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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   1/3 聖餐式・初聖日・戸塚伝道師:ぶっつけ本番に生きる マルコ13:1〜11
☆聖書箇所 マルコ13:1〜11
1イエスが宮から出て行かれるとき、弟子の一人がイエスに言った。「先生、ご覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」
2すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」
 3イエスがオリーブ山で宮に向かって座っておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにイエスに尋ねた。
4「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。また、それらがすべて終わりに近づくときのしるしは、どのようなものですか。」
5それで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
6わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそ、その者だ』と言って、多くの人を惑わします。
7また、戦争や戦争のうわさを聞いても、うろたえてはいけません。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。
8民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで地震があり、飢饉も起こるからです。これらのことは産みの苦しみの始まりです。
 9あなたがたは用心していなさい。人々はあなたがたを地方法院に引き渡します。あなたがたは、会堂で打ちたたかれ、わたしのために、総督たちや王たちの前に立たされます。そのようにして彼らに証しするのです。
10まず福音が、すべての民族に宣べ伝えられなければなりません。
11人々があなたがたを捕らえて引き渡すとき、何を話そうかと、前もって心配するのはやめなさい。ただ、そのときあなたがたに与えられることを話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。

☆説教  ぶっつけ本番を生きる
皆さん、おはようございます。そしてあけましておめでとうございます。
(※にこやかに会衆左右にお辞儀をしながら語り始める戸塚伝道師)
2021年の最初の日曜日、聖日、共にイエスさまを礼拝することができる恵みを心から感謝いたします。私(戸塚伝道師)はここに立つのは月に一回ですけれども、どうか今年もよろしくお願いいたします。

2021年の元旦礼拝、信仰を新たにして新しいスタートを共に切ることができました。
今日は1月3日ですから、ま、3日目ですよね?
1日に色々なことを決意し、そして新たな抱負をもってスタートした、この新しい年も三日目。
三日坊主という言葉があります。今日が正念場です(大笑)。
三日坊主に終わるのか、それとも四日坊主になるのか(笑)、さらにずっと続いて今年の大みそかまで頑張れるのか、それは分かりませんけれども。
でも折角立てた志、少なくとも今日一杯は何とか神さまの恵みによってもたせていただきたいなぁと、そういう風に思っています。

新しい年を踏み出だす度に思うこと。それは今年はどんな年になるのだろうか?ということですね。
「楽しみなことがある」って言う人がいるかもしれません。「今年はあれがあるんだ。これがあるんだ。こういう楽しみなことが待っているんだ。」
でもそれと共に、私たち多くの者は、やはりこれから先一体どうなっていくのかという不安、一抹の不安が心によぎる、心によぎりながら生きているような、そういうお互いでありますが。
今日は「ぶっつけ本番を生きる」と題して、3つの視点で共に恵みを分かち合いたいと思います。

1)人生は「ぶっつけ本番」である。
人生には様々な試練があります。ある人は言いました。
「(人生には)3つの坂がある。上り坂、下り坂、でも“まさか”という坂がある。」
「まさか、そんなことが起こるとは!」というように、様々な試練、想定外の出来事があります。
そして、その想定外の出来事はまさに準備無しで、いきなりやって来る。いきなり本番なんです。準備無しでいきなり本番。

学校行事の中で、様々な大事な行事があります。
運動会、学芸会――最近学芸会をやる学校少なくなりましたが――ま、学芸会。そして一番大切な行事と言っていいのは卒業式です。
これらの行事、「ぶっつけ本番」でやるということは絶対に(※力を込めて)あり得ません。
入念な準備を重ねて、そして本番に臨む。それでもハプニングは色々起こるわけですよね。
学校という子どもたちが集まる所は、その毎日が、そして毎時間は教師にとっては「ぶっつけ本番」の連続であります。

考えてみれば試練、いつ起こるか分からないこの様々な試練というもの、それから問題課題、今も抱えておられる方々が沢山おられると思うんですけれども、そして病気だとか災害だとか、いや人生そのものが日常生活そのものが、「ぶっつけ本番」で対応するしかないのではないかと思うんです。
なぜか?なぜ私たちは「ぶっつけ本番」で対応せざるを得ないのか?
それは一秒先のことは私たちには分からないからです。

一番いい例がこのコロナの騒ぎですね。騒ぎと言ったらあれですけれども、新型コロナウィルスの感染拡大。
昨年の今頃、まさかこんなことになるとは、まさかこんなことになる……
そして今年、これからこの新型コロナウィルスは一体どうなっていくんだろうか?
ますます感染拡大が広がる。東京都はもう「感染爆発」と言ってもいいような状況。「医療崩壊」がもう起こりつつあるというような、深刻な状況であります。

さらには南海トラフ巨大地震だとか、首都直下地震だとか、いつ来るか分からない。
もしかしたら一分後かもしれません。分かりません、それは。
勿論万全な防災対策は取る必要はあるでしょう。
耐震化――高津教会の会堂も耐震化のプロジェクトが着々と進んでいます。
備蓄も必要ですし、高津教会でもできる限りの備蓄が今なされていますし、
地震保険にも入っていますし、様々な準備、様々な心構え、それは必要ですね。
しかしどんなに準備したとしても――もし地震が起こったその時刻にどこにいるかによって、折角準備したものが全く役に立たない――ということだって有り得るわけです。どうなるかわからない。

癌になったらどうでしょうか?
ある日突然、「あなたはこういう癌です。そういういうことが見つかった」という、そういう診断・報告を医師から聞かされた時、まさに「ぶっつけ本番」ですね。

老後はどうでしょうか?
若い時は、老後なんて全く考えていない、もう別世界のことでした。
「老後?あ、今……いずれね」――そういう方々、今若い方々ねぇ、沢山、かつての私(戸塚伝道師)と同じように思っておられる方々がいっぱいいると思います。
老後、老後はどうなんだろうか?徐々にやって来るなぁと、いま実感です。徐々に。
徐々にやって来るから、ま、心の準備はできつつあるなぁと。
ここも悪くなって来た。ここも痛くなって来た(笑)。これもできなくなって来た。前はこんなじゃなかったのに、ま、徐々にそれは出て来る。
しかしある日突然、ある日突然、老化現象が加速するということだってあるわけですよね?
予期もしない所で転んでしまったとか、骨折してしまったとか。

そしてやがて私たちが死ぬ時です。召される時です。
召される時の「ぶっつけ本番」は避けたいですよね。避けたいです。「突然死」というのは避けたいです。
いや、「ぽっくり逝きたい」という方も、もしかしたらいらっしゃるのかもしれません。
でも事故だとか犯罪だとか災害だとかで「突然死」というのは、なんか納得いかない。
なんと不条理なことか!でも、突然天国っていうこともあり得るわけです。

新しい年になりまして、新しいカレンダーをいただいて、365日の日づけがず〜っと印刷されている。
でも何月何日に何が起こるか?何月何日にどうなるか?それは私たちには全く分からないことです。
綿密なスケジュールを立て、様々な準備をし、そして一つ一つの予定をこなしていく、そういう日々がお互いの現実なのかもしれませんが、しかしそのカレンダーの何月何日にどういうことが起こるのかは、私たちには全く分からない。
みんな「ぶっつけ本番」で、私たちの人生、生きているわけです。

そのような中で、心に留まったみことばが、今朝読んだマルコの福音書第13章であります。

2)マルコの福音書13章、これを見ていきたいと思います。

このマルコの福音書第13章というのは、弟子たちに対するイエスさまの告別の説教が綴られている場所です。
そのきっかけは13章の1節にあります。お読みいたします。
(※合間に説明を加えて読む戸塚伝道師、――で表しています)

1イエスが宮から出て行かれるとき、弟子の一人がイエスに言った。「先生、ご覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」

――弟子の一人がこう言った、そのすばらしい建物とはエルサレムの神殿でした。

2すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」

――エルサレムのこの神殿、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません――これはイエスさまはこのすばらしい神殿だと弟子たちが評した、エルサレム神殿がやがて崩壊してしまう、という予告をされている所です。

   3イエスがオリーブ山で宮に向かって座っておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにイエスに尋ねた。
4「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。また、それらがすべて終わりに近づくときのしるしは、どのようなものですか。」

――エルサレム神殿崩壊の予告を聞いた弟子たちは不安になって、そして「ひそかに」と3節に書いてありますが、ひそかに質問した。
なんか大っぴらに質問できないことなのではないだろうか。そんな恐ろしいこと。密かに質問した。

そしてその答えが5節からず〜っと綴られている。
5節〜8節はその恐ろしい出来事が起こる前兆が書かれていて、
そしてさらに9節〜23節は、そういう状況の中でイエスさまに従う弟子たちには、苦難の波が直接的に襲い掛かる、との予告が綿々と書かれているわけです。

エルサレム神殿の崩壊、さらには新約の視点からこの記事を読みますと、私たちのこの世が終わる終末のことが予告されているとも読めますけれども、
そのような恐ろしい、崩壊の情報を提供する場所がこの場所なんですけれども、
よく読んでみますと、そういう情報提供をイエスさまが語られているというよりも、
弟子としてイエスさまに、そのような状況の中で従う者の生き方というものはどういうものであるか、ということがイエスさまによって語られているわけです、ここで。
そのイエスさまが語られた、弟子たちに対する生き方、それがイエスさまの言葉の端々に表現されています。

例えば5節、「人に惑わされないように気をつけなさい」と書いてあります。
7節には、「戦争や戦争のうわさを聞いても、うろたえてはいけません」
9節には、「あなたがたは用心していなさい」と。
13節には、「しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます」
21節、「そのときに、だれかが、『ご覧なさい。ここにキリストがいる』とか、『あそこにいる』とか言っても、信じてはいけません」
23節、「あなたがたは、気をつけていなさい。わたしは、すべてのことを前もって話しました」
28節には、「いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかくなって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。(29節)同じように、これらのことが起こるのを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい」
33節、「気をつけて、目を覚ましていなさい」
34節、「目を覚ましているように命じます」
35節、「目を覚ましていなさい」
37節、「目を覚ましていなさい」と。
最後は「目を覚ましていなさい」「目を覚ましていなさい」とイエスさまは畳みかけるように語られていることが分かります。

襲い来るエルサレム神殿崩壊という苦難、その中でイエスさまに従う弟子たちの生き方はどのようなものなのか?その告別説教が、このマルコの福音書の13章。

この朝、この新年の初聖日に、心に留めておきたいみことば――それはイエスさまが語られたお言葉の中で、11節のお言葉にこの朝特別に心を留めていきたいと思います。

11人々があなたがたを捕らえて引き渡すとき、何を話そうかと、前もって心配するのはやめなさい。……

「前もって心配するのはやめなさい」――これがこの朝、私たちが心に留めておきたいみことばとしてご紹介させていただくところであります。

「前もって心配するのはやめなさい」――私たちも今大変な状況の中にあります。
それは新型コロナウィルスの感染拡大のただ中に置かれている、というだけではないかもしれない。
個人的に大きな試練や問題課題の中に置かれている方々、沢山おられると思います。
さらには、そういうことは今はない。今は感謝な状態だ――そういう状況の中にある方々も、しかし、これから先どうなって行くのか、これから何があるかわからない状況の中で、不安がある。

私たちは弟子たちではありません。弟子たちのようなすごい信仰を持っているかどうか、それは分からない。
イエスさまに選ばれるようなすばらしい信仰を、私たちは持っているという自信はない。
でも私たちは、からし種一粒程でありながらも、ささやかな信仰は持っています。
イエスさまに出会って、「ああ、あなたでしたか、イエスさま。あなたについてまいります。従ってまいります」という思いは、私たち誰にでも持っている。どんな小さなものであったとしても。
この信仰――イエスさまから与えられた信仰。弟子たち程ではないかもしれないけれども、小さな小さな信仰――この信仰があれば、なんとかやっていけるのではないだろうかというささやかな希望は持っている(※自分で笑って語る戸塚伝道師)。

それでも、それでも不安が全くないと言ったら、少なくとも私(戸塚伝道師)はうそになる。
この一年、大変な厳しい現実、状況の中に置かれている。
あるいは今置かれてないかもしれないけれども、ある日突然「ぶっつけ本番」でそのような状況に直面した時、私たちは色々考えると思うんですね。
そして、あ、こんな弱い信仰であったとしても、今この信仰を働かせようと思って、その信仰を働かせて、恐らく一生懸命お祈りすると思うんです。

でも、どのような試練に直面するかによって、私たちが抱えきれないような、信仰でも対処することができないような、ものすごい試練、予期しなかった出来事、悲しみ、辛さ、苦しみ、そういう状況の中に置かれた時に、考えたり祈ったりすることさえできなくなるようなことが、もしかしたらあるかもしれません。

「ああ、どうしよう、これからどうなっていくのだろうか?」
でもイエスさまは言われます。
「ぶっつけ本番で大丈夫ですよ。前もって心配するのはやめなさい」
イエスさまは、そう語り続けておられるお方です。
「何があっても大丈夫なんですか?」
「はい、何があっても大丈夫です」とイエスさまは言われるでしょう。
「私がもしかしたらお祈りできなくなっちゃうかもしれませんよ」
「大丈夫ですよ。何があっても」
「もしかしたら、信仰を働かせることができないぐらい、ドン底に陥ってしまうような、そういうことがあるかもしれませんよ」
「大丈夫ですよ、何があっても。前もって心配するのはやめなさい」
何があっても大丈夫です、とイエスさまは仰る。

「コロナに感染しても?癌になっても?大変な状況の中に置かれても?大震災に遭ってもも?年老いても?死んでも?」
「はい、何があっても大丈夫です」

「え〜、私には無理です(※頭を振って)。イエスさまはそう仰るけれど。
藤本幸子先生はすごい信仰を私たちに残して天に逝かれました。
岩田さんが、『潔い信仰』と評したその信仰――ああ、幸子先生ならそうかもしれない。
死を前にして、天国の一歩手前でVサインをしながら、『これからイエスさまに会いに行くの』と言って召されて逝ったその信仰。
でも私のような、このからし種一粒もない、もしかしたらどうなるかわからないような信仰……」
でもイエスさまは仰います――「大丈夫です。『ぶっつけ本番』で大丈夫です。前もって心配するのはやめなさい。」

3)「何があっても大丈夫だ」とイエスさまは仰いますけれども、その理由は一体何だろうか?
そのキーワードは11節「前もって心配するのはやめなさい」の後に書かれています。
「ただ、そのときあなたがたに与えられることを話しなさい」(***11節真ん中辺り)
「そのとき」「与えられること」――これがキーワードです。
「そのとき、あなたがたに与えられること」――その時になって初めて、私たちに必要な恵みと助けは与えられる。
しかも、「話すのはあなたがたではなく、聖霊です」(***11節最後)と書いてあります。

弟子にとって「そのとき」とはどういう時か?
それは11節の最初にありますけれども、「人々があなたがたを捕らえて引き離すとき」――イエスさまの弟子が迫害されて捕まる時です。
「その時に、何を話そうかと、前もって心配するのはやめなさい。ただ、そのときあなたがたに与えられることを話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です」(11節)
――その時になって初めて、必要な恵みと助けは、導きは聖霊によって与えられる。向こうからやって来るんですよ。

勿論私たちはお祈りするでしょう。準備するでしょう。備えるでしょう。
受験生はいま正念場ですよ。もう必死になって準備しているでしょう。
しかし、その時になってみなければ分からないことがほどんどなんです。
受験当日、朝の天気はどうなっているんだろうか?
受験当日の体調はどうなるんだろうか?
受験当日、朝の電車のダイヤは平常通りだろうか?
その時になってみなければ分からないことがほとんどです。
自分の努力も頑張りも備えも、様々な試練に対しては限界があるんです。
しかしその時になって初めて、与えられることがある。

捕らえられて、引き渡されて、何を話そうか分からない時、その時、与えられることを話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊ですよ。助けは必ず与えられますよ、その時に。
(※力を込めて大声で語る)だから何があっても大丈夫なんです。
「何があっても大丈夫」と言うのは、私(戸塚伝道師)ではないです。イエスさまがそう言われるんです。

この後、今年二回目の聖餐式が予定されていますね。
三が日の間に二回も聖餐式の恵みにあずかれる(大笑)というのは、恐らく今年が初めてだろうと思うんです。
イエスさまの十字架・イエスさまの復活、私のために――元旦にも語られましたけれども――私を愛し、私のためにご自分を与えてくださったイエスさま(***ガラテヤ2:20)――この十字架・復活の道を歩まれたイエスさまが、「前もって心配するのはやめなさい」(マルコ13:11)と仰る。

こんなエピソードがあります。
脚本家の向田邦子(むこうだ・くにこ)さんに俳優の黒柳徹子(くろやなぎ・てつこ)さんが質問しました。
「あなた、どうして脚本を書くのが遅いの?」(笑)
向田邦子さんは言いました。
「早く台本を渡すとねぇ、役者さんが考え過ぎるのよ〜(笑)。人生なんて明日はどうなるか分からないでしょう。先のことを知って、逆算して芝居されてもいいことないのよ〜」(笑)
って向田邦子さんは仰ったそうです。
「いいことない」――いかにも作り物。リアルさが伝わらない。生きた芝居にならない。

もしかしたら、この今の状況が一年前に分からなかったことは、神さまのお考えだったかもしれない。
さらには、一年後のことが今私たちに知らされてないのも、神さまの深〜い憐れみかもしれない。
明日何が起こるか分かりません。しかしこの不確定さこそ人生の現実です。
早く台本を渡すと役者さんが考え過ぎる。明日のことが分かったらば、あるいは一年後のことがもし分かっちゃったらば、私たちは考え過ぎる。
考え過ぎるどころか、「え〜、そんなことが起こるの〜?え〜、どうしよう、どうしよう」とパニック状態になっちゃう。いま何も起こってないのに。

でも、この不確定さこそ恵みなんですよ。だから私たちは神さまに信頼し、神さまに委ねているんですよ。
そして何か起こった時、聖霊が助けてくださる。このことを私たちは信じて生きたいと思うんですね。
「信じることは生きることだ」(※元旦礼拝・藤本牧師の説教)と語られていましたけれども、私たちはこれから、「ぶっつけ本番」を生きるのです
「何があっても大丈夫だ。前もって心配するのはやめなさい」(マルコ13:11)と言われるイエスさまと共に生きるのです。
信じていることを生きるんです。生かされて生きるのです。

新しい2021年というこの年、いつどうなるのか、私たちにはますますわからない時代ですけれども、しかし何があっても、どのような状態の中に置かれても、十字架・復活のイエスさまが共に歩んでくださる――なんと心強いことでしょうか!
練習しなくてもいい。あれこれ考え過ぎなくてもいい。前もって心配しなくてもいい。「ぶっつけ本番」で大丈夫なのです。神さまの恵みも「ぶっつけ本番」で与えられます。

☆お祈りいたします――戸塚伝道師
イエスさま、あなたは語られました。「前もって心配するのはやめなさい」(マルコ13:11)と。2021年という新しい年、その三日目を迎えた私たち。今からどのようなことが待っているかわかりません。でも、このあなたのお言葉のゆえに感謝いたします。
全くの想定外の出来事に直面し、「ぶっつけ本番」の中を余儀なく通される時も、「何があっても大丈夫だ」と、十字架の主が、復活の主が保証してくださることをありがとうございます。
思いもよらない現状をしっかり見据え、受け入れることができますように、そして共におられるイエスさまに委ね切って、私たちにも潔い、腹の座った信仰に生きる恵みを日々お与えください。
この後の聖餐式も祝してくださいますように。聖霊のとりなしの内に、愛するイエスさまのお名前で父なる神さまにお祈りいたします。アーメン。
(※マイクなどを拭き上げ席に戻る戸塚伝道師。引き続き――)

☆藤本牧師による聖餐式

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DATE: 2021.01.03 - 21:13

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