☆戸塚伝道師の説教 やさしいイエスさま 皆さん、おはようございます。高津教会の礼拝によくお出でくださいました。今日は年一度の子ども祝福礼拝ですので、今日のお話は子どもたちに向かってお話をしたいと思います。 はい、皆さん、おはようございます(※前方左側のカメラをしっかり向いて、語る戸塚伝道師、説教の終わりまでこの姿で)、 見えてます?(笑)こっちからは皆さんの顔全然見えないんですけれど、見えてます? もう少しで礼拝終わるから、ちょっと最後のお話聞いて。ね、今日も9:30から礼拝あったんでしょう。あ、教会学校に毎週参加している人も沢山いると思うんだけれども、こんな時間になっちゃいましたけれどね、最後、短いお話しますからね、聞いてください。
でもねぇ、皆さんに会いたい。ほんとに会いたい。 色んな動画を観ました。さっきも観ました。インタビューも観ました。それを観れば観る程、皆さんに会いたい。 でも皆さんの顔を見て、私たちは元気になりました。励まされました。 ああ、高津教会にこんな沢山の子どもたちがいるんだなぁということを改めて思って、なんかすごく嬉しい、そんな気持ちになっています。 これからお話しますが、小さい2歳か3歳ぐらいの子から高校三年生まで、お話聞いていると思うんですけれども、小学校4年生ぐらいにお話の内容を合わせましたので、小さい子はちょっと難しいかも知れませんし、大きい子は、「あ、なあ〜んだ。そんなの知ってる」って感じかもしれませんけれども、聖書のお話、聞いてください。
聖書のお話、聞いてください。 まず最初に聖書のお言葉、マルコの福音書2章5節、もし手元に聖書がある人は開いて、そこに線を引いてください。 無い人は、画面に映っているでしょう?マルコの福音書2章5節。フリガナ振っていませんので、難しいかも知れませんけれども、読みます。いいですか。
<マルコの福音書2章5節> 5イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。
今日どうしても覚えておいてほしい言葉は、イエスさまが仰ったカギカッコの中のお言葉です。 「子よ、あなたの罪は赦された」もう一度言いますよ。(※繰り返す)
なぞなぞをします。「目には見えないけれども、人の心を嬉しくしたり、傷つけたりするものな〜んだ?」 そうそうそう、合ってる、合ってる。はい、答えは「言葉」です。人間がしゃべっている言葉。 「一つの言葉で喧嘩して、一つの言葉で仲直り」という詩があります。 聞いたことある人いるかもしれません。 言葉――言葉って目に見えないんだけれども、でもすごい力を持ってますね。 一つの言葉で人の心を嬉しくさせて、一つの言葉で相手の心を傷つけたり嫌な気持ちにさせたりする。 すごい力だねぇ、言葉ってねぇ。そういう力を持っています。 その中で一番美しい言葉、それは何か?二つあります。 「ありがとう」という言葉と「ごめんなさい」という言葉です。 この二つの言葉が持っている力は、人の心を温か〜くさせます。 人と人の心を通じ合うようにさせます。 そしてもっと言うならば、世界中が平和な、そんな世界になっていくんじゃないかと思います。 「ありがとう」「ごめんなさい」 でも「ありがとう」という言葉はよく言えますよね。 人から何かいただいた時にね。あるいは何か嬉しいことをしてもらった時に、「ありがとう」という言葉はよく言えますけれども、「ごめんなさい」というのはなかなか言えないでしょう。
「ごめんなさい」――なぜ言えないか?「ごめんなさい」が。 それは自分が嫌〜な気持ちになっているときだからです。 ムカついているし「絶対あいつのことなんか許さない」っていう思いになっているし、こうして、もうイライラして怒りが爆発しているような時に、 「ごめんなさい」――たとえ自分が悪くても、あるいは「ごめんなさい」なんて言っちゃったらば、隠しているあのことがばれちゃう。 だから「ごめんなさい」なんか絶対言うもんか、とそういう思いで一杯になっちゃうかもしれませんね。 でも「ごめんなさい」ってとっても大事な言葉です。
この「ごめんなさい」っていう言葉はね、もし「自分が悪いな」と思った時は、できるだけ早く言った方がいいです。できるだけ早く。 そうすると、大きな喧嘩にならずに済みます。 ところが自分が悪いと思った時に「ごめんなさい」を言わないで、そのままにしておくと、大人の社会では戦争にまでなってしまうような、恐ろしい状況になってしまいます。 「ごめんなさい」「ごめんね」「いいよ」――もうそれで終わりですよ。 できるだけ早く「ごめんなさい」を言うってこと――それを心がけたいですね。難しいかも知れません。
でもこの「ありがとう」という言葉と「ごめんなさい」という言葉、神さまも待っています。 「神さま、ありがとう」「神さま、ごめんなさい」 「神さま、ありがとう」っていう言葉は一杯してるでしょう?「感謝します」という言葉に置き換えてもいい。 「神さま、感謝します」――今日朝起きてからここまで、神さまに感謝しましたか? 沢山神さまに感謝していることある?それとも「いや〜まだ何も良いことが起ってないから、そんなに感謝できない」って? あなたたち生きているじゃありませんか!心臓動いているじゃありませんか! 心臓動かしているの誰?自分?違うでしょう?神さまが私たちの心臓を動かしてくださって、生かしてくださっているでしょう? 今日ものすごく大きな地震があって、家潰れた?潰れてないでしょう?ねぇ、守られてるでしょう? 神さまに生かされて守られている。なあ〜んだ、当たり前じゃないか! でも「神さま、感謝します」「ありがとうございます」
神さまに「ごめんなさい」は今日は誰も言ってない?あ、言った?言った人もいるんだ。ああ、そうか。それはすばらしいと思います。 でも「神さま、ごめんなさい」ってなかなか普段あんまり言わないでしょう? 「ごめんなさい」あるいは別の言葉で、「神さま、赦してください」「神さま、人にあんなことを言ってしまいました」「人をこんなに困らせてしまいました」「自分はわがままでした」「あのことはまだばれていませんけれども、どうなんでしょうか?心がうずうずして嫌です」 「神さま、ごめんなさい」ってなかなか言えない。そうかもしれない。 でも「神さま、ごめんなさい」「神さま、赦してください」という言葉は、100%聞いてくださって、100%その「ごめんなさい」を受け止めてくださって、全部赦してくださるお方です。
人に「ごめんなさい」を言った時に、「許さないよ」って言われるかもしれない。 「おまえなんか、許さない」とか、 それ位人を怒らせてしまったり、嫌な気持ちにさせてしまったり、大変なことをしてしまった場合には、「ごめんなさい」じゃ済まないことがあるかもしれない。 でも、神さまに対しての「ごめんなさい。赦してください」は、どんなことでも、神さまは赦してくださるんです。なぜか? それは、イエスさまが十字架の上で、私たちの代わりに「ごめんなさい」と言って、いのちを捨ててくださったからです。 だから私たちの「ごめんなさい」は全〜部許されるんです。全部赦される。 そしてイエスさまは何と仰るか? 「子よ、あなたの罪は赦された」――さっきのお言葉ですね。(マルコ2:5)
このイエスさまの言葉って、誰に向かって仰っていたのかと言うと、 《中風の人》って描いてありますけれども、身体が全然動かない病気の人、その人に向かって「子よ、あなたの罪は赦された」と仰いました。 この人はね、四人の友だちに運ばれて、ベッドごと、ふとんごと、イエスさまの前に降ろされて、そしてイエスさまの前で何にも言えない状況でイエスさまを見つめていた。 でもイエスさまは、その人を見て、身体の病気を治す前に心の罪を赦されたんですね。 「子よ、あなたの罪は赦されましたよ」 その人は身体が全然動かない状況でした。何も言えなかった。 もし心の中で、悪いことがあって、「ごめんなさい」を言いたかったかもしれない。 でもそれも言えなかった。 でもイエスさまは、そんな人に対しても、「あなたの罪は赦されましたよ、大丈夫ですよ」――そういう声をかけてくださった。 「ごめんなさい」が言えなくても、神さまはその罪を赦してくださる、そういうお方なんですね。 イエスさまって、やさしいですね。イエスさまのやさしさって、どこから来るんでしょうか? それは私たちの罪を全部赦してくださる、という所から来るんじゃないんでしょうか? それ程私たち一人ひとりのことを大切に思っておられる、それがイエスさまです。
最後に,正行(まさゆき)君という人の話をしてお話を終わります。 正行君、私の名前は雅昭(まさあき)。ね、まさあきじゃない。まさゆきくん。漢字で書くと、「正しい」って字に「行く」っていう字。正行君っていう、一人の男の子です。 今から75年位前のこと。日本が戦争に負けて、そしてもう日本が焼け野原になっているような状況ですね。 なんとこの正行君のお父さんも戦争で亡くなりました。 残されたのは、お母さんと妹と正行君の三人。 正行君の家は無事でした。でももうボロボロになって焼け焦げて。 正行君はその時もう中学一年生ぐらいになっていたのかな。 それで「お母さんのことを何とか助けてあげよう」と、妹のことの面倒も看ながら、先ずこの家を修理しようと思ったんです。 家を修理する――恐らくガラスなんか割れちゃっているでしょうね。だからベニヤ板なんかで打ち付けて、何とか雨風をしのぐような、そういう修理をしたい。正行君、そう思いました。
ところが釘がない。正行君、どうしても釘がほしかった。どこかに釘(※途切れる)がないかなぁと思って、正行君は家の側をず〜っと歩いていたらば(※また途切れる)何かな? 建築中の家、それは教会だったんですけれども、教会、まだ工事中の教会が近くに、それを見つけました。 「あっ、工事中の教会か?ちょっと入ってみようかなぁ」って言って、その中にこっそり忍び込んで、正行君は釘がどこかにないだろうかと探しました。 そしたらば、釘があったんですよ。その工事中の教会の片隅に。箱に入った沢山の釘がピカピカの釘がどっさりそこにありました。 正行君は周りを確認して、「誰も見てないなぁ、よし、」と思って、背負っていたリュックサックを降ろして、その空っぽのリュックサックの中にその箱の中の釘を鷲掴みにして、そしてそのリュックサックの中にどんどん詰め込んでいったわけです。黙って。 つまり、そう、泥棒ね。泥棒したわけです、釘を。 釘を泥棒した。正行君は一生懸命、もう早くしないと見つかるかも知れないと思って、一生懸命釘をリュックサックの中に詰めていた。
そしたらば、ふっと首を押さえる手があった。誰だろう?誰だろうと思ってふっと上を見たらば、そこに背の高い、黒い服を着ていた男の人がいました。 正行君は、あ、ヤベー、こりゃ〜まずいなぁ〜。ああ、捕まっちゃった、ばれちゃった、どうしようか〜。 どうかこのまま捕まって、警察に突き出されたらなぁ、どうなるんだろうかぁ? もう家に帰って来られないんだろうか?お母さんは恐らく悲しむんだろうなぁ。妹も困るんだろうなぁ。 もう色々な思いが瞬間的に次から次へと湧いて来たんですね。「あぁ、しまったあ!」
そうしたらば、その背の高い男の人、何をしたか? 黙って正行君のリュックを持って、そして真新しいピカピカのその釘を正行君のリュックサックの中にその男の人は入れていきました。「へえ〜!」 そして、そのリュックサック一杯になる位釘を入れてくれて、そして別れ際に正行君に言いました。「足りなかったら、またいらっしゃい」 正行君は何も言うこともできず、「ありがとう」も「ごめんなさい」も言えないまま、家に帰りました。
その夜、正行君は眠れませんでした。 「なんであの人はぼくのことを許してくれたんだろう?なんでぼくのことを、警察に突き出さないで、あんなにやさしくしてくれたんだろう?」 正行君は興奮して眠れませんでした。そして、「ああ、明日もまたあの教会に行こう」という気持ちになった。 正行君は、次の日も教会に行った。そしたらまたその背の高い黒い服を着た男の人が、正行君に会いに来てくれました。 正行君、昨日のあの釘をリュックサックに一杯に入れた大きな手と、正行君を見つめる優しい青い目を忘れることができずに、もう一度教会を訪ねたんですね。 その教会にいたその男の人っていうのは、その教会の先生でした。ロンカート先生という、教会の先生だった。外国の人だった。 正行君は言いました。 「ごめんなさい。ぼくは釘を泥棒しようとしました。ごめんなさい。でも泥棒しようとしたぼくに、なんでおじさんはやさしいんですか?ぼくを許してくれたんですか?ぼくもおじさんみたいになりたいです。」 そう言って、正行君はそのあと何回も何回も教会に行って、ロンカート先生とお話をしました。
やがて正行君は大人になって、ロンカート先生のような教会の先生になったんですね。 正行君は、ロンカート先生の心の中に生きていたイエスさまに出会いました。 そしてこの優しいイエスさまを、沢山の人に自分は紹介したい、という思いで、教会の先生になったのですね。
ロンカート先生のように、私たちの罪も、イエスさまは赦してくださいます。 私たちの罪を十字架の上で背負って、私たちの身代わりに死んでくださり、三日目に復活してくださったイエスさま。 そのイエスさまというお方は、罪を赦される神さまです。 もし今、心の中に「イエスさま、あのことはごめんなさい。まだ人には言えないあのこと。内緒にしているあのこと」 でも、「イエスさまだけには、ごめんなさいを言いたい」というような気持ちになった人は、今からでも良いです。 「イエスさま、私の罪を赦してください」そのようにお祈りしてほしいと思います イエスさまは何て仰るか? 「子よ、あなたの罪は赦された」
☆お祈りいたします――戸塚伝道師 イエスさま、あなたは優しいお方です。どこまでも優しいお方です。どうしようもない、私たち一人ひとりを優しく守り導き、どうすることもできない自分の心の醜さや、また汚れもあなたは赦してくださり、きれいにしてくださるお方です。ありがとうございます。この優しいイエスさまと一緒に今週も、学校でも家でもどこでも歩んで行きたいと思います。イエスさま、私たち一人ひとりをこれからも支えてくださり、導いてくださることをよろしくお願いいたします。
年に一度のこの子ども祝福礼拝をここまで導いてくださったことを感謝します。子どもたち一人ひとりのご家族の上にも、豊かな祝福をもってお臨みください。愛するイエスさまのお名前によって父なる神さまにお祈りいたします。アーメン。
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