☆聖書箇所 マルコ4:14〜25 14種蒔く人は、みことばを蒔くのです。 15道端に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばが蒔かれて彼らが聞くと、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを取り去ります。 16岩地に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れますが、 17自分の中に根がなく、しばらく続くだけです。後で、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。 18もう一つの、茨の中に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたのに、 19この世の思い煩いや、富の惑わし、そのほかいろいろな欲望が入り込んでみことばをふさぐので、実を結ぶことができません。 20よい地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちのことです。」 21イエスはまた彼らに言われた。「明かりを持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。 22隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので、明らかにされないものはありません。 23聞く耳があるなら、聞きなさい。」 24また彼らに言われた。「聞いていることに注意しなさい。あなたがたは、自分が量るその秤で自分にも量り与えられ、その上に増し加えられます。 25持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っているものまで取り上げられてしまうからです。」
☆説教 からし種一粒の信仰 今朝はマルコの福音書の4章、「からし種一粒の信仰」「からし種一粒」というタイトルでお話をしたいと思います。 先月の11/22の礼拝が、今年のガラテヤ人への手紙からの講解の最後でありました。 また来年開始して行きたいと思います。 その最後の礼拝で私(藤本牧師)は、割礼派の主張に対して一歩も譲らないパウロの信仰をお話ししました。 福音の真理とキリストにあっての自由を守るためには一歩も譲らない。
そして、以前四日市教会から、仕事の転勤で高津教会の祈祷会に来ておられたUさんのお話をいたしました。 Uさんは同じく四日市教会の出身のIYさんの紹介で、高津教会にいらっしゃっていました。 東京勤務の矛盾の中で、信仰をどうやって守り通したか苦闘しておられたお話を、私は礼拝でいたしました所、
すぐに壮年会のIさんが、そのUさんを知っているという、そういうメールをくださいました。 「名刺交換をしたことがある。二回は会っていると思う」というお話で、 私(藤本牧師)は、神さまが人と人を繋げてくださる不思議な恵みについて話をしました。
そして壮年会メールで、色々前後やり取りがあるんですけれども、それを「天の窓」でIHさんがまとめてくださっているので、大変興味深いのでぜひ読んでいただきたいと思います。 私(藤本牧師)は《不思議な神さまの恵みによる人と人との結びつき》で、こんなことを書きました。 それはMさんが、25年ぐらい前に初めて高津教会に来られて、ご家族で。まだ真理ちゃんが1歳ぐらいだったと思います。 そして、ま、話が出ました。治水関連のお仕事をしていて、揖斐川(いびがわ)・長良川(ながらがわ)が氾濫しないように、堤防を作っていくお仕事でありました。 お仕事の関係で、長良川から伊勢湾で仕事をしていた、Hという人と交渉しなければならず、何度もそこに足を運んだというのですが、それが私(藤本牧師)の母の兄なんですね。
ま、ここに写真を出したい位、それはそれは厳ついおじさんで(大笑)、私が喘息で転地療養して桑名で引き受けてくれたんですが、よくおじさんから「この、たわけ者!」と言って怒られたのを覚えています(※そこは礼拝で聞いて大笑いした覚えがあります)。 顔は厳つい。気性も荒い。本当に若いMさんはあんな人とよく交渉されましたね(笑)、というお話をしました。
長良川の堤防工事で仕事を失った(母の)兄は、喫茶店を開店いたしました。 名前は喫茶Hで、100匹はいました錦鯉の池をまたぐように喫茶店を建てましたので、とても人気のある店となりました。 亡くなった母の机の引き出しを片づけていた姉(奏楽の戸塚さん)が、その喫茶店の開店の古い写真を見つけてまいりました。
Mさんは、母の信仰の話をメールで回してくださいました。 それは実は私たち子どもたちは、ほとんど知らないものでありました。きっと聞かされていたんだろうと思いますけれども、全然覚えておりませんでした。 「天の窓」の一部を読みますね。
――Mさんのメールを読み始める藤本牧師―― 太平洋戦争前から、桑名城の近くには(※あそこに城があったんだということを初めて知りましたけれども、と挟んで)軍需部品を作る東洋ベアリングの工場があったためか、アメリカ軍の空襲が焼夷弾攻撃ではなく爆弾攻撃だったことは、揖斐川・長良川での河川工事に伴い必要となった多くの不発弾処理のことから承知していました。
しかし幸子先生から、桑名城辺りへの空襲時に、ご両親と共に避難されるところに爆弾が落ちて来て、ご両親は爆風で飛散して一瞬で消えてしまったこと、幸子先生は爆風どうしの干渉の隙間に入ったためか、奇跡的に助かったことを伺ったのは、本当に衝撃的なことでした。
ご両親が亡くなられた後に、残された子供達の親代わりになったのが兄のHさんだったと伺い、あの気骨さはそうした苦難の道を通られるところからも培われたものと得心したものでした。
それにしても、爆弾の落下位置が少しずれていて爆風どうしの干渉が違っていたら、幸子先生も無事には済まず、祝姉、満先生、康子先生もこの世に生を受けておられなかったかもしれないと思うと、ここにもまた神様の導きの不思議さを感じます。 ――ここまで読み終わり――
これには、この信仰的なコメントには、私たち兄妹はもうほんとに脱帽いたしました。 私も何であんな田舎町に空爆があったのか、よくわかっていませんでした。
その後で、Oさんがコメントを入れてくださり、ベアリングというのは、戦闘機の中心部品だった。ベアリングを制する者は世界を制すると言われていて、 それがゆえに、焼夷弾ではなく、もう大量の空爆が桑名に為されたということをOさんも話しておられました。
母の女学校時代の写真が一枚だけ出て来まして、来週の土曜日の葬儀の二分前に紹介したいと思いますが、 その写真は、母が軍需工場で働いていた時のもので、友人と一緒に写されていたものでありました。
私は、母の葬儀のプログラムに、高津教会の証し集『善き戦い』の1972年に母が書いた救いの証しを載せようと準備していました。 それも葬儀の二分前に皆さんにお見せしますが、ちょっと今日は時間を取って読ませてください。
――ここから幸子先生のお証し、読み始め―― 幼い時より住み慣れた家は戦火のため、一夜のうちに廃墟と化し、父は厳しい空爆の下で戦死しました。続いて間もなく母の死、兄の戦死等……日が経つにつれて両親への思慕は深まり、死に対する様々な事柄が心に大きく重くのしかかって暗い悲しみの日々が続きました。 そんな時、疎開先の隣家で小さい家庭集会が開かれ、誘われるままに集会に導かれました。朝夕仏壇に手を合わせ、母の好きな花を添えお経を読み、なんとか自分の心を慰めようと努めていたのですが、真の神にかえる以外、なんの益もないことを知り、すべてを神にゆだねて十字架のイエスさまにすがりました。アメリカ婦人宣教師の先生に一部始終を申し上げると、「あなたは救われました。神さまの恵みです」と喜びの中に共に祈ってくださいました。そして「わが父母われを棄つるとも、主、我を迎えたまわん」(詩篇27:10)のみことばをひらき、今日から神さまがあなたのお父さん、お母さんです。なんでもお祈りして助けていただきなさい。とおぼつかない日本語ではっきり、おっしゃってくださいました。 あの夜、18歳の私が一人で決意し祈って与えられた小さい、からし種のような信仰を神は助けて育ててくださいました。昭和22年(1947)7月のことでした。 ――幸子先生のお証しはここまで――
それで今日は説教を、「からし種のような信仰」と題してお話ししたいと思います。 この母が疎開先で導かれた家庭集会というのが、実はIさん、Uさんの出身教会の四日市教会の前身です。 そしてそこでIkさんも救われました。同じ信仰のルーツで何十年もして高津教会で出会い――そしてIY,IYさんのこのお母さま・IKさん(※2017年召天)も先年天に召されましたけれども――私はこれもまた不思議な導きだという風に思います。
自分の両親を思い、そして兄一人を失い、仏壇に手を合わせてお経を読んでも、何とか心に慰めを得ようとしても実体がない。 母は天地万物を造られた神を見出し、十字架のイエスさまを信じたことを宣教師に話すと、聖書を開いて教えてくださり、 「わが父母われを棄つるとも、主、我を迎えたまわん」(詩篇27:10) と新しい両親を見出し、今日から神さまがあなたのお父さん・お母さんです。何でもお祈りして助けてもらいなさいと。
その信仰を母は、証しの中で、「からし種のような小さな信仰」と記しています。 からし種一粒のような信仰を、神さまは育ててくださいます。 アドベントですからアドベントの話もしますので、ここから先はしばらくよく聞いていただきたいと思います。
宣教師の先生は、母の心の内にみことばの種を蒔いてくださいました。 (マルコ)4章の14節をちょっとご覧いただきたいと思います。 (※聖書が映される。15節「道端に蒔かれたもの」16節「岩地に蒔かれたもの」18節「茨の中に蒔かれたもの」20節「よい地に蒔かれたもの」にオレンジ色のハイライト) 4章の14節に「種を蒔く人はみことばを蒔くのです」とありますね。 そして種は様々な所に落ちて行きます。それが私たちの心です。
道端に、ある種は落ちる。すると、15節にありますように―― 「みことばが蒔かれて彼らが聞くと(***聞くには聞くんですけれども、と説明)、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを取り去ります。」 ということは、何にも残らない。
ある種は、16節〜17節―― 「みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れますが、自分の中に根がなく、しばらく続くだけです。後で、みことばのために困難や試練が起こると、すぐにつまずいてしまいます(***根のない信仰ですね、と説明)。」
ある種は、茨の中に落ちてしまいます。19節―― 「この世の思い煩いや、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込んでみことばを塞ぐので、実を結ぶことが(***結局のところ、と説明)できません。」
最後に、良い地に落ちた種は、20節――(※かなり声がかすれて咳払いをする藤本牧師) 「みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちのことです。」
というんですね。 「良い地」というのは、みことばを聞いて受け入れる、というのは信じるという意味です。 そういう心を持っている人、あるいはそういう状態にある私たちが、良い地です。
TTさんが書いてくださいましたクリスマスの霊想。天の窓の最後に書いてありますけれども、内村鑑三の言葉で―― 「神にとってもっとも大いなることは愛である。人にとって最も大いなることは信である。」
信というのは信仰の信です。からし種一つぶの信仰かも知れない。しかし人にとって最も大いなることは信である。
私(藤本牧師)は昨年、インターネットの学びで、noteというものを使って、聖書読解法とマルコの福音書を学びました。 これは祈祷会でも行ったものです。 noteでマガジンで検索してくださって、聖書読解法を調べてくださいますと、今もこのマルコ福音書の4章の講解をことが見ることができます。
マルコ福音書の4章でイエスさまが仰ったことには、深い意味があります。 からし種一粒!それは私たちのからし種一粒のような信仰を指します。 小さな信仰。小さな始まり。しかし、神さまはそれを育ててくださり、豊かな実を結ぶようにしてくださる。
でも、それだけではないんですね。(※鼻をすする音が入る。可哀想にお風邪を召しておられる様子、自宅で観ていて、喘息がひどくならないようお祈りしました。お熱でもありそうな感じです)。 当時の人々は、救い主に何を期待していたんだと思います? 当然、イエスさまがご自分のことを「人の子は」「人の子は」と仰いますよね。 そう仰っている限り、それを聞いた人々は、旧約聖書の(ダニエル書の)7章の「人の子」を考えたに違いありません。 ちょっと映し出しますね。ここです。ダニエル書の7章の13節と14節です。 (※13節「人の子」「天の雲とともに来られた」14節「主権と〜仕えることになった」にオレンジ色のハイライト)
13私がまた、夜の幻を見ていると、 見よ、人の子のような方が 天の雲とともに来られた。 その方は 『年を経た方』のもとに進み、 その前に導かれた。 14 この方に、主権と栄誉と国が与えられ、 諸民族、諸国民、諸言語の者たちはみな、 この方に仕えることになった。 その主権は永遠の主権で、 過ぎ去ることがなく、 その国は滅びることがない。
「救い主」と聞いた時に、全世界がひざまずく所の主権者を人々は期待していました。 ところがこの方が乙女マリアに宿り、ベツレヘムの片田舎で生まれ、しかも馬小屋で生まれ、飼い葉おけに寝させられ、ナザレの大工のヨセフを父として育って行く、ということは、だ〜れも想像していませんでした。
ましてや、この方の働きが、みことばの種を蒔くような小さな働きだとも、だ〜れも思っていませんでした。 それは旧約聖書にきちんと預言されているからです。 バプテスマのヨハネもその預言をきちっと受け止めていました。 救い主は、種蒔きに来るんじゃないんです。救い主は収穫に来るんですよ。 そして実を結ばなかった者、それを邪魔して来た茨を火にくべ、救い主が来る時に神の国に入る良き実を収穫しに来るわけです。 ですから「収穫」という言葉は、ある意味で「裁き」という言葉に結びついていました。 その働きによって、救い主がやって来られるということは、イスラエルがローマ帝国の支配から解放されて、ダビデの王国は再建される。
そう思ってきましたから、バプテスマのヨハネもやっぱり疑問に思います。 自分は捕らえられてしまって、イエスさまが公の生涯に立たされた時に、不安になって、(牢獄から)自分の弟子たちをイエスさまのもとに送り出して尋ねさせます。 「本当にあなたなのでしょうか?私たちは、他の人を待つべきなのでしょうか?」と。 イエスさまの働きはエルサレムから遠く離れたガリラヤでありました。 そんな所で、小さな種を蒔くような救い主を私たちは期待していたわけではない。
イエスさまは、その時宣言されます。「心配ない」と。 マルコの福音書の4章に戻っていただきますと、この偉大なみことばが出てまいります。 ちょっと映しますから、待っててくださいね。4章の21節から読んでいきます。 【※21節「明かりを」22節「隠れているもの」「秘められたもの」24節自分が量る〜与えられ)にオレンジ色のハイライト。23節「聞く耳があるなら、聞きなさい。」24節「聞いていることに注意」に黄色のハイライト。また、21〜23節の上にマタイ5:15と赤ペン字、24節の上にはルカ6:32と赤ペン字、さらに赤ペンで「聞く耳があるなら」を丸く囲む】
21イエスはまた彼らに言われた。「明かりを持って来るのは、(***明かりというのはイエスさまご自身のことです、世の光であるイエスさまです、と説明)、升の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。
ということは、今はわたしは燭台の下に隠れていても、わたしは必ず燭台の上に上がる、という意味です。
22隠れているもの(***イエスさまのことです、と説明)で、あらわにされないものはなく、秘められたもの(***これもイエスさまのことです、と説明)で、明らかにされないものはありません。
イエスさまは何を宣言されたのか? それはわたしは救い主として、今は種を蒔くような小さな存在である。でもそれがそれに終わることはない。 神の国がガリラヤで種まきに始まるような小さなものであるとしても、またイエスさまの誕生というものが乙女マリアに宿り、そして馬小屋に誕生するような小さなものであったとしても、それは必ず世の光として燭台の上に置かれ、この世界を、あなたの人生を照らし、輝き出でるようになる。 だから、4章の23節〜に書いてあります。
23聞く耳があるなら、聞きなさい。(***ということは、信仰をもって私のみことばをしっかり受け止めなさい、と説明) 24また彼らに言われた。「聞いていることに注意しなさい。あなたがたは、自分が量るその秤で(***というのは信仰です、信仰を大きくすれば、と説明)自分にも量り与えられ、(***というのは、イエスさまの輝きがもっと見えて来るようになる、と説明)その上に増し加えられます 25持っている人はさらに与えられ(***というのは、小さな小さな信仰でも持っていれば、さらに祝福は与えられ、みことばを聞いても受け入れられないような、と説明)持っていない人は、(***今まで、を付けて説明)持っているものまで取り上げられてしまう(***というのは、当時の宗教家のことでありました、と説明)からです。
「からし種一粒」というのは、イエスさまが私たちの心に蒔いてくださる種だと申し上げました。 でも実際はそれだけではない。クリスマスに象徴されるようなイエスさまの働きの始まりはからし種一粒のような小さなものでありました。 でもその光がどんなに小さくても「聞く耳ある者は聞きなさい」(マルコ4:23)と仰られたように、 私たちが心を開いて、イエス・キリストのみことばを受け止めていく時に、この光はますます私たちの心を大きく包むようになる。
世界は闇に包まれています。でも光はその闇に打ち負かされることはなかった。闇は光を打ち負かすことはできなかった(***ヨハネ1:5)。 イエスさまは仰います。「わたしに信頼して、わたしについて来なさい」(***マタイ4:19、マルコ1:17) 小さな信仰でいいのです。わたしの働きも最初は小さいです。 でもやがてあなたが30年40年50年と信仰生涯を全うしていく時に、 わたしはどれほどあなたを愛し、あなたの側にいて、あなたを助ける羊飼いであるのか、 ましてあなたが天国に行った時に、あなたが受ける神の栄光の輝きがどれほど偉大であるのか、あなたはやがて知るようになります。 (***エペソ1:17〜19)
☆お祈りをいたします。――藤本牧師 恵み深い天の父なる神さま、このようにして愛する兄弟姉妹と共に、アドベントの第二の聖日、12月に入ることができました。
一年間振り返ってみますと、本当にコロナに翻弄された一年でありました。しかしもし私たちの教会にまだ犠牲となった人が出ていないとしたならば、それはあなたが、ただただ私たちに気を付ける心を与えてくださり、また私たちを恵みのバリアで守ってくださったからです。恐らくこの状況の中で、私たちはクリスマス、新年を迎えることでありましょう。
でも私たちはいつも一つとなって互いのために祈り、互いを覚えて一人ひとりがこのオンラインの礼拝に集まり、信仰を必ず育てていただき、来年に向けてさらに多くの祝福を期待するような者とさせてくださいますようによろしくお願いいたします。今日のこの日を心から感謝して、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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