みなさま
いかがお過ごしでしょうか。コロナ禍におけるクリスマスもまた、毎年とかわらず、特別な恵みにあふれていることを信じています。
第三週は、甲府キリスト福音教会の松村識先生が記してくださいました。
松村先生に心から感謝します。ぜひ、お持ちいください。
ご家族と教会が、すべての危険、病、禍から守られますようにお祈りしています。
藤本満
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今週は「贖い」をキーワードにみことばにキリストが世に来てくださったご目的に思いを巡らしましょう。それぞれのみことばの前後のストーリーも読んでみましょう。
●12月14日(月)1ヨハネ4:10-11 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。
この世には見えるもの、見えそうで見えないもの、全く見えないものがあります。真実の愛はどのようにして見ることができるでしょうか。思っているだけで愛は決して伝わりません。ことばや口先だけでも愛は伝わりません。愛には必ず見える行動が伴います。愛の出発点は神です。そして、神は御子を世に、しかも「宥めの供え物」、つまり十字架で私たちの罪を贖うためにお送りくださったのです。「ここに愛あり」と呼びかけてくださっている神の愛からいつも目を離すことがないように、そして、私もその愛に生きることができるように祈ります。
●15日(火)申命記7:8 しかし、主があなたがたを愛されたから、またあなたがたの父祖たちに誓った誓いを守られたから、主は力強い御手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王ファラオの手からあなたを贖い出されたのである。
私たちは誓いや約束を守れない不忠実な者たちです。一人の小さな約束から始まって国と国との約束まで、自分の都合でいくらでも言い訳してねじ曲げます。一方、神様の誓いと約束、それは信仰の父アブラハムから始まり、エジプトで奴隷とされたイスラエルの悩みをそのままにはなされませんでした。過越の子羊の血によって贖ってくださったのです。そして、その契約は時のスケールを超えて今に至るまで、私たちのところまで脈々と流れています。罪の奴隷であった私たちをキリストの贖いによって自由にしてくださった!愛ゆえに!決して変わることのない神の約束を受け取るに必要なことは、ただ、信じること。私に主の約束を受け取る信仰をくださって心から感謝します。 ●16日(水)ルツ3:9 彼は言った。「あなたはだれだ。」彼女は言った。「私はあなたのはしためルツです。あなたの覆いを、あなたのはしための上に広げてください。あなたは買い戻しの権利のある親類です。」
ルツ記の買い戻し、それはルツにとって、自分にはどうにもならぬことを願い出る勇気あることでした。夫を失い、姑を支えて見知らぬ地で生きていくことは容易ならざることだったに違いありません。ボアズはそれに応えてくれます。進んで損をしてまで買い戻すのは熱い愛ゆえ。そのボアズは救い主キリストの型です。私たちも苦しみと悩み、そしてどうにもならぬことを祈り求めるならば、神はどんな犠牲を払ってでも私たちを救ってくださるのです。そのしるしがひとり子イエス様です。この世に送り、いのちまでを捨ててくださったのです。今、コロナの中で、あるいは日常の中でままならぬことばかり。主よ。どうぞ、あなたの覆いを私の上に広げてください。
●17日(木)ヘブル9:11-12 しかしキリストは、すでに実現したすばらしい事柄の大祭司として来られ、人の手で造った物でない、すなわち、この被造世界の物でない、もっと偉大な、もっと完全な幕屋を通り、また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。
旧約の時代、人々は祭司によらずして、しかも動物の血によって幕屋に行かなければ神に近づくことができませんでした。しかし、それらはすべてキリストを映す影。主イエス様がこの世に来てくださったのは、この贖いのためでした。そして、それは永遠の完全な贖いです。それによって私たちは神との和解し、いつでも誰でもどこででも、キリストの名によって祈ることができるのです。「キリストの名によって」と祈る度に、十字架の贖いを思い起こさせてください。そして、その恵みの素晴らしさを深めさせてください。 ●18日(金)1ペテロ1:15-19 あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。…あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
私たちが恵みによって贖われたのは、聖なる者とされるためです。未だ、世に生きる私たちは、世に影響され、この世の生き方に惑わされます。そして、とてもとても聖いとは言いがたく、「だって、やっぱり、しょうがない」と言ったりするのです。聖さを求めることは、キリストの血を生きることです。祈る度に、礼拝する度に、聖餐にあずかる度に、恵みに主が招いていてくださいます。主よ。ますますキリストのきよい血を我が身に注ぎ、聖い者に造り変えてください。
●19日(土)黙示録5:9-10 彼らは新しい歌を歌った。「あなたは、巻物を受け取り、封印を解くのにふさわしい方です。 あなたは屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血によって人々を神のために贖い、私たちの神のために、彼らを王国とし、祭司とされました。彼らは地を治めるのです。」
アドベント、そこに待ち望むのは、すでに来られたキリストの恵みを覚えると同時に、来るべきキリストの再臨、神の王国の完成の時です。今、私たちはこの世にあって、地のものはみなはかないとわかっていながらむなしいものを求めます。災害に遭わなければ気がつかない。コロナの中、惰性でしていたこと、習慣だけでしていたことに気づき、本当に大切なことが吟味されています。そして、いつも未完成です。途上です。旅人です。多くの悩みや痛み、傷を抱えながら生きています。今も、しかし、キリストの再臨のとき、すべてが新しくされ、すべてが完成する。その時を待ち望みます。 主よ。来てください!マラナタ!
みことばと共に行くア*ドベント 2020 第3週
(新改訳2017)
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※松村先生の原稿はほとんど完璧(だと思います)ので、そのままPDFを添付しています。 故藤本幸子牧師のお別れ会等で、掲載が遅れましたことをお詫びいたします。T・Y
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