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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   5/10 母の日:ルフォスの母はパウロの母 ローマ16:1〜13、マルコ15:21〜25
☆聖書箇所  ローマ16章1〜13節、 マルコ15:21〜25

<ローマ人への手紙16章1〜13節>
1私たちの姉妹で、ケンクレアにある教会の奉仕者であるフィベを、あなたがたに推薦します。
2どうか、聖徒にふさわしく、主にあって彼女を歓迎し、あなたがたの助けが必要であれば、どんなことでも助けてあげてください。彼女は、多くの人々の支援者で、私自身の支援者でもあるのです。
 3キリスト・イエスにある私の同労者、プリスカとアキラによろしく伝えてください。
4二人は、私のいのちを救うために自分のいのちを危険にさらしてくれました。彼らには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。
5また彼らの家の教会によろしく伝えてください。キリストに献げられたアジアの初穂である、私の愛するエパイネトによろしく。
6あなたがたのために非常に労苦したマリアによろしく。
7私の同胞で私とともに投獄されたアンドロニコとユニアによろしく。二人は使徒たちの間でよく知られており、また私より先にキリストにある者となりました。
8主にあって私の愛するアンプリアトによろしく。
9キリストにある私たちの同労者ウルバノと、私の愛するスタキスによろしく。
10キリストにあって認められているアペレによろしく。アリストプロの家の人々によろしく。
11私の同胞ヘロディオンによろしく。ナルキソの家の主にある人々によろしく。
12主にあって労苦している、トリファイアとトリフォサによろしく。主にあって非常に労苦した愛するペルシスによろしく。
13主にあって選ばれた人ルフォスによろしく。また彼と私の母によろしく。

<マルコ15:21〜25>
   21兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。
22彼らはイエスを、ゴルゴタという所(訳すと、どくろの場所)に連れて行った。
23彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒を与えようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
24それから、彼らはイエスを十字架につけた。そして、くじを引いて、だれが何を取るかを決め、イエスの衣を分けた。
25彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。

☆説教  母の日:ルフォスの母はパウロの母 

今日ご覧いただきましたローマ人への手紙16章には沢山の個人の名前が出て来ます。
一番初めに1節――

1私たちの姉妹で、ケンクレアにある教会の奉仕者であるフィベを、あなたがたに推薦します。
2どうか、聖徒にふさわしく、主にあって彼女を歓迎し、……

とあるように、一般的にはこのフィべが――女性でありますけれども――パウロの手紙をローマの教会に運んだと言われています。

次に出て来ますのは、プリスカとアキラ(3節)ですけれども、この二人は「使徒の働き」の18章を見ますと、コリントの教会の開拓からパウロをずっと育てて来た、一緒に労をして来た夫婦であります。

5節にはエパイネトと初めて聞く名前だと思いますけれども、
「キリストに献げられたアジアの初穂である」ということは、これは小アジア宣教旅行で、パウロの働きによって救われた最初の人物であろうと言われています。

6節のマリアはローマ教会での奉仕者。
7節のアンドロニコとユニアは、これは文章から言いますと、パウロの先輩に当たりますね。
その他、何人もの名前が出てまいりますけれども、そのほとんどは、このロー人への手紙の16章に出て来るだけです。

パウロはローマの教会に一度も行ったことがありません。
それは(ロマ書)1章の初めに切々とその願いが記されています。
何度訪ねようと思ったことか、計画したことか。でもそれが一度も叶わなかったと。

でもその教会には、パウロと関わるような、彼がよく知っているような人物が大勢いたという事実があります。
あるいは会ったことはなくても会いたいと願っている人の名前も記されているに違いありません。
さて、そういう人物の中の一人が、13節、今日はこの13節に先ず目を留めていただきたいと思いますが、文章はこうですね。

13主にあって選ばれた人ルフォスによろしく。また彼と私の母によろしく。

この文章は、「彼と私の母」と言いますと、「あ、パウロ先生のお母さんがローマ教会にいたんだ」という印象になってしまいますので、もしかしたら以前の訳の方がいいのかもしれません。
(※新改訳の第3版を見て、ほぼ同じ言い方に気づき)ごめんなさい。同じですね。
「私との母」になっていますね。「私の母」ではなく、「彼と私との母」であるというのは、「同じ母親であっても、それはルフォスの母であり、また自分の母でもある」というものの言い方です。
新共同訳聖書では、「ルフォスによろしく」とまず言っておいて、「および、その母によろしく。彼女は私にとっても母なのです」と書いてありますので、これが一番丁寧な訳ではないかと思います。
つまり「ルフォスによろしく」と言ったパウロは、次に「ルフォスのお母さんにもよろしく」、そして「この方は、私にとってもお母さんなんです」と。

今日は、このローマ人への手紙と、そしてマルコの福音書、この二つの聖句から3つのポイントで考えてみたいと思います。

1)私にとっても「母なのです」という。

今日は「母の日」です。そして今年は、聖書のこの表現に注目することにいたしました。
パウロにも両親がいると思います。しかし聖書に、それに関する記述はありません。
そしてここで彼は、自分の母親的存在として「ルフォスによろしく」。
「そして彼のお母さんは、まさしく私のお母さんでもあり」という、独特な表現をしています。

それ程お世話になったのでありましょう。
そしてもしかしたら私たちにも、そのようなお母さんの存在を、神さまは与えてくださっていて、そうした存在を思い起こすために、この言葉があるのかもしれません。

私(藤本牧師)は今からもう40年も前になりますけれども、
大学を卒業して神学校に行きました。その年、アメリカが経済的に非常に大らかな態度を取る最後の年でありました。
最後の年――海外からの留学生が年に二名だけ、全給付の奨学金を受けることができる。
次の年に大統領がレーガンに変わりまして、レーガン大統領は財政の引き締めが非常に厳しく、アメリカ人でさえ奨学金を受けるのが難しくなってしまいました。
当然、留学生の奨学金制度は打ち切りになりましたけれども、私は一年生から三年生まで受けることができると言われました。

しかし、奨学金をもらい続けるためには、やっぱり成績が問われます。
私は死に物狂いで勉強しました。どうしてそんなに勉強するんだ、と言われるほど勉強しました。
で、二年目に体調を崩しました。微熱が数か月続き、検査しても異常はないんです。でも一向にその微熱が収まらない。
ほとんど起き上がることもできませんでした。

そうなってから二か月ぐらいして、ワールド・ゴスペル・ミッションの久芳(くば)先生夫妻が――日本への宣教師夫妻ですね、ハワイ出身の――
(帰国報告の間)1か月ぐらい神学校にいらっしゃることになりました。
久芳先生ご夫妻はハワイ出身――どちらかがロサンゼルス出身なんですかね――奥様の方は非常に日本語が堪能なんですが、ご主人の方はもっぱら英語でありました。
ご夫妻で板橋で英語の聖書のクラスを開いておられまして、そこに私の妻の圭子が通っておりまして、そして久芳先生の導きで救いの恵みにあずかりました。

先生夫妻が、私が寮で臥せっている時に、どこから聞きつけたのか、すぐに寮に訪れてくださいまして、ご飯を持って来てくださいました。
そしてそのご飯がおかゆではなかったですね。そのご飯がすき焼きでありました(笑)。
それは生き返るほどの食事でありました(笑)。
私が体調を崩したというのは、何も身体のどこかが悪かったというよりも、ま、ホームシックもあり、勉強のし過ぎもあり、日本が恋しい部分もあり、
食事が終わりますと、先生は私の洗濯物を全部持って帰ってくださいました。
「3日ぐらいしたらまた来るから、少しゆっくり休みなさい」と。
それが丸1か月間続きました。

私(藤本牧師)は、ある時、久場先生に聞いてみました。「なぜそんなに良くしてくださるの?」と。
私は自分の尊敬する先生に、自分の洗濯物を洗ってもらおうというのは想像もしていない。
ましてきれいに畳んで返って来ますと、ほんとに申し訳ない思いをしました。

すると、先生は仰いました。
「私たち夫婦が日本で宣教している間、娘は――お嬢さんはアメリカにいらっしゃったんですね――その娘をアメリカで面倒を看てくださった母親のような方がいるんだよ」
と、教えてくださいました。
自分たちは日本にいて、面倒看たくても、アメリカにいる自分の子どもを面倒を看られない。だから、今度は、私たちがあなたの面倒を看ることがベストなんだと。
とても大らかな雰囲気で、毎回毎回日本の御馳走をいただいて行くうちに、私は徐々に良くなりました。
その久芳先生のお嬢さんも恵子さんという名前で、今その息子さんが、下関のブランドン・いずみ先生(以前の広瀬いずみ先生)と結婚したブランドン・久芳宣教師なんですね。

圭子(夫人)にとりましても、私にとりましても、久芳先生はお母さんのような存在でありました。
パウロが言っているのは、そういうことだろうと思うんですね。
いま会えない。でも機会があったら、必ず自分が受けたその恩に、「お世話になりました。よろしく伝えてください」ということを、パウロは絶対に言いたいわけですね。

今日は「母の日」なんですけれども、教会家族の中にも、私たちの人生の旅路においても、恵み溢れるお母さんたちが沢山いるんだということは何よりも感謝です。
あの方は私の実母ではないけれども、私にとってはお母さんのような存在で、
パウロが自分の母親に、実母に感謝している聖書の場面はないんですよね。
でもルフォスの母に感謝するという場面はある。
なぜなら、「彼女は私にとっても母親なのです」と言う。

2)このルフォスという家族を見ていただきたいと思うんですが――

ルフォスという名前は、もう1か所、出て来ます。
それがマルコの福音書の、イエスさまが十字架に向かわれる15章です。

<マルコ15:21>
21兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。

クレネ人シモンの息子がルフォスです。
クレネ人シモンは「田舎から出て来ていた」というのは、これは過越の祭りを祝うために、
クレネというのはキレネというのが普通の訳ですね。北アフリカの小さな町でありますけれども、そこからわざわざやって来たわけです。

やって来たところ、ま、十字架刑というのは見せしめの刑でありますので、自分が付けられる丸太棒2本を背負いながら、エルサレムを引き回され、やがて城の外へ出て、ゴルゴタの丘に上がっていくわけです。
処刑される人物は、自分が処刑される、磔になる十字架を背負わなければいけないんです。
イエスさまは厳しいむち打ちの刑を既に耐えておられましたので、非常な出血で、背負って行ける状態ではありませんでした。

そこに、たまたまこのシモンという人が通りかかった。
もしかしたら、「何だろう?」と思って、すっと顔を出したところ、ローマの兵隊が、
「おい、お前が代わりに十字架を背負え。このままだったら、おれたちはゴルゴタの丘に行き着かないぞ」
と言って、彼は引っ張り出されたわけです。無理やり十字架を担がされた。

シモンは、「なぜ、この男は俺の前で倒れたのだ」(笑)と、イエスさまに対して思ったに違いありません。
そして「選りによって、なぜ兵士は俺を選んだのだ?」(笑)と。
全く関係のない、この十字架刑、その十字架を自分が代わりに背負うという理由はゼロですよね。
でも苛立つ思いと共に、その十字架を背負った時の十字架の重さというのは、さぞ苦しかったと思います。
何度か、イエスさまと目が合ったかもしれない。それはあったと思いますね。
そしてそこに無言の会話らしきものがあった、と容易に想像できます。

彼は過越の祭りのために意気揚々とやって来ました。
それが今はゴルゴタの丘に立ち、見ず知らず、初めて見る人間が、十字架の上で、
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、自分で分からないのです」(***ルカ23:34)という言葉を仰る(イエスさま)。
十字架のすべてを、彼はそこで眺めることになりました。

さて、しばらく経って、彼は誕生したばかりの教会に通うようになりました。
そこで使徒たちから教えられたのは、驚くべきことでありました。
シモンは無理やり背負わされたんです、イエスさまの十字架を。
しかし、「実はその十字架というのは、シモン自身の罪のためであった」ということを、彼は知るようになります。
そして、想像豊かに考えてみれば、あの時の十字架の丸太棒の重さというのは、自分の罪の重さだったに違いない。
そしてあそこで展開されたイエスさまの苦しみは、自分を愛するゆえの苦しみだったのか、ということをまことにひしと実感できた人物というのは、クレネ人シモンですね。

そこにはヨハネもいました。あるいは他のマリアたち、母マリア、マグダラのマリアもいました。
でも一番その苦しみを、少しでも実感できたのは、イエスさまの代わりに十字架を担ったクレネ人シモンだった。
あんな重たい十字架を、背中にあれほどのむち打ちの刑を受けながら、血だらけになって運ばれ、そして生身の人間が釘で木に打ち付けられ、その重さが、その打ち付けられた場所から裂かれるように全身を貫く――

同時に彼は様々な事が分かるようになりました。
代わりに担う尊さですね。
イエスさまの愛と犠牲とか。
そして彼が最終的に思ったことは、自分はたまたま居合わせたのではない。
「自分は神さまに選ばれ、イエスさまの十字架を共に担う大切な役目を果たすことができたのだ」ということを彼は実感します。
「自分は特別に愛されている人間なんだ」と。

私(藤本牧師)はクリスチャンホームに生まれました。
クリスチャンホームに生まれますと――クリスチャンホームに生まれたから自分はクリスチャンなんだ――と、そう考えてしまうような時があります。
それはシモンにしてみれば、たまたまそこに居合わせたから、自分は十字架を担う羽目になったと。
でも実際そうではなかったんですね。
神さまはクレネ人シモンを選んでおられ、イエスさまの愛を少しでも理解することができるように、わざわざイエスさまの十字架を担うという特別な重荷を彼に背負わせたんですね。

私たちがイエスと出会う時に、その愛と向き合うこと、自分自身の罪の重さ、キリストの愛の尊さ、そしてイエスと共に十字架を担うことの意味、ありとあらゆることを、クレネ人シモンは実感しました。
1日の出来事の中、しかしキリストと出会った、キリストの十字架を担ったという出来事が彼の生涯を変えていきました。
そして生涯を通して、無理やり背負わされた十字架の意味する所を、その恵み深さを味わうことができました。

しばらくしてと申しましたけれども、しばらくして彼はキリスト者となり、そして彼の妻もキリスト者となり、そして子どもたち二人もイエス・キリストの十字架を実感してキリスト者となりました。
この二人の子どもたちの働きは、かなり初代教会では知られるようになり、
マルコの(15章の)21節にこのシモンを導入する時に、このシモンは亡くなっていたんでしょう。
「このシモンという人物はアレクサンドロとルフォスの父である」
と、息子の名前を使ってクレネ人シモンを紹介せざるを得ない程、シモンはもうこの世界から去っていたのだろうと思います。
「実はこの二人の父が、イエスさまの代わりに十字架を担った。尊い仕事をするために、選ばれたんだよ」と。

クレネのシモンの家族が、パウロとどのように出会ったのか、聖書は記されていません。
でも主の恵みは尊いですね。
パウロはルフォスを父親シモンと同じように、ローマの16章の13節では「選ばれた人」と呼んでいます。
偶然ではあったように見えましたけれども、明らかにシモンは選ばれて十字架を担がされた。
そしてその息子のルフォスを、パウロは「選ばれた人ルフォス」と呼んでいますね。
そしてルフォスの母を自分の母と呼ぶという、何とも言えない、恵みの人間関係の広がりというのが、あの十字架の日に、シモンがイエスと出会ったがゆえに、その十字架を担がされたがゆえに、この家全体に主の恵みが浸透していったということが分かります。

私たちもそうですね。
いつ、いかにしてか、私たちはイエスさまと出会う。
その時は無言で目を交わすだけかもしれません。
しかしどこかで、そこに神さまの摂理が働いていて、出会った時にはよく分からなかった。
しかししばらくして、十字架の重さ、イエスの愛を実感し、それはやがて自分が関わる周囲へと伝わっていった。
クレネ人シモンの家族は、それらすべてが分かったんですね。
そしてその日以来、シモンは、そして家族は、イエスの十字架を共に担い、イエスの愛を周囲に伝えるというこの特権にあずかるようになりました。

それは私たちも同じです。
一体どのようにして、イエスさまと出会ったのか?
それはまことに無理やりの出来事だったのかもしれない。
友人に無理やり連れて行かれたとかですね(笑)、家族の者に無理やりだったとか。
でもそこから広がるイエスの出会い、そしてイエスの出会いから広がる恵みの交わりは、非常に大きなものです。

3)主にある共同体

と題して、ローマの16章に戻っていただきますが、
先程読んでいただいただけで分かったと思いますが、多くの個人の名前と挨拶ですが、目立った特色があります。
それはパウロが「主にあってよろしく」とか「キリストにあってよろしく」という風に記しています。
単なる挨拶ではない。信仰家族の挨拶です。信仰家族の挨拶は「主にあって、キリストにあって、よろしく」なんですね。

私たちはいま物理的に互いに離れています。でもいつも意識しています。
あ、私たちもパウロと同じなんだ。
パウロは離れているがゆえに手紙を書きます。
今の時代で言うならば、離れているがゆえに電話をします。離れているがゆえにメールをします。
そして私たちのメールや電話やはがきや手紙の中に、「よろしく」という挨拶が込められています。
この挨拶をする時に、私たちは「主にある祝福を分かち合う」ということなんですね。

「よろしく」と言って、パウロは自分が持っている祝福をローマの教会の人々に分かち合いたい。
自分が受けて来た体験を通して、ローマの教会全体に手紙を書いているんですけれども,こう言われますとね、ルフォスもルフォスの母もことさらこの手紙を詳しく読んだんだろうと思います。
そしてことさら深く、主の愛と恵みと主の摂理・導きを心に留めたんだろうと思います。
私たちはみな主にあって一つ。
ですから教会にとっての「母の日」は、改めて私たちが一つとなって、教会におられる沢山の母に感謝する日であります。
それは個人の家庭における「母の日」とは、また少し意味が違います。

互いに励まし、互いを覚え、互いに支え、互いに祈り合う家族。
互いが互いの母となり、子どもとなり、父となり、祝福を分け合う。
この霊的現実を、インターネットの礼拝においても実感できたら、私(藤本牧師)はイエスさまは私たちのことを褒めてくださると思います(笑)。
そしてこのインターネットの礼拝というものを、パウロは感激すると思います(笑)。
そしてパウロは言うでしょう。
「私と同じだ。私もルフォスとルフォスのお母さんのことも忘れることはできなかった。
ルフォスのお母さんは、私にとっての母親でもあった。それほどまでにお世話になった。
私は手紙一つで、ローマの教会の人々としっかりと結び合わされた。
たとえそこに行けなくても、この手紙をもって、私たちは家族である、ということを証明した」
で、パウロは言うでしょう。
「あなたがたもそうであってほしい。
インターネットによる離れた礼拝であっても、礼拝家族はいつも一つで、互いのことをしばし覚えて祈る、感謝する機会なんだよ」
ということを思い起こしたいと思います。

☆お祈りをいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、時に大変な孤独に感じることもあるでしょう。「あの人はどうしているんだろうか」と高津教会から地方に散って行かれた、送られて行った方々を、私たちは覚えます。姫路の竹内先生、どうしてるのかな?静岡の小島先生、あるいは小林佳先生、静岡のMさん、アメリカのIさん、飯塚の(しばしお名前を思い出すのに時があって)Jさん、名古屋のY(旧姓S)さん、そして病院で労しておられる多くの方々。多くの方々。

私たちはこの礼拝にあって一つとなり、また私たちがこのようにして互いを覚える時に、私たちは決して離れてはいません。パウロが手紙を通してローマの教会の中に深〜く入り込んでいったように、またパウロのメッセージがローマの教会の人々に深く届いたように、あなたはこの交わりを、私たちの内に成立させていてくださることを心から感謝いたします。

どうかそれに加えて地上の母をも大切にすることができますように。まさに母の日ではなく、母の月だと言ったように、今月いっぱい感謝の機会をもし逸していたならば、地上の母親にしっかりと感謝することができるように、私たちを促してください。愛するイエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2020.05.10 - 22:31

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