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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   7/5 聖餐式(主の食卓):挫折と希望  ヨハネ21:12〜17
☆聖書箇所   ヨハネ21:12〜17

12 イエスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子たちは、主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねはしなかった。
13イエスは来てパンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。
14イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自分を現されたのは、これですでに三度目である。
  15彼らが食事を済ませた時、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」
16イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
17イエスは三度目もペテロに「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

☆説教  聖餐式(主の食卓):挫折と希望  

聖書はヨハネの福音書の21章です。戸塚先生には途中から読んでいただきました。
それは12節から始めることが今日の意図だからです。12節――

12イエスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」……

「さあ、朝の食事をしなさい」と言って、イエスさまは今朝私たちを聖餐の卓に招いていてくださる、ということを覚えておいていただきたいと思います。

私(藤本牧師)は何度か話して来ていますけれども、カトリック教会の中心のバチカンのサンピエトロ寺院に、ペテロの像があります。
カトリック教会は多額の財を投じてカトリックの様々な遺産(聖画聖像)を修復し、守ってまいりました。
しかしサンピエトロ寺院の中で、そのカトリックが唯一修復しないものがある。
それが回廊にありますペテロの像です。座っているペテロの像のペテロの足です。
何百年もの間、それこそ何億という人々がペテロの足を撫でて来ました。
ですから片方の足、指の分け目がない程つるつるになっています。
それをカトリックの方々は絶対に補修をいたしません。

赦しと恵みを求めて、ペテロの足の下にひざまずき、ペテロの足を触るということは、私(藤本牧師)は間違っていることだろうと思います。
本人も嫌がるだろうと思います。
跪いて赦しを求めるなら、イエスさまのところに行きなさいと。
しかし、人々がペテロに同情を求めて、ペテロを慕う気持ちは、私たちでも明確に理解できます。
それはペテロが尊い人物だからではない。それはペテロが取り返しのつかない挫折を体験したからです。
挫折体験を持っている人に私たちは大きな励ましを受けます。
弱さを知られてしまった人を、私たちは決して見下すことはいたしません。
むしろその人を親しみ、その人を思う気持ちを抱きます。
なぜなら、私たちも挫折し、私たちも転ぶからです。

イエスさまが十字架にかかる前の晩に、最後の晩餐の席上のことでありました。
イエスさまが、「あなたがたの中で、わたしを裏切る者がいます」
とユダを示唆した時に、彼(ペテロ)は胸が張り裂けました。
ペテロだけでなく皆が、「まさか自分のことではありませんね」と言いました。
ペテロはその中でも、
「たとえ全部の者がつまずいても、私は決してつまずきません。たとえご一緒に死ななければならないとしても、私は『あなたを知らない』などとは決して申しません」と、
(***マルコ14:29、31)
最後の晩餐の席上で、ペテロは大胆に豪語いたしました。
勇ましく胸を張りました。

自分の勇ましい口調が記憶の中からまだ消えない内に、ペテロはなんとイエスさまを三度否んでしまいます。
一旦は散りちりバラバラになった弟子たちの中で、ペテロは身を潜めて、少しばかり残った勇気を振り絞って、あるいは好奇心のゆえか、大祭司の庭に忍び込みます。
たき火に当たりながら、女中に「イエスさまの仲間だ」と指摘された時に、見事なまでに(※マルコ14:72、イエスさまの預言通り、鶏が鳴く前にその晩)三度イエスさまを「知らない」と否定いたします。

否んだ後に、裁判を終えて大祭司の館から出て来たイエスと目が合いました。
その時の主イエスの悲しげな眼差し、そして記憶から消えない自分の情けない過去でありました。
「さあ、朝の食事をしなさい」と(言われ、ここに)座っている弟子のペテロは、もはや一番弟子のペテロではないです。
期待されていながら、期待に応えられずに挫折したペテロです。
その男が主イエスと食事をしています。

福音書の中で、忘れることのできない食事がいくつも書いてあります。
もちろん最後の晩餐もそうです。
でもこの食事も、非常に味わい深い。
そしてこの食事に込められているのが、挫折と希望である、というタイトルで、今日はお話をいたします。
この食事において、3回イエスが繰り返してペテロに問われた質問に鍵があります。
15節に――「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」

1)ペテロの挫折

「ヨハネの子シモン」というものの言い方は、15節にも、16節にも、17節にもペテロに呼びかけるために、イエスさまはあえて、「ヨハネの子シモン」と言っています。
この呼び方の中に、ペテロの挫折が込められています。
イエスさまはペテロと出会う前の、ペテロの昔の名前であえて彼を呼びました。
「ヨハネの子シモン」という名前の中に古いペテロが入っています。
まだイエスさまと出会う前のペテロが込められています。

弟子たち皆がイエスさまを捨てました。しかしイエスさまを否んだのは、ペテロだけでありました。
その彼が特別に声をかけられた時に、イエスさまは彼のあるがままの姿を指さすかのように仰ったのが「ヨハネの子シモン」。
それはまだ三年半前のあのペテロであります。イエスと何ら関係のないシモンです。
それはイエスを否んだがゆえに、シモンなんですね。

2)でもその彼に、イエスさまは「わたしを愛するか?」と問うておられます。

イエスさまはペテロに一貫して、またもや3回――
15節、16節、17節と「あなたはわたしを愛しますか?」と問うています。

これは非常にペテロにとって、辛い質問でありました。
その辛さというのは、ギリシャ語の原文から読み取ることができるんですが、
最初の2回は、「愛しますか?」というイエスさまの質問の動詞に、イエスさまはアガパオー(神の愛)という非常に質の高い愛を求めて尋ねておられます。
しかしペテロはその度に二回、「フィレオ―というもう少し低いレベルの、友情的な愛で愛します」と答えています。わざわざ言葉を言い換えているんですね。
それはペテロの「自分はイエスさまをアガペーの愛で愛する自信は毛頭ない」という気持ちの現れでありました。

で、三回目に(17節)主は、ペテロのレベルに妥協して、「じゃあ、あなたはフィレオ―の愛で、せめて友情でわたしを愛するか?」と尋ねて来るわけですね。
イエスさまの方でレベルを落として来られます。
高いレベルの愛で、「わたしを愛するか?」という質問に、ペテロは一度も答えることができませんでした。
そこでイエスさまの方からレベルを落として、「だったら友だちとしてでも、わたしを愛するか?」と。
この質問のやり方は、「イエスさまなど知らない」と三回も否定したペテロにとっては大変辛いものでありました。

ここで考えていただきたいんですけれども、「わたしを愛するか?」とイエスさまは尋ねます。
そうすることによって、三回イエスさまを否んだペテロの罪の意識を掻き立てているんだろうか?と思います。

井の頭公園の玉川上水べりに、「松本訓導の碑」というのがあります。
「何とか訓導の碑」というのは全国に幾つもあります。
*昔プールはありませんでした。小学校で水泳を教える時に、先生は近くの川に連れて行って子どもたちを泳がせます。
*受け持ちの児童が溺れているのを助けて、先生自身が力を尽きて死んでいった事件というのは、実は幾つもあるそうです。
*その先生の殉職を記念して、「訓導の碑」という石の柱が立っているそうです。

そんな話にまつわって、聞いたことがあります。
戦中のある時、ある町の公民館に、「血染めの軍服」というのが展示された。
*名誉の戦死をたたえて、戦意を高揚するために展示された軍服です。
*ある少年の遺品だったそうです。
*カーキ色の薄汚れた軍服に穴が空いて、黒い血に染まっている襟元に、星が一つ。

その少年が、召集令状をもらった時に、彼は「これでやっと死ねる」と言って喜んだそうです。
家の人たちは、「これでやっと世間様に顔向けができる」と喜んだそうです。
実はこの少年、以前川で溺れかけ、先生は彼を助けて死んだ。
いや、彼の身代わりになって死んでしまいました。

それがいつの間にか変わって、周りの目は、
「あいつが先生を殺した。
先生はあいつのために死んだ」という風になります。

その非難の目を、彼はそれ以来背負って生きて来ました。
少年は、何度も思ったことでありましょう。
「先生、なんで俺を助けた。あの時、死んだ方がましだった」

言うなれば、イエスさまは三回ペテロに「あなたはわたしを愛しますか?」と問うことによって、「わたしはあなたのために死んだ。あなたもわたしのためにいのちを捨てよ」
と、こう迫っているのか?
愛を求めているのか?「わたしの愛に応えるように、あなたは生きるべきだ」と詰め寄っているのか?
ペテロの足りなさを追い詰めて、「もっとしっかり愛しなさい」と決断を迫っているのか?

いいえ、そんなことはないと思います。
常識的に言って、それはあり得ないと思いますね。
私たちは自分の友人に対しても、「ねぇ、君はぼくを愛しているか?」と聞きませんよね。
そんなことを聞かれたら、ドキッとしますね(笑)。
どういう意味なんだろうと、思わず考えてしまいますが。
まして私たちは好きでもない相手に向かって、「あなたは私を愛していますか?」と聞く人はいません。

私たちは自分が好きな相手に、自分が愛している相手に聞きたいんです。
「ぼくのこと好きなのかい?ぼくのこと愛しているのか?」と。

つまり三回イエスさまがペテロに向かって「わたしを愛しているのか?」と聞いた時に、段々度合を増して明らかになって来るのは、イエスさまのペテロに対する愛です。
ペテロの挫折の問題ではない。
イエスさまが三回も、「あなたはわたしを愛するか?この人たち以上に、(わたしを」愛するか?」と問うているのは、
「わたしはあなたのことを、神の絶大なる愛をもって今も愛しているんだよ」ということの証明ですね。

彼は初めの二回の質問に答えます。
「はい、主よ。私はあなたを愛しています」と。
そう言いながら、三度目をご覧いただきたいと思うんですけれども、17節――

17イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。(***この愛は、フィレオですから少しレベルを落としてイエスさまは尋ねているんですね、と説明)。ペテロはイエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」……

「すべてのことをご存じです」と言った時に、様々なことが込められます。
「あなたは私があなたを裏切ったことをご存じです。」
「あなたは私がどちらかと言えば、口だけの性格であることもご存じです。」
「あなたは私が自信がないこともご存じです。」
「もしかしたら、もう一度位あなたを裏切る可能性があるということもご存じです。」
「あなたは私の空元気もご存じです。」
「あなたは私の疑問も不安も、私の不信仰も弱さも、一切、すべてご存じです。」

3)そして三番目、イエスさまの愛が勝ちます!
《※人の挫折よりも神の希望の方が勝つ!》

もう今年のテーマですね。ゼカリヤ書をやりながら(笑)。
イエスの愛が勝つ。ペテロの挫折よりも、イエスがペテロにかけた希望が勝つ。
なぜなら、イエスさまは17節の最後に仰いますね。

17……イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

これは、イエスさまのペテロに対する信頼です。
どんなにペテロに自信がなく、どんな挫折をペテロが体験したとしても、
「わたしはあなたを信頼している。だから、わたしの羊を飼いなさい」です。

三番目に《人の挫折よりも神の希望の方が勝つ!》わけですね。

ウィリアム・バークレーという第二次世界大戦の最中にイギリスで活躍した聖書学者がいます。
彼は特に当時ラジオを通じて、聖書の講話をしていまして、イギリスの人々を励ました――それで有名ですね。
ウィリアム・バークレーの言葉に、
「人は誰でも、英雄であると同時に臆病、聖者であると同時に悪人、親切であると同時に残忍、同情的であると同時に冷淡であることができる。人間というのは、矛盾の固まりだ。」
ま、私(藤本牧師)はそれに付け加えて言うならば――
「人は信仰的であると同時に不信仰、霊的であると同時に世的。」

バークレーは、この矛盾した私たちの姿の中から、大切なことを強調します。
「矛盾した両名を持っているからこそ、他者の可能性を見抜いて、それを実現させてあげなさい」と。
どんな人でもいい所と悪い所がある。だとしたら、その人物の可能性に目を留め、それを見抜いて、それを実現させてあげなさいと。

周りの弟子たちは、ペテロに対してそれなりの判断を下したんだろうと思います。
ああ、ペテロという人間は、出しゃばりで、感情的で、口だけだったなぁと。
一番弟子と皆に認めてもらえないと必死でありながら、三度イエスを否んだのは、ペテロだけだったなぁとみんなは思ったに違いありません。
しかしイエスさまは、そんなペテロの奥に隠れている岩のような可能性、最善のペテロをご覧になっていました。
そして、イエスさまはそれにかけて仰いました。
「あなたはわたしの羊を飼いなさい」です。

イエスさまはペテロに対して信頼してくださったように、私たちの可能性を見抜いて、
私たちが自分でもはっきりしていない、他人にはなかなかわからない、私たちの可能性に期待をかけていてくださいます。
それがゆえに、イエスさまはペテロを、また私たちを食卓に招いて仰る。
「わたしの羊を飼いなさい。わたしはあなたが自分自身を、周りがあなた自身をどう見ようが、わたしはあなたの内にある信仰を、可能性を、良き側面を、素直な面を、わたしは見抜いている。」
そして一言、19節の最後に仰います。

19……ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」

そういう食卓に、私たちは聖餐の度に招かれているんです。
食卓の前に私たちが座る時に、私たちの挫折、私たちの弱さ、私たちの不信仰はいつも明らかにされます。
でも同時に、神の愛とそして神の憐れみ、神の希望は、この聖餐の食卓に明らかです。
これをいただいた時に、私たちは神の愛を改めて味わうだけでないです。
私たちは力を得て、神の期待に応えようと立ち上がる者でありたいと思います。

☆お祈りをいたします。――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、まだまだコロナが猛威を振るっている時期でありますけれども、新しく始まる7月8月9月というこの暑い時期、格別に私たちをお守りください。

聖餐の度に、私たちは自分の弱さ、自分の罪深さ、自分の不信仰、自分の愚かさを思い起こします。でもあなたが私たちに希望の目をもって、期待をかけて私たちを招いていてくださるということを自覚することができますように。

聖餐は私たちの信仰を更新し、そして私たちを聖化に進ませる力です。どうかそれを味わって、この場からいつもの場所へと遣わしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

☆聖餐式 

※説教の前後は「聖日説教」の方に掲載しています。
  

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DATE: 2020.07.05 - 21:39

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