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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   9/29 戸塚伝道師:『ヨナ書』に自分を問うA「やめよ。知れ。わたしこそ神」ヨナ1:1〜7
☆聖書箇所   ヨナ書1:1〜7

1アミタイの子ヨナに、次のような【主】のことばがあった。
2「立ってあの大きな都ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」
3しかし、ヨナは立って、【主】の御顔を避けてタルシシュへ逃れようとした。彼はヤッファに下り、タルシシュ行きの船を見つけると、船賃を払ってそれに乗り込み、【主】の御顔を避けて、人々と一緒にタルシシュへ行こうとした。
 4ところが、【主】が大風を海に吹きつけられたので、激しい暴風が海に起こった。それで船は難破しそうになった。
5水夫たちは恐れて、それぞれ自分の神に向かって叫んだ。そして、舟を軽くしようと舟の積荷を海に投げ捨てた。一方、ヨナは船底に下りていて、横になってぐっすり寝入っていた。
6すると船長が近づいて来て、彼に言った。「いったいどうしたのか。眠りこけているとは。起きて、あなたの神に願いなさい。もしかすると、その神が私たちに心を留め、私たちは滅びないですむかもしれない。」
 7人々は互いに言った。「さあ、だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、くじによって知ろう。」彼らがくじを引くと、そのくじはヨナに当たった。

☆説教  『ヨナ書』に自分を問うA「やめよ。知れ。わたしこそ神」

今日は「『ヨナ書』に自分を問う」の第2回目でございます。
第1回目は「神さま、いやです」と題しまして、(ヨナ書1章)1節〜3節まで前回見てまいりました。
ヨナは【主】の御顔を避けて、神さまから言われたことに対して「いやです」と、従わなかったわけです。
その時にこのヨナの行動から――神さまに「いやです」と言える程の、神さまとの愛と信頼に基づく大人の関係――それを持っていたヨナの姿を見てまいりました。
それも恵みである。神さまと私たちの関係はどうか?と問いながら、共に思い巡らさせていただきました。

今日の第2回目は、4節〜7節のみことばから、3つの視点で恵みを分かち合いたいと思います。
先ず一つ目の視点ですが――
1)【主】の御顔を避けたヨナに起こった出来事を見てまいります。

[1]一つ目の出来事――それは、激しい暴風の発生でした。
4節をご覧ください――

 4ところが、【主】が大風を海に吹きつけられたので、激しい暴風が海に起こった。それで船は難破しそうになった。

「【主】が大風を海に吹きつけられた」と書いてあります。
「【主】が」が主語で「吹きつけられた」が述語ですね。
大風も暴風も自然現象なんですけれども、でもこの4節を見ますと、この時に限って言えば、【主】が大風を吹きつけられた。
この自然の激しい暴風は、神さまが実にヨナ一人のために、ピンポイントで起こされたものであるということが分かります。

[2]二つ目の出来事――ヨナがその時、水夫たちの「祈り」と「行動」を目の当たりにしたことです。
5節をご覧いただきますと――

5水夫たちは恐れて、それぞれ自分の神に向かって叫んだ。……

と書いてあります。
ここに、激しい暴風で難破しそうな船にいた水夫たちの様子が描かれています。
「水夫たちは恐れて」とあります。この「恐れた」というのは、「恐がった」と言うよりも、この「恐れた」というその漢字は、畏怖の畏という漢字ですね。
田んぼの田にその下に横棒を書いて衣みたいな風に書く、その漢字を使った「畏れ」ですね。
畏れた。畏敬の念にかられた。
突然の嵐、恐怖と共に畏敬の念。
そしてすぐに祈りに導かれるわけですね。「それぞれ自分の神に向かって叫んだ。」

水夫たちは何人ぐらいいたんでしょう?
でも、その水夫たちは全員、自分たちの神に向かって叫びました。
異教の神です。自ら好き勝手に産み出した神さま。
でも自分の神さまにそれぞれ呼び求めた水夫たちの姿が、ここに描かれています。
「叫んだ」とありますが、恐らく大声で祈ったに違いありません。
恐怖心と畏れから――「助けてくださ〜い!」「暴風を鎮めてください!」「どうぞ船が難破しませんように!」――それぞれ、自分の神にお祈りしたんですね。
苦しい時の神頼み(笑)。

そしてお祈りの後、「行動」に移ります。5節の続きをお読みいたしますが――

5……そして、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。

と書いてあります。
そうすると、この水夫たちは「祈り」だけじゃなくして、積荷を投げ捨てるという「行動」に移ったんです。
「祈り」と「行動」が一体になった水夫たちの信仰と言っていいんでしょうか、そういうものを持っていた。
生活に、試練の只中に、すぐ神さまの御名を呼んで、そして行動するという。
「異教の神さまを信じていながら、このような信仰を持っていた」ということが、ここで読み取れるわけです。
で、ヨナはこの水夫たちの「祈り」と「行動」を目の当たりにしているわけです。

それなのに、ヨナはどんな様子だったのか?それが5節の最後に書かれています。

5……一方、ヨナは船底に下りていて、横になってぐっすり寝入っていた。

船底に下りて、ぐっすり寝入っていた状況が書かれています。
なんで船底に行ったんでしょう?
そのような船乗りたちの、水夫たちの、もう心からの叫んでいる「祈り」の様子や「行動」の様子を見ながら、
恐らくヨナは何かこう心に刺さったに違いない。そして、とにかくその場から逃れたかったに違いない。
「あの水夫たちは、あんなに真剣に自分たちの神に祈り、すぐ行動しているけれども、おれはそうじゃないよ」――そういう思いだったんでしょうか?
ヨナは横になって――ふて寝でしょうね――ふて寝して、そしてその挙句にぐっすりと寝入っていた。

この「ぐっすり」という言葉は、これはすごいことですよね?
難破しそうな船の底ですよ。難破しそうな船の底で、よく船酔いもせずにぐっすり眠れたんだ。
まことの神さまを信じていたヨナはぐっすりと寝入り、異教の神さまを信じていた水夫たちは、必死に祈り、行動するという、
この対照的な、何とも言えない姿――こういう構図がここから読み取れるわけです。

[3]そして三つ目の出来事――それは船長からの祈りの要請でした。
6節を見ますと、こう書いてあります。

6すると船長が近づいて来て、彼に言った。「いったいどうしたのか。眠りこけているとは。起きて、あなたの神に願いなさい。もしかすると、その神が私たちに心を留め、私たちは滅びないですむかもしれない。」

船長がヨナに近づいていくわけですね、船底に。そしてヨナに語りかけるわけです。
「こんな激しい暴風に見舞われて、船は難破しそうに揺れに揺れる中で、水夫たちが祈り行動していたのに、いったいあなたという人は、いったい何をしているのか。起きなさい。
そしてあなたの神に願いなさい」

「あなたの神に」ってあります。船長は別の神さまを信じていたのでしょうか?
でも「願いなさい」と言うことは、何らかの神に対する信仰はゼロではなかったように思います。
そして祈りの効果に船長は期待していた。だから「願いなさい」と言っています。
既に自分の神さまに祈っていたのかもしれない。
でも、ヨナにもお祈りを要請しています。
「あなたの信じている神に、お願いしなさい。
水夫たちも、ああやって祈っているじゃないか。
私も祈った。あなたも神さまを信じているならば、どうか祈りなさい」
船長は祈りを要請するわけですね。

6……もしかすると、その神が私たちに心を留め、私たちは滅びないですむかもしれない。」

このように船長はヨナに言いました。
とにかく何とか藁にでもすがるような思い。
「この船が難破するということはどうしても避けたい」という、船長のもう危機的な非常事態――そういう思いで、
とにかく色んな神さまにお祈りを要請しまくっていることが、ここから読み取れるわけです。

以上が【一つ目の視点1)】【主】の御顔を避けたヨナに起こった出来事でした。
        [1]激しい暴風
        [2]水夫たちの祈りと行動、を見、
        [3]そして、船長からの祈りの要請

二つ目の視点ですが――
2)出来事を通して語られる神さま、について考えてみたいと思います。

実はこの三つの出来事を通して、神さまはヨナに語っておられたと思うんです。

[1]一つ目の出来事――激しい暴風が海に起こった時――ヨナは何も感じなかったわけではなかったと思うんです。
ヨナはピーンと来たと思うんです。
「神さまは、あなたは、そう来ましたか」という感じでしょうかねぇ?
「私があなたから逃れようとしたから、この結果なんですね?この嵐なんですね?
ああ、神さま、そう来ましたか?
この暴風は自分のせいです。そうでしょう?」

12節にも、最後にヨナは告白していますね。

<ヨナ1:12>
12……私は分かっています。この激しい暴風は、私のせいであなたがたを襲ったのです。」

もう自分は分かっていた。神さま、そう来ましたか?
でもヨナの反応は、「それでも、神さま、私はニネベなんかに行きませんからね」――そういう反応だった。

[2]二つ目の出来事――水夫たちの祈りと行動――緊迫感を目の当たりにしたという、その出来事を通して、神さまは何をヨナに語ったか?

「ヨナよ、あの水夫たちでさえ、自分たちの神に必死にすがっている。
ヨナよ、わたしに対するあなたの信仰はいったいどこにあるんだ?」
必死に祈る水夫たちの姿を通して、ヨナは語られたに違いない。
でもヨナは、ふて寝してしまう。
「それでも神さま、私は祈りませんからね。船が難破しようと、どうぞご勝手に。私は船もろとも死んでもいいです」
ま、そんな開き直りでしょうね。だからぐっすり寝られたのかもしれない。

[3]三つ目の――船長からの祈りの要請――これは恐らく船長が語ったというよりは、
ヨナにとっては、神さまからの直接的なメッセージと受け取ったのかもしれません。

ヨナはこう反応したかもしれない。
「神さま、しつこいですね。私は祈りません。もういいんです、これで。もういいんです」
そして、どこまでもふてくされて、逃げるヨナ。

神さまは、この3つの出来事を通して語られました。
そこで神さまは、そんな態度を取るヨナに対して、「とどめの一撃」を加えられた。
神さまは船に乗る人々を動かされました。そして7節です。

  7人々は互いに言った。「さあ、だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、くじによって知ろう。」彼らがくじを引くと、そのくじはヨナに当たった。

くじがヨナに当たった――これは偶然ではなくて、神さまがご介入したんです。
ヨナに対する「とどめの一撃」。くじが当たった。
「ああ、おまえのせいか」――船にいる人たち全員がヨナに注目し、
「おまえのせいで、このわざわいがおれたちに」――船の全員に明らかになってしまう。
もうヨナはどんどん追い詰められていくわけです。
神さまの語りかけが迫り来るような感じが、ヨナはしたんじゃないかと思います。

ヨナがこのような状況の中にあって、そして今日、特別に心を留めてみたいのは3番目の視点なんですね。

3)ヨナに送られた、神さまが一番言いたいメッセージは何だったかということです。

ヨナが【主】の御顔を避け、「神さま、いやです」と反発してニネベに行かず、タルシシュへ逃れようとした、そのヨナに対して、
神さまは3つプラス1つ、4つの出来事を通して、何度も何度も語られました。
その何度も何度も語られる中で、ただ一つのメッセージを送られた。それは何か?
突き詰めてみると、このみことばではないかと思われる。
それが、今日交読いたしました詩篇第46篇の中の10節のみことば。

<詩篇46:10>
10「やめよ。知れ。わたしこそ神。……」

「やめよ。知れ。わたしこそ神」
「止めよ、ヨナ。止めよ」――ヨナに対するストップです。
「ヨナ、止めよ」――神さまからの赤信号。その信号を無視するヨナ。
神さまは、どこまでもどこまでも壁になって、行かせようとしなかったんです。

壁になる神さま。(※もう一度言い直す戸塚伝道師)壁になってくださる神さま。

私(戸塚伝道師)は小学校の教師として、38年間務めてまいりました。
教師生活を振り返ると、「ああ、申し訳ないことをした」という後悔の念ばかりです。
子どもたちに謝りたい。何という教師だったのか!
もし何かのきっかけでこのyoutubeに辿り着いた私の教え子がいたらば、謝りたい。観てたら謝りたい。
「なんだ、あいつ牧師しているのか?」なんて言われるかもしれないけれども、ほんとに申し訳ない教師だった。
失敗だらけです。いじめも見抜けなかったし、学級崩壊も経験したし。

その中で、今思えば、「ああ、あれが失敗のきっかけになったのか」という出来事。
それは、授業中に「先生、トイレ」と来る子どもたちなんです。
「先生、トイレ」
「先生はトイレじゃありません」(大笑)。
「先生、トイレ行っていいですか?」「先生、トイレ行っていいですか?」――この一言。
これが、とても大切なキーワードだっていうことに、私(戸塚伝道師)気がつかなかった。
「先生、トイレに行っていいですか?」
「ああ、トイレ行きたい?」
ああ、行かせないとやっぱりちょっとまずいな。行かせないということによって、保護者が何と言って来るかわからない――で、私(戸塚伝道師)行かせました。
そしたらば、一人で終わらないことがわかったんですよ(笑)。
その子が行くと、もう一人の子もやって来て、「先生、トイレ行っていいですか?」
恐らく思い出したんでしょうね、自分もトイレ行きたいということに。
「ああ、あの子がトイレ行った。ああ、自分も行きたい」

ところが、高学年になると違うんですよ。高学年になると、教師を試すんです。特に新学期は、教師を試すんです。
今度の先生はどの程度だろうか?「先生、トイレ行っていいですか?」
その時に、どのように私が反応するかによって、「あ、あの先生はああいう先生だ」という風に、子どもが品定めをするんです。
私(戸塚伝道師)はそこで失敗をして、「先生、トイレ行っていいですか?」を続出させてしまって、そこからクラスが荒れるということが起こってしまった。

一度きちんと説明して、そして
「授業中はトイレに行かないように、休み時間にきちんとトイレに行って来なさい。
原則として、先生は授業中トイレに行かせません。
だから、我慢できる時には我慢しなさい。休み時間に行くということですよ」
そうすると、「授業中には行けません」というこの私(戸塚伝道師)の説明が、一つの壁になるんですね。
そうすると、その壁によって、「あ、この先生は授業中にトイレに行かせてくれない先生なんだなぁ」と、そういう風に思うわけです。壁になる。

いじめの前兆、色々あるんですけれども、その子の上履きが隠される、というのが一つのいじめの前兆ですね。
大体二つ隠されるというよりも、片っぽだけ隠されるんです。
で、私(戸塚伝道師)、ベテランの先生の対応を見て、あ、なるほどなぁと思いました。
その先生は、体育の授業の直前に、上履きがないということが分かった。
その先生、何と仰ったか?
「〜さんの上履きがない。片っぽない。はい、これから体育の授業潰して、上履き捜ししま〜す」そう言ったんです。
「え〜!今日はキックベースなのに、え〜!」(笑)
でもその先生は壁になる。見つかるまで体育の授業をしません。きちっと壁になる。
スルーしないで壁になった、その結果、
「先生、ありました〜」(笑)って来るんですよ。
もしかしたら、「先生、ありました〜」って言った子が(笑)隠したのかもしれない。それはわからない(笑)。
でも、その先生が壁になることによって、そういう結果が出て来た。ああ、なるほどなぁ。

子どもたちは、調子に乗ったり、悪さをしたり、色々なことをしますよ。
色々な事で教師を試したり、あるいはもう自分たちが調子に乗って、行く所まで行っちゃって――。
でも子どもたちは壁を求めています。壁を求めている。
そして一度壁になったら、その壁を子どもたちが認め続けるまで、壁になり続けるってことが大切。
そうでないと、子どもたちは教師に対して不信感を起こしたり、あるいは苛立ってしまったり、不安になってしまったりする。
そしてクラスが荒れていってしまう。
「あ、この先生はこういうことを大切にする先生なんだ」――子どもたちにそう思ってもらうようにしていく。
これが私(戸塚伝道師)の教えていただいたことです。
「壁になる」ってそういうことです。

「壁になる」時に、私は無言のメッセージを言っているわけですね。
「そうじゃないでしょう?わざとでしょう?自分で悪いって分かってるんでしょう?
それ以上そっち行っちゃだめですよ。それ以上そっち行ってはいけません。
そうでないと、あなたにとっても他の人にとっても、大変なことになるからね」

同じように、神さまはヨナに対して、壁となってくださる。
「やめよ。知れ。ヨナ、ヨナ!そっちじゃないでしょう!そっちじゃないでしょう、ヨナ。
わたしこそ神。わたしこそあなたの神。
あなたが神じゃないんだよ(笑)。あなたが神じゃない。わたしが神なんだ。
あなたの考え、あなたの頑張りでは、どうにもならないことがあるんだよ。
そういうことは沢山これからもあるよ。
あなたが嫌だと言っても、わたしは諦めないよ。わたしはあなたの神。
わたしがあなたの人生に対して、全責任を持つからね。
恵みとは程遠い、危ない道に行ってほしくないんだよ。
わたしはここにいる。分かるか?ヨナ。分かるか、ヨナ?」

それは、その壁はヨナに対する測り知れない憐れみであり、かけがえのない恵みです。
私たちの日々の生活において、聖書のみことばという言語を通して神さまは語ってくださいます。
だからみことばを読むということは恵みです。
しかしそれ以上に、みことばという言語ではなくて、活字ではなくて、
日常の様々な出来事や、状況や、人との会話や、見える光景や、そういうことなどを通して、神さまは常に語ってくださるお方です。
様々なメッセージを与えてくださるお方です。
嬉しいこと、楽しいこと、感謝なことを通して語られる神さま。

でも今日はなんでこんなことが起こるんだろうか?
今日はなんでついてないんだろうか?
今日はなんでトラブル続きなんだろうか?
今日はなんであの人はあんなことを私に言うんだろうか?
そのような様々な状況に置かれた時、実はその中に、神さまからのメッセージが語られていることがあるんですね。
特に自分に理由がある時、人には丸見えで自分には全く分からない、ということが一番怖いという。
でも神さまは教えてくださることがある。神さまのメッセージ。
「やめよ。知れ。わたしこそ神」
様々な出来事の中に、壁となってくださる神さまの臨在を感じる時に、
「あ、そうか!そうだったんですね、神さま」って気づかされる時もあります。
時として、それは不快な、心騒がせるような、思いがけないメッセージかもしれません。
鈍い私には、それが神さまからのメッセージということに、気がつかないまま通り過ぎて行ってしまうのかもしれない。
「ああ、嫌なことが起こった。嫌なことを言われた。嫌な感じだなぁ、あの人は」とか色んな感じだった。
だけれども、その中に、私に対して「壁となる」メッセージを神さまは語ってくださることがあるのかもしれません。
私たちにとって聞きたくない思いの中で、神さまは語られる。
「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」

この「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」
それは、私たちが神さまのみこころとは全然違う所にいつの間にか行っている時に、神さまがストップをかけてくださる「止めよ」だけではなくて、
自分の抱えている様々な問題課題に翻弄されて、思い煩って恐れと不安の只中にある時に、「止めよ」「思い煩いを止めよ」「心配することを止めよ」という風に仰ってくださる「止めよ」である場合もある。
「止めよ。そんな思い煩いを止めよ。わたしこそ神なんだから。あなたの神なんだから、止めよ」

この「止めよ」という言葉、他の聖書の訳を見ますと、
新共同訳聖書ですと、「力を捨てよ」って書いてあります。力を捨てよ。
自分で何とか頑張ろうとする力を捨てなさい。
口語訳聖書では、「静まって」と書いてあります。静まりなさい。
思い煩い、不安、恐れ、これからどうなるのだろうか?様々な心に渦巻く色々な事。
「ああどうしようか、どうしようか?どうしようか、どうしようか?」
でも、神さまは
「やめよ。大丈夫です。大丈夫。わたしこそ神。わたしこそ神。知れ」

神さまは、どうしてもどうしても、ヨナに分からせたいことがあった。
神さまは諦めなかった。どこまでもどこまでも、ヨナに様々な出来事を通して語り続けておられた。
私たちにも神さまは語ってくださるお方です。
この一週間、どこでどんな言葉を神さまは語ってくださるのか分からない。
でも様々な出来事の中に、神さまのメッセージが潜んでいる、ということを覚えたいと思います。
そして、これでもかこれでもかと、何度も何度も迫り来る神さまのメッセージ、そのメッセージを聞く時、神さまは私たちをみこころの道へと導いてくださるんですね。

ところで、神さまからの立ちはだかる壁を前にして、追い詰められたヨナは、この後、ついに(※と、ここまでで話を止めて、にこやかに期待を持たせる戸塚伝道師)……
次回は10月です。

☆お祈りいたします――戸塚伝道師

神さま、罪人の私を憐れんでください。いつの間にか、的外れな道に進んでしまい易い者です。分かっていても同じことを繰り返す弱い者です。しかしあなたはヨナに関わってくださったように、日常の様々な出来事を通して、私たちにもメッセージを語られ、的外れな道から守ってくださるお方ですから感謝いたします。

「やめよ。知れ。わたしこそ神」(詩篇46:10)――どうか、私たちを目覚めさせてください。そしてこの一週間、あなたの思いとは違う方向に行くことがありませんように、どうぞ私たちの恵みの壁となってくださいますよう、よろしくお願いいたします。聖霊のとりなしのうちに、愛するイエスさまのお名前によって、父なる神さまにお祈りいたします。アーメン。

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