名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索

::: 説  教 :::


773 4265 統計カウンターの表示   管理者で接続
Name   T・Y
Subject   12/11 待降節第三主日:やさしい出会い(9)馬小屋で出会う マタイ2:1〜12
☆聖書箇所    マタイ2:1〜12

1イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
3それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
4そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
5彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
6 『ユダの地、ベツレヘム。
  あなたはユダを治める者たちの中で、
  決して一番小さくはない。
  わたしの民イスラエルを治める支配者が、
  あなたから出るのだから。』」
7そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた
8そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
9彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
10その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
11そしてその家に入って、母マリヤとともにおられるイエスを見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
12それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。

☆説教    やさしい出会い(9) 馬小屋で出会う

マタイによる福音書が語るこのクリスマスの物語は、先程M兄によって読んでいただきました。東方の博士の物語として有名でございます。
星に導かれてはるばる旅をし、生まれたばかりの幼子イエス・キリストを拝み、贈り物を捧げる博士。
東の国から来た博士――「東方の博士」としか、1節に書いてありません。
どこの国かも、あるいは何人かも、どれくらいの旅であったのかも、詳しいことは何もわかりません。
神秘のベールに包まれている、という所に味わいがあります。
なぜなら、彼らと同じように人生という旅を私たちも進めて来て、そしてクリスマス、生まれたイエス・キリストのもとに礼拝をしようとしている私たちであります。
3つお話したいと思いますが、まず第一に――(※実際はエピソードの話が多かったので2つになった、と藤本牧師より)

1)彼らの旅は信仰の旅路であった

私たちの一年も、また私たちの一生も信仰の旅路である。

この前テレビを見ていましたら、ま、モニタリングという番組がありまして、まバラエティー番組なんですけれども、小さな子どもが町のおじさんおばさんにインタビューするんですが、
「学校の宿題で、訊かなきゃいけないんですけれども、おばさん、人生って何だと思います?」(大笑)
するとおばさんは、まさかテレビで撮っていると思いませんから、
「あら、あなた難しい質問をするのね」と、はたと考えて、「そんなこと、答えられない」というおじさんおばさんもいれば、
少し考えて、やっぱり皆さん答えますね。非常に一般的な答えで、
「それは旅みたいなものよ」って言う人もいましたね。
「川のようなものよ。川のように流されて、溺れて(笑)また浮き上がって……」
ある方は「それは台風みたいなものだ(笑)。いろんな台風に吹き飛ばされて来た」

人生って何だろうって、こう私たちもふと思いますね。
東方の博士にとって、人生って何だったんだろう?
これは間違いなく、信仰の旅路ですね。

博士たちは当時の最先端を行く天文学の研究者でありました。
そして様々な知識を持ち、世の中のこと、その国の、また世界の状況などよくわきまえていた学者であったに違いありません。

しかし、その彼らが、自分の国、自分の家族、学者としての生活から一旦離れて、長〜い危険な旅に出かけて行くわけです。
それは、特別な星が現れたというのを見たからですね――旧約聖書に預言されているその特別な星は、ユダヤの国に王さまが生まれることを告げる――その星を見た途端に、彼らは荷物をまとめて、エルサレムに向かって旅を進めて行くわけです。

単にユダヤ人の王というだけであるならば、ユダヤ人ではない彼らにとっては意味がありませんでした。
しかし彼らが気づいたのは、そのキリストの誕生は全世界のまことの王の誕生であるということだったからです。
私たちをも本当に治め、私たちをも守ってくださり、私たちをも導いてくださる、救ってくださるまことの王の誕生を、彼らは確信したんですが、
その王さまがどこにいるのか、彼らにはわかりません。

でもおられると確信して、エルサレムにやって来て尋ねます。(マタイ2章)2節をご覧ください。

2「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

どこにおられるのですか?――こういう質問は、きっと私たち誰にでもあると思います。
私たちのいのちを守ってくださり、私たちを死から贖い出してくださる方がおられるとしたら、その方はどこにおられるのだろうか?そういう真理はどうしたら、私たちは出会うことができるんだろうか?

でも、何か輝く人物を頼りに、そして聖書の約束を頼りに――聖書の専門知識には欠けていても――ベツレヘムで生まれると教えてくれるのは、このエルサレムの聖書学者、ま、そういう方を頼りに、光に向かって旅をしていくのです。

昔、N姉やO姉やE姉の友人でOさんという女性がいらっしゃいました。
息子さんが白血病で、3歳から闘い、21歳で天国に召されました。
で、O君のお母さんが、よく子どもたちを教会学校に連れて来ていました。
一度そのO君のお母さんに「どういう風にして教会にいらっしゃるようになったのですか?」って訊きましたら、
入院している時に、同じ病棟に白血病で苦しんでいる子どもさんがいた。
そしてそのお母さんが日曜日になるとそわそわして、そしてある時間になると、その隣のOさんに頼んで「悪いけど、うちの子看ててくれない?教会に礼拝に行って来るから」。

その姿――自分の苦しんでいる子を、その子のために祈るのか、あるいは「その子のいのちを救ってください」と祈る自分も助けてもらうためなのか、一生懸命お母さんは病院から教会へ足を運んでいたそうです。
その姿を見て、Oさんは自分のお子さんを教会学校に連れて行こうと、病院から退院したら教会学校に連れて行こうと思ったんですね。

ある人は聖書のことばに魅せられ、あるいは聖書の影響を受けた哲学者の、あるいは一般の方の、その書いたものに触れて教会を訪れになりますし、あるいは光輝く力強い人物を頼りに、キリストのもとにいらっしゃる方もおられますが、それが全部信仰の旅路ですね。

私たち一人ひとりは、自分が教会の門をくぐるに至るまでの、あるいはイエス・キリストを信じるに至るまでのその歴史というものが必ずあります。――それをよく証しと言いますけれども、
なぜ一体自分は信仰を持つに至ったんだろうか?それは何年経っても忘れることができない、自分の信仰の旅路。
その信仰の旅路を、また何度も何度も繰り返して今の私たちがいるんですけれども。

7節〜8節を見てください。彼らの信仰が書いてあります。
ちょっと私(藤本牧師)が7節を読みますので、皆さんが8節を読んでみてください。

7そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
8そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」

最後に「私も行って拝むから」と言ったのは、時のユダヤの王ヘロデです。彼がエルサレムに住んでいました。
このヘロデ王の所に行ったら、救い主の生まれた場所がわかるに違いないと思っていた東方の博士。
そして、ヘロデ王は、「行って拝んで来てください。私も後から行きますから。行って拝むから」と言ったヘロデは現れることはありませんでした。
救い主の誕生、新しいユダヤの王の誕生なんていうのは、自分の王としての地位を怪しくするものだと(決して喜べないのでした)。

ヘロデという人物は、苦労して苦労して王になりました。
それがゆえに猜疑心の塊のような人物でありまして、彼は自分の妻を疑い妻を殺します。自分の娘も疑い、娘も殺します。
ですから、「行って拝むから」と言っても彼は決して行かない。
代わりに、しばらく経ってから、その地域に生まれた男の子、二歳以下の子どもたちを皆殺しにするという残忍なことをいたします。

生れたことを知っていながら、拝みに行かないのは、何もヘロデだけではありませんでした。
この事を突き当てた律法学者もそうです。4節を見てください。調べに行く――

4そこで、王は民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
5彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです……」

調べたこの律法学者たちも出かけては行かないんですね。解っていても、自分の囲われた環境から出ることはしない。

私たちが自分の人生に、様々な疑問を持っていたとしても、今の自分の人生を方向転換するとか、何らかの変化をもたらすことを私たちは嫌いますね。
「イエス・キリストを信じる」と言った時に、自分の人生がそのまんま進んで行って、「キリストを信じる」という信仰がちょこっとだけくっつく。
いやむしろ自分の生き方のもう一つのエンジンとして、推進力を与えてくれる力として「キリストを信じる」というのが、割と多いんじゃないかと思いますね。

そのようにして洗礼を受けて、どこかで私たちは突き当たる。
それは、私がキリストを連れて生きているのではない。
キリストが私たちの前に立ち、私たちを導き、私たちを守り、私たちをきよめ、私たちを正し、私たちを励まし、あ、実は自分の人生の旅路の先頭にキリストはおられるんだ。
後ろにキリストという神のエンジンをくっつけて推進しているのではないんだということに、私たちはどこかで気づく――それもまた信仰の旅路ですね。

それに気づいた時に、人生は次々に変えられて行く。私たち自身も変えられて行くことをよしとする。
だからこそ、ここに出て来る律法学者や祭司長のように――解るには解ったけど信じない――のではなく、むしろ――真理によって変えていただきたい――という思いを自分の内側に大きくするんですね。

さて、2番目に――東方の博士たちは色々調べてもらって、さらに9節――

9彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。

という「その上」というのはどこでしょうか?「その上」。
星が彼らを先導し、そしてついに幼子のおられる所まで進んで行き、「その上」にとどまった。
ま、天の星ですから、なかなか地上の一点を指すのは難しいのかもしれませんけれども。

マタイの福音書とルカの福音書では、クリスマスに出て来る登場人物もちょっとこう違います。
ルカの福音書では、その夜、野原で羊を飼っている羊飼いたちが礼拝に来ます。
で、話をつなげて考えてみると、もしかしたらこの東方の博士は羊飼いの後に来たんじゃないかと、こう思われれば――世の中で見るイエス・キリストの誕生シーンというセットがありますけれども――それは馬小屋に羊飼いたちがいて、そしてラクダ3頭に乗った三人の博士たちがどうしてもそのシーンの中にはいますけれども。

でも一般的に言われているのは、その日ではなかったのではないか。
つまりキリストが、マリヤさんとヨセフさんの間に生まれ、そしてすぐには移動できないので、ベツレヘムの粗末な家を借り、そこに滞在している時に、東方の博士が来たんじゃないかと言われています。
しかし、それもまた定かではないです。

一つ言えることがあるとすると、この世の救い主イエス・キリストはヘロデのような王宮で生まれたのではないということです。
あまりにも似つかわしくない状況で、粗末な家へと星によって導かれる。

それは私たちの人生も似たような所がありまして、イエス・キリストを信じ礼拝し、教会で祝福を受け、そして自分の行きつく人生の果てがとっても祝された、輝かしい、豊かな、ま、例えて言うならば老後。
でも星によって導かれた私たちの人生は、必ずしもそのようなところに行くとは限らないですね。
尤も豊かな老後を迎えたとしても、最後は寂しくホスピスで亡くなる場合もあるわけですけれども。
星によって導かれて来た、イエス・キリストの光によって導かれて来た人生が、必ずしもハッピーエンディングの所で終わるわけではない。

ごめんなさい。今日、T兄が来ておられますけれども、兄弟はマラソンを始めたきっかけは、病気のリハビリで歩いたからですね。
三年連続、切った(笑)。身体の一部を三年連続切って、三年連続入院する。
「三度あることは四度あるんじゃない」(笑)って言うT兄に会う度に、「次は何だろうね」みたいな(笑って会話もしました)。
兄弟はそれを振り切るために、ひたすら歩いた。朝1時間歩く時もあれば2時間も歩く時もある。
そのうちにあれだけ歩いていると、走りたくなるんでしょうね。
私たちもT兄に言いました。「T兄、あんまり歩きすぎるから、また病気になっちゃうんじゃないの?」(笑)
ま、目まいから始まりましたので、苦労して歩いたんだろうなぁと思いますが。
そのようにして、(フルマラソンで、出場者が1万3千人越える中)栄光の7百何位のマラソンランナーの背後には、三年間の病気漬けの人生があったという(これも信仰の旅路であり、証しです)。

2)星に導かれて、ま、(たどり着いたのは)馬小屋ですね。

私(藤本牧師)はこのクリスマスのストーリーが一番好きです。
星に導かれるなんていう人生はまずないですから、それは余程の祝福に違いない。
しかし余程の祝福と確信をもってたどり着いた、それがここか?!っていうんですね。

ま、あんまり人のことを言っちゃいけないんですが、今はマンションが建ってますが、すぐそこにTホテルがあった。
昔高津教会でお招きした講師の先生方はTホテルに泊まってくださったこともあるんですが、それはそれはさびれた、と言うと申し訳ないですね。
この教会を建て替える時に、Tホテルのホールを使いまして、そのホールで私たちは礼拝をしたんですね。すぐそこでね。
本当にありがたい存在で、ここで結婚式がある時には、駐車場を使わせてもらったり。

でもある時、家内がちょっとその辺を歩いていましたら、旅行鞄を下げたご夫婦が、Tホテルに向かって歩いて行かれるんですよ。
そして、「あ、間違いなくあそこだなぁ」と。そして、夫婦がため息をついて、「ほんとにあそこに泊まるのか」(大笑)ってがっかりしていた様子を、家内が見て報告してくれました。がっかりです。

東方の博士たちは、そういう思いで星に導かれ、それ以前はヘロデの王宮の律法学者たちに、念入りに調べられて、そしてベツレヘムだと。
そして、星に導かれて、星がまさにそこでとどまった。まさにそこだ、そこから一歩も動くなという形で、彼らは確信を得て、よ〜く見ていたら、「本当にここかよ?」という位、馬小屋であり、あるいは粗末な家であった。

私たちの教会にM姉がいらっしゃいますが、姉妹はもう50代前半に天に召されたF姉という方に導かれたんですね。
F姉は高津駅のすぐこちら側で美容室をやっておられて、私(藤本牧師)はいつもF姉に――ま、その当時はもう少し生えていましたから(大笑)――いつも(頭髪を)刈ってくださいました。ヘアカットしてくださいました。

ある日、椅子に座ったら、
「先生、先生、相談があるんですけれども、大阪に引っ越した私の友人がいる。その姉妹がとてもキリスト教のことに関心を持っていて、どんな本を贈ったらいいんだろうか、どんな教会を紹介したらいいんだろうか、先生どう思います?先生、手紙を書いてくださいません?」とか言いますので、
「いやいや、それは全部無理ですよ、Fさん。その方を教会に連れて行こうと思ったら、あなた自身が大阪に行って、その方を導かなければ」と。
「でも先生、私が直に行ったら、きっと疑うに違いない(笑い)。ね、教会に連れて行こうと」
「だから、そこはごまかすんだよ。Fさん(大笑)。ごまかしゃあ、いいんだよ。『ちょうど大阪を通って、ここのそばを通ったから、Mさん、あなたに会いに来た』という風に言えばいいじゃない。そしてちょうど近くに教会があるから(笑)、『近くの教会に行こう』って教会に連れて行ったらいいじゃない」
そしてFさん、頑張って教会に連れてったんですけれども、それで、水曜日の祈祷会だったかな、私がFさんに
「どうだった?Fさん」と聞いたら、Fさんは心配そうな顔をして
「う〜ん。あれで大丈夫だったんだろうか?と思うんです」

それは、連れて行った教会がちょっと教会らしくなかった。
普通の家をちょっと改良したような教会で、Mさんはああいう教会でない方がよかったのかもしれないと。
でもF姉は、それから先、他の教会も連れて行き、最終的にMさんは、小さな教会、そして家庭的な教会でゆっくり先生と話がしたかった。
「あぁ、よかったねぇ。やっぱ、星に導かれて、その小さな教会でよかったんだよ」

ここに出て来る東方の博士の礼拝というのは不思議ですよ。
つまり馬小屋かもしれない。ベツレヘムの粗末な家なのかもしれない。
でもそこに彼らは何とも言えない霊的な光を感じたのです。霊的な光を感じた。
それは世の中の豪華な宮殿にはないところの、真実な光、温かさというものを彼らは感じたからこそ、ず〜っと大事に持って来たその贈り物を全部捧げてしまうんです。

私たちだったら言うでしょう。「とりあえず一つでいいんじゃない。今回は。もしかしたら違うかもしれないから、もうちょっとベツレヘムを回って……」(大笑)ね。
でも、彼らには確信があったんですね。ここに違いないと。
ですから、持って来た黄金、没薬、乳香というこの三つの捧げものを全部捧げてしまう――それほど彼らには確信があったんですね。

私たちの一年の旅路の中で様々な場面があるに違いない。
それが馬小屋のような、あるいは質素な家のような場面もあるに違いない。
でも私たちはこのクリスマス、どんな場面であったとしても、そこに霊的な光を見出し、主の恵みにあずかるために私たちは礼拝をするんです。

いのちのことば社から出ている書籍に、「とっておきのクリスマス」というのがあります。
その中に色々な話が載っているんですが、「戦場のクリスマス」という話があります。有名ですね。
第一次世界大戦が始まったばかりの頃で、それはクリスマスの時期だった。
フランスの平原に塹壕を作って、ドイツ軍とイギリス軍が戦うという場面ですね。

塹壕から打ち合い、寒い冬の時期に泥まみれのイギリス軍の兵士は、塹壕の中で、国王から届いたクリスマス・カードを開きます。
100メートル先のドイツ軍の塹壕の中で、ドイツの皇帝から送られて来たクリスマス・メッセージを同じように兵士は開くわけですね。
兵士たちは寒さに震えながら、祖国や家族のことを考えます。

その時、第五スコットランドの銃撃隊の見張りが、向こう側からいつもとは違う音が聞こえてくるのを耳にした、という話なんです。
「♪シュティーレ・ナハト、ハイリーゲ・ナハト」
「きよしこの夜」の、あのメロディーですね。

見張りの兵士は、自分も同じ讃美歌を、「♪サイレントナイト、ホーリーナイト」と歌い始めると、いつの間にか英国軍の方は大声で賛美をしていた。
もう一人の兵士が見張り小屋に潜り込んで来て、そして一緒に歌い始め、やがてドイツ兵もイギリス兵も声を合わせて、「きよしこの夜」を歌うという話です。
一人のイギリス兵が双眼鏡で見てみますと、暗闇の中に、あちらの塹壕の所にろうそくの火が灯っていた。

クリスマス・イブが明けますと、両方の塹壕に「メリー・クリスマス」という字が書かれた旗が上がります。
そして25日の朝、両軍の兵士は、一人また一人と塹壕から出て来て、握手をし、家族の写真を見せ合ったり、飴玉やたばこを交換します。

しかし、それもそこまでで、事態を憂慮した上官たちが、兵士を塹壕に戻し、また発砲の再開ですね。
「我々は戦うためにここにいるんだ。クリスマスを祝うために来ているんじゃない」と。

これは、私たちの師走の忙しさもそうですね。
クリスマスを祝うっていうことが何か時間的に惜しい位、私たちは忙しいかもしれない。

兵士は命令に従いました。歴史が示すように、この戦争で、ドイツもイギリスも多くの若い者を失いました。
しかし僅かですが、生き延びた兵士たちの中に、この記憶があったわけです。最前線で迎えたクリスマス。
クリスマスの日、わずか数時間、彼らは――イギリスの国王でもドイツの皇帝でもない――仕えるべきは私たちの救い主、平和の君と呼ばれるイエス・キリストなんだということを、もう一回心に刻みたかった。
刻むことが彼らのいのちだった。そしてイエス・キリストを礼拝した。

そう考えますと、私たちもかつて病院で、家族が病院に入院し、そこで(礼拝を)守ったクリスマスもあったんじゃないでしょうかね?
受験生をかかえながら一生懸命子どもを塾に送った、そういうクリスマスもあったに違いない。
いったい私たちはどんな思いで今年のクリスマスを過ごしているのか?
あるいはこれまでどんな思いで過ごして来たクリスマスがあるのか?ですね。
毎年、私たちは東方の博士のことを思い出す。
遠い国から星に導かれて旅をし、たどり着いたのが馬小屋のような状況であったとしても、粗末な家のような今日であったとしても、たどり着いたのは最終的にイエス・キリストのもと。

私たちのために身を低くし、ご自身の栄光を捨て、飼い葉桶のような汚い私たちの心に、その身を横たえてくださることをよしとされた、イエス・キリストに出会う、その瞬間、東方の博士の心はきよめられたに違いないです。感動と共に、きよめられたに違いないです。
彼らは幼子キリストを礼拝し、自分たちの持てる最善の宝を捧げた。
主よ。私の心もきよめてください。私の心の中にも入って来て、今年のクリスマスにも霊的感動をお与えください。

☆お祈り――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、今年の一年間も様々な出来事があり、また振り返ってみますと、私たちのクリスマスにも様々な年がありました。今年もそうです。でもそれを迎える度毎に、私たちはあなたに祈ります。

東方の博士が拝して礼拝したように、私たちも最善のものをあなたに贈り、この身を投げ出して、拝してあなたを礼拝いたします。どうか私たちをきよめてください。

質素な家、汚れた飼い葉桶に、あなたご自身が入って身を横たえてくださったように、私の心の中にも入ってくださり、私の心をきよめてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。


掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2016.12.12 - 14:12
LAST UPDATE: 2016.12.12 - 14:29

175.133.12.55 - Mozilla/5.0 (Windows NT 6.3; Win64; x64; Trident/7.0; MALNJS; rv:11.0) like Gecko

Name   E-Mail   Password

 前文 みことばと共に行くアドベント2016第4週
 次文 みことばと共に行くアドベント2016第3週
文章投稿 *^^*削除修正返答を書くリスト

チェックされた全文書を見る
281Simple view *^^*12/18 待降節第四主日:主は私を覚えていてくだ... [1] T・Y 2016.12.19 9585
280みことばと共に行くアドベント2016第四週辛島先生.pdf [241 KB] ダウンロードSimple view *^^*みことばと共に行くアドベント2016第4週 T・Y 2016.12.16 9016
279現在参照中の文章です...12/11 待降節第三主日:やさしい出会い(9)馬小... T・Y 2016.12.12 8841
2782016年アドベント3週松村先生.pdf [206 KB] ダウンロードSimple view *^^*みことばと共に行くアドベント2016第3週 T・Y 2016.12.11 10147
2772016アドベント(2).pdf [419 KB] ダウンロードSimple view *^^*みことばと共に行くアドベント2016第2週 T・Y 2016.12.06 8887
276Simple view *^^*12/4 待降節第二主日・戸塚神学生:支え合いの恵... T・Y 2016.12.05 9432
275Simple view *^^*11/27 待降節第一主日・聖歌隊礼拝:出会ってよ... T・Y 2016.11.28 10216
2741週みことばと共に行くアドベント2016第.pdf [617 KB] ダウンロードSimple view *^^*みことばと 共に行くアドベント2016第1週 T・Y 2016.11.28 9071
273CCF20161121_00000.pdf [1.5 MB] ダウンロードSimple view *^^*聖宣神学院・第4回冬のリトリートのご案内 T・Y 2016.11.21 9271
272Simple view *^^*11/20 やさしい出会い(8)恐れないで、信じ続け... [1] T・Y 2016.11.21 11219
271Simple view *^^*11/13 やさしい出会い(7)わたしの心だ マタ... T・Y 2016.11.14 8411
270Simple view *^^*11/6 献児式、幼児・児童祝福礼拝:戸塚神学生の聖... T・Y 2016.11.07 9566
チェック項目を全て削除。 チェック項目を全て削除。

前頁 次頁
本頁が先頭ページです前へ戻る 41  42  43  44  45  46  47  48  49  50 次へ進む本頁が最終ページです
文章投稿 *^^* 再読込
投稿者氏名を検索項目欄に追加/除去タイトルを検索項目欄に追加/除去内容を検索項目欄に追加/除去 メイン画面に戻る。... *^^*