☆聖書箇所 ピリピ2:25〜30
25私は、私の兄弟、同労者、戦友であり、あなたがたの使者で、私の必要に仕えてくれたエパフロディトを、あなたがたのところに送り返す必要があると考えました。 26彼はあなたがたみなを慕っており、自分が病気になったことがあなたがたに伝わったことを、気にしているからです。 27本当に、彼は死ぬほどの病気にかかりました。しかし、神は彼をあわれんでくださいました。彼だけでなく、私もあわれんでくださり、悲しみに悲しみが重ならないようにしてくださいました。 28そこで、私は大急ぎで彼を送ります。あなたがたが彼に再び会って喜び、私も心配が少なくなるためです。 29ですから大きな喜びをもって、主にあって彼を迎えてください。また、彼のような人たちを尊敬しなさい。 30彼はキリストの働きのために、死ぬばかりになりました。あなたがたが私に仕えることができなかった分を果たすため、いのちの危険を冒したのです。
☆説教 ピリピ(12)エパフロディト
今日はピリピの手紙の2章の25節、また聖書の講解でありますので、ちょっと聖書をじっくり読んで、なるほどなぁと、2章の論理をもう一度説明いたします。
前回は、19節〜24節のテモテでした。今日は25節〜30節のエパフロディト。 2章は1節をご覧いただきますと――
<ピリピ2:1> 1ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
これは仮定の文章ではなく、これこそが私たちキリスト者の霊的な現実であるという話をしました。 つまり1節が霊的な現実です。 しかし、私たちもそうなんですけれども、この霊的な現実と実際の現実は、ずれます。 それがピリピの教会の問題であり、高津教会の問題ともなるわけです。 ずれている様子が、2節からも汲み取ることができます。
<ピリピ2:2> 2あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。
ということは教会が一つになっていない、という現実でした。 実際の現実と、キリストの福音から受けた霊的な現実が、ずれていってしまうんですね。 3節に――
<ピリピ2:3> 3何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。
とあるように、やっぱり私たちは自分をよく見せよう、あるいは、自分を優先しようという利己的な思いが前に出てしまいます。これが実際の現実です。 そこでパウロは、6節からありますように、キリストの模範に倣うように勧めました。
<ピリピ2:6〜7> 6 キリストは、神の御姿であられるのに、 神としてのあり方を捨てられないとは考えず、 7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、 人間と同じようになられました。
私たちを愛するがゆえにですね。それで5節に――
<ピリピ2:5> 5キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。
昔の訳では「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ」という訳でありました。
さて、そこで、パウロはそのようにして生きている三人の実例を挙げています。 一人はパウロ自身ですね。もう一人が先週見ましたテモテ。そしてもう一人が今朝のエパフロディトです。 それぞれが微妙に「霊的現実を具体化する」という意味では異なっています。 私たちもキリストの愛に生きるという時に、それぞれが違っています。 でもどこかで、こういうキリストの現実を反映してるんだ、ということを覚えてください。 では3つのポイントで行きます。
1)エパフロディトという人に注目したいと思います。
彼は聖書でここでしか出て来ません。 パウロは、この時牢獄に捕えられていました。 自分は殉教するのか、あるいは生きながらえることが短いのか、非常に苦しい状況の中で、 獄中のパウロに、ピリピの教会はエパフロディトを助け手として送ったわけです。 ですから、25節、ちょっともう一回行きますよ。
25私は、私の兄弟(***これはパウロの話ですが、と説明)、同労者、戦友であり、あなたがたの使者で、私の必要に仕えてくれたエパフロディトを、あなたがたのところに送り返す必要があると考えました。
ということは、エパフロディトはピリピの教会からパウロの所に、パウロの必要に答えるために送られて来た人物だということがわかります。 当時の牢獄では、そういう風にしてパウロのもとにしばらく滞在して助けていた、という事実がありますので、そのようにしてパウロを助けにやって来た。
ところがですよ、それが逆に、エパフロディトは健康を害するようになります。 ですから27節に――「本当に、彼は死ぬほどの病気にかかりました。」 大病したという以上に、瀕死の状態であったと。 彼の状況は、病気の現況は、ピリピの教会の人々の所にも届くようになります。 26節に――
26彼はあなたがたみなを慕っており、自分が病気になったことがあなたがたに伝わったことを、気にしているからです。
「気にしている」――つまり、ピリピの教会の人々にしてみれば、パウロ先生を助けるためにエパフロディトを送った。 ところが、その期待に大きく外れて、エパフロディトは病気になった。 助けに行って、逆に助けてもらった。もしかしたらパウロ先生のお荷物になった、という現状は、行ったエパフロディトにとっても心を痛めるような結果になりました。 みんな心配したでしょうね、そんなニュースが来たら。 もしかしたら、パウロ先生はエパフロディトを助けることによって、何かこう内側から力が湧いて来て元気になったのかもしれませんが、
しかしエパフロディトにしてみれば、「自分はピリピの教会から遣わされて、パウロ先生を助けるように来たのに、逆に自分が病気になってしまって先生に助けられた」というのは、これは気持ちはよくわかりますね。 ピリピの教会の人々の期待に応えられなかった。これはお荷物になった。 それを26節にあるように、彼は「気にしている」。 「気にしている」というのは、「相当気にしている」ということでしょうね。
皆さんにとって、そういう体験ってあります? 私は牧師となって33年で、孤独な挫折というのがありました。 一番最初の3年間は、喘息騒動で、ま、妻がいてくれなかったら、私は死んでいただろうなぁと思います。 救急車に二回ですか、夜中ずっと付き添ってもらったこともありましたし、ほんとにひどいことでありました。 人前に話をする仕事に就いたのに、喘息っていうのは、そもそもこの仕事そのものが間違っていたんじゃないかと思う程、ま、絶望の底に叩き込まれたというのですか、 で、やることは全部やったんですけれども、事態は全く改善しなかったところに、あの中央病院で若手の先生が入って来て、 「先生、とりあえずステロイド吸入をやってみませんか?」と。 「もしやったら、日本の患者さんでこれをやった十本の指に入ります」(大笑)みたいなこと言われて、 おお、そうか、そんなに有名になれるのか(大笑)ということで、 私(藤本牧師)はもう藁にもすがる気持ちで、それを始めて29年ですかね、 ステロイドを吸入しない日はないですし、吸入している限りにおいては、絶対喘息は出ないですし、 ま、そういう意味においては自分の人生があの日から変わったなという風に思っています。 それは家族とともに味わった挫折です。
孤独な挫折というのは、それから10年後ぐらいに、私(藤本牧師)は一人でインドの神学校に教えに行って来ました。 外したかもしれませんが、二階のバルコニーにインドの寄木的な絵が掲げてありましたけれども、神学校からお別れでプレゼントをいただきました。 万全の準備をして行きました。日頃から歩いて走って、柔軟をして。 で、田舎の神学校ですから、ほとんど交わりがない中で、自分はどういう風に時を過ごしたらいいんだろうか? 当時出たばっかりのノートパソコンですね。 出たばっかりのノートパソコンって、NECのどれくらいの値段なのか?25万円位しましたよ。 で、MS−DOSを突っ込んでと、ものすごく古典的ですけれども、私はパソコンとプリンターなしにはちょっと教えられないなぁと。 生活、健康、精神的な支え、信仰、学び、全部。 で、最初にあちらの理事会でご挨拶をし、その後、入学式まで一週間ありましたので、これはこの一週間を棒に振ることはない。
私はゴアに行きました。夜行バスに乗って。 あちらには16世紀イエズス会のアジアの宣教の拠点がゴアです。皆さんも聞いたことがあると思います。 ゴアから日本にキリスト教を伝え、その後中国を目指して病で天に召された、ザビエルの遺体がゴアの教会に安置されています。 なんとミイラ化の処理はしていない。にもかかわらずミイラの状態で、今も残っている、ま、「ザビエル先生の奇跡」と呼ばれているものですね。
それを見た帰りに、空港で下痢に襲われ、わずか2時間の飛行機の中で4回位トイレに行きました。 空港を合わせると、私はもっと5回6回行ったと思います。 神学校の宣教師館で、二日位寝たきりで、その間に日本から持って来た下痢止め4種類は飲み尽くした(大笑)。 最後はもう便器の上に座って寝ましたよ(笑)。 便器の上に座って寝るって、大体トイレって真っ暗ですよね。ろうそくは焚いたりするわけですけれども、真っ暗な中、もうそこに行くのがしんどい。 ですから便器の上に座って寝て、ポカリスエットを飲んでも、段々段々弱くなっていきます。
私はバンガロールの大きな大きな病院に入院しました。 病院は入り口が二つあって、一般の入り口と、政府関係者・外国人、というその大きな看板が立っている側から入って、 それは15畳ぐらいある大きな個室で点滴を打ってもらい、ひたすら天上のファンを、ああいうファンを見ているだけの数日を過ごし、 そして『アメーバ赤痢』と診断され、すごく孤独でした。ものすごく孤独でした。
点滴を変える看護婦さん以外は入って来ない。医者は、ま、日に一回は来るんですけれども、果たして治るんだろうか? 私はこの話は何度もしていますので、皆さんにはなんとなくわかっていただけると思うんですけれども――「私はともかくシンガポールに戻りたい」――その一心でした。 シンガポールに戻りたい。シンガポールに入院するには、シンガポールまで行く体力がなければダメ。
でも私が考えたことは、日本にだけは帰れない。 なぜならですね、教団から送り出していただいて、高津教会の方々に送別会をやっていただいて、中には餞別までいただいて、お祈りして、そしてまだ入学式も始まってないんですよ。 一日も教えていないのに、なんか「救急で帰って来ました」なんてあり得ないでしょう? 私は、それ位だったら、帰る位だったら、インドで死んだ方がましだ、と真実に思いましたよ。 それは帰れないですよ。 でもシンガポールに戻りたいと思ったのは、入院した一番最初の朝ご飯がカレーだったから(大笑)。これはもう絶対に治らないなぁと思いました。 こんなもの食べる人たちと一緒に、治療してもらって、自分はどうするんだろうか。
一週間ぐらいしまして退院しました。 退院して抗生剤を飲むんですけれども、またこれが飲みますと3時間ぐらい動けないぐらい、抗生剤で殺されるんじゃないかと思う位きつい抗生剤で、でもそれを一週間飲まないと『アメーバ』は無理ですね。 それを飲みながら授業をしました。 私は以前痩せていて、57`だったんですけれども、4`減ったまんまず〜っと、インドから帰って来るまで4`減ったままでありました。
あの大きな病院がありましたから、いのちは大丈夫だと思いましたけれども、 しかし、神学校でうわさになりますよね。入学式になりますと、 「この方が入院していた藤本先生です」(大笑)みたいな、え〜っと思いますよね。 「理事会に挨拶して、そのまんま入院していた、そんな奴がなぜ来たんだ」みたいな(笑)そんな話になりますよね。 そしてものすごくもう痩せてしまったわけですよね。一生懸命話すんですけれども、体力がありませんから。 そして、インドは蚊がしょっちゅうとまるんです。 蚊は風に弱いのです。だから天井扇を思いっきり回すんですよね。蚊がとまらないように。 天井扇を思いっきり回されたら、どんなに大きな声出しても届かないじゃないですか。 クラスに60人ぐらいいて、マイクも何もないわけですよね。 その蚊は彼らにはとまらなくても、私にはものすごいとまるわけですよね(大笑)。 こんな所に、なんで来たんだろう?と(***悲しい声)。
宣教師館にはトイレが3つあるんですよ。 宣教師の方々が何人も住んでおられた大きな宣教師館で、しかし私はそこに一人で住みながら、自分はどうなるんだろうか? どうなるのか以上にですね、日本で噂になり、高津教会の方がお祈りしてくださったとしても、あんな病弱な人間をインドに送ること自体がそもそも間違っていたと、そうなるわけです、話は。 なるわけですよね。それを、私(藤本牧師)は非常に気にしましたね。
だとしたら、エパフロディトが気にしないわけないじゃないですか? 「パウロ先生を助けるために、ピリピの教会から色んなギフトを持って、そして行って、逆にパウロ先生の厄介になったわけ?みたいな、君にはそれぐらいのことしかできないのか。 そもそも君を送ったことが間違いだった」 そんな話になるかと思ったら、彼は帰りたくても帰れないですよね。
さて、その状況下の中で、パウロの優しさを2番目に見ていただきたいと思います。
2)パウロの優しさ
そういうことを心に留めて、パウロはきちっとエパフロディトを支えながら言います。 25節に、もう一回見ますが――
25私は、私の兄弟、同労者、戦友であり、あなたがたの使者で、私の必要に仕えてくれたエパフロディトを、あなたがたのところに送り返す必要があると考えました。
この「送り返す」という言葉は、「送る」という言葉です。 以前の訳では「遣わす」になっていました。 この言葉は、23節のテモテにも使われています。23節に――
23ですから、私のことがどうなるのか分かり次第、すぐに彼を送りたいと望んでいます。
すると、パウロはテモテを自分の代わりに「送る」ように、エパフロディトを自分の代わりに「送りたい」と言っているんです。 ただしエパフロディトはピリピから来た以上、「送り返す」いう表現になっても間違いではないと思いますけれども (※藤本牧師は以前の訳の方が好きだということ)、 私(藤本牧師)はこの「送る」という言葉に――つまり戻すんじゃないんですよ。戻すんじゃない―― 「私は私の代わりに、あなたがたのところから来たエパフロディトを『遣わしたい』」というパウロの言葉の中に――エパフロディトに対する配慮を感じますね。
ただ生まれ故郷に彼を帰す、戻すではない。 教会の重大な使命のために、彼を派遣したい。 彼は私のためになった。今度はあなたがたのためになるから、私は彼を派遣すると(言っているのです)。 しかも今読みました25節を見ますと、パウロは「私の兄弟」「私の同労者」「私の戦友」と並べていますね。 「兄弟」と言えば、主にある兄弟姉妹の兄弟なのかもしれません。 でも「同労者」と言うのは、福音のために共に戦う者ですよね。 「戦友」と言ったら、それ以上の人間関係、人間的な繋がり、愛情、信頼を示しています。 この三つを、パウロが並べて人を呼んでいるのは、ここだけです。 ま、三つでも四つでも。 パウロは普通「同労者シラス」とか「主にある兄弟○○」とか、 でも「兄弟、同労者、戦友」と三つ並べて来るのは、このエパフロディトだけですね。
「同労者」という言葉に、特にちょっと注目したいと思うんですけれども、 牢獄に捕えられているので、自分はピリピの教会に行きたくても行けない。 だからテモテを遣わす。いや、もしかしたらそれよりも早く、即刻エパフロディトを送りたい。私(パウロ)の代わりに、あなたがたのために。 彼は30節に、「(彼は)キリストの働きのために、死ぬばかりになりました」と言う。 「キリストの働きのため」――病気のためって書いてないんですよ。 普通だったら、事実は病気のために死ぬばかりになったわけでしょう? そういう風に27節に書いてありますよね。
27本当に、彼は死ぬほどの病気にかかりました。……
って書いてあるんですから、病気のために死ぬばかりになった。でもパウロはそういう風に書いてないんです。 キリストの使いとして、あなたがたが私のところに送った限り、彼の働きというのは、彼が来てくれたというのは「キリストの働き」です。 そのために死ぬばかりになりました、というのは、これはパウロの非常に優しい表現ですね。
もっと分かりやすく申しますと、こういうことです。 エパフロディトがどれほど偉大な働きをしたのか?そんなことにパウロは気遣っていない。 例えて言うならば、私がインドの神学校に行って、神学生が二倍になったとか、神学生が非常に恵まれたとか、神学生がインドでは聞けない教えに感動し、そして実習に力が出て、色んな教会でリバイバルが起こったと――それは神の働きでしょう? でも私はゴアに行って病気になって入院して、体重失ってヘロヘロになって神学校で教えているというのは、別に神の働きじゃないんじゃないですか? 「あんたが病気になるから」(大笑)いけないんですよね?
でもパウロは「いや、そうじゃない」と言うのですよ。 「主によって遣わされたのだ。そして病気を経た。 その病気に必死に耐え、それを乗り越え、そして主の恵みを受けて帰って来るエパフロディトは、今までのエパフロディトとは違うよ」 ということをパウロは言いたいんですね。
私(藤本牧師)はね、このエパフロディトという人を説明するために、(ピリピ2章)26節から30節までず〜っと書いてありますが、 彼の犠牲的な思いや、真実な信仰については、あまり書いてないんですよ。 つまり、この期間の間に、エパフロディトの働きというのは、触れられていないですね。 彼がキリストの働きにどのように携わったのか?どのような町を回ったのか?誰を救いに導いたのか?一切語られていないじゃないですか。 ただ「病気で死ぬばかりになった」というのは、26節にも出て来ますでしょう。27節にも出て来ましたね。 30節にも、「いのちの危険」と言う風に、ま、ひたすら病人であった、ということが、 3回繰り返されているわけですよ。 つまり、どれほどのことを為したか?ということ以上に、 どれほどの試練に遭い、どれほどの苦労をしたのか?どんなに病気で苦しんだのか? ということを、主の前にパウロは評価しているわけです。
パウロは エパフロディトの存在に「残念だねぇ」とは言いませんでした。 彼はキリストの働きを志してやって来ました。そしてパウロとの友情を作り上げました。 エパフロディトの愛は大きなものです。エパフロディトの信仰も真実です。 そんな彼が病気を経験し、死ぬばかりになって、それを乗り越えて、今あなたがたの所に戻って行くことが、あなたがたにとって最善になる。 パウロはエパフロディトのことを思い、またピリピの教会のことを思って、彼を遣わすと言っているんですね。
三番目、最後に(ピリピ2章)29節を見てください。
3)「大きな喜びをもって、主にあって彼を迎えてください。また、彼のような人たちを尊敬しなさい。」(29節)
ピリピの教会の人々が彼をどう迎えるのか?っていうことについて書いてあるのですね。 「大きな喜びをもって、主にあって彼を迎えてください。」 「彼のような人たち」というのは、複数形です。「尊敬しなさい」と。 どういう人たちか? 純粋な信仰をもって、真実に仕える思いを持ちながら、病気のため、あるいは病気になって、それが成し遂げられなかった同労者がいる。
私たちの教会では、一生懸命病気と闘っている神学生、矢代神学生がいますよね。 「温かく、喜びをもって、尊敬をもって迎えなさい」と言われたら、考えさせられます。 私たちもそうしているんだろうか? パウロのような優しい眼差しで、その信仰を、努力を、その挫折というものを見ているんだろうか?と考えさせられますでしょう。
今から5年ぐらい前に、私たちの教団で、私(藤本牧師)が代表の時に、ちょっと皆で考えようということで考えて、所謂「傷病手当」というものについてを出すことにしました。 それまでなかったのか?なかったのですよ。 「病気したら、神さまに祈って癒してもらいなさい」(笑)という、そういう世界ですので、 牧師が病気になってというのは、ま、どうなの? 病気になると一番最初に聞かれるのは「実家に帰りますか?」ということになるわけですね。 牧師館で病気で寝ていてもしようがない。世話する人もいない。そして教会の働きもできないとなると、「実家に帰りますか?」 「実家がありません」という場合もありますよね? それで、「ま、月々の牧師給と、アパートを借りるのをマックスで15万円と考えて、それプラス二年までという限定付き」で。 でもその時、復帰することを条件に見たら、 「復帰する意志のある人、その人に対して、月々それだけ教団から出します。後は貯金、それから教会の献金が維持できるのなら、それをもって頑張ってください」と。
で、往々にしてキリスト教会というのは、病気した信徒さんのために皆祈りますよ。 牧師が病気になっても祈りますよ。 でも例えて言うならば、精神的に潰れた牧師というのは、「信仰を持っていても精神的に潰れるのか?」ってなっちゃうんですね。 そうなると、「そもそも献身しなかった方がよかったんじゃないの?」と、話はそっちへ行くわけです。
「エパフロディトがピリピの教会からパウロを助けるために遣わされた。ところが死ぬばかりになった」(笑)って言ったら、 「そりゃあ、もう帰って来なくてもいいよ」(大笑)って言っているような世界になっちゃうわけですよ。
パウロは、そうではないですね。 「私の兄弟、同労者、私の戦友、そして、私の代わりが務まる人。 なぜなら、それほどの試練を潜り抜け、主のためにいのちの危険を冒した彼は、ほかにどんな伝道、どんな宣教をした以上に、この人物は尊敬すべき人物だ。 こういう人たちのことを尊敬しなさい」 と言われたら、私たちは、色んな病を抱えながら、教会でですね、一生懸命リハビリして礼拝に戻って来て、その信仰を貫徹するために努力する人一人一人――私たちの教会に沢山います。 感謝しなきゃいけないですね。
パウロは「喜びを大切にしなさい」ということを、ちょっと強調しています。 27節、読んでみますね。
27本当に、彼は死ぬほどの病気にかかりました。しかし、神は彼をあわれんでくださいました。彼だけでなく私もあわれんでくださり、(***なぜなら、もし彼が死んだらですよ、と説明)悲しみに悲しみが重ならないようにしてくださいました。
そんなに病気で倒れていったら、もう悲しみが、悲しみの上に重なりますよね。 28節に――
28そこで、私は大急ぎで彼を送ります。あなたがたが彼に再び会って喜び、私も心配が少なくなるためです。 29ですから大きな喜びをもって、(主にあって彼を迎えてください)。……
助かった。助けられた。再び教会に集うことができる。再び共に賛美することができる。再び共に祈ることができる――その喜びを教会として共有しなさい。
私たちは人生で病にかかり、色んな出来事がある度に、あれができなくなった、これもできなくなったということが沢山多いと思いますよ。 でも共に礼拝し、共に信仰の交わりに繋がっているということを、「あなたがたはもっと互いに喜び」、 そういう風にして、色んな手術を越えて来て頑張っている人を「尊敬しなさい」というのは、 「ああ、私たちの教会への神さまからのメッセージなんだ」ということを、つくづく思います。
弱いから病気になる場合もある。日頃の不節制から病気になる場合もある。 でもそれはみんなそうなんですよ。 自分がもしも健康だったら、それは神の賜物であって、私たちの手柄ではないです。 健康という賜物を神さまはあなたに与えてくださった。 でも病気という賜物を、もし違う人に与えたのであれば、それが精神的なものであれ、肉体的なものであれ、その病を潜り抜けて来た人たちを、尊敬をもって、温かく迎えなさいと。 ほんとだなぁと思います。
☆お祈りをいたします――藤本牧師
恵み深い天の父なる神さま、私たちの教会の中にエパフロディトのような人物が沢山いることを心から感謝いたします。パウロが何度も勧めているように、 「兄弟であり、戦友であり、同労者であり、共に主に仕え、共に賛美し、共に信仰を持っている共同体であり、もし彼がいなくなったならば、悲しみに悲しみが重なることになる。そこを神さまは何とか助けてくださり、そして福音によって、あわれみによって包んでくださったことに喜びを感じなさい」 と言われたら、私たちはもっと喜んで、治ったお一人お一人のために、感謝しなければいけないなあとつくづく思わされます。温かな教会に育ててください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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