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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   11/29アドベント(1)神は我らと共におられる マタイ1:18〜25
☆聖書箇所  マタイ1:18〜25 
 18イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
19夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。
20彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。
21マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
22このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
23 「見よ、処女が身ごもっている。
  そして男の子を産む。
  その名はインマヌエルと呼ばれる。」
それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
24ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、
25子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。

☆説教   神は我らと共におられる

アドベントの第1週、良く来てくださいました。
11月に名字の順番で皆さんをお招きいたしましたけれども、12月はいたしません。それで、大体分かりました。11月、名字の順番で並べましたけれども、皆さん三々五々いらっしゃいましたし(笑)、そして大体20名を超えるということは先ずありませんでした。
ですから12月、そして1月も基本的にはオープンにいたしますけれども、それでもやはりオンライン(礼拝)が守れる方は、また電車に乗らなければならないような方はぜひ控えていただき、今第一波・第二波にまさる(第三波の)感染の拡大が叫ばれている所でございますので、ぜひご自宅で礼拝を守ってください。

それから、医療関係の方々が、大変切迫しているということが叫ばれています。いや、それどころか病院経営さえも、ということも色々ニュースで聞くようになりました。私たちの教会は医療、そして介護従事者の大変多い教会であります。どうか名前が分かる分からない――それは別として、皆さんのために、日本のために、そして世界の教会のためにお祈りいただきたいと思います。

今朝はアドベント第1週の説教といたしまして、マタイの福音書の1章の18〜25節。特に23節を見てください。

23 「見よ。処女が身ごもっている。
  そして男の子を産む。
  その名はインマヌエルと呼ばれる。」
それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。

このみことばに目を留めたいと思います。
私たちの教会はインマヌエル高津キリスト教会です。ちょっと長いので、私は高津キリスト教会という風に通称呼んでいます。
ま、インマヌエルを付ける付けないはいい。それよりも高津にある教会として、高津の皆さんをお招きしたいという風に願っています。
この名前は長いだけではなく、よく皆さんから訊かれます。『インマヌエル』ってどういう意味ですか?と。
割と頻繁に「どういう意味ですか?」という質問はクリスチャンからやって来ます。

わざわざ答えるのが時々面倒臭いことがあるんですけれども、このアドベントの時期、答えは明確であります。
「見よ、処女が身ごもっている」「乙女が身ごもっている」というこのイザヤ書(***7:14)の引用からやってまいります。
「訳すと、『神が私たちと共におられる』」

なぜ訳が出ているのか?それは「インマヌエル」という言葉はヘブル語だからです。
そして当時使われていたコイネーという一般のギリシャ語では、やはりヘブル語の翻訳が必要でありました。
「インマ」という言葉が、(〜と共に)。
「ヌ」という言葉が、(私たち)です。
そして「エル」が(神)です。

ですから『神、われらと共に』というのが、この言葉の意味であります。
旧約聖書の人々は、神はわざわざ「いる」と言わなくても、神さまが「おられる」ことは明確でありました。
しかしその神が、単におられるだけでなく、私たちと共にいてくださる。
そうなりますと、必ずしも分かり切ったことではありませんでした。

今日は二つのポイントでお話をいたします。

1)神が私たちと共におられるということを思わず疑ってしまう状況は多々ある。
今年はコロナ・パンデミック一色でありました。
皆さん3月4月のニュースを覚えていらっしゃいますでしょうか?
日本では横浜港に停泊したまま、下船できないダイヤモンドプリンセスのニュースが毎日報道されていました。
しばらくしますと、いや同時期、イタリアから、スペインから届きました。町全体のロックダウンですね。
それがフランスに至り、またイギリスに至り。教会に並ぶ棺の数。夜中町の外へと軍隊の車で運ばれて行く棺。アメリカで次々に建てられていく遺体を安置する冷凍倉庫。
アメリカの場合は今でも数が増えているという風に、愛香(※長女アメリカ在住)から連絡が来ました。

私(藤本牧師)は一番強烈に覚えているのは、カナダの教会の会食でクラスターが起こり、教会員数十人が命を失いました。
まだまだコロナウィルス感染という病気がよくわからなかった時期ではありますけれども、
教会ではきちんとマスクをし、消毒をし、しかし会食をしたということが致命的であったのでありましょう。
女性の牧師先生は泣いてインタビューに答えておられました。できることなら、あの日をもう一度やり直したいと。
自分たちの教会員が感染に罹ったのみならず、その一人ひとりの葬儀を出さなければならない牧師の思いというのは、私(藤本牧師)は恐らくその先生は、もはやその教会にはいらっしゃることはできないだろうなぁと思っている程、深刻なカナダの小さな村の話でありました。

こんなことを誰が想像したでしょうか?
教会に人が集まれない。今日もオンラインで礼拝を。
一年間、皆さんよく耐えてくださいました。
しかし医療関係、介護関係の方々にとりましては、この一年間はただならぬ緊張が走った一年でありました。

よく考えてみますと、人類の歴史はいつもこのような出来事に脅かされて来ました。
実際「神さまが共におられる」という確信を持ち続けて生きることができない程、様々な事が私たちの人生、また歴史にありました。
1957年、私(藤本牧師)が生まれた年でありますけれども、アカデミー賞をとった有名な、「戦場にかける橋」という映画があります。
それはタイの渓谷に日本軍が橋を架ける。そして建設には英国軍の捕虜を用いる。
その捕虜たちと日本軍の大佐のヒューマンドラマ、非常に感動的なドラマであります。
映画はフランスの小説家の作品でありますけれども、少し美しく美化し過ぎたということで、
後に、当時捕虜でありましたイギリス人のアーネスト・ゴードンという人物が「死の谷を過ぎて――クワイ河収容所」という本を記します。
日本語にも訳されています。
そこで彼は自分が体験した強制労働、虐待、マラリヤ、アメーバ―赤痢、ジフテリア、そして病気になっていく捕虜たちの姿、一旦隔離されたらもう二度とそこから帰れないという「死の家」があったということなどを記しています。

そうした体験の中で、彼は人間性というものに目覚めていったと言うんですね。
人間性――中にはとても良いものもあります。こんな出来事が記されています。
橋が完成して、そして労働に就いていたイギリス人捕虜たちは、バンコクに移送される1945年8月、敗戦直前の出来事でありました。
文章にはこうあります。
「さらに進んだ。ある地点で私たちの列車(***収容されていたイギリス軍の人たち)は引き込み線に入り、何かを待たされた。かなり長い時間であった。同じ線路の前方にも列車が停まっているのに私たちは気がついた。
 それは日本軍の負傷兵を移送中の列車であった。それらの不運な負傷兵たちは、軍医や衛生兵の看護も手当もないまま運ばれていた。
 誰もが愕然として息を飲んだ。私はこれまで、いや、今もって、あれ程汚い人間の姿は見たことがない。戦闘服は泥、血、大便などが固まってこびりついていた。痛々しい傷口は化膿して、全体が膿で覆われ、膿の中からは無数のウジが這い出していた。
 負傷兵は遠くを眺めるようなわびしい目で私たちを見ながら、貨車の壁に頭を寄りかからせ座っていた。彼らは死を待つ人々であった。
 私たちは一言も発することなく、自分たちのリュックを開き、配給された食糧、布きれ一枚、二枚、手に水筒を持って日本兵の列車に歩き出した。
 私たちが戻っていく時、感謝の叫びである「ありがとう」という声が、私たちの背に何度も投げかけられていた。」

人間というのは、悲惨のどん底で人間性に目覚めるということはしばしばあるんだろうと思います。
私たちも手術をしたり、病んだり、本当に苦労をしている中で、また苦労している人々を見ながら、「自分たちは人間なんだ」ということに気がつく、ということはしばしばあるんだろうと思います。

でもこの本の中で、作者のアーネスト・ゴードンが熱にうなされるんですね。
そして献身的に信仰をもって看護する仲間に、怒鳴る場面があります。
絶望に駆られて、クリスチャンの仲間の兵士に怒鳴るんですね。
「それなら、尋ねるが、どうして神は何もしてくれないんだ。どうして沈黙したままなんだ。天国とか言うありもしない所で、大きな白い雲に王座に鎮座在しましているだけで、どうして何もしてくれないんだ」と。

この叫びというのは、実は聖書の中で何度も出て来ます。何度も出て来ます。
特に詩篇の苦悩の叫びの中で、「神さま、あなたは私たちにどうして顔を背けておられるのですか」という言葉は何度も出てまいります。
「神、我らと共にいます」とは言うけれども!

しかし、アーネスト・ゴードンはこの実体験の最後をこう締めくくっています。
「人間にとって嬉しい言葉、良き訪れとは、人がその苦悩を神に背負ってもらえるということである。神はキリストを通して、それを背負っておられる。神は責任を回避されたりはしない。私たち人間が最も悲惨、最も残酷な苦痛の体験をしている時に、神はまさに共におられる。」
こう記して、彼は本を締めくくっています。

「神、われらとともにいます。」
旧約聖書で最初に出て来るイザヤ書7章では、シリアが自分たちの兄弟国、北のイスラエル王国と結託して、南のユダの王国に攻めて来るという、この絶体絶命の場面で、イザヤは「インマヌエル」という言葉を発しています。――「神、われらとともにいます。」

今年世界を見渡せば、「神が共におられる」ということが到底実感することができないような――あの教会の会堂に所狭しと並べられた棺、至る所で建てられる葬儀が間に合わない冷凍倉庫――夏の暑い中、多く私たちはそういうニュースを見ました。
中には、そういう年だから、私たちは「互いをいたわるという人間性」に目覚めたという出来事もありました。
でもアーネスト・ゴードンが言うように、私たちはだからこそ人間のどん底に降りて来られる神――クリスマス・インマヌエルというのは、暗闇の中に住む民の所に神が降りて来られた。試練のただ中に神が降りて来られた――ということを実感するアドベントでありたいと思います。

健康であっても、あるいは経済的にも、仕事の面でも、また折角大学に入った年であったかもしれないけれど、様々な意味で非日常的な中を通されながら、いつの間にか気力を失っていくという、そんな私たちの現象もあるでしょう。

ですからなおのこと、このインマヌエルと呼ばれるイエス・キリストは、この世界の暗闇の中に降りて来られた。その上で私たちと共におられる。
順調な中に私たちと共におられる――それはそうでしょう。
でも詩篇23篇で、私たちと共におられるのは、「私たちが死の陰の谷を行く時に、神は私たちと共におられる」と詩篇に書いてあるじゃないですか。
そのことを実感できるクリスマスでありたいと思います。

二番目に、クリスマスのメッセージ「インマヌエル」は、そこにとどまりません。
つまり「暗闇の中に降りて来られ、私たちと共におられる」というメッセージにとどまることはありません。
2)生まれて来る救い主の預言、この方はイエスです。
マタイの福音書の1章に戻っていただいて、1章の21節に――

21マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」

この方がイエスというのは、救うという意味です。この方はご自分の民をその罪からお救いになる。
その試練からお救いになる。その悲しみから、その孤独から、その弱さから、その疲れから、その困難さからお救いになる。
暗闇の中に、私たちの所に降りて来られるだけではない。この方は私たちをお救いになる。

その証しとして、この方は私たちを最終的に痛めつける死をご自身で味わい、神はこの方を死から復活させられました。
イエスさまは、私たちの苦しみとご自身を重ねるかのように、また私たちの罪深さとご自身を重ねるかのように、十字架にお架かりになります。
そして「自分は十字架にかかる。苦しみを受ける。捨てられる」ということを何度も福音書の中で仰っておられます。
マルコの福音書では明確な宣言だけでも3回出て来ます。
「人の子は引き渡され、裁かれ、苦しみを受け、死に至る」と。

しかし、そのように明確に仰る時に、必ず最後に付け加えておられます。
「しかし人の子は三日後によみがえる」とつけ加えておられます。

主イエスの復活は、何もご自身のためだけではない。
復活の初穂となって、ご自身を信じるすべての者を復活させるために、主イエス・キリストは復活されました。

昨年ピリピ人への手紙をご一緒に学びました時に、感動的なみことばに触れました。
ちょっと開いてください。ピリピの手紙の3章の21節です。
オンラインの方も聖書をお持ちであれば、開いていただきたいと思いますが、
ピリピの手紙の3章の21節です。復活の力ですね。
感動的だと申しますのは、この言葉です。3章の最後の21節。
<ピリピ3:21>
21キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。

私たちの卑しいからだを復活のからだに変えてくださいます。
どんな力によって? それは「万物をご自分に従わせることさえできるものすごい力によって」、私たちを復活させることができるんですね。

その力が、誰の上に、どのように働くのか? 
私たちの上にです。万物をご自分に従わせることさえできる力によって、その力は小さな愚かな私たちの上に及ぶ。
キリストを信じる者、キリストに繋がっている者、キリストにとどまっている者の上にこの力が働く。

するとどうなるのか?ピリピの3章10節にこんな言葉があります。
<ピリピ3:10〜11>
10私は、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、キリストの死と同じ状態になり、
11何とかして死者の中からの復活に達したいのです。

「私はキリストとその復活の力を知る。」(10節)
キリストの苦難にもあずかるでしょう。
キリストの死と同じ苦しみも味わうでしょう。
しかし死んだとしても、11節に「死者の中から復活に達する。」

私たちはキリストを知る・信じるということは、私たちのどん底に降って来てくださり、共にいてくださるキリストを知る・信じるということもあります。
でも同時に、「キリストを信じる・キリストを知る」ということは、この方の復活の力、この方に復活させる力があるということを知り、信じるということです。
恐れと不安の中で震えて来た私たちが、「神、我らと共にいます」という希望の光に照らされ、力づけられるクリスマスでありたいと思います。

皆さんも良く知っておられる話を一つして終わりにいたします。
今年、NHKの朝ドラは「エール」でありました。
その第90話はクリスチャンの間では非常に話題になりました。
録画は10月6日の放送分になりますが、
薬師丸ひろ子さんが演じる光子が、敗戦直前に空襲で焼け落ちた自宅の中で、その自宅に戻って来て、
唯一焼け残った讃美歌を膝に置いて、「うるわしの白百合」を3分そのまま歌います。
これは葬儀の讃美歌ですね。
脚本の作者は、台詞を薬師丸さんに前もって渡していました。
それは「戦争のこん畜生、こん畜生」とうなりながら、地面を叩いてください、というそういう脚本でありました。
でも薬師丸さんは、その台詞だけではこの光子という女性の思いを表現することができない。
代わりに、この光子は名古屋の金城女学院の出身のクリスチャンでありました――薬師丸さんもミッション系の大学に行ったわけですけれども――讃美歌を歌いたいということで、大正、昭和の時期にとてもよく歌われていた「うるわしの白百合」を歌います。
なんとNHKのドラマでは3分間、ずっと彼女の熱唱一本でいくわけですね。

空襲で焼け落ち、敗戦となり、これまで歌えなかった讃美歌に心を込めて歌うことができるようになった。
それだけでなく、悲しみと悔しさ、戦争のこん畜生ですね。
でも復活の讃美歌を歌うことによって、いのちの再生という希望を取り戻す。
日常の復興ということに思いを馳せる。そして平安を取り戻す願いを込めて、「うるわしの白百合」を歌われた。
ドラマの中で3分間讃美歌を歌うというのは、これは特別です。稀な出来事です。

そう考えますと、今年のアドベントは特別でなければいけないです。
それはどん底を何度も味わう世界に降りて来てくださる主イエス・キリストを実感するために、今年のアドベントはある。
しかし苦しみを共に背負ってくださるキリストは、試練を打ち破り、苦しみをひっくり返し、乗り越える力を与えてくださる。
そういう意味で、今年のアドベントは格別に希望に溢れるアドベント。復活の力に溢れるアドベントであるということを、私たちは信じる。
パウロと同じように、「私はキリストとその復活の力を知る」と心に刻む、信仰によって刻むアドベントでありたいと思います。

☆お祈りをいたします。――藤本牧師
「キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだ」(ピリピ3:21)、私たちの現状、私たちの涙、私たちの辛さを、ご自身の栄光に輝く姿と共に変えてくださる。今年散々苦労した方々、ほとんど何も苦労せずとも、世界の様々な状況を見ながら塞ぎ込んでしまった方々、教会に集まることができずに、一人孤独に続く礼拝を永遠と持たれた方々、また今日も医療や介護の現場で戦っておられる方々、どうかお一人お一人にあなたが届いてくださり、あなたはまさにこの世の暗闇に降って来られ、私たちと共におられるお方であるだけでなく、死を突き破り、出来事をひっくり返し、私たちに希望ある日常を取り戻すことのできる力を持っておられるお方であることを知ることができますように助けてください。愛する主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2020.11.29 - 22:04

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