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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   6/9神の人モーセ(38)憐れみを見せていただく 出エジプト34:1〜10
☆聖書箇所       出エジプト34:1〜10

1【主】はモーセに仰せられた。「前のと同じような二枚の石の板を、切り取れ。わたしは、あなたが砕いたこの前の石の板にあったあのことばを、その石の板の上に書きしるそう。
2朝までに準備をし、朝シナイ山に登って、その山の頂でわたしの前に立て。
3だれも、あなたといっしょに登ってはならない。また、だれも、山のどこにも姿を見せてはならない。また、羊や牛であっても、その山のふもとで草を食べていてはならない。」
4そこで、モーセは前のと同じような二枚の石の板を切り取り、翌朝早く、【主】が命じられたとおりに、二枚の石の板を手に持って、シナイ山に登った。
5【主】は雲の中にあって降りて来られ、彼とともにそこに立って、【主】の名によって宣言された。
6【主】は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「【主】、【主】はあわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、
7恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」
8モーセは急いで地にひざまずき、伏し拝んで、
9お願いした。「ああ、主よ。もし私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか主が私たちの中にいて、進んでくださいますように。確かに、この民は、うなじのこわい民ですが、どうか私たちの咎と罪を赦し、私たちをご自身のものとしてくださいますように。」
 10主は仰せられた。「今ここで、わたしは契約を結ぼう。わたしは、あなたの民すべての前で、地のどこにおいても、また、どの国々のうちにおいても、かつてなされたことのない奇しいことを行おう。あなたとともにいるこの民はみな、【主】のわざを見るであろう。わたしがあなたとともに行うことは恐るべきものである。
 
☆土居菊子先生のご紹介(***この関連記事は「聖日説教」の方でご覧になれます。)

☆説教       憐れみを見せていただく

さてモーセの生涯から学んでおりますが、だいぶ回数が来ました。まだまだ行くと思いますが、38回目。久しぶりの方もいらっしゃるかもしれませんが、今日はこの出エジプト記34章で、モーセは主のあわれみを見る。主の憐れみを実感していますね。

6【主】は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「【主】、【主】は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、
7恵みを千代も保ち、……

モーセは十戒を受け、また民のさまざまな問題を克服し、シナイ山を出発して、また神さまが示す地へ行こうとしています。
そのとき彼が必死に最後に願ったことばが、33章の18節、

33:18「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」

これを、先週学びました。
それは不思議な体験で、モーセは岩の上に立たされ(21節)、そして神さまの栄光が通り過ぎる時に、岩の裂け目に入れられました(22節)。
そして、聖なる神の輝かしい栄光を見ても、罪深いモーセが滅びることがないように、神さまは御手で彼を覆われました。
モーセは神さまの後ろ姿を見ることができたが、神さまそのものは見ることができなかったという風に記されています。(23節)

22わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおっておこう。

先週の説教では、岩の裂け目に入れられて、御手でおおわれるのは、私たちは十字架で覆われながら、神さまの栄光の座に近づいていくのと同じだという話をいたしました。

33章の最後で、神さまがモーセの上を通り過ぎられたときに、モーセは神さまの栄光を見た。
そしてここ34章で、モーセは神さまの憐れみの深さを見ます。6節をご覧になりますと、同じように、

6【主】は彼の前を通り過ぎるとき、……

同じように通り過ぎられた。33章の最後でモーセが見たのは、神の栄光。
34章でモーセが見たのは、神さまの憐れみ深さでありました。
どのようにして、その憐れみ深さを見たのか?
3つ短く見ていただきたいと思います。

1)始まりは、1節にあります。

1節を、ちょっと一緒に読んでいただければと思います。

1主はモーセに仰せられた。「前のと同じような二枚の石の板を、切り取れ。わたしは、あなたが砕いたこの前の石の板にあったあのことばを、その石の 板の上に書きしるそう。」
 
皆さん、旧約聖書をお読みになって、旧約聖書の中で一番、大切なものはいったい何だったでしょうか? と問われれば、一般的に神殿、でしょうか。
エルサレムの神殿は旧約聖書の中心です。
でもさらに言えば、神殿の前方、垂れ幕の向こう側のホーリー・オブ・ホーリーズ、至聖所と呼ばれる場所がある。神殿の中で一番大切です。
でも、さらに言うなれば、そこに安置されている契約の箱です。

その契約の箱には、何が入っていたかと言えば、それが十戒の板ですね。
すると、ま、十戒の板の他に、モーセの杖と、それから荒野で民を養った天からのマナが入っていますけれども。
旧約聖書全体の中で神さまが栄光をあらわす、その中心に何があるのかと言えば、十戒の板があることは間違いないです。

それほど大切な十戒の板は、神さま御自身の指によって書かれたもの、神さまの御心そのものでした。
たとえば、私たちは聖書をどのように扱うでしょうか?
厚さから言いますと、枕にちょうどいいとか(笑)。
でも、そんなことをするキリスト者はいません。
なぜなら、それは聖なる書物だからです。
皆さんの中には、病院に入院される時に、聖書は読めなくても、テーブルの真ん中にあるいは枕辺に置かれていますね。

三浦綾子さんは、ご自分が初めて聖書を目にした時のことをこう記しています。
それは、1948(昭和23)の秋のことでした。結核の療養中であった三浦綾子さんは、Hという学生と療養所で知り合います。

彼は、短歌を詠み、詩を作り、小説を読む、文学青年でした。
ある日、三浦さんは彼の病室に入って、並んでいた本を見ます。そこには三木清の著作がありました。
ずっ〜と書棚がある中で、一冊、白いガーゼに包まれた分厚い本があったのです。

ちょっと三浦さんのことばを読んでいきますね。

ガーゼは純白だった。
「それ、何の本?」
いぶかしげに問う私に、彼はちょっとはにかんで、
「聖書です」と言った。
その途端、わたしは戦慄に似たものを感じた。単なる文学青年だと思っていた彼を見直す思いであった。
白いガーゼに包まれていた聖書は、他の本とまったく違うことを示していた。彼は三木清に傾倒していたが、その「人生論ノート」は、ガーゼに包まれてはいなかった。彼の胸の中にしめる聖書の位置を私は知った。
聖書を聖なる書物として、敬虔に扱っていた。
「聖書です。」その一言にわたしは脱帽した。

これが三浦綾子さんの初めて聖書を見たときのことですね。

私たちは聖書という出版物を偶像化することはありません。しかし、ことごとく、神のみことばを敬虔に扱おうとします。大切に聖書を扱おうとします。

旧約時代の神の民の中にあって、その膨大な羊皮紙の巻物ですが、その聖書の中で、中心にあったのが十戒です。
そしてその十戒というのは、巻物の形ではなく、そもそもは二枚の石の板に、神さまの指によって刻まれた特別な存在であり、それが神殿の一番奥の一番大切な場所に保管されていた。

その板を、34章の1節を見ますと、「あなたが砕いた」と書いてあります。神さまはモーセにそうおっしゃっています。

すでに十戒の板をモーセは受けていました。
ところがモーセはしばらく自分が十戒を授かるために、シナイ山に登ったときに、なかなか戻ってこない中、麓の民は偶像を造ってお祭りをしていた。
それを見た瞬間に、モーセは憤りに燃え、その憤りのあまり、それを見た時の自分の怒りを、十戒の板にぶつけたのです。そして、それを砕いたのです。

実はモーセは、それについて悔い改めた聖書の箇所はないですね。
モーセはあたかもそれが全部民の責任であるかのように、自分が十戒の板を砕いてしまったことを、悔いている聖書の箇所はない。
でも私(藤本牧師)は、そうは思わない。
彼はものすごく悔いたと思います。

もちろん、罪を犯したのは民であります。
しかし、旧約聖書の中で、イスラエルの歴史の中で最も尊いとされ、神の栄光そのものであった板を砕いてしまった自分というのは、その力を彼はどういう風に受け止めたのだろうかと思うのです。
彼はとんでもないことをしてしまった(と悔いたことでしょう)。
神さまはあっさりと、1節で(民を赦し、そしてモーセをお赦しになり、)こうおっしゃいます。

1「前のと同じような、二枚の石の板を、切り取れ。わたしは、あなたが砕いたこの前の石の板にあったあのことばを、その石の板の上に書きしるそう。
2朝までに準備をし、朝シナイ山に登って、その山の頂でわたしの前に立て。

神さまはモーセに仰いました。「もう一度やろう。山に登って来なさい。モーセよ。もう一度やりなおそう。あなたが怒りをぶつけて砕いてしまった十戒の板を、わたしはもう一度記す」と――これこそが神さまの憐れみです。              

2)6節を見てください。

6〜7「【主】はあれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代に……」

神の裁きは三代、四代、でも神さまの恵みは千代。300倍ですよ。
「【主】はあれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み」という、このフレーズ、聖書の中に何回出て来るか?
(***詩篇78:38、86:5、86:15、103:8、145:8、出エジプト34:6、ネヘミヤ9:17、ヨエル2:13、ヨナ4:2、民数14:18などでしょうか?)
ほとんどが旧約聖書ですが。

このように並んで表示されている聖句は、たとえば、詩篇103篇の8節〜14節に神さまのあわれみ深さが歌われていますので、交読いたしましょう。

詩篇103:8〜14

8【主】は、あわれみ深く、情け深い。
  怒るのにおそく、恵み豊かである。
9主は、絶えず争ってはおられない。
  いつまでも、怒ってはおられない。
10私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、
  私たちの咎にしたがって
   私たちに報いることもない。
11天が地上はるかに高いように、
   御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。
12東が西から遠く離れているように、
  私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。
13父がその子をあわれむように、
  【主】は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。
14主は、私たちの成り立ちを知り、
  私たちがちりにすぎないことを
  心に留めておられる。

神さまは私たちを尊く造られました。
でも私たちは所詮ちりに過ぎない者です。弱く、罪も犯します。人を傷つけます。人に傷つけられます。愚かなことをします。簡単に忘れます。自己中心です。
主はそんな私たちを心に留め、私たちの罪に従って私たちを扱わない。
天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい(11節)。

この8節に「【主】は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである」と出て来ますけれども、このフレーズが一番最初に出て来るのが、先ほど読みました出エジプト記の34章6節なのです。

このことばをモーセは自分自身のこととして実感しました。
モーセはその生涯で、いつどのようにして、神さまのあわれみ深さを味わってきたのか?
本当は殺されるはずでありました。母親がパピルスで船をつくり、そこに赤ちゃんのモーセを浮かべて、赤ちゃんが、水浴びに来た王女の目に止まり王宮に入ります。そこで、ヘブル人の乳母として、なんと自分の実の母親が連れて来られたという、神さまの摂理、奇蹟の話をモーセは小さい頃から聞かされたに違いない。――そこに彼は、神さまの情け深さを感じたことでしょう。

80歳を超えて、自分の人生は遊牧民としてもう閉じる、終わったも同然と思った時に、燃える柴の中から、「モーセ、モーセ」と呼ぶ神さまの声を聞き、モーセはイスラエルの指導者になりました。――それもまた神さまの情け深さだったかもしれません。

しかし、モーセが本当の意味で、神さまの憐れみ深さ、情け深さ、怒るのにおそく、恵みとまことに富んでおられることを知った、見たのは、私(藤本牧師)はこの場面であろうと思います。
それは、単に罪深い民を赦したばかりではない。
自分の憤りを十戒の板にぶっつけて、それを砕いてしまった、その自分に対して、神さまはいとも簡単に、「もう一度作ってあげるよ」と仰った。
神さまからそう言われたときに、モーセは神さまのあわれみ深さがわかったと思います。

3)そして、モーセは9節、こう祈ります。

8節から(読みます)――

8モーセは急いで地にひざまずき、伏し拝んで、
9お願いした。「ああ、主よ。もし私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか主が私たちの中にいて、進んでくださますように。確かに、この民は、うなじのこわい民ですが、どうか私たちの咎と罪を赦し、私たちをご自身のものとしてくださいますように。」

「確かに、この民は、うなじのこわい民ですが」と言うのは、その中に自分も入っているのです。
どうか私たちの咎と罪を赦し、私たちをご自身のものとして、これからもよろしくお願いしますと、こう祈るのですね。

私たちは、(うなじのこわい民です)――依然として、愚かで、頑固で、自己中心な者ですが、私にはあなたのあわれみがよく解りました。
あなたが、怒るのにおそく、あわれみ深い方であるということがわかりました。
どうか、私に示してくださった憐れみを、この民全員に示してください。
あたかも、あの金の子牛を造ったあの偶像の出来事がなかったかのように、もう一度私たちを行かせてください。

私は思います。
神さまに赦されて、さあもう一度とセカンドチャンスをもらったモーセは、人として、信仰者として、指導者として、心の広い人になったのではないかと。

最近、教会のある兄弟が会社ですごく悩んでいる、ということを相談されました。彼の上に、ま、いわば課長クラスの人物なのですが、その人物がどなり散らす。部内はなんとなく冷えた雰囲気で、あたらず触らずで、その彼の上にいる人も気をそらす。
ちょっとした失敗でこういう言葉を発します――「誰が許したとしても、俺は許さないからな」(笑)――そう言うあんたは何者なのだと言いたいですね(笑)。
それからよく出てくることばに、「二度目はないと思え」。

私は彼に、課長の言う「二度とないと思え」はどういう意味か、よく訊いた方がいいよ。それはクビなのか、それはそこで切腹しろという意味なのか(笑)、いったいどういう意味なのかと。   
  
世の中一般では明らかに、それはパワー・ハラスメントでしょうね。だから労務に相談しろと。彼は大企業に勤めていますから、今の日本社会でそういう言葉使いが許されるということは、ちょっと考えられない。

「もう二度とないと思え」――なんて心が狭い、なんて傲慢な、なんて病的な人物だと思いますけれども、しかし、私たちも多かれ少なかれ、そういう部分があるのかもしれない。

人の失敗を見ますと、「ざまぁみろ」とは言いませんけれども、「ほら見たことはない」とは思いますし、そして、自分に対してある無礼があったら、「もうこういうことは、二度とないと思え」という剣幕で私たちは怒りますし、私たちはそれをパワハラだとは思わない。
家族の中で、厳しく自分の子どもや、自分の配偶者に当たることもあるでしょうし、私たちは周囲の者たちの間違いを見逃さない。
一旦間違えたら、二度と間違わないように対応策をよく考えておく。
            
神さまは、モーセに仰いました。
「さあ、あなたが砕いた石の板をもう一度作ってあげよう」
モーセも、広い心で神さまに訴えます。
「確かに、この民はうなじのこわい民ですが、どうか私たちの咎と罪を赦してください」
こうして、モーセもまた民も、再出発していきます。赦されて、赦して、次に進んでいくのですね。

私たちはだれもが、自分が受けた赦しを土台に、自分が受けた情けを土台に、人を赦し、人に情けをかけるのです。
モーセは確かに見た。神さまは私に情けをかけてくださった。私を赦してくださった。であるがゆえに、これから自分もこの民に対して、寛容な態度を取っていこう(と心を決めることができたのです)。

ツール・ド・フランスという世界で最も有名な自転車レースがあります。時々ニュースでやっています。私(藤本牧師)はその世界はあまり詳しくはないです。
ランス・アームストロングという、ツール・ド・フランス切っての英雄がいます。彼は、1999年から2005年にかけて、7連覇した世界的に有名な選手です。

何ヶ月にもわたって、いくつものステージを走りながら、最後、記録を集約して勝敗が決まるのですが、2003年のレースの15ステージで、ランス・アームストロングは、沿道に詰め寄っていたファンのカバンに、自分の自転車のハンドルをひっかっけて転倒するのです。
その時点で彼はトップではなかった。
でもやがて彼はトップに立つ思いで、ずっと、ベスト集団の中にいた。

彼は転倒したときに、すぐ後ろにつけていたドイツのヤン・ウルリッヒは、自分の自転車を止めます。他の選手は止めない。全部行っちゃうのです。
でも、ヤン・ウルリッヒは、アームストロングが起き上がり、自転車をチェックして、再びこぎ始めるまで、自分は走らなかった。
  
最終的には、転んで走り始めたアームストロングが65秒の差をつけて、ウルリッヒを破ってゴールするのです。

転んだ選手のために待っていなさいというルールは、自転車のレースにはない。それでも、規則にはなくても、そういうスポーツマンシップというのが自転車競技の世界の中でないわけではない。
そして、ウルリッヒはそれを実行して、目の前で、あのアームストロングが身を乗り出した沿道の観衆のカバンに引っ掛けられて転んだときに、彼が片手で走るまで自転車を止めて待った。     

それは、2年前のツール・ド・フランスで、ウルリッヒが転倒したときに、彼が起き上がって自転車を立て直し走り出すまで、彼の後ろにいた実はアームストロングが、自転車を止めて待っていたのです。
それに恩義を感じた彼は、アームストロングが転んだとき、自分も自転車を止めたのです。

今まで読んで来た中で、あたかもモーセが十戒の板を受け取るために、シナイ山に登っていたとき、罪を犯したのは民だけで、そしてすべてモーセは、民の罪を背負いながらとりなしをして来たというストーリーをずっと見て来ました。

だけどここで、34章の最初に出て来るこのことばで、改めて私たちはモーセは別に十戒の板を砕く必要はなかった(と気づきますね)。
モーセはあそこから始まっていく自分の抑え切れない憤りを、まず一番最初に十戒の板にぶちまけ、それから金の子牛を砕いて、燃やして、そして水の上に撒き散らして、踊っていた者たちにそれを飲ませて(32:19〜20)、それから何千人と殺しますでしょう(32:27)。

モーセはそれほどの憤りを、内側に秘めていました。その一番最初の発露が十戒の板を砕くということでありました。
でも神さまは、あたかも何にもなかったかのように、「さあ、もう一度、十戒の板を作ろうじゃないか」と(仰いました)。

神さまの情けを知ったモーセは、神さまの憐れみと情けの深さを知ったのです。
神さまは怒るのに遅い、寛容なお方であるということがモーセには解った。
そしてこれから先、モーセは少しでもその神さまの情けに、自分が受けた情けに近づいて生きていこうと決心して再出発をしていきます。

私たちは十字架を見るたびに、自分の心の内にあるイライラ、傲慢さを静めようとする。なぜなら、この十字架は神さまの私に対する情け深さ、私に対するあわれみの印だからですね。

☆お祈り

【主】は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「【主】、【主】は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保」たれる。(出エジプト34:6〜7)

恵み深い天の父なる神さま、もしかしたらこの場面、モーセが神さまのあわれみ深さを深々と感じた場面ではないでしょうか。そしてそのあわれみが民に向けられていたというよりは、自分自身に向けられていました。自分が受けたあわれみを自分の周囲の人に実践していきたい、あぁ、これこそがキリスト者の姿だなぁと思います。

もし私たちが憤りや矛盾に対するイライラ、あせりに心溢れたときに、私の罪のために、あわれみに溢れて十字架を背負ってくださった、あなたの姿を思い出すことができるように助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

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DATE: 2013.06.10 - 21:16
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