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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   9/8神の人モーセ(47)行く手をふさぐ恵みの神 民数記22:15〜25
☆聖書箇所         民数記22:15〜25

 15バラクはもう一度、前の者より大ぜいの、しかも位の高いつかさたちを遣わした。
16彼らはバラムのところに来て彼に言った。「ツィポルの子バラクはこう申しました。『どうか私のところに来るのを拒まないでください。
17私はあなたを手厚くもてなします。また、あなたが私に言いつけられることは何でもします。どうぞ来て、私のためにこの民をのろってください。』」
 18しかしバラムはバラクの家臣たちに答えて言った。「たといバラクが私に銀や金の満ちた彼の家をくれても、私は私の神、【主】のことばにそむいて、事の大小にかかわらず、何もすることはできません。
19それであなたがたもまた、今晩ここにとどまりなさい。【主】が私に何かほかのことをお告げになるかどうか確かめましょう。」
20その夜、神はバラムのところに来て、彼に言われた。「この者たちがあなたを招きに来たのなら、立って彼らとともに行け。だが、あなたはただ、わたしがあなたに告げることだけを行え。」
 21朝になると、バラムは起きて、彼のろばに鞍をつけ、モアブのつかさたちといっしょに出かけた。
22しかし、彼が出かけると、神の怒りが燃え上がり、【主】の使いが彼に敵対して道に立ちふさがった。バラムはろばに乗っており、ふたりの若者がそばにいた。
23ろばは【主】の使いが抜き身の剣を手に持って道に立ちふさがっているのを見たので、ろばは道からそれて畑の中に行った。そこでバラムはろばを打って道に戻そうとした。
24しかし【主】の使いは、両側に石垣のあるぶどう畑の間の狭い道に立っていた。
25ろばは【主】の使いを見て、石垣に身を押しつけ、バラムの足を石垣に押しつけたので、彼はまた、ろばを打った。

☆説教      神の人モーセ(47)行く手をふさぐ恵みの神

さて今日は、ず〜っと神の人モーセというテーマで話をしてまいりました。同じ民数記なのですけれども、少しモーセから話をずらしたいと思います。
前回の続きで、民数記の22章なのですが、普段耳にしないバラムという預言者について共に学んでみたいと思います。
それで、しばらくこの聖書の箇所をず〜っと追いかけますので、内容を理解していただくために、ある程度聖書を開いて一緒について来てほしいと思います。

22章のの6節を見ますと、彼には不思議な賜物が与えられていました。ちょっと見てください。

6どうかいま来て、私のためにこの民をのろってもらいたい。この民は私より強い。そうしてくれれば、たぶん私は彼らを打って、この地から追い出すことができよう。私は、あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを知っている。」

バラムという預言者が祝福する者は祝福され、彼がのろう者はのろわれる――つまりバラムという預言者は、神さまと通じる立派な預言者であったという事が記されています。

さて、状況を簡単に説明します。22章の1節――

1イスラエル人はさらに進んで、ヨルダンのエリコをのぞむ対岸のモアブの草原に宿営した。

そしてこのモアブの王さまが2節にあるバラクです。イスラエルの人が迫ってくる様子を見て、モアブの王バラクは恐怖を抱きます。3節に――

3モアブはイスラエルの民が多数であってので非常に恐れた。それでモアブはイスラエル人に恐怖をいだいた。
4そこでモアブはミデヤンの長老たちに言った。「今、この集団は、牛が野の青草をなめ尽くすように、私たちの回りのすべてのものをなめ尽くそうとしている。」ツィポルの子バラクは当時、モアブの王であった。

ということで、バラクという王さまが出て来ます。
このバラクという王が、先ほどの預言者バラムに願ったのが6節なのです。
この二人の名前が似ていますので、混乱しないように気をつけてください。

王さまバラクは預言者バラムに言いました。6節、「どうかいま来て、イスラエルの民をのろってもらいたい」。
そうして預言者バラムはモアブの長老たちの訪問を受けます。訪問を受けた時に彼はこう言います。8節に――

8するとバラムは彼らに言った。「今夜はここに泊まりなさい。【主】が私に告げられるとおりのことをあなたがたに答えましょう。」そこでモアブのつかさたちはバラムのもとにとどまった。

古代オリエントの世界で最大のもてなしは、食事でもてなすことです。そう考えますと、「ここに泊まってください」と言うのは、大歓迎したという意味です。
預言者バラムが彼らを歓迎したことを、先ず神さまは驚かれます。9節をご覧ください。

9神はバラムのところに来て言われた。「あなたといっしょにいるこの者たちは何者か。」

まぁもちろん神さまですから、何者か知っておられるわけですから、言うなれば、お前はよくそこまでするなと(おっしゃっているのです)。
わたしの民イスラエルの敵に該当するモアブの長老たちを大歓迎する、よくそこまでするなと。
そして神さまはバラムにくぎを刺されます。12節ご覧ください。

12神はバラムに言われた。「あなたは彼らといっしょに行ってはならない。またその民をのろってもいけない。その民は祝福されているからだ。」

ということは、わたしはその民〈イスラエル〉を祝福するからだ。

そう聞いた預言者バラムは、モアブの願いを一旦断ります。13節見てください。

13朝になると、バラムは起きてバラクのつかさたちに言った。「あなたがたの国に帰りなさい。【主】は私をあなたがたといっしょに行かせようとはなさらないから。」

断られた使いの者たちは王バラクのもとへ戻りますが、バラクは15節に(あるように)、あきらめません。

15バラクはもう一度、前の者より大ぜいの、しかも位の高いつかさたちを遣わした。

しかも17節見てください。今度は(彼らを)預言者バラム(のところ)に(行かせて)、こう言わせますね。

17私はあなたを手厚くもてなします。また、あなたが私に言いつけられることは何でもします。どうぞ来て、私(***モアブ)のためにこの民〈***イスラエル)をのろってください。」

するとどうでしょう。バラムの目がだんだんギラギラ輝いていくのです。
王バラクはなぜ更に位の高いつかさをよこし、なぜ手厚くもてなすと言っているのか?
なぜ接待で預言者バラムを落とそうとしているのか。?
理由は非常に簡単で、それは預言者バラムは落ちそうだからです。

一番最初の交渉で預言者バラムの欲をちらつかせていました。
つまり政府の要人が来たとなりますと、ともかく歓待する。
そして神さまがダメだとおっしゃった時も、彼の断り方を、13節ご覧ください。

13.....【主】は私をあなたがたといっしょに行かせようとはなさらないから。

というのは、自分は行きたいのだけれども、神さまがダメだと仰っているから私は行かない(ことにすると釈明しているような......)。
一言で言いますと、彼はきっぱりとは断りませんでした――私は行きたいのだけれど、神さまがお許しにならない――相手もその雰囲気を微妙に読み取ったに違いない。

遣わされた者たちは、バラク王さまに報告をいたします――王さま、彼は行けないと言いましたが、その目つきは結構行きたそうでしたよ(笑)と。そういうことなのです。
そしてバラク王は、よし、それならもっと美味しい餌を彼の前に吊るそう。
それで位の高い高官と手厚くもてなすという約束を持って、第二陣が出かけていくわけです。

今回もバラムは正面切って断ることをいたしません。19節ご覧ください。

19それであなたがたもまた、今晩ここにとどまりまさい。〈また泊めるのですよ〉。【主】が私にほかのことをお告げになるかどうか確かめましょう。」

というのは、もしかしたら「今度は行ってもいいよ」と神さまが仰るかもしれない(というニュアンスでしょう)。――何かほかのことというのは、そういうことです。

さてここから3つ、ともに勉強していきたいと思います。
先ほど申しましたように、バラムはしてはならないことを、しないときっぱり言わなかった。

1)してはいけないことを、してはいけないときっぱり言えなかったバラムです。それが彼にスキを与えます。

神さまはしてはいけないと言っておられるけれども、実は私はやってみたい、私は行ってみたい、でも神さまがダメだと仰る、神さまが怖い――それが顔に出てしまいます。
言うなれば、サタンがそんなスキを見逃すわけがない。(サタンは)誘惑を二倍三倍にして、また戻ってきます。
(サタンは)繰り返しさらに強く誘惑して戻ってきます――このことは、私たちは心に留めておくべきことです。

フレデリック・ロバートソンという牧師がこんなことを言っています。
「何をすべきかということについて、まず一番初めに心に浮かんだことが、より純粋でより神の御心に近い。
何をすべきかということについては、時間をかけて考えれば考えるほど、そこに私たちの私利私欲が入り、そこに言い訳も混入され、だんだんすべきことから遠ざかっていくのが人間なのだ」と。-――私もそうなのですよ。

バラムは主の預言者として、モアブを助けることはできない。イスラエルの民をのろうことなんかできないということは、頭ではよ〜くわかっていました。
しかし、名声、お金という急所を掴まれ、そして優柔不断な態度を見せた彼は、サタンが二倍三倍に誘惑の力を強めて、彼を引きずり込もうとします。

神さまはバラムの心を読まれました。20節見てください。

20その夜、神はバラムのところに来て、彼に言われた。「この者たちがあなたを招きに来たのなら、立って彼らとともに行け。だが、あなたはただ、わたしがあなたに告げることだけを行え。」

実際神さまは、バラク王とは逆にバラムの口を通して、イスラエルを祝福させる――それが神さまのご計画でありました。(***この後の23〜24章)
でもバラムはそんなことは知りません。
「よし、神さまのお許しが出た」と言って、彼は勢い勇んで出かけていきます。

問題は、最初に取った、彼の優柔不断の態度であった。
そしてサタンに睨まれて彼は動けなくなって、だんだんはまっていきます。

カルロス・ディラというスペインの修道士がいます。彼は長い間インドで宣教師として働きますけれども、彼が非常に興味深い話を本の中に報告しています。

ある時、村の道を彼が歩いていた時に、奇妙な光景に出会うのですね。
歩いていたら、一瞬辺りがシーンと静まり返った雰囲気を感じたのです。ふと見ますと、道の脇すぐそばの所に、コブラが頭をもたげて、木の下の枝に止まっている小鳥を狙っているのです。
蛇はゆっくり睨みをきかせて徐々に枝の方に近づいていくのですけれども、小鳥はまるで催眠術にでもかかったかのように、全く身動きできない。
カルロスは大声で叫びながら、腕をぐるぐる回して、そして木の方に走っていくのです。
その瞬間に、睨まれて動けなくなっていた小鳥がふっと我に返って、枝から飛び立っていくのです。

その時に、カルロス・ディラというスペインの修道士は思ったのです。
私たちがもしサタンに睨まれたら、こういう状況ではないかと。
睨まれて目が合っているのは分かっているのだけれども、我に返るということができない。
預言者バラムは自分の心に隙を設けて、そこに突っ込まれた時に、もうそこから動けなくなってしまった。

2)さて、神さまはどのようにして彼を助けられたか。

少し見ていただきたいと思います。

22しかし、彼が出かけると、神の怒りが燃え上がり、【主】の使いが彼に敵対して道に立ちふさがった。バラムはろばに乗っており、ふたりの若者がそばにいた。
23ろばは【主】の使いが抜き身の剣を手に持って道に立ちふさがっているのを見たので、ろばは道からそれて畑の中に行った。そこでバラムは〈わかりませんから〉ろばを打って道に戻そうとした。
24しかし【主】の使いは、両側に石垣のあるぶどう畑の間の狭い道に立っていた。
25ろばは【主】の使いを見て、石垣に身を押しつけ、バラムの足を石垣に押しつけたので、彼はまた、ろばを打った。
26【主】の使いは、さらに進んで、右にも左にもよける余地のない狭い所に立った。
27ろばは、【主】の使いを見て、バラムを背にしたまま、うずくまってしまった。そこでバラムは怒りを燃やして、杖でろばを打った。
28すると、【主】はろばの口を開かれたので、ろばがバラムに言った。「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。」
29バラムはろばに言った。「おまえが私をばかにしたからだ。もし私の手に剣があれば、今、おまえを殺してしまうところだ。」
30ろばはバラムに言った。「私は、あなたがきょうのこの日まで、ずっと乗ってこられたあなたのろばではありませんか。私が、かつて、あなたにこんなことをしたことがあったでしょうか。」彼は答えた。「いや、なかった。」
31そのとき、【主】がバラムの目のおおいを除かれたので、彼は【主】の使いが抜き身の剣を手に持って道に立ちふさがっているのを見た。彼はひざまずき、伏し拝んだ。

聖書の中で、動物が口を開いたのはここだけです(大笑)。こんな話はそうそうない。
旧約聖書の創世記から新約聖書の黙示録までの中で、神さまが動物の口を開かれたというのはないですし、それから預言者バラムが平気な顔をしてろばと会話をしている(笑)という、そんな奇妙な場面もないです。ものすごく興味深いです。

預言者はろばに乗ってというのは、私たちが車に乗って出かけていくのと同じようなものです。
その行く手を立ちはだかるように、【主】の使いは抜き身の剣を持って道に立った。
それは、三段階で記されています。

一回目はバラムは無傷ですね。単純に、ろばはバラムを乗せたまま、道からそれた。
二回目により狭い道で両脇が石垣だった。ろばが避けようとしたので、預言者バラムは自分の足を石垣に当てて傷つけてしまった。
三回目は、もう避けようもない小さな道で、バラムはもう動くこともできない。ロバと一緒に地面に伏した。

三回ですよ。3回、神さまは彼の行く手を塞ぐ。
いろんなことが考えられます。
@一つ考えられることは、神さまに逆らうことは絶対できない。絶対勝てないです。

私(藤本牧師)人生で初めて車を持ったことがありました。アメリカにいた時ですが。人生で初めて買った車。6000cc。戦車と呼ばれた(大笑)。ほとんどの日本人が当時「やっぱり壊れない日本車だよね」と言っていましたね。私だけが6000ccのアメ車なのです。
神学校の教授から二十万で買った。なかなかかっこいい車で、一番トップの部分は革張りだった。革張りの車、ところが厄介で、雨漏りして、だんだん皮が錆びていく。それが屋根を突き破って、私と圭子(先生)が一生懸命こうやってティッシュで詰めていた(大笑)。その車にずっと乗っていました。
その車を買った時にアメリカ人の友人に言われたのですね。
「絶対排気量の小さな日本車を買うな。正面衝突で負ける。正面衝突した時に、アメリカの車に勝つという車でないと危ないよ」
それで、6000ccのアメ車にしたのです。これはねぇ、トラックと衝突しても、もしかしたら勝てるかもしれない(笑)6000cc。

私たちはね、自分が直面しているのはいったい何なのか、というのを知る必要がある。
バラムは行くべきところにろばに乗って出かけて行ったのだけれど、なかなかたどり着けない。
でも彼の意識の中で、まさか自分が神さまと対面しているとは思っていないです。
自分の人生の様々な障害、自分の人生が難しくなる――会社の問題が難しいとか、人間関係が難しいとか、健康に問題があると言いながら――もしかしたら私たちは神さまと対面しているのかもしれない。
するとですね、どんなことがあっても、神さまを倒すことはできないのです。

A神さまは三回も形を変えてバラムの行く手を阻むということは、神さまがどれほどバラムを愛しておられたか。

神さまが一回で行かせてくださるのならそれでいいのですけれど、だけど、この愛するバラムにあえて御心に叶うことはさせないと言わんばかりに、何が何でもバラムを止めてくださるのです。
そのバラムが突っ走って、自分の私利私欲のために溺れていくのを、何が何でも止めてくださる神さまの憐れみというもの、神さまの恵みというものを、私たちは見なければいけないですね。

33節ご覧ください。

33ろばはわたしを見て、三度もわたしから身を巡らしたのだ。もしかして、ろばがわたしから身を巡らしていなかったなら、わたしは今はもう、あなたを殺しており、ろばを生かしておいたことだろう。」

神さまはバラムに仰いました。「おまえはろばに感謝した方がいいよ」と。
私たちで言うならば、「おまえは病気に感謝した方がいいよ」と。
もしそれがなければ、お前はとうの昔に突っ走って妙なところに落ち込んでいた、ということもあるよ。
わたしは御心を成し遂げるために、あなたを生かすために、あなたの人生に邪魔者を送り込むこともある。一度ならず三度までもあなたの行く手を塞ぐこともある。
でもそれは、あなたを生かすためであり、逆にその試練におまえは感謝すべきだと、神さまは仰っています。

3)道を塞がれてバラムは初めて神さまを見るようになります。あるいは自分がわかるようになります。

34節、34節はご一緒に読みたいと思います。

34バラムは【主】の使いに申し上げた。「私は罪を犯しました。私はあなたが私をとどめようと道に立ちふさがっておられたのを知りませんでした。今、もし、あなたのお気に召さなければ、私は引き返します。」

バラムは神さまの前にひれ伏した。彼がひれ伏したというより、ろばがひれ伏した。だからろばの上に乗っていた彼も一緒にひれ伏したのです。
私たちは、試練や苦しみの中で否応なしにひれ伏すのです。
そしてそのひれ伏すという行為があまりにも屈辱的で、そして私たちの予定と考えとあまりにも遠ざかっていると、ひれ伏すなんて到底できない。

でもバラムは試練に屈服してひれ伏しているのではない。
自分の人生にブレーキをかけるために現れてくださった、神さまを礼拝するためにひれ伏しているのです。
そして彼が最終的に自分の罪深さ、自分の問題性に気がついたのは、行き場のない狭〜い狭〜い道で、ろばがひざまずいて初めて彼もひざまずいた。
「今もしあなたのお気に召さなければ、私の人生やり直します」――なかなか私たちはそこまで言えないです。
いつまでもろばに八つ当たりしています。いつまでも自分の人生に降りかかった邪魔者を責めています。
「邪魔者はわたしが作り出した」と神さまは仰るかもしれない。
何もできないような状況に追い込まれた時に、バラムは初めて神さまに気がついた。

ロシアのソルジェニーツィン――時々私は〈藤本牧師)は彼を出しますね――キリスト教の文学者で、彼は旧ソビエト体制に反発して収容所送りになる。
「収容所群島」(***1973〜1975フランスで発売)という有名な分厚い小説を書いて、彼はノーベル賞を受ける。ノーベル賞受賞の時だけ、政府は彼をスウェーデンに出すのです。大方、スウェーデンから亡命するだろうと思われていた彼が、もう一回ソビエトに戻って収容所で暮らすのです。
彼の文章をちょっと読んでいきますね。

「私は収容所の独房のわらの上に横たわって、初めて自分の心の中に善いものが芽生えてくるのを感じた。」

それまで彼の頭の中にあったのは、ず〜っとこのソビエトの共産主義という体制。その体制のもとで独裁に苦しむその怒り。ずっとそれだったのですが、収容所の独房のわらの上に横たわって、初めて自分の心の中に善いものが芽生えてくるのを感じた。

「徐々にわかってきた。善と悪を分ける線は国と国との間にあるのではない。階級と階級の間にあるのでもない。政党と政党の間にあるのでもない。善と悪を分ける線は、ひとりひとりの心の中にあることが分かってきた。全ての人の心の中にその線がある。私は徐々に自分の内に宿る悪、自分の内に宿る罪というのがわかってきた。自分の生涯で初めて神に心を向け始めた。収容所に祝福あれ。」

という文章を残しています。これはね、私(藤本牧師)はとっても高度な信仰だと思います。とっても高い次元の信仰だと思います。
でもきっと私たちもふとバラムのような体験をしたときも実は多々あるはずですね。
追い込まれて、立ち塞がれて、行き場を失って、でもその代わりに私たちは神さまを見い出した。

あの体験でいったい何があったのか?
あの体験はひたすら私を苦しめる。でもその中で私が、へりくだって地面にひれ伏し、イザヤ書のことばにありましたね。
「神さまは心砕かれてへりくだる者の霊を生かす」(イザヤ57:15)と。そしてその者の魂をいやす(同18〜19)と。
その体験をソルジェニーツィンは、自分の最も嫌っていた収容所で味わう。
その時間にその収容所は祝福であったということに、彼は気が付くのですね。

私たちの祈りはとっても単純で、もし私があなたの御心と反対に行こうとしているなら、どうぞ立ちふさがって私を止めてください。
あなたに敵対して、一度で止まらないのであれば三度でも五度でも、私を止めてください。
たとい傷ついたとしても、私を止めてくださったのは深〜いあなたの恵み、憐れみであったということがわかるように、あなたの憐れみを示してください。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、長〜い物語を一気に学びましたが、私利私欲に何となく引きずられていった預言者バラムのことを、あなたは離さず、三回畳みかけるように彼の行く手をふさぎ、その事情が何にも分からずに、ろばを打ちまくって抵抗したバラムに、「おまえはむしろロバに感謝すべきだ」とおっしゃった主よ。どうか私たちを憐れんで、私たちを助けて、あなたの御心の内を歩むことができるようにしてください。

のみならず、なかなか私たちは試練を喜ぶことはできません。しかし試練の中で「心砕かれ、へりくだった者を癒し、その霊を生かす」(イザヤ57:15)と仰ったあなたの祝福の約束をきちっと捉えることができるように、私たちを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2013.09.10 - 00:30

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