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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   7/19 ゼカリヤ(14)その日――恵みと嘆願の霊を注ぐ ゼカリヤ12:1〜10
☆聖書箇所  ゼカリヤ12:1〜10
1 宣告
 イスラエルについての【主】のことば。
  天を張り、地の基を定め、
  人の霊をそのうちに造られた方、
  【主】の告げられたことば。
2「見よ。わたしはエルサレムを、その周りのあらゆる民をよろめかせる杯とする。エルサレムが包囲されるとき、ユダについてもそうなる。
3その日、わたしはエルサレムを、どの民にとっても重い石とする。すべてそれを担ぐ者は、身にひどい傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来る。
4その日――【主】のことば――わたしはすべての馬を打って驚かし、その乗り手を狂わせる。しかし、わたしはユダの家の上に目を見開き、もろもろの民のすべての馬を打ってその目を見えなくする。
5ユダの首長たちは心の中で言う。『エルサレムの住民は、彼らの神、万軍の【主】によって私の力となる。』
6その日、わたしはユダの首長たちを、薪の中にある火鉢のようにし、麦束の中にある燃えるたいまつのようにする。彼らは右も左も、周りにいるどの民も焼き尽くす。しかしエルサレムはなお、元の場所エルサレムに残る。
 7【主】は最初にユダの天幕を救う。ダビデの家の栄えと、エルサレムの住民の栄えが、ユダ以上に大きくならないようにするためである。
8その日、【主】はエルサレムの住民をかくまう。その日、彼らの中のよろめき倒れる者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになって、彼らの先頭に立つ【主】の使いのようになる。
 9その日、わたしはエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。
10私は、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。

☆説教   ゼカリヤ(14)その日――恵みと嘆願の霊を注ぐ

ハガイ書とゼカリヤ書の学びは今年の元旦に始めました。
私(藤本牧師)は神さまの良い導きを得たなぁと思っていました。
ま、土台だけ建設して、日常の忙しさにかまけて、いつの間にか神殿を建設するという使命を忘れてしまった民に、
神さまは再びその霊を奮い立たせるために与えてくださったみことばというものは、私たちに通じるものがあります。
土台建設だけで終えてしまった自分の信仰生涯。
もう一度神さまが私たちの霊を奮い立たせてくださり、私たちの内で始められた神の良い働きが完成に導かれる、というこの道筋を捉えながら、
メッセージは大きな励ましと慰めになったと思うんですけれども――

9章に入りまして、その後の預言に入りましたら、途端に複雑になりました。
このあたりを、いわゆる黙示というんですね。黙示録の黙示です。
ゼカリヤ自身も見たことのない、どういう歴史的状況で書いているのか、語っているのか、自分でも語っている内容が分からない。
書いている本人も分からないのが黙示言語ですね。
将来どのような状況にあって実現するのか分かりません。

聖書は詳しい説明は避けていますが、それでも、オンラインの礼拝で、もしかしたら皆さんが聖書を開けられない状況で、説教の内容を理解しようとするとしたら、これは至難のわざだなぁと思います。
皆さん、良く余裕がありましたならば、T・Yさんが日曜日の夜には全部まとめてインターネットに上げていてくださいますので、改めてそちらを読んでいただければいいかなと思います。
残りわずかです。今日12章で、全体として14章しかありませんので、残りわずかですので、ま、こんな言い方すると申し訳ないんですけれども、忍耐をもって最後まで読み切ってしまえたら、今は実感しなくても、蒔かれた種は、情報は、どこかで花を咲かせ実を結ぶと信じて、今しばらく耐えていただきたいと思います。
インターネットの礼拝は基本的に一時間と考えています。ですから礼拝には「10時半から始まって11時40分まで」と書いてありますので、それを何とか守りたいと思っています。

12章の初めに「宣告」と出て来ます。それは9章の初めにも一回出て来ました。
「宣告」というのは、まさにこれから起こる黙示のことばを、神が語られるというもの。
「イスラエルについての【主】のことば」(ゼカリヤ12:1)と始まりますけれども、
それがいったいいつ起こるのか、どういう出来事なのか、そして終わりの日の出来事に至るまで総括しているんだろうと思います。

鍵になるポイントを3つ取り上げてお話しして、何とか全体を掴み、なおかつ今朝の私たちに、神さまは何を語ろうとしておられるのかということを一緒に考えてみたいと思います。

1)その日、という言葉

12章と13章で、6回も出て来ます。
その日が何を意味するのか?それはエルサレムが危機にさらされる日、滅亡の危機にさらされる日です。
これは、終わりの日とも考えられますけれども、自分だけでなくして、世界が迎えるその日なんです。

そのような日にあっても、神さまはエルサレムを守る、という宣言が出て来ますが。
さあっと読んでいきますね。2節に――

2「見よ。わたしはエルサレムを、その周りのあらゆる民をよろめかせる杯とする。……

どういうことかと言うと、敵に包囲されたときに、敵が酒に酔って戦う力を失うようにあなたを強める、というのです。

(※このあたりから音声が途切れてしまいましたので、8節までの説明を原稿に基づいて書きますT・Y)
3その日、わたしはエルサレムを、どの民にとっても重い石とする。すべてそれを担ぐ者は、身にひどい傷を受ける。……

敵があなたを持ち上げようとして、砕こうとしても、わたしがあなたを重たくするので、砕かれるのはあなたを持ち上げようとする敵の方だ、と。

4その日――【主】の言葉――わたしはすべての馬を打って驚かし、その乗り手を狂わせる。……

敵は馬に乗って攻めて来ます。強力な敵です。
しかし神はその馬を打って驚かし、馬が飛び上がりますから、乗り手は戸惑うばかりです。

6その日、わたしはユダの首長たちを、薪(たきぎ)の中にある火鉢のようにし、麦束の中にある燃えるたいまつのようにする。……

薪は、燃え盛って私たちを滅ぼし尽くそうとします。
でも神さまは、私たちを火鉢のようにし、敵以上に熱く燃え立たせる。
麦の束が燃やされても、その中にあって、私たちはたいまつのようにされて、さらに強くなる。

8その日、【主】はエルサレムの住民をかくまう。……

私たちの力ではありません。神さまが私たちを強くしてくださり、かくまってくださる。
敵が私たちを取り囲み、敵が私たちを何度滅ぼそうとしても、神さまは私たちを重い石のように強くし、敵を惑わし、燃える火の中にあってさらに強く、燃えるたいまつ、火鉢のようにしてくださる。

イスラエルの歴史の中で、何度も彼らはこのような体験をします。
つまり、霊的なイスラエルもそうなんです。
霊的なイスラエルというのは、キリスト教会でありますけれども、
教会も同じように何度となく迫害にさらされてきました。
私たちの人生もそうなんです。つまりその日というのは、何度も何度もやって来る。

しかし神さまは宣言されます。それが1節に出て来る「宣告」なんですけれども、
「わたしがあなたをかくまう」そのわたしは――1節にあります――

1宣告……天を張り、地の基を定め、人の霊をそのうちに造られた方……

わたしはそういう者だと。
戦争もあるでしょう。災害もあるでしょう。疫病も感染症もあるでしょう。
しかしわたしこそが、天を張り、地の基を定め、人を創造した神だ。
わたしがあなたをかくまう。あなたを強める。
だから何があっても恐れるな。諦めるな。希望を失うな。
これが先ず1つ目のポイントですね。

2)非常に特徴的な聖句が12章にありまして、それが10節です。

ちょっとゆっくり読みますね。10節が一番特徴的な聖句ですね。

10わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。

ひと言で彼らは、自分たちが突き通した者を見て嘆く。
まるで子どもを失って激しく泣くかのように嘆く。
なぜそんなに泣くのか?それは「神が嘆願の霊を注がれた」からなんですね。
「神が悔い改めの霊を注がれた」からなんです。

このゼカリヤの預言から始まって、「突き通した者」「突き通された者」というのは、
これは間違いなくイエス・キリストです。十字架で突き通されたイエス・キリスト。
ヨハネの福音書を見ますと、主イエスは十字架の上で息を絶え、
死を確認するために、ローマの兵士たちは、イエスの脇腹を突きました。
その時に、体内に溜まっていた血液と体液が流れ出て来たと書いてあります。
<***ヨハネ19:33〜34>。

<黙示録の1章の7節>をも見てください。
同じように突き通された者としてのイエス・キリストですね。
これは終わりの日ですね。お読みしますね。

7 見よ、その方は雲とともに来られる。(***マルコ14:62、ダニエル7:13)
    すべての目が彼を見る。
    彼を突き刺した者たちさえも.
    地のすべての部族は
    彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。
    しかり、アーメン。

突き通された者というのがイエス・キリストで、その方が再臨者として現れる時に、
すべての人々は自分たちが犯した罪を悔い改めて、胸を打ち叩いて嘆くということですね。

ゼカリヤに戻って来ますと、ゼカリヤの中では、その時ダビデの家とイスラエルが一斉に悔い改める。
ゼカリヤの12章の10節――

10わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き通した者、わたしを仰ぎ見て、……

そして「嘆く」と書いてありますよね。
これは例えていうならば、ペンテコステの日に、一部実現していますね。
聖霊が弟子たちに降り、ペテロが大胆に説教をします(***使徒の働き2章)。
「あなたがたは神が送られた救い主を十字架にかけて殺した」と。
それを聞いたユダヤ人3000人が悔い改めて、洗礼を受けますよね?
それから続々と、パウロの伝道によって、地方に散らされていったユダヤ人もキリストを信じるようになりました。
こうしてユダヤ人でありながら、後にキリストを信じたユダヤ人を、メシアニック・ジュ―と言います。
今でもパウロのように、ユダヤ人伝道に重荷を持ちながら、ユダヤ人に伝道しているキリスト者がいます。

でもユダヤ教の大方は、圧倒的にキリスト教に耳を傾けることはありません。
また現代のイスラエル国家というものは、その政治は到底キリストの教えに沿ったものであるとは言えないと思います。

しかし終わりの日に、神は、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。
すると、皆さんの字幕には出なかったと思いますが、11節〜14節を戸塚先生が読んでくださいましたが、一斉に悔い改めが始まるんですね。
11節からちょっと読んでいきますね。

<ゼカリヤ12:11〜14>
11その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダド・リンモンのための嘆きのように大きくなる。
12この地は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆く。ダビデの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
13レビの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。シムイの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
14残りのすべての氏族は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。

「ひとり嘆く」の繰り返しです。
それは、悔い改めは一人ひとりに届く。
民族としての悔い改めだけではない。
一人ひとりのたましいの内側から、赦しを求めて嘆願する祈りが出て来る。

パウロはそれに希望を抱いてロマ書を記しているんですね。
ロマ書の11章の28と29節。もしお手元に聖書がありましたら、見ていただきたいと思います。
この(ロマ書)9章から11章まで、パウロはこの救いの歴史の中にあって、イエス・キリストを拒んだユダヤ人はどういう意味を持つのか?ユダヤ人は最後に救われる、ということを記しています。

<ロマ書11:28〜29>
28彼らは、福音に関して言えば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びに関して言えば、父祖たちのゆえに、神に愛されている者です。
29神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。

私(藤本牧師)はこれをもって、現代イスラエル国家を良しとはしません。 
遥かに神さまのみこころから離れていると、私は思っています。
でも最後には――ず〜っと学びのテーマとして考えて来ましたよね――「最後には神の愛が勝つ!」。
それは単純に「神の愛が勝つ!」だけではないです。
終わりの日に、一人一人に聖霊が及ぶ。突き通した主イエスに対して、泣いて悔い改める。
一人ひとりが、その日ですね、その日は終わりの日です。
その日に、旧約の民が回復され、新約の民、教会と一つにされる。

そういう意味で、ゼカリヤ書の12章の10節のみことばというのは、
現代のイスラエルが神のご計画の中で、最後どのようになっていくのか、
パウロはロマ書の11章に少し描きますけれども、
しかしそのことを示唆している有名な言葉として、心に留めておいてください。

3)その日は、何度もやってきます。

終わりの日というのは、私たちにとって、何度もやって来ます。
エルサレムにとってもそうでした。
エルサレムが滅ぼされそうになる時、いや実際にギリシャのアンティオコス・エピファネスが、イスラエルの人々が最も嫌う豚を神殿に捧げるような、侮辱的な行為をする出来事もありました(***ダニエル11:31)。

いや、それだけでなく、イスラエルの信仰も弱くなり、心許なくなり、何度も希望を失い、時には神に対して不遜な態度を取って来ました。
これまでこのことを学んで来ましたよね?
しかし最後は、神の愛が勝つ!と。
なぜか?それは「神の真実」だから、と話しましたけれども、
「神の真実」と共に、12章の一番最初に出て来る、「神は天を張り、地の基を定め、私たちを造られた神」(1節)だという、神の全能性が入っているんですね。

全能なる神が、私たちに対してなされた約束が真実であり、そして何よりも《神は私たちを覚えていてくださる》。
これがマリアの賛歌(***ルカ1:46〜55)や、ザカリヤの賛歌(***同67〜79)、イエス・キリストの誕生に出て来るわけですけれど、
《神が私たちを覚えていてくださる。顧みてくださる》。
それがゆえに、《神さまは私たちに恵みと嘆願の霊を注いでくださる》。
その霊が注がれると、私たちは一人ひとり悔い改め、主の憐れみにすがり、
そして神さまの恵みは、そんな私たちを受け入れてくださるのです。
そんな日は何度もやって来るのです、この人生に。

周りの状況があまりにも忙しく厳しく、また絶望的で、私たちは希望を失い、また信仰が心許なくなり、私たちが神を離れ――そんな日は何度もやって来る。
しかし神が私たちのことを覚えて、嘆願と恵みの霊を注いでくださるがゆえに、私たちは自分の罪に気がつき、そしていまだに愛してくださる神のもとへと私たちは帰って行く――そんな日が何度もやって来る。
それをもって、私たちはもしかしたら地上の生涯の幕を閉じるかもしれない。
でも地上生涯の幕を閉じる前に、何度となくその日をこれまで経験して来たんです。
それは、放蕩息子(***ルカ15:11〜24) が我に返ったんですよね?
でも我に返ることができたのは、天から恵みと嘆願の霊が放蕩息子に注がれることができたから。
つまり、父がいつまで経っても息子のことを忘れずに、息子のために祈り、
それはイエスさまを知らないと三度否んだペテロでさえ、イエスさまはずっと祈っておられた。
で、ペテロをもう一度、ご自身のもとに引き戻されたんですね。

一つ話をして終わりにいたします。
その日は何度もやって来る。でもその日が最後の日かも知れない。
でもその日が最後の日であったとしても、
神さまは私たちに恵みと嘆願の霊を注いでくださる、という一つ話をいたします。

だいぶ前にこの話をしたことがありますので、覚えておられる方もおられると思います。
イギリスのオクスフォード大学の一角に、マクドナルドの少し斜めですね、三人の聖者を記念した塔が立っています。
三人の聖者は、彫像で彫られて立っています。
この三人は聖書に基づく「キリストのみによって、信仰のみによって救われる」という教えを捨てなかったがために、
16世紀の末に、当時のカトリックの女王、メアリーによって滅ぼされます。
その一人が、トーマス・クランマー(***1489〜1556)でありました。
このクランマーが英国国教会をプロテスタント教会にした、最も中心的な人物でありました。

彼は、その福音的な教えの為に投獄されますと、見る見る内に精神も肉体も衰えていきました。
そして、一時は火あぶりの刑の恐ろしさに耐えきれず、自分の信仰を撤回します。
今までの教えを撤回する証書に署名しました。

しかしながら、ある日撤回した信仰をもう一度取り戻し、恐ろしさの故に怯んだ自分を悔いました。
彼は、そのために、他の二人と共にオクスフォードの町を引きずられ、最後は町の一角で火にあぶられて死を遂げます。 

彼の出来事に関しては、当時生きていた人物によって書かれた「殉教者列伝」という、その16世紀の書物に書いてあるんですね。
彼は懐に、信仰を撤回した証書にサインした文書と、それをもう一回撤回する文書、撤回の撤回を宣言する文書(笑)の二枚を手元に持っていたんです。
そして火あぶりのために吊るされる時に願い出て、
「私の手の縄を解いてほしい。私はこれから文書を読み上げる」と。
読み上げた文書は自分の本来の「キリストのみによって救われる、信仰のみによって救われる」ということを、撤回したことを撤回する文書を彼は読み上げ、
そして観ている者たち全員の前で、彼らを赦し、「主の祈り」を唱え、「使徒信条」を唱え、
そして彼は言うんですね。
「私はかつて自分の信仰を、火あぶりの恐ろしさのゆえに否定したことを恥じる。
私はその証拠として、あの時署名をした、この右手から火の中に入れる。」
そう言って、火が回って来た時に、自分の右手を火の中に差し出して殉教していくんですね。
それを当時観ていた人が文書に記しているんです。

私(藤本牧師)は、その記念碑の前に立ち尽くしたことを覚えています。
何をして、そんなに勇気のあることを言うことができたのか?
何をして、彼はそれほど力強く、最後を振る舞うことができたのか?
彼の勇気だったのか? 決断だったのか? 信仰だったのか?
いや、そうじゃないですよね。
ゼカリヤ書を読むとよく分かる。
それは《神が忘れずに覚えて》いて、《恵みと嘆願の霊をこの人物の上に注ぐ》ことができたから、
彼は自分の本来の信仰を撤回した文書を撤回するという文書をもって、地上生涯を終えることができたんですね。

その日は何度もやってくる。
どうか私たちに悔い改めを教えてください。
どうか私たちに嘆願の霊を注いでください。

☆お祈りをいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、その日、あれ程頑なであったイスラエルの人々が、ひとりひとり悔い改めに導かれるとしたならば、その日、私たちもまた自分の弱い信仰生涯の悔い改めを為して、あなたは恵みの内に私たちを迎えてくださるでしょう。

でもそこまで待たなくても、あなたは何度となく、私たちに悔い改めの霊を、嘆願の霊を注いでくださることを私たちは信じています。どうかこのようなコロナの中で、一人ひとりが別の場所で礼拝を捧げていますが、自らの信仰、自らの生活を悔い改め、そして恵みの中に飛び込むことができるように、真実に恵みの中に飛び込むことができるように、私たちをお助けください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。


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DATE: 2020.07.19 - 22:26
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