現象が起こる。
すごい!そういう逆転現象。そんなすばらしい恵みの世界が繰り広げられる。
そのことを為すのが、私のお腹の中の子どもなんだ。

こういう3つの証しを、『マリアの賛歌』の中でマリヤは言っているんです。
このように変えられてしまった。
どうしようもない悩みを抱えているマリヤが、エリサベツからの大声のメッセージを聞いて、マリヤも変えられてしまいました。
「あぁ、神さま、これでいいんですね。これでいいんですね。もう大丈夫なんですね。解りました。ほんとうに解りました」
恐らく、「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」とあの時返事したこの返事がほんとの返事になった、ほんとの返事に変えられた瞬間だったに違いありません。
「これから人から色々、色んなことを言われるのは辛いかもしれない。
でもあなたは全てをご存じ。もうお任せします、神さま。よろしくお願いします。
アーメンです。その通りです。その通りになりますように」
神さまによる納得がマリヤに与えられました。

3)神による納得を得た二人は、神によって備えられたお互いであり、信仰を支え合う

私たちはどんなに悩んでも、悩んでも、そして「この悩みから解放してください」と必死にお願いしても、なかなか悩みから、辛さから解放されない時があるかもしれませんけれども、
しかし、神さまから来る納得というのは、人間の努力や頑張りではない。
神さまからの納得というのは、これは本当に確かなものである、ということがわかります。

マリヤにとって「まさか」の時、そのあり得ない、解ってもらえない、辛く重い現実に向き合うために、
マリヤは神さまが必要でしたけれども、信仰が必要でしたけれども、
しかしそれと共に、エリサベツという人が必要だったのです。
それは神さまによって、備えられた人でした。
神さまと一対一で祈るだけでは、太刀打ちできない出来事だったからです。
恐らくエリサベツと話をしながら、きれい事ではない、愚痴も言ったと思います。色々な悩みを共有したかもしれない。

しかもマリヤが16歳だとすると、このエリサベツってご高齢の方ですよね、かなりね。
ご高齢の方と高校一年生のイメージですよ。
でもマリヤにとってエリサベツはいい相談相手になったんだと思いますし、
マリヤはエリサベツに何でも話をしたんだと思います。
そういう日々がなんと3か月も続いたということがわかります。56節――

   56マリヤは三か月ほどエリサベツと暮らして、家に帰った。

一番流産し易いこの期間だったのでしょうか、精神的にも守られて、ゆったりと過ごすことができた。
そしてそれぞれに与えられた神さまからの約束を、エリサベツとお互いに確認し合えたこの時期だった。
エリサベツにとってもマリヤは必要だったのでしょう。
お互いがお互いを必要としたのでしょう。
実は神さまは、この二人の女性を通して歴史を変えることを決められたんだなあ、ということがわかります。
クリスマスは、マリヤとエリサベツの支え合いから始まった、と言ってもいいでしょう。

実は、私たちにもエリサベツのような人が必要なのです。
神さまは私たちのために、私のために、そのような人を備えてくださっている。
そのような人は、高津教会にきっと沢山いるに違いないと思います。
自分と同じような試練・問題・課題・悩み・様々な思いの、色々な愚痴を言い合えるような、素で関わり合うことができるような、そういう人たちを、神さまはきっとこの高津教会にも備えてくださるに違いないと思います。
マリヤとエリサベツのように、だからお互いが励まされて、癒されて、支えられる――そういう人を神さまは備えてくださる。

誰も信じてくれないんですけれども、私(戸塚神学生)は人見知りが激しいんです。
性格診断をすると、内向的性格(大笑)。信じられないでしょう(大笑)。
でも教師をやっていて、役割が人を変えたんでしょうね。内向的性格は変わらないんですけれども、人様との付き合い方は解るようになった(笑)。

人間嫌いじゃないんですよ。人間嫌いではない。でも人付き合いが苦手なんですよ。
何て言ったらいいか解らない。こう上手な言葉がなかなか出て来ない。
立食パーティーというのが一番苦手です(大笑)。
ねぇ、人付き合いの上手な人は、もう色んな人とにこやかに握手をしながら、わあっと話をしている。
ああ、うらやましいなぁと思います。私(戸塚神学生)はいつも片隅でスモークサーモンを食べている(大笑)。

私、一人がいいんですよ。一人が(笑)。ほっといてほしいんです(大笑)。
初めての集まりで、(声を高らかに)「ど〜ぞ隣の人とは話をして、握手をしてください」――あれが嫌です(大笑)。あれは嫌です。
この中にもいらっしゃるんじゃないですか、それが嫌な人って?
あれは嫌です。「隣の人と握手して挨拶しましょう」――あれ嫌です、すごく。

教会もこっそり行ってこっそり帰って行きたいのに(笑)、紹介されちゃって、みんなに拍手されちゃう。
私(戸塚神学生)初めて教会に行ったとき、それやられて、「あ〜あ、しまった。こんなところに来るんじゃなかったな」(大笑)と思いました。
その挙句に神学生に両側に座られちゃって(大笑)、色々な質問をされちゃった(笑)。
あ〜嫌だ、嫌だ。本当にほっておいてほしい。
その点、カトリックはいいですよね。礼拝出入りは自由で、何の干渉もなしで、いつも門が開かれている会堂、一人で静かにお祈りできる――あれいいですね(アーメン)。

人見知りな私、ほっといてほしい私、群れたくない私、グループでの話し合いが苦手な私。
そんな私が、小学校の担任になった時、保護者会でグループの話し合いをやっちゃったんですよ。
最初に、「はい、みなさ〜ん、お母さん方は自己紹介をして――初めての保護者会ですよ――はい、握手をしましょう」って握手をして、そして名前を言い合って、「みなさん、お互い色々情報交換をして、1月生まれから12月生まれまで並ぶようにしてみましょう」って、色々こう話し合いながら、「あなた何月生まれ?私何月生まれ」などと言いながら、どんどん話し合いが進んで、そうして1月生まれのお母さんから12月生まれのお母さんまで並ぶっていう、そういうゲームから始めたんですよ。
そしてその後、グループで話し合い。最初はなかなか盛り上がらなかったんですけれども、そういうような機会があって、心がほぐれて、そしてグループで色々な話し合い、何のテーマも決めずに、色々な話し合いが。
最初5分持つかなぁと思ったら、なんと、止まらなくなっちゃったんですね(大笑)。
30分以上になっちゃった。そして盛り上がっちゃって、「あ、もうそこで止めてください」と(ストップをかけなければいけない程に)。

その後、保護者会の出席率がアップしましたね(笑)。
私(戸塚神学生)は喜んだんですね。「あ〜、よかった。よかった。出席率がアップしてよかったなぁ」
でも後でわかったんですけれども、私の話を聞きに来るためにアップしたんじゃないんですよ(大笑)。
保護者会が終わった後で、近くのカフェに行って(大笑)、そしてお茶をすることが楽しみだったらしく、仲良くなっちゃって。で、私(戸塚神学生)の悪口か何かを言っているのかもしれない(大笑)。

私たちってなんで教会に来るんでしょうかねぇ?
もちろん、神さまを礼拝するためです。
藤本満先生の説教を聞きに来る、という人も沢山いるでしょう。
でも、やはり自分の居場所があるから、という人も多いんじゃないでしょうか?
自分の居場所がある。いえ、それだけではありません。
なぜ私たちは教会に来るのか?
それは、自分の信仰は、自分一人だけでは支えられないからです。
教会の兄弟姉妹の信仰と、祈りと、語り合いが、お互いを支え合っているのです(アーメン)。

先程、M兄に、礼拝が始まる直前に確認しました。
韓国では早天祈祷会が毎日行われている。4時半から。
で、私(戸塚神学生)、訊いたんですね。
「朝、個人でデボーション、一人でお祈りするってことはないんですか?」
「一人ではない。先ず教会に行くんだ。
先ず教会で集まって、そしてそこで一人でお祈りする。
そして、みんなでわぁっとお祈りした後、早天祈祷会が終わった後、また一人で教会でみんなでお祈りする。
集まる、教会に集まるということがとても大切なんだ」
そういう風に教えてくださいました。

集まる――確かに(テレビでよく見る韓国の)抗議集会もすごいですよね。あんなに沢山集まってますよねぇ。それが国民性なのかもしれない。よくあんなすごい広場があるなとは思うんですけれども。
集まる。一人ではない。集まって、自分がいる。

もちろん、ほっといてほしい方もいるに違いないとは思うんですけれども、しかし、その支え合いがあるからこそ、集まるからこそ、私たちの信仰は支えられている。
で、その支え合いは、今日ここに来ることができない方々にも届いています。
インターネットでご覧の(左手を高く出し指さして)、あなたもそうです。
それから、ホームページでこの説教を読んでおられる(今度は右手で指さして)、あなたもそうです。

私たちは一人ではないんです。支え合って共に生かされているんです。
きょう初めて高津教会にいらっしゃったという方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれない。
一人でぽつんといま座っておられますか?直ぐ帰りたいですか?(笑)
でも一人じゃないんです。

私たちはマリヤのように、自分が「まさか」というようなところを通される時にこそ、その支え合いの力が発揮される。
そして、必要ならばエリサベツのような人を、そんな私のために備えてくださるでしょう。
あるいは逆に、私がエリサベツのような存在に、そういう役割を果たすような存在になるようなことがあるかもしれない。

このクリスマスの時期、教会に行ってみようかなぁっていう方々が沢山起こされるようなこの時期に、どうか高津教会が、そんな恵みに溢れた、支え合いの共同体となりますように。
そして支え合いを必要としている沢山の人たちに、地域に開かれた、そういう共同体となりますようにお祈りしたいと思います(アーメン)。

☆お祈り――戸塚神学生

神さま、マリヤはある日突然、絶対あり得ない現実に直面しました。どうにもならない「まさか」の事態を自分の信仰で受け留めようとしました。しかしあなたは、マリヤに何でも話せるエリサベツという人物を、すでに備えておられました。

私たちにも、あなたとお話がしたいと思える人を備えてください(アーメン)。一人ひとりがそのような存在になり得ることにも気がつかせてください。

また私たちに、共に祈り合い、支え合う教会の仲間がいることを感謝いたします。いざという「まさか」の時にも、お互いがエリサベツとなり、マリヤとなって、それぞれの恵みを、また重荷や、辛さを分かち合うことができますようにお導きください。

そして、このクリスマスの時期、多くの方々が教会の存在を再確認するこのシーズンに、この高津教会もそのような共同体でありますように(アーメン)、豊かに祝福してください(アーメン)。イエスさまのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

※説教は語られた通り記述しましたが、ポイント3つは、勝手ながらこちらでつけさせていただきました。T・Y

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