☆聖書箇所 ガラテヤ1:16〜24 16異邦人の間に御子の福音を伝えるため、御子を私のうちに啓示することを良しとされたとき、私は血肉に相談することをせず、 17私より先に使徒となった人たちに会うためにエルサレムに上ることもせず、すぐにアラビアに出て行き、再びダマスコに戻りました。 18それから三年後に、私はケファを訪ねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。 19しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒たちにはだれにも会いませんでした。 20神の御前で言いますが、私があなたがたに書いていることに偽りはありません。 21 それから、私はシリアおよびキリキアの地方に行きました。 22それで私は、キリストにあるユダヤの諸教会には顔を知られることはありませんでした。 23ただ、人々は、「以前私たちを迫害した者が、そのとき滅ぼそうとした信仰を今は宣べ伝えている」と聞いて、 24私のことで神をあがめていました。
☆説教 ガラテヤ(3)神は私を用いてくださる
今日はガラテヤの3回目といたしまして、1章の16節〜24節までの間を見ていただきました。16節からちょっと読みますね。
16異邦人の間に御子の福音を伝えるため、御子を私のうちに啓示することを良しとされたとき、私は血肉に相談することをせず、 17私より先に使徒となった人たちに会うためにエルサレムに上ることもせず、すぐにアラビアに出て行き、……
という風に始まります。 1章の全体の流れというのは、理解していただいたと思います。 1章の1節で、ちょっと聖書を見てください。 (※1節全部に黄色のハイライトの聖書が映される) <ガラテヤ1:1> 1人々から出たのではなく、人間を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によって、使徒とされたパウロと、
「私は人から任命されたのではない」と始まるこの手紙。 そしてこの手紙の内容も、11節に―― (※11節を映し出す。11節「私は」〜「ありません」12節「ただキリスト・イエスの啓示」13節「かつての私の生き方」にオレンジのハイライト。11節「宣べ伝えた福音」と12節「啓示」は塗りつぶし」 <ガラテヤ1:11> 11兄弟たち、私はあなたがたに明らかにしておきたいのです。私が宣べ伝えた福音は人間によるものではありません。 12……。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
という啓示の訓練を、パウロはエルサレムで為したのではない。 パウロは「私が学んだものは実に独特なものであって、そしてあのアラビアの野で私は訓練を受けた」という風に始まる聖書の箇所なんです。
それ程パウロの教えは独特でありました。 その独特性が新約の教会を作り上げていったわけです。
いいですか。私たちは、イエスさまとパウロを同格に読んで、もう同じ聖書ですから普通に読んでいますよね。 ペテロの書簡もあればへブル書もありますが、でもパウロは実は独特なんですね。 その独特性というのがどういう所にあるのか、大体分かっておられると思いますが、今日は少し違う角度から話してみたいと思います。
マタイの福音書を見ますと、イエスさまが最後弟子たちを集めて「大宣教命令」というものをお残しになりました。 マタイの28章の19節に「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」という言葉がありますよね? あらゆる国の中には、やがて日本も含まれてくるわけですけれども、 勿論それを直接に聞いた弟子たちは――イエスを救い主として、ユダヤ教に根ざした神の国に、あらゆる国の人々を招き入れる――ということを考えていたんだと思います。 旧約聖書の神の国の歴史というのはもう長〜いわけですから、最後の段階で救い主が現れ、そして神の国が、ダビデの国が再建され、そこにイエス・キリストを通して、あらゆる国の人々を招くということを念頭に入れながら、弟子たちは聞いていたと思うんですね。
あるいはペンテコステを前にして、使徒の働きの1章の8節に、これは有名な言葉。 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」 「ユダヤ、サマリアの全土」ぐらいは感覚として彼らには分かる。 でも「地の果てまで」と言う時には、一体どういう世界なのか? なぜなら、ユダヤ教というのは、地の果てに触れてはいけない宗教なんです。 異邦人と接触してはいけない宗教でありますから、「エルサレム、ユダヤ、サマリア全土」と言ったら、もう彼らにとっては自分たちが触れても可能な世界、そこから先に出るというのはどういうことなんだろうか?と多くの人が疑問を持ったと思うんですね。
使徒の働きの初めを見ますと、ペテロもヨハネもまだ(エルサレムにいて、)ユダヤ教の神殿で礼拝を守っています。 (教会はまだなく、礼拝のために人々は神殿に足を運びます。) キリストを信じる人々は「家々でパンを裂き」(***使徒2:46)という家庭集会のような形で聖餐式を守っていたようでありますね。
こういう世界の中で、パウロにどういう教えが与えられたのか? 特別にパウロに教えられた啓示というのは、どういうものなのか?ということを、今日は3つのポイントでお話をしたいと思います。
1)イエスさまは、初めからパウロを――福音がユダヤ教の殻を破って異邦人へと及ぶために――(わざわざパウロを)選ばれました。
格別にその目的のために――ユダヤ教の殻を破るために――イエスさまはパウロをあえて選んだ。
エペソの手紙の3章、ガラテヤの次がエペソですので、ちょっと見ていただきたいと思います。ちょっと映しますね。 エペソの3章の3節にこういう風に書いてあります。 (※手でなぞりながら一節一節読み進める。特に傍線なし) <エペソ3:3〜6> 3先に短く書いたとおり、奥義が啓示によって私に知らされました。 4それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよく分かるはずです。 5この奥義は、前の時代には、今のように人の子らに知らされていませんでしたが、今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。 6それは(***それはというのは奥義です、と説明)、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。
パウロは自分が受け取った「啓示」をあえて「奥義」と言っています。 ということは他の人には伏せられているという意味ですよね。 他の人には伏せられている、その内容は――神の救いと恵みが、私たち非ユダヤ人、つまり異邦人に向けられた――という当時にあっては独特な教えでありました。 当時にあっては独特な教えなんです。
<使徒の働きの10章>にあっては、ペテロもまた目を開かれるという体験がありますね。 幻の中で四つ足の動物が天から降ろされて、 「それらを屠って食べよ」と言われた時に、ペテロの反応は思わず、 「いや、神さま、それだけは私にはできません」です(***使徒10:9〜16)。 「それだけは私にはできません」と言う時に、ペテロがどれほど異邦人の文化、風習というものを嫌っていたかがよくわかります。 もし異邦人がイエス・キリストを信じて神の子どもになるなら、当然それはユダヤ教の世界に飛び込んで来てもらわなければならない。 それを神さまは、ペテロには「いやいや、そうではない。ユダヤ教の殻を突き破って、異邦人の所にユダヤ教のしばりのない福音を伝えてほしい」と。
ちょっと見てくださいね。使徒の働きの10章の28節にこうありますね。 (※カメラは使徒の働き10章、28節辺りを映し出す) 使徒の働きの10章の28節に、先ほど言いました、ペテロが神さまによって――イタリア隊(1節)とありますから、ローマ人でしょうね――そのコルネリウス、以前はコルネリオでしたけれども――そのコルネリオの所に遣わされて行った時に、ペテロは迎えに来ていた人たちにこう言いますね。 「ご存じのとおり、ユダヤ人には、外国人と交わったり、外国人を訪問したりすることは許されていません」と断っていますでしょう? つまり、自分は行けないと。 敬虔な人であって、できたらそこに福音を伝えたいんだけれども、自分は外国人を訪問することはできない。
ところが彼は出て行きます。そして、コルネリオと会った時に、10章の34節に、彼は考え方を変えますね。 (※カメラは10章34〜35辺りを映し出し、指でなぞって読む) <使徒の働き10:34〜35> 34そこで、ペテロは口を開いてこう言った。「これで私は、はっきり分かりました。神はえこひいきをする方ではなく、 35どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、神に受け入れられます。
ということはどういうことかというと――ユダヤ教の背景を持たず、ユダヤ教のしばりのない異邦人でも、イエス・キリストを信じることによって、私たちは神の子どもとなれる――ということが、ペテロにはようやくこの使徒の働きの10章でわかるわけですよね。
福音が異邦人のもとへ届けられるというだけではない。 イエス・キリストを信じて、彼らも同じように罪赦されて、同じ神の子どもとなる。 しかも、ユダヤ教の規律・戒律なくして、そのまんま神の民となる。 というのは、当時他の弟子たちが想像していない「奥義」でありました。 「奥義」でありました。だれの頭も想像したことがない、伏せられていたことをパウロは(ペテロ?)学びました。
2)パウロはこの奥義を学ぶために、自分はエルサレムには行かなかったと書いてありますね。
先程のガラテヤの1章の17節に戻っていただきますと、彼はアラビアの荒野に出かけて行きます。
17私より先に使徒となった人たちに会うためにエルサレムに上ることもせず、すぐにアラビアに出て行き、……
これを「パウロのアラビア体験」と言います。 それがどこなのかは、ちょっと色んな説があって、恐らく彼はそこに三年いたであろうと思いますよね。 18節を見ますと、三年後に彼は戻って来ますので、三年間彼はアラビアで過ごしたんですね。
私(藤本牧師)は以前神学校で教えていた時に、神学生によく言いました。 みんな大伝道者、大牧師になることを夢見て神学校に入って来る。 その夢はすばらしいんだけれども、多分なれないと思うよと(笑)。 モーセは指導者として立つ前に、ミディアンの荒野で40年遊牧民でありました。 エリヤは、「私の仕えている神は生きておられる」と言った後、なんと二年間、ケリテ川のほとりでカラスに養われます。 主イエスさまは、公の生涯に立つ前に、四十日四十夜荒野で過ごしました。
神学校に来た時点で、偉大な伝道者になれないかも。 それは勿論私にも当てはまるんですけれども、 誰かの影響を受け、誰かに倣い、誰かを模範としてというのは、それは勿論悪いことではないんです。 でもその人を超えることはできないでしょうね。
勿論中には、エリシャのように、エリヤにぴったりついて。エリヤを超える程の働きをした人物もいます。 そういうことは冗談めいたこととしてよろしいでしょうか。 イエスさまは勿論、モーセもエリヤもパウロも、荒野で過ごしている。 それは私たちに通じる深い意味があるんですね。
人間に頼らず、神さまだけに頼るために、私たちの人生には荒野があります。 イエスさまは荒野の試練で学ばれました。 @人は、パンのみにて生くるにあらず。 人は神の口から出る一つ一つの言葉によって、そのたましいが生きて行く Aあなたの神、主を試みてはならない。 神さまへの信頼は絶対的なものであって、また神さまには絶対的に忠実であって、被造物である私たちが神を試みることは、あってはならない。 Bあなたの神である主を礼拝しなさい。主のみに仕えなさい。
つまり厳しい荒野の試練を通して、私たちもまた――主イエスは徹底して神に信頼して仕えることを学ばれたように――私たちもそれを学ぶんです。 ●モーセは、王子として育ちました。 彼はミディアンの荒野に出て行って、自分の罪深さを学びました。 あるいは世の中の複雑さというものを痛感しました。そして彼は遜る人になっていきました。 ●エリヤは、神さまはカラスを用いてでも自分を養ってくれるという、神さまは決して私を見捨てることがない、ということを荒野で学びました。
(モーセもエリヤも)時間をかけて(信仰を学びました)。
私(藤本牧師)は、パウロはそうだったんじゃないかと思うんですね。 つまりアラビアに行って、自分だけしか知らないような特別な「啓示」――つまりイエス・キリストの十字架と復活の意味――それによって私たちはユダヤ教の戒律を全く通らずに、神の子どもとされる、という。 でもそれだけではない。 パウロは神にのみ信頼し、主イエスさまのみに向き合い、自分の罪深さ、弱さ、人生のはかなさ、空しさ、そして神の憐れみの深さ、神の養いというものを体得したのではないだろうか?と思います。
そのように想像することは難しいことではない。 なぜなら、私たちもまた、同じように「荒野の体験」を持っているからです。 それが病室かも知れません。貧しさの中かも知れません。 日常から離れて自分と向き合い、神さまと向き合う。 そして私の望みは神にある。神以外にはない。 私を支えているのは、神への信仰以外何ものでもない。 というようなことは、荒野の体験でなければ、私たちは学ぶことができないですね。
イエスさまは聖霊に導かれて、荒野に行きました。 モーセは逃げるようにして荒野に行きました。 エリヤは神さまの命令によって、荒野に行きました。 人間を頼りにすることを失い、痛い思いをし、将来の安定を失い、孤独に悩み、楽しみも奪われ、でもそこが神さまと交わる、向き合う荒野になる。
パウロが受けた特別な「啓示」も重要でした。 でも同時に、彼が味わう「荒野の(3年の)体験」も特別な意味があったと思います。
3)さて3番目、これが今日受け取っていただきたいメインのメッセージであります。 ちょっと結論的に言うと長くなりますので、聞くだけにしてください。いいですか。
パウロが受けた奥義が、つまりパウロの肩に載せられた、とてつもなく大きな神さまのご計画というのがあるわけですよね? やがてそれがクリスチャンに浸透して、それがキリストのまことの福音と認められるまでに、多大な労苦と犠牲が必要だったわけです。 その多大な労苦と犠牲を振り返って、ガラテヤのこの最後の言葉に目を留めていただいて、第3番目のポイントといたしますが、いいですか?
神さまのご計画のために、自分自身が注ぎ込んだ多大な労苦と犠牲のゆえに、(ガラテヤ1章)23節の感慨深い言葉がある。
23ただ、人々は、「以前私たちを迫害した者が、そのとき滅ぼそうとした信仰を今は宣べ伝えている」と聞いて、 24私のことで神をあがめていました。
かつて、自分たちを迫害した人々が、今ではそれを受け入れるようになり、いや、その異邦人のための福音を宣べ伝えるようになった。 自分を迫害した人々が、今では「(私のことで)神をあがめている」(24節)。 これはプライドではない、これは感謝ですね。
キリストの福音が、ユダヤ教のしばりなしに異邦人である私たちに伝えられる――これが神さまのご計画なのですよね。 でもそこに至るまでに、多くの犠牲と限りない忍耐、そして時間がかかるというのはどういうことか? これが第3のポイントです。 それは、神さまのご計画が実現されるために、《神さまは私たちを用いる》ということです。 私たちを用いる。普通の私たちを――特定の考えに染まり、とても人間的で、個性豊かな、欠けだらけの私たちを――用いられるから、 神のご計画が成就していくために、《却って多大な労力と犠牲が必要になる》んですね。
300年以上の間、キリスト教を迫害していたローマ帝国の、皇帝がキリスト教に回心した395年、 その時一瞬にして巨大なローマ帝国はキリスト教国家になりました。 そしてローマにあった教会が、キリスト教会全体の中心教会となり、今のバチカンが存在しています。 「あれが、宣教が広がって行く一大ポイントだった」と考える学者と、 「あの年以来、教会は堕落してしまった」と考える学者と、 教会史のものの考え方は大体二分されます。 私(藤本牧師)は「あの時以来、キリスト教は堕落してしまった」と考えるタイプのキリスト教理解です。
キリスト教っていうのは、どこまでも少数派であるべきだった。 しかし、王が政治的な目的のために、やがてローマの兵士の剣の束に全部十字架の印がつくようになるんですね。 そしてありとあらゆるキリスト教国の戦いに讃美歌が歌われ、そして様々な儀式に神の祝福が祈られていくという――それって本当にキリスト教のあり方なんだろうか? というと、歴史を振り返れば分かるように、私(藤本牧師)はことごとく間違っていたんじゃないかと。
ジョン・ウェスレーもそうです。 キリスト教の堕落はどこから始まったんだろうか? 395年にキリスト教がローマの国教になった時だからと。 神さまがローマ皇帝のような偉大な人物を用いるよりも、 神さまはペテロを用い、あるいはユダヤ教にがんじがらめのパウロを用い、あるいは私たちを選び、神さまはそういう者たちを選ぶから、 ご自身の計画が一日一夜では成らない。 時に無駄と思えるようなこと、時に遠回りと感じることも、何層にも人が絡まり、何層もの出来事が複雑に絡み合って、神の計画が実現していく。
だから、ものすごく神の計画の実現には時間がかかる。 なぜなら神さまは、まことに未熟な私たちを通して、ご自身の計画を実現することを選ばれたから――それが神さまの方法だからですね。 パウロは犠牲を払い、忍耐し、しかし希望を失いません。 なぜなら、神さまの計画は必ず実現すると信じているからです。
そのご計画とは、神さまがパウロに仰いました(***使徒の働き22:21)。 「わたしはあなたを用いる。行きなさい。あなたを遠く異邦人に遣わす。」 わたしはあなたの人生を無駄にしない。 わたしの栄光のためにわたしはあなたの人生を用いる。 あなたがどんなに苦しみ、どんなに複雑な中を通って、どれほど時間がかかったとしても、わたしはあなたを選んだ限り、あなたを用いる。
イエスさまは弟子たちに仰いました(***ヨハネ15:16)。 「あなたがたがわたしを選んだのでなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるためです。」
振り返ってみると、大した実は結んでないなぁと思います(笑)。 でもイエスさまは仰るでしょうね。 「いいんですよ。あなたの小さな人生、それが忠実であるということ自体が、大きな大きな実ではありませんか(笑)? わたしはあなたの人生を無駄にはしない(笑)。 あなたが信じて教会に来たのではない(笑)。わたしが招いて、あなたが信じるようになった。 いや、よく考えてみなさい。あなたの信仰でさえ、わたしがあなたに与えたものだ。 それは人間が関わることだから、どれほど複雑で時間がかかり、時に犠牲を強いることになるかもしれない。 しかし、わたしはあなたの人生を無駄なものにはしない。」
1790年1月17日、ジョン・ウェスレーはロンドンのセント・ヘレンという教会に招かれて説教をいたしました。召される1年前のことです。 その晩、彼は日記にこう書きました。 「思えば、それは前回ここで説教をしてから50年経つ。あの日以来、神がなされたことの何と偉大なことよ」と。
50年経つというのは、メソジスト運動が始まって以来、ウェスレーはこの教会に招かれることはなかったということ。 ずっと国教会の敵だとみなされ、彼は迫害され、国教会から相手にされず、セント・ヘレン教会に招かれることはなかった。 再び招かれた時には、それはもう召される1年前であって、50年経過していた。 ウェスレーは、その日この日記の二行を記すにあたって、 「まことの感謝。今となっては、この人たちが歓迎してくださる。」 そう言うウェスレーは、決して英雄偉人ではなく、傷だらけの信仰者として、十字架の主に似た者にされていました。
ガラテヤ人へ手紙の1章の24節、「私のことで迫害した人たちが、神をあがめている」というのは、これは自慢ではない。これは感慨深くパウロは語っている。 パウロはまだそんなに年はいっていません。 だけどそこに至るまで、この奥義が人に受け入れられ、そして他の人たちもこの奥義を伝えるようになるに至るまでに、どれほど多くの苦労と時間がかかったことか。 ようやく今になって、人々は「パウロの言っていることは正しい」と理解するようになった。
神さまはパウロの生涯を使い切るまで使われます。私たちの望みは―― 「どうか私の生涯も使ってください。どんな形でもいいですので、使ってください。」
☆お祈りをして終わりにいたします。――藤本牧師
恵み深い天の父なる神さま、あなたはこのようにして、私たちを招いてくださり、信仰を与えてくださり、またのみならず、あなたに従う者となることができたことを心から感謝いたします。
人生いま自分がどのような状況に置かれているのか、あなたが一番ご存じであります。一番の労苦かも知れない。一番の大変さの中かも知れない。でもそれが荒野であれば、あなたへの信仰を学ぶことができるように。
それがどんなに長くとも決して諦めずに、私たちの生涯を最後まであなたが使ってくださることを堅く信じることができるように、私たちに信仰をお与えください。愛するイエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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