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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   6/2 神の人モーセ(37)栄光を見せてください 出エジプト33:17〜23
☆聖書箇所         出エジプト33:17〜23

 17【主】はモーセに仰せられた。「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名ざして選び出したのだから。」
18すると、モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」
19主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、【主】の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」
20また仰せられた。「あなたはわたしの顔を見るこことはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」
21また【主】は仰せられた。「見よ。わたしのかたわらに一つの場所がある。あなたは岩の上に立て。
22わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおっておこう。
23わたしが手をのけたら、あなたはわたしのうしろを見るであろうが、わたしの顔は決して見られない。」

☆説教          栄光を見せてください。

今日はモーセの学びに戻っていただいて、出エジプト記の33章を見ていただきました。「神の人モーセ」と題して、37回目「あなたの栄光を見せてください」。33章の18節に出てまいります。

18すると、モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」

場面はずっと一緒に学んでまいりました。
モーセがシナイ山で十戒を受け取っている間に、民はすでに金の子牛の偶像を造って、その周りを踊って神さまに背を向けてしまいます。
神さまは民の信仰の薄さに呆れて、この民を退けてしまおうと思われた。その間にモーセが入ってとりなしをしているというのが、32章33章でございました。

モーセは神さまにせっつきます。なんとか私たちと共に行ってください、と。
神さまはモーセと共に行ってくださることを約束してくださいました。それでもモーセは納得できずに、私とだけでなく、私たちと共に行ってください――16節「私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって」――と、“私たち”ということばを強調します。

私と一緒に行くだけはでない。この民全体と共に行ってください。
その願いが叶えられた時に、その時、モーセは大胆に神さまに願い出ます。それが18節の――

18すると、モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」

どうか、あなたの栄光を私に見せてください――神さまの栄光ですよ。そんな突拍子もない願い、モーセならではの、信仰者として大変次元の高い願い、そんな願いを私たちはするでしょうか?もちろんします。
聖書の中にも、日常の私たちも、普通に私たちはモーセのように願います――あなたの栄光を見せてください。

ヨブという人物は、自然災害によって、また犯罪被害者になることによって、財産すべてと7人の子どもの命を失います。そのヨブは神さまに何度も何度も訴えます。――どうか、私に答えてください。どうか、御顔を私から退けないでください。どうか、あなたの顔を見せてください。黙ってないでください。何とかしてください。

ヨハネの福音書で、イエスさまの弟子ピリポがイエスさまの所に来て、お願いします。「神を見せてください。そうすれば満足します」(ヨハネ14:8)。
「神を見せてください。神の栄光を見せてください」と言うのは、あたかも特殊なものの言い方であるかのように思いますけれども、もう少し砕けて言うならば、「あなたがおられ、あなたが私のすぐそばにおられることを私に見せてください。それを実感させてください」。そうすれば満足します。

神さまはお嫌いになる人物のそばにはいません。神さま、あなたが私を愛してくださるというのであれば、私の祈りに答え、あなたの栄光を私に見せてください。あなたが私のことを見ていてくださる、導いてくださる、愛してくださる、守っていてくださる、そのことを見せてください。そうすれば納得します。

モーセの願いは決して高次元の願いではなく、私たちに共通した願いです。
3つのポイントで簡単に見ていただきたいと思います。

1)神さまは私たちに栄光を見せてくださいます。

19節を一緒に読んでみたいと思います。

19主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、【主】の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」

わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせる。そして、わたしはあなた(の前)に宣言する――誓う、約束する。
わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ――というのは、だれもわたしを邪魔することは出来ない。わたしがあなたを恵む、わたしがあなたをあわれむと決めたら、絶対に恵み、あわれむ。わたしのことを邪魔するものはいない。絶対的に決定的にあなたを祝福する。

私たちは、割と簡単に想像します。神さまという方がおられるとしたら、この方は私の生き方を規定し、私の思いを縛り、ご自身の御心に服従させることを願っておられると。つまり、まるで神さまの僕、もう少し言い方を変えますと、奴隷であるかのように、私たちが神さまを恐れ、神さまに服従することをきっと願っておられるに違いないと。

もちろん神であるお方は、私たちを創造され、私たちを贖われ、ご自身の民となさるわけですから、そのように私たちの行くべき道を規定されますでしょう。
しかしそれ以前に、きちっと覚えておかなければいけない大前提があります。その大前提はここにありますように、19節「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ」そしてあなたの前に宣言する。「わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ」。

神さまはイスラエルを私たちを、ご自身の元に召してくださった、招いてくださったのは、私たちに恵みを示し、私たちをあわれむためです。そしてご自身のあらゆる善を、私の人生の前に通らせる。

「よく走馬灯のように記憶がよみがえった」と言います。調べないと、“走馬灯”って何だろう?って思われる(大笑)かもしれませんが、……(影絵が灯篭の中で)回るやつでしょう?
よく言いますよね。死にかけた時に、走馬灯のように、自分の人生が見えたと。
そんな一瞬にいろんなものが廻るのかと思いますけれども、もし私が記憶の中で、走馬灯のように何かが廻るとしたら――神さまが仰った「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ」(というのは)――きっとそれは試練の時期だったかもしれない。それはきっと自分が大変迷っていた時期なのかもしれない。
しかし振り返ってみると、あの試練の中でも、あの出来事の中でも、神さまのあらゆる善が込められていた。

聖書の中で、私たちが最も親しんでいる聖句に、ロマ書の8章28節「(神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、)神はすべてのことを働かせて、私たちの益としてくださることを、私たちは知っています」(があります)。
「すべてのこと〜」というのは、不慮の出来事も、不測の事態も、人の悪意も、私自身の失敗でさえも、すべて働かせて、それを益に変えていってくださる。

私たちは神さまの僕として召されたわけではない。それは良く覚えておいた方がいい。私たちはイエス・キリストの友として召されたのです。
それは礼拝に来る度に、一番最後に祝祷の中で「主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の親しき交わりが、今より後とこしえまでも私たちと共にありますように」と祝福の祈りを聖書から(***Uコリント13:13など)いたしますけれども、そこに出てくることばを見たらよく解りますでしょう。
「主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、そして聖霊の交わり」ですよ。交わりというのは、友と友が親しく交わる交わりが、今から後とこしえまで私たちと共にありますように、(と神さまが私たち神の民を祝福してくださっているのです)。

イエスさまは仰いました。わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。それが神さまの本質的な方向性であって、別に私を奴隷として従え、私を監督し、私を隅から隅まで追求するために神さまは私を召されたのではない。これがまず第一点、覚えておいていただきたいと思います。

2)そうとは言え、神さまが恵み、神さまがあわれまれる方法は神さまがお決めになる。

私たちでは決めることは出来ないです。21節――

21また主は仰せられた。「見よ。わたしのかたわらに一つの場所がある。あなたは岩の上に立て。
22わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおっておこう。

特殊な方法です――岩の上に立て。わたしの栄光を通り過ぎさせる。わたしはあなたを岩の裂け目に入れる。わたしが通り過ぎるまで、この手であなたを覆っておこう。

神さまはモーセに仰いました。わたしはあなたにわたしの栄光を見せる。しかしその方法はあなたではない、わたしが決めると。

皆さん、どういう形で神さまの栄光を見たことがあります?あるいはどういう形で、神さまがそのすべての善を通らせてくださったと思います?

私は以前神学校で学生だった頃に、かなり高齢の組織神学の先生がこんなことを、こんな形で神さまの恵みを受けた、と授業で話してくださったことを今でも覚えています。
当時まだ飛行機が喫煙席があった時代です。まぁ、全部禁煙席になったのは、ごくごく最近です。

その先生は禁煙席に座っていた。
ところが客室はかなり閑散としていて、後ろの方に座っていた喫煙の男性が、前の方に席を見つけて、彼と通路を挟んだ2つ前に座った。席はいくらでも空いているわけですから。そして、そこでタバコを吸い始めた。

先生はスチュワーデスを呼んでここは禁煙席なのだから、何とか止めてもらおうと(頼む)。
スチュワーデスは、わかりましたと言って、そのかなり恰幅のいい、まぁオヤジですよね、オヤジの前に行って「あの、ここは禁煙席ですから……」と言い始めるのですけれども、その男性は全く席を立つそぶりがない。「隣だれもいないじゃん、別にいいじゃない」と言うのですね。

それで、スチュワーデスは申し訳なさそうに牧師の方を見て、お手上げです、という表情をするのですね。それはなんとも新米の、きれ~いな若い女性だった。
それでスチュワーデスは、そのカートを持ってきて、飲み物を配り始める。先生は思ったのですね。あんな弱腰の対応だったら、これからこの人はスチュワーデスをやっていけるのだろうかと、イライライライラしながら、その前でタバコをふかしている男性を見ていた。

そうして、スチュワーデスがカートを持って来て(飲み物とスナックを)運んでいたところ、ちょうどその男性の所に来た時に、その瞬間、飛行機がエアポケットに入った。ストーンと飛行機が落ちた。
そしてカートにあったオレンジジュースだの何だのが、全部その男性にかぶった(大笑)。そしてその次の瞬間、その若〜い可愛いスチュワーデスは一瞬飛び上がって、自分のひざの上に乗った(笑)。

その先生は、こんないい思いをするとは(大笑)……。神さまはそばにおられるということを、人はどういう瞬間に実感するかわからないよと(大笑)(言われた)。なるほどそうかもしれない。

私たちは「神さま、あなたの栄光を見せてください」と言うモーセの願いは崇高な願いなのです。私たちの願いはチビた願いかもしれない。でも「神さまの栄光を見せてください」という思いは、実は私たちはチビているかもしれないけれども、割と普通に味わうのです。
でも覚えておかなければいけないのは、神さまが仰った「わたしはわたしのあらゆる善をあなたの前に通させる。しかし、その方法はその時々に応じて、わたしが決める」(ということ)。

聖書のメッセージはそれに満ちていますでしょう?
ちょっと後ろの方なのですが、T列王記というところを開いていただきたいのです。詩篇の少し前になりますね。
19章にエリヤという預言者が出てきます。ま、状況は話しませんけれども、一言で言うと、エリヤはほとほと疲れていた。あまりに疲れていて4節――

4自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「【主よ】。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」

彼が意識した先祖はモーセです。
神さまはエリヤに仰いました。8節――

8そこで、彼は起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた。

神の山ホレブというのは、モーセが登っていったシナイ山です。
エリヤの願いは一つです――神よ。あなたの栄光を見せてください。
11節から読んでいきます。

11【主】は仰せられた。「外に出て、山の上で【主】の前に立て。」すると、そのとき、【主】が通り過ぎられ、【主】の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に【主】はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも【主】はおられなかった。
12地震のあとに火があったが、火の中にも【主】はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。
13エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入り口に立った。

(11節は)モーセと同じですよね。神さまはモーセに「岩の上に立て。わたしは通り過ぎる」と仰った。
エリヤはモーセと自分を重ねている。つまり出エジプト記の33章と自分自身の今の現状を重ねているわけです。
神さまはきっと栄光を見せてくださるに違いない。岩の上に立つか、山の上に立つか、でも神さまは通り過ぎる。

でもエリヤがここで味わったことはいったい何か?神さまは地震を起こすことも、大風を吹かせることも、火を起こすことも、神さまにはおできになる。神さまはこうした現象の中に、ご自身をおかなかったということですね。
神さまが起こされた現象です。でもエリヤは、何回も言っていますよね――神はそこにはおられなかったと。

そして神さまはご自身の栄光をおかれたのは、なんとエリヤが聞いた小さな細い声だった。どういう声かわかりません。おそらくエリヤを呼ぶ声でしょう。自分自身、神さまから呼ばれている小さな細い声の中に、神さまの臨在を感じた。

私たちはだれもが目に見える大きな現象に弱いものです。そして、それを神さまの栄光と思います。
たとえば教会の働きが大風や地震のような現象を伴って躍進していれば、神さまはここにおられると簡単に喜びます。
逆に目に見えるような結果が即その場で現れていないと、神さまの栄光がないかのように私たちは感じてしまう。

でもご自身の栄光を見せる方法は神が決められるということです。
そして神は「わたしのすべての善をあなたの前に通らせる」と約束されたのですから、今の私のさまざまな人生の困難・苦難の中でも、神の善は私の前を行くのです。

私たちは神の栄光に驚くかもしれない。しかし神の栄光というのは、神の善です。神がなさるさまざまなあわれみや、さまざまな恵みの形を取って、私たちの前を通り過ぎていくのです。

3)憐れみ深い神さまは、私たちを御手で覆っていてくださる

さて、3番目、もう一度出エジプト記の33章に戻ってください。私が21節を読みますので、皆さんが声を合わせて、22節を読んでください。33章の21と22を交読いたします。

21また【主】は仰せられた。「見よ。わたしのかたわらに一つの場所がある。あなたは岩の上に立て。
22わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおっておこう。

味わい深いのは、「この手であなたを覆っておこう」(22節)。
もちろん神さまの直接的な栄光に触れれば、モーセは死ぬでしょう。だから手で覆っていてくださるのですね。あわれみ深い神さまは、私たちを御手でおおっていてくださる。

「わたしは確かにあなたのそばを行く。わたしは確かに、その手で触れるぐらいの距離であなたの前を通る」。でも罪深い私たちがその聖なる(神の)栄光を見ても、なお生きていることが出来るように、「わたしのあわれみの手であなたを覆う」(と神は仰る)。

私たちが聖餐の恵みにあずかるときに、これがイエス・キリストの十字架の上で裂かれたからだであり、十字架の上で流された血潮であると言われれば、私たちは思わず飲まない方がいいんじゃないかと(思う)、これが普通ですよ。とてもじゃないけれども、もしこれがそうなら、私たちは飲まない方がいいんじゃないか。
しかし主は十字架の御手をもって、私たちを覆ってくださる。そして(私たちが)その祝福にあずかることを許してくださる。

私たちが自分の罪深さに打たれるとき、今日のような日は礼拝に行かない方がいいんじゃないかと思うのが、自然の発想ですよ。
でも礼拝に招かれ、同時に罪深さを感じている日であればあるほど、主のあわれみの手は私たちを覆い、その聖なる威光を、あわれみの手の隙間から見ることを許してくださる。
たとえて言えば、いきなり太陽を見ることはできないかもしれない。でも、もしその手が私たちを覆ってくださるなら、私たちは神の後姿を見ることはできるに違いない。

福音讃美歌の134番を歌って、お祈りをしたいと思います。よく知っている賛美歌で、英語のタイトルはBeneath the Cross of Jesus――これは以前(歌っていた、インマヌエル讃美歌37番の「十字架のもとぞ」の3節ですが――)

♪十字架の陰に我は立ちて、御顔の光を絶えず求めん、
    この世のものみな消ゆるときも、くすしく輝くその光を

「十字架の陰に我は立ちて」というのは、主の御手に覆われて、御顔の光を絶えず求める。(恵みを主の栄光を仰ぎ見ることが許されるのです)。

福音讃美歌134番(「十字架のもとに」)の4節に、その味わいが出ていると思います。私たちはいつも、主の栄光を見せてくださいと、求める信仰者になりたいと思います。

いつでも主の栄光を求める。小さなことも大きなことも。
それはもしかしたらモーセのような、崇高な願いではないかも知れない。
でもあなたがおられ、あなたが私を愛しておられ、あなたが私のすぐそばにおられることを私に実感させてください。
だからこの宝くじを当ててくれというのではなくて、(笑)実感させてくださいなのです。

時に病気がなかなか治らないかもしれない。時に痛みがなかなか取れないかも知れない。でもあなたがすぐそばにおられることを実感させ、あなたのすべての善を私の前に通り過ぎさせてください。
私はそれにふさわしくない者です。ですから、私は十字架の陰に立ちます。
十字架の御手をもって私を覆い、その上で、あなたの栄光を実感することができますように。

4節の歌詞はこうです。
♪十字架のイエスに つねに頼り 御顔の光を ただ求める
 この世の物みな 過ぎゆかせて ただ主の栄光 仰ぎのぞむ 

(福音讃美歌の)134番の1節から4節まで賛美して、味わいながら賛美して、短くお祈りして終りにいたします。

1十字架のもとに 私は立ち 日ごとの重荷を すべて降ろす
 心をやすめる 憩いの家 焼けつく日ざしを 逃れるかげ

2主の十字架こそ 父の神の 正義と愛との 出会うところ
 みもとに導く 救いの道 ヤコブの夢見た 天のはしご

3十字架の上の 主のみ姿 苦しみ死なれた 救い主よ
 罪あるこの身は 涙にぬれ 主イエスの救いと 愛を歌う

4十字架のイエスに つねに頼り 御顔の光を ただ求める
 この世の物みな 過ぎゆかせて ただ主の栄光 仰ぎのぞむ

☆お祈り

「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、【主】の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」(出エジプト記33章18〜19節)

父なる神さま、恵んでください。あわれんでください。あなたのすべての善を私の前に通らせてください。私たちのような者はあなたの御顔を拝することができません。でもイエス・キリストの十字架の御手が私たちを覆うなら、その御手の隙間から、あなたの御顔を仰ぎ見ることが出来ます。

何が一番欲しいのかと言われるなら、神さま、あなたの恵みであり、あなたの栄光です。
小さなことでも大きなことでも、あなたは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむと約束してくださったのですから。

どうかあなたの恵みとあわれみに私たちが気がつき、あぁ、これこそが神の善であった、これこそが神の最善であったと、納得することが出来るような、柔らかな、幅の広い、奥の深い信仰を与えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。


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