☆聖書箇所 ガラテヤ2:1、6〜10 1それから一四年たって、私はバルナバと一緒に、テトスも連れて、再びエルサレムに上りました。 (※2〜5節は省略される。先週の学びは1〜6節) 6そして、おもだった人たちからは――彼らがどれほどの者であっても、私にとって問題ではありません。神は人を分け隔てなさいません――そのおもだった人たちは、私に対して何もつけ加えはしませんでした。 7それどころか、ペテロが割礼を受けている者への福音を委ねられているように、私は割礼を受けていない者への福音を委ねられていることを理解してくれました。 8ペテロに働きかけて、割礼を受けている者への使徒とされた方が、私にも働きかけて、異邦人への使徒としてくださったからでした。 9そして、私に与えられたこの恵みを認め、柱として重んじられているヤコブとケファとヨハネが、私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し出しました。それは、私たちが異邦人のところに行き、彼らが割礼を受けている人々のところに行くためでした。 10ただ、私たちが貧しい人たちのことを心に留めるようにとのことでしたが、そのことなら私も大いに努めてきました。
☆説教 ガラテヤ(5)相互理解と交わり 今日の聖書の箇所は、私(藤本牧師)の説教の前回の続きであります。 ガラテヤ書の2章の1節からですね。 前回は、6節の最後の「おもだった人たちは、私に対して何もつけ加えはしませんでした」から、「何もつけ加えない」というタイトルでお話をいたしました。 (※HP では「一歩も譲歩しない」になっていますが、これは私が先生の説教をアップする際には、藤本先生のご自身のもとの原稿から判断して、適当と思われるタイトルを自由に付けるように言われておりますので、時には週報に出るタイトルと違っていることもあります。実際は2〜3か所の先生の候補から選んでおります。T・Y)
場面はパウロとバルナバは、アンティオキアの教会を牧会していました。 そこにエルサレムからの一行がやって来て言います。それが使徒の働きの15章に出てまいります。ちょっと画面で映しますね。
使徒の働き15章(※1節「モーセ〜救われない」に黄緑のハイライト、2節全体に水色の傍線、「エルサレムに上ること」に水色のハイライト) こういう事情がやってまいりました。 <使徒の働き15:1〜2> 1さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに「モーセの慣習にしたがって割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。 (***これは教会ですね、しかもクリスチャンです、と説明) 2それで、パウロやバルナバと彼らの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバ、そのほかの何人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。(***上らざるを得ませんでした、と言い換える)
これがキリスト教会で初めての教会会議となります。そしてこれがキリスト教の最大の分かれ目となりました。 「キリストの十字架が自分の罪のためにあった。そのことを真実に受け入れる時に、神は私たちの罪を赦し、聖霊を与えて、神のもとに立ち返る道を備えてくださり、そして神の子どもとしてくださる」――そういう風に単純に考えるのか? それともユダヤ主義に染まったキリスト者が言うように――キリストの福音という新しいぶどう酒を、もう一度(旧約)聖書の(律法という)古い皮袋に何とか押し込めなければいけないのか――という大きな分かれ目でありました。 彼らは言います。「十字架だけでは不十分。割礼を受けて、律法に従って生きることが求められている」。
そしてまたこのエルサレム会議で――ちょっとまた見ていてください。(使徒の働き15章)8節と9節ですね――ペテロのこの言葉が大きな意味を成しました。ペテロはこう言いますね。
(※カメラは、指でなぞりながら説明する15章。7節に「多くの論争があった」に黄緑のハイライト。「ペテロが」に水色のハイライト。8節「異邦人にも〜されました」9節全部にハイライト) <使徒15:8〜9> 8そして、人の心をご存じである神は、私たちに与えられたのと同じように、異邦人にも聖霊を与えて、彼らのために証しをされました。 9私たちと彼らの間に何の差別もつけず、(***つまり、キリストを信じて旧約聖書の教えに従って生きているユダヤ人キリスト者と、キリストを信じるだけでユダヤ教の教えとは関わりを持っていないギリシャ人キリスト者と、何ら差別もつけずに、と説明)彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。
という風に(ペテロは言いました)。 11節に――(※11節全部に黄緑のハイライト) 11私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人たちも同じなのです。」
というのは、イエス・キリストの使徒たちも(※パウロたちと)同じように考えてくれたという結果を、前回一緒に学びました。
これこそがキリストにあって与えられた自由です。 そして私たちも気をつけなければならないというお話をいたしました。 私たちは割礼とはあんまり関係ないかもしれませんけれども、同じように色んなものをつけ加えていきます。 讃美歌はこうあるべきだ。教会とはこういうものだ。クリスチャンはクリスチャンらしく、服装も整え、服装から日常生活に至るまで、信徒の方々から牧師に至るまで、色々と既成概念で縛りにかけるものだ、という風に考えてしまいがちですよね。
でも前回注目いたしました。 もう一回ガラテヤに戻りますけれども、なんとこういう風に割礼主義の信仰を持ち込んで来た者たちを、パウロは(ガラテヤ)2章のこの4節で―― (※カメラは聖書を写す。「忍び込んだ偽兄弟たちが」「キリスト・イエスにあって〜いたのです」に黄緑のハイライト) 4忍び込んだ偽兄弟たちがいたのに、強いられるということはありませんでした。彼らは私たちを奴隷にしようとして、キリスト・イエスにあって私たちが持っている自由を狙って、忍び込んでいたのです。
教会の中に、「教会はこうあるべきだ」「私たちはこういう話し方をすべきだ」と。 勿論「互いを愛する」「愛し合う」「大切にする」「神を敬う」ということは同じでありますけれども、日本の教会特有の習慣を忍び込ませていく時に、 それはあたかも、サタンが私たちのキリストにある自由を奪っていくように、教会が非常に窮屈で、非常に不自由な場所に感じるようになります。 そんなことだったら、信仰者になるのではなかったと。
私(藤本牧師)は色んな習慣には意味があると思っています。 例えばクリスチャンはタバコを吸わない、あるいはお酒を飲まない。 でも吸ったから救われない、とは聖書には書いてない。 大体タバコの習慣っていうのは、聖書の時代にはないです。 お酒を飲んだからクリスチャンとは言えない。いやいや、それだけは言えません(笑)。 何しろ、聖書の文化はぶどう酒の文化ですから。 そもそもイエス・キリストが弟子たちと共に、最後の晩餐にあずかったのは、ぶどう液、ジュースではなく、ぶどう酒ですね(笑)。 ぶどう液というものが開発されたのは、19世紀のアメリカですから、キリスト教は長〜い間聖餐はぶどう酒で守って来ました。 理性が失われる程酒に酔ってはいけない、という教えはありますけれども、 逆にパウロはテモテに言いました。「硬度の強い水を飲むよりは、胃に優しいワインを飲みなさい」と(笑)。 ですから様々な意味で、あまりそういうことに縛られているということは、キリスト者の姿勢ではないです。
勿論信念をもってそれを貫いている方は立派な信仰者であって、私(藤本牧師)はその方々が不自由だとは、(※右手親指と人差し指でちいさな輪を作って)これっぽっちも思っていません。 その方々は自分自身の良心の自由によって、自分としてのキリスト者の生き方を貫いているのであって、 しかしそれを押し付けることはあまりお勧めしない、と私は考えています。
私たちが尊ぶのは、福音の真理だけですね。 それはユダヤ人であれ、非ユダヤ人である私たちであれ、 聖書の教えに精通している者であれ、聖書の初心者であれ、 祈りに専念している者であれ、祈ってもらうだけの者であれ、 救われているのはキリスト・イエスを信じる信仰のみによる。それ以外ではないわけです。 私たちの行いではない。私たちの出来映えでもない。 もちろん、礼拝の形式でも教会の制度でもないですね。
さて、今日はその続きです。 福音の真理が認められました。 そして(ガラテヤ)2章6節に「おもだった人たちは、(私に対して)何もつけ加えませんでした。」 そして、今日読んでいただきました9節ですね、おもだった人々の代表が出て来ます。 (※カメラはガラテヤ2章。6節「何もつけ加えはしませんでした」に黄緑のハイライト。7節「理解してくれました」8節「ペテロに働きかけて」「私にも働きかけて」9節「認め」「交わりのしるし〜差し出しました」にハイライト)
9……(教会の)柱として重んじられているヤコブとケファとヨハネが、私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し出しました。
とあります。今日はこの場面から短く3つの点でお話をいたします。
1)福音は、異なる世界に浸透していく それは神さまのみこころでした。異なる世界に福音が浸透していくというのは、この7節で決まります。 (※カメラはガラテヤ2章7節「理解してくれました」にオレンジ色のハイライト)
7それどころか、ペテロが割礼を受けている者への福音を委ねられているように、私は割礼を受けていない者への福音を委ねられていることを理解してくれました。
つまり、福音の宣教の畑がここで二つに分かれるわけです。 ユダヤ人として割礼を受けている者に福音を伝える道と、そうでない異邦人に福音を伝える道と、その二つに分かれていきます。 違う世界に福音が伝えられていく時に、異なる文化圏にキリスト教が根付いていく時に、各地特有の教会が生まれていきます
そのようにして、世界中にこの二千年の間、キリスト教は様々に分岐して来ました。 その一番最初がここだと思ってください。 つまりユダヤ人キリスト者と、ギリシャ人キリスト者の違いが、ここで明確にされました。 ユダヤ人キリスト者をちょっと想像してみてください。 使徒の働きで、食事も違いますよね。すると、きっとユダヤ人クリスチャンであれば、それが救いとは関係ないと分かっていたとしても、生まれて来た子どもたちに割礼を施したに違いありません。その習慣からは離れられなかったと思います。
ユダヤ人キリスト者であれば、そう簡単に四つ足の動物を食べることはできなかったと思います。 イエスさまは「何を食べても、あなたがたは汚れることはない」と教えてくださいました。 だからと言って、次の瞬間からユダヤ人キリスト者が、がつがつ豚肉を食べた(大笑)とは、おおよそ想像はできないですね。 そういう風にして、何を食べるか、あるいはどういう服装をするのかも、世界が変わって行くに従って、キリスト教は様々な習慣を身につけるようになりました。 ユダヤ人と異邦人でキリスト教が二つに分かれて行ったというのは、キリスト教会の歴史では大きな分岐点です。
もう一つキリスト教会が大きく分かれるのが、東方と西方です。 東方というのは、エジプトのアレクサンドリアを中心として、北にギリシャその上にロシアに上がっていく、ギリシャ正教、ロシア正教です。 西の西方教会というのは、ローマを中心としたヨーロッパのカトリック教会です。 東の教会はギリシャ語でありました。西の教会はラテン語でありました。 私(藤本牧師)は正教会、ハリストスの礼拝に参加したことはありません。 でもハリストスの礼拝堂に入って、司祭さまに色々と教えていただいたことはあります。
入って一番すぐに驚くのは、何とも言えない、うっとりする香りが充満しています。 彼らはお香を焚きますね。 司祭さまは真っ黒なスカートというか(笑)、くるぶしまであるワンピースのような襟のついた真っ黒な服を着ておられます。 大体髭を生やしておられますね(笑)。 中に入ったとたん、50枚100枚位のイコン画が天井から四面全部飾ってあります。 イエス・キリストやあるいはマリアさんの聖画もあります。天使の聖画もあります。 そして、ありとあらゆる所に、神の栄光を象徴する金色が使われていますので、会堂の中は非常にきらびやかであり、 そしてうっとりとした香の匂いを感じることができます。 聖画は何百年も前に造られた、描かれた名画ですと、それはもう誰も修復することができない。
立って礼拝します。ですから80代の方であっても椅子はありません。 讃美歌は一節しかありません。ですから色んな曲はあるんですけれども、全部一節でありますので、それを繰り返し繰り返し歌い、 それでいて礼拝は二時間(驚)たっぷりあります(笑)。 二時間、でも誰も座ることはありません。
やがて、西方の教会、ラテン語を使っていた西方の教会というのは、宗教改革によって、カトリックとプロテスタントに分かれていきます。 分かれた中でも、ドイツと北欧はルター派。スイスとオランダとイギリスのスコットランドは改革派、カルバン派。そしてイギリスは聖公会と。 まだ国教会の時代でありますけれども、それぞれその宗教、また着ているものが違います。 聖職服論争というのは何回もあります。
牧師がこのようにスーツで説教するようになったというのは、19世紀後半のアメリカの大伝道者D・L・ムーディー(***1837〜1899)が最初です。 前に話したことありますよね。なんでムーディーが普通のスーツだったのか? 彼はアメリカ切っての大伝道者で、イギリスでもアメリカでも何千人を集めて伝道いたしましたけれども、彼はスーツでした。 理由は単純です。彼は信徒だからですね。 その時代であっても、按手礼を受けた牧師は全員ガウンを着ていました。 そうすると、聖職服やガウンやストールを着ている人を見て、びっくりしてはいけない。 むしろキリスト教会はスーツで講壇に立っている人を見て、びっくりするのが普通なんですよ。 聖餐式でぶどう酒が出て来てびっくりしちゃいけない。むしろぶどうジュースが出てくる方が普通ではないわけですね。
それぞれのプロテスタント教会が国教会となりましたので、ヨーロッパで宗教の難民が起こり、それが礼拝の自由を求めてアメリカに渡って行きます。 そのアメリカで教派主義が爆発します。 様々な流れが生まれます。そのようにしてアメリカの宣教師が日本に来ますので、 日本にももう色んな教団・教派がひしめいています。 そうして歌われる讃美歌も違えば、文化も違えば、礼拝形式、洗礼の違い、聖餐の違い――違いが生まれるのは、ここから始まったと思ってください。
2)しかし、この聖書の箇所から分かることは、イエスさまは、この違いを必要としていたということ。 8節をご覧いただきますとわかります。もう一度8節を見ていただきますが、8節にこうあります。 (※カメラはガラテヤ2章の8節。「ペテロに働きかけて」「私にも働きかけて」にオレンジ色のハイライト)
8ペテロに働きかけて、割礼を受けている者への使徒とされた方が、私にも働きかけて、異邦人への使徒としてくださったからでした。
ペテロに働きかけ、同じイエス・キリストは私にも働きかけたということは、 イエスさまは両方を必要としていたということでしょう? イエスさまはあなたを必要としている。あなたにも働きかける。 私たちひとりひとりは、違った方法でイエスさまに必要とされている。 誰一人として同じではないということです。
ジョン・ウェスレー(***1703〜1791英国国教会司祭・メソジストの父と呼ばれる)という人は、「公同の精神」という説教の中で強調しました。 教会が様々に教団・教派に分かれている現実にあって、どうしたらキリスト教会が一つのからだ、一つの交わりとして考えることができるのか? それは、教団・教派の違いや歴史的背景、独自の主張に目をつぶることによるのではない、とウェスレーは教えました。 私たちはそれぞれ与えられている固有な主張・使命・歴史を葬り去るのではない。 一つのからだであるならば、目は目のままでよい。耳は耳のままでよい。でも主のからだは目も耳も手も足も必要としている。 主のからだはペテロを必要としていて、パウロを必要としていて、やがてテモテを必要として、テトスを必要として、という風に、 主のからだは私たち一人一人の特異性、違いを求めておられる。 イエスさまはペテロに働きかけ、その後パウロに働きかけ、私たち一人ひとりの背景の違い、考え方の違い、賜物の違い、それらを用いて、キリストのからだの豊かさを表現するために――多様性がなければ豊かさは生まれません――ですから強い者も弱い者も、社会的に立場のある者もない者も、この文化にある者も考え方が違う者も、主は同じように必要としていると考えなければいけないですね。
3)そうなると、私たちは初代教会の姿勢から真実に学ばなければいけません。 さて、聖書を見てください。いいですか?動詞が連続して出て来ます。 初代教会の姿勢を表す動詞が。(※カメラはガラテヤ2章6節以降を映し出す) @6節の最後に「何もつけ加えはしませんでした。」――(※黄緑のハイライト) 使徒信条のように、福音の真理を基本的なところに話を止めていた。
A7節最後に「理解してくれました。」――(※オレンジ色のハイライト) パウロ固有の考え方、その働きを理解してくれた。
B9節1行目に「私の……この恵みを認め」――(※「認め」にオレンジ色のハイライト) 理解した上で認める。その存在意義を、その真実さを認めてくれる。
C9節3行目に「交わりのしるしとして右手を差し出しました。」――(※オレンジ色のハイライト) のみならず、(主イエスの)交わりの(中で一つである)しるしとして、 右の手を差し出し、共に働き、共に証しし、支え合って行こうと、協力関係を結んだということですね。
申し上げました。歴史的に様々に分岐してしまったキリスト教会が、ガラテヤのこの姿に立ち戻ったのは、なんと1910年のエジンバラの世界宣教会議でありました。 エジンバラに1300人の牧師たちが、教派を超えて、互いの一致を確認するために集まってまいりました。 この宣教会議の議長、ジョン・モット(***1865〜1955NY州生・YMCA元指導者)はノーベル平和賞を1946年に受けます。 どういうことか?
それ程キリスト教の分離は、世界を混乱させ、戦争まで引き起こしたということです。 「キリスト教の分離の為した惡というのは、その豊かさの表現であると同時に、 互いを理解し、受け入れ、協力しないならば、とんでもないことになる」ということに、 ようやくキリスト教会は1900年代に入って気がついたということでしょう。 それに至るまで、世界の教会は福音の真理に様々なものを勝手につけ加え、互いに理解しようとはせず、互いを認めようともせず、まして右の手を差し出す交わりにはありませんでした。 愚かだなぁと思います。でも現実だなぁと思います。
(※水を飲んで)最後二分。私たちはいったいどうなんだろうかな?と思います。 20年前に、皆さん覚えていらっしゃるでしょう? こんなことがありましたよね。懐かしく思い出します。 ある時、よその教会の方が高津教会の礼拝に出席してくださいました。 その方は、礼拝でお祈りの時になると――当時礼拝のお祈りは二名の方がなさっていましたよね――席を立ち上がって、真ん中の空いた列(通路)にひれ伏すんですね。 ひざを折って、身体も折り曲げてひれ伏し、そして両手を(※大きく上げて見せる藤本牧師)十字架に差し出して祈られるんです。
何年か連続して、年に一度、その方はいらっしゃいました。 一番最初、(礼拝が)終わってから、ある方が尋ねてくださいました。 「ねぇ、先生、どう思う?」 「え、目開けてたの?」みたいな(笑)。「うん、ぼくも開けてた。思わず音がしたから開けたんだけども、ぼくも初めて見てびっくりしたよ」と。
役員会でこの話をしてみました。 そしたら戸塚先生が、さらりと仰ったんですね。 確か司会をしておられたと思うんですけれども、「とっても新鮮でした」と。 戸塚先生はそう仰ったんです。 「とっても新鮮でした。祈りとは、本来あのようなものかも知れない。とっても感動しました。」
私(藤本牧師)は予想もしなかったポジティブな考えが、戸塚先生から返って来たので、私も驚いてしまいました。 あ、なるほど、そういう風に考えればいいのか!と。 彼は誰の邪魔もしていないんですよ。 でも自分が普段取っている祈りの姿勢で、高津にあっても取りたい。 彼は真実に祈りを捧げているんですね。 で、毎回いらっしゃる度に、最後に出口で爽やかに仰るんですね。 「とってもいい礼拝を捧げさせてもらいました。東京に来た時はまた寄らせてください」と。
様々な意味で、初代教会による、「互いに理解し、認め合い、交わりのしるしとして右の手を差し出す」ようなことが、私たちにもできるといいですね。 おおよそ一つになれないだろうと思える程、大きく隔たってしまった教団・教派が 実は「一人の主イエス・キリストを信じ、主を愛し、主のために労しているんだ」と、 相手を理解する。相手を理解するっていうのは、努力が必要です。 相手を認めるっていうのは、寛容な愛が必要です。 交わりのしるしに右の手を差し出すっていうのは、もう一歩踏み込んで共に協力するという努力が必要です。 それが主が一番喜んでおられることなんだということを、心に留めておきたいと思います。
☆お祈りをいたします――藤本牧師 恵み深い天の父なる神さま、あなたはペテロに声をかけ、パウロに声をかけ、また私たちにも声をかけてくださいました。それはひとえに、私たちのたましいをあなたのもとに帰すため、のみならずあなたのもとから派遣して、あなたのからだの豊かさを表現するために、あなたは様々な文化、様々な価値観、様々な習慣に浸っていた私たちを、神の国へと呼び出してくださいました。
時に私たちは自分のあり方を反省し、変えることもありますでしょう。しかし世界中のキリスト者を見ると、なんと多様に満ちていることでありましょう。そんな私たちが互いを理解する力をお与えください。互いに認め合う所の愛をください。そしてもう一歩努力して、交わりを共にし協力することを私たちに教えてください。愛するイエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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