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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   8/22 戸塚伝道師:あなたに話したい神さま Tサムエル3章 1〜10節 
☆聖書箇所  Tサムエル3章1〜10節
1さて、少年サムエルはエリのもとで【主】に仕えていた。そのころ、【主】のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。
2その日、エリは自分のところで寝ていた。彼の目はかすんできて、見えなくなっていた。
3神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている【主】の神殿で寝ていた。
4【主】はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい、ここにおります」と言って、
5エリのところに走って行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。帰って、寝なさい」と言った。それでサムエルは戻って寝た。
6【主】はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。わが子よ。帰って、寝なさい」と言った。
7サムエルは、まだ【主】を知らなかった。まだ【主】のことばは彼に示されていなかった。
8【主】は三度目にサムエルを呼ばれた。彼は起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは、【主】が少年を呼んでおられるということを悟った。
9それで、エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がお前を呼ばれたら、『【主】よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」サムエルは行って、自分のところで寝た。
 10【主】が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。

☆説教    あなたに話したい神さま 
今日はお読みいたしました旧約聖書のサムエル記第一、第3章の1節〜10節。
ここから「あなたに話したい神さま」と題して、3つの視点から思い巡らしをしていきます。

1)少年サムエルは神さまから呼ばれた。
少年サムエルの絵があります。これはジョシュア・レイノルズという人が描いた「幼きサムエル」という絵でありますけれども、
正座をして小さな手を合わせて、そして目を上げて上を向いている巻毛の男の子の絵でありますが、
その絵から受ける印象は大体6歳ぐらいの子ではないかと思います。少年サムエル。

今日お読みいたしましたみことばから受ける印象は、6歳よりももうちょっと大きいのではないかな、小学生ぐらい、小学校4年生ぐらい、10歳ぐらいかな、そんな印象を受けます。
結果的に、少年サムエルは神さまから4回呼ばれていることが分かります。

第一回目は3章の1〜5節に書かれていますが、1節からお読みいたします。
1さて、少年サムエルはエリのもとで【主】に仕えていた。そのころ、【主】のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。
2その日、エリは自分のところで寝ていた。彼の目はかすんできて、見えなくなっていた。
3神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている【主】の神殿で寝ていた。
(※そして第一回目ですね、と説明)
4【主】はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい、ここにおります」と言って、

とあります。サムエルは門前の小僧(こぞう)でありました。
小僧という言葉は、日本語ですと「小さなお坊さん」という意味ですけれども――ま、お寺ではなくて神殿でありますけれども――神さまに仕える小僧さんのような、そういう働きをしていた。
サムエルは二歳のころから母親ハンナと別れて、祭司エリのもとで、ま、修行をしていた、そういう身でありました。
詳しいいきさつはサムエル記1章2章に、この前に書かれているわけでありますけれども、
そのようなエリのもとで仕えている小さな子どもでした。

寝泊りは、契約の箱が安置されている【主】の宮であるということが、今読んだところで分かります。
サムエルは恐れ多い場所で寝ていたということが分かります。

以前、高津教会では毎年夏に、教会学校サマーキャンプというのが行われました。
多摩川の奥多摩福音の家という所で、20回行われました。
その後、ま、奉仕者の高齢化も進み、また子どもたちもどんどん少なくなって来たので、<キャンプを外でやるんじゃなくて、教会でやりましょう。教会で一泊二日のキャンプをしましょう>ということになりました。
そしてその一泊、寝る場所はどこか?それは教会であります。礼拝堂であります。
長椅子を二つ向き合うようにくっ付けるとベッドのようになって、子どもたちは大喜びですね(笑)。大喜びです。
自分のベッド、一人一つベッドが与えられて、そこで寝ることができる。
教会の礼拝堂で一夜を過ごす――でも子どもたちはそんな厳粛な思いには駆られていないですね。
もう夜遅くまでワイワイ騒ぎ、そして朝は早くから大はしゃぎでありますけれども、
でも教会で寝泊まりするっていうことは、ある意味では幸いなことだと思うんですね。

私(戸塚伝道師)が静岡教会に遣わされていた時、一回だけ教会に寝泊まりしたことがありました。
台風が来るということで、「翌日、新幹線がストップする可能性がある」――そういうニュースが流れていましたので、前の日から静岡教会の二階の牧師館で寝たという経験があります。
誰もいない教会の二階に一人寝る――なんか怖かったですね、すごく。
自分一人しか、この教会・この建物にいないんだ――すごく怖い経験をいたしました。
でも一人で礼拝堂に下りて行って、神さまにお祈りする時に、
何か、そこにもう神さまがおられるのではないだろうか――と臨在感を感じたことを覚えております。

サムエルはその【主】の契約の箱が置かれている【主】の宮で寝ていた。
そして【主】がサムエルを呼ばれたので、「はい、ここにおります」と言って、エリのところに走って行った、と書いてあります。
サムエルは神さまから呼ばれたという意識は全くなかった。エリ先生が私を呼んでおられるんだと。
それですぐにエリ先生のところに行って、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」。
でもエリは「呼んでいない。帰って、寝なさい」と。
それでサムエルは戻って寝た――というのが第一回目です。

第二回目、3章の6節ですね。

6【主】はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。・・・

サムエルはまた勘違いをしてしまったのです。エリ先生が呼んだのではないだろうか?
今度は、エリ先生は「呼んでいない。わが子よ。帰って、寝なさい」と。
「私は呼んでいない。わが子よ」――二回に亘るサムエルの奇妙な言動に対して、エリ先生は温かいフォローをしていることが分かります。

そして三回目が3章の8節に書いてあります。

8【主】は三度目にサムエルを呼ばれた。彼は起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。・・・

二度あることは三度ある。
しかもサムエルは、エリ先生に忠実に仕えていたということが分かります。
呼ばれる度に「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」という言葉でエリ先生に返事をしています。

三度も、それはなぜ三度も?
神さまが呼んでおられるのに、サムエルが気が付かなかったかというと、7節にその理由が書いてありますね。

7サムエルは、まだ【主】を知らなかった。まだ【主】のことばは彼に示されていなかった。

【主】を知らなかった。
小さな頭では、恐らく子どもなりには分かっていたと思うんです。神殿で寝泊まりするということがどういうことなのか。
しかし、神さまと人格的には出会っていなかったサムエルでした。
そのために主のことばも、まだサムエルには示されていなかったのです。

そこで今こそ神さまは、サムエルにお話がしたかった。そこで三度も呼ばれました。
何とかして気づいてほしかった。
しかしサムエルは三度も勘違いして、エリ先生のところに行くわけですね。
そしてこの時エリは漸く悟りました――あぁ、神さまがこの少年を呼んでおられる、ということを。
8節の最後に、「エリは、【主】が少年を呼んでおられることを悟った」とありますね。

エリの反応はだいぶ鈍くなっていたようであります。
でも漸く悟ったエリ先生は、サムエルに指示をします。3章の9節――

9それで、エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『【主】よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」・・・

このようにアドバイスしました。

そして第四回目、3章の10節――

   10【主】が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。
「サムエル、サムエル」――名前を二回呼ぶ神さまですね。
この二回呼ぶというのは、親しみの表現だと言われています。
そして聖書のみことばを読みますと、神さまが名前を二回読んだ後に必ず大切なことを話されているということが分かります。

例えば出エジプト記の3章(4節)、「モーセ、モーセ」と神さまが呼ばれました。
ルカの福音書10章(41節)では、イエスさまがマルタに「マルタ、マルタ」、
そして使徒の働き9章(4節)ではイエスさまがサウロに「サウロ、サウロ」と。
二回名前を呼ばれている、そしてその後に大切な神さまからのメッセージを語りかけておられる神さま。

ここでも神さまはサムエルに大切なことをお話ししたいと思って、名前を二回呼ばれるわけですね。
サムエルはエリ先生が言われたとおりにお答えしました――「【主】よ、お話しください。しもべは聞いております」と。

神さまは私たち一人一人の名前をも呼ばれるお方です。すべての人の名前を呼んでおられるお方です。
なぜか?私に話したいことがあるから。
私たちも神さまに名前を呼ばれて、神さまにお返事させていただいた者であります。
私たちを命がけで探し続けてくださった神さまとの出会いの経験。イエスさまとの出会いの経験。
だから今、私たちはここで礼拝している。
神さまの方から話しかけてくださる。語ってくださる。
私たち一人一人に「どうしてもお話したいことがある」と言って、待っておられるお方が神さまであります。
今朝初めて礼拝に参加された方々、神さまはあなたの名前も呼んでおられます。

2)神さまは、私に語り続けておられるお方。
今日も朝起きてから今に至るまで、語り続けておられるお方が神さま。
まるでラジオの電波が、この空気中に(※両手を高くあげて左右に交差して見せて)、空中に飛び交っているかのように。
私たちが気づかないだけでありますね。意識していないだけです。
私たちはそれをただ受信するだけです。
神さまが語り続けておられる。私たちはその神さまの声に耳を傾けることのすばらしさをどれぐらい味わっているか?

「聞く」っていう漢字がありますね。
門構えの「聞く」という漢字がありますけれども、耳偏の「聴く」っていう漢字もあります。
若い頃、色々な先輩の先生方の教室の掲示を、歩いてどんな掲示物を張っているかなと見回っていたことがありました。
ある教室へ行くと、「聴く」っていう漢字が大きく前に掲示されていて、そして「聴くとは耳プラス目と心」って書いてありました。
確かに「聴く」っていう漢字は耳にプラス目――目は横になっていますけれども――目と心。
これが「聴く」ということの大切な要素なんだということを、その先生は言いたかったのかもしれません。

私たちも神さまのことばを聴く時に、耳プラス目と心を(※両手の人差し指で、それぞれ耳と目と指し、胸には手の平を当てて指して見せる。)
インマヌエル教会学校讃美歌に『神さまの声、聴こえるかい?』っていう讃美歌があります。(※歌い出す戸塚伝道師)
「♪神さまの声、聴こえるかい?――ご存じの方もいらっしゃると思います(※と言葉を挟んで続けて歌う)――それは心で聴き分ける。悪いことをした時に、心が痛くなるでしょう。」
なんか哀愁を帯びた、心に染み渡るようなメロディーラインですね。
今から20年以上前に、高津教会学校でよ〜く歌った歌です。
「♪神さまの声聴こえるかい?迷う時には導かれる。悲しく辛い時さえも、一人一人に語られる。」という讃美歌です。
『神さまの声、聴こえるかい?』

私たち、神さまの声を今朝起きてからどれ位聴いていたか?(笑)
神さまは話したくて話したくてたまらないのに、私たちは「主よ、お話しください」の一言も言わずに(笑)、なんか、この時間まで来てしまったような私です。
神さまがいつ語られるのか?どのように語られるのか?
私たちの努力や訓練で、神さまの声が聞こえるようになるわけではない。
一方的に神さまは語っておられる、その語りかけに「主よ、お話しください」と言うだけです。心を開くだけです。

神さまがどのように語られるか、10通り上げてみました、聖書から。
1直接語られる。
2預言者を通して語られる。
3夢や幻を通して語られる。
4御使いを通して、天使を通して語られる。
5人となられたイエスさまを通して語られる。
6聖霊を通して語られる。
7人の言葉を通して語られる。
8説教を通して語られる。
9様々な状況や自然界を通して語られる。
10聖書のみことばを通して語られる。

一番馴染みがあるのは、聖書のみことばではないでしょうか?
だから私たちはみことばを読みます。そしてみことばに聴こうとするんですね。

3)一度でも神さまに語られたら、今までと同じではあり得ません。
サムエルは神さまに語られた後、どうなったか?
今日お読みしませんでしたけれども、3章の11節からご覧ください。
その後、神さまは大切なことをサムエルに語られます。
<Tサムエル3:11〜20>※を読みながら説明していく

11【主】はサムエルに言われた。「見よ、わたしはイスラエルに一つのことをしようとしている。だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る。
12その日わたしは、エリの家についてわたしが語ったことすべてを、初めから終わりまでエリに実行する。
13わたしは、彼の家を永遠にさばくと彼に告げる。それは息子たちが自らにのろいを招くようなことをしているのを知りながら、思いとどまらせなかった咎のためだ。
14だから、わたしはエリの家について誓う。エリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に赦されることはない。」

わずか10歳位の子どもに、神さまはなんということを語ったんだろうか?
エリ先生はそんな人だったのか、ということですよ。
神さまから裁きのことば、エリ先生とその家族に対して。
確かに2章には、エリ先生はどのような人物だったかということが書いてあります。
祭司として、霊的指導者として、特に一人の父親として、大きな課題を持つ人物だったということが分かります。
それに対する裁きの言葉を語られるわけですね。
そしてそのことをエリ先生は察知して、エリ先生はサムエルに言うわけですね。
「どんなことを神さまから語られたのか、隠さないで私に話してくれ」(17節)と言われて、サムエルはエリ先生に語られたことをすべて話すわけですね。
3章の18節にこうあります。

18サムエルは、すべてのことをエリに知らせて、何も隠さなかった。エリは言った。「その方は【主】だ。・・・」

ここで初めて、サムエルは自分に語ったお方が、自分の名前を呼んだお方が【主】だ、神さまだということが分かったんです。そして19節――

 19サムエルは成長した。【主】は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とすことはなかった。

先ほど(Tサムエル3章)7節には、「サムエルは、まだ【主】を知らなかった」とありますね。
でも神さまから名前を呼ばれ、神さまの御声を聴いた時に、どうなったか?
「その方は【主】だ」と悟ることができた。
そして、「まだ【主】のことばは彼に示されていなかった」(7節)とありますけれども、
しかし「彼のことばを一つも地に落とすことはなかった」とありますが、
サムエルを預言者としてここで召したということが分かります。20節を見ますと――

20全イスラエルは、ダンからベエル・シェバに至るまで、サムエルが【主】の預言者として堅く立てられたことを知った。

とあります。
神さまに語られたならば、今までと同じではあり得ない。

一人の人物をご紹介したいと思います。近藤幸一(こんどう・こういち)さんと言う方です。
これは本名ではないです。彼は幼い頃にハンセン病を患いまして、長く岡山県にある療養施設、長島愛生園(ながしまあいせいえん)で暮らされた方です。
彼だけではなく、かつてハンセン病施設に入所した人たちは素性が知られないように、その場所だけの内々の名前、院内名が与えられたということだそうです。
近藤幸一さんというのは、その院内名です。

彼は病気のために指を失っています。視力も奪われていました。
この施設では友だち同士が助け合っています。目が見えない者に対しては、目が見える人が本を読み聞かせていました。
そうした中、ある日、友だちが近藤さんに聖書を読み始めるんです。
この日、近藤さんは、その生涯は変えられました。
その時の様子が、批評家・若松英輔(***わかまつ・えいすけ1968〜新潟県糸魚川市出身)さんによって、「イエス伝」という書物の中で、次のように書かれています。
ご紹介いたします(※以下を読み始める)。

――友は近藤に思いもよらない言葉を朗読し始めた。初めて聞く聖書。初めて読む神の言葉。二人はしどろもどろであったが、不思議に止めようとしなかった。「マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ伝へと、それは次から次へと、私を未知の世界へ誘い込んで行った。やがてヨハネ伝の第9章へと進んだ時、私は思わず彼に声をかけ、(***この私というのは近藤さんです。彼というのは友だちです、と説明)、『その部分をもう一度読んでほしい』と促した」と近藤は言う。
言葉に出会った近藤は、聖書を自分で読みたいと感じる。しかし指先が既に感覚を失っている彼は、点字を読むことができない。彼は諦めない。「触覚の残っている唇と舌先で探り読むことを思いついた」と同じ一文に書く。点字は星と呼ばれる堅い凹凸でできている。彼はそれを指ではなく、口に当てて読む。凹凸は唇と舌を激しく傷つける。口はまるでコンクリートの壁を撫でるような痛みを感じ、彼が読んだ点字は血にまみれた。だが彼は読むことを止めない。彼にとって聖書を読むとは、自分のためではなく、その言葉を待っている友らのためでもあった。
恐らく近藤は、最近の聖書研究にさほど明るくはなかっただろう。また聖書をめぐる神学、哲学の動向を知らなかっただろう。だが近藤のように聖書を読んだ者には、さらに言えば彼のような人物にこそ、見えて来るイエスの生涯がある。近藤は別の所で聖書を舌読する友に触れ(***舌読とは「舌で読む」と書きます、と説明)、「ある者は点字聖書の紙面に舌先を触れて、直接神の言葉を味わうだろう」と書いている。
この時彼らにとって、聖書の言葉はイエスが言う食べ物である。イエスが弟子たちに語ったように、あなたの知らない食べ物(※ヨハネ4:32)となっている――(※ここまで、読み終わり)

神さまに語られた、聖書から語られた近藤さんは、今までと同じではあり得ませんでした。
私たちも本当に神さまに語られたら、今までと同じということはないです。
サムエルにとっても、近藤さんにとっても、新しい恵みの世界に気づかされた時、私たちは悔い改めに導かれるわけです。
サムエルにとっては、回心と召命が同時に与えられた時でありました。
近藤さんにとってはまだ知らなかった恵みの世界、聖書の味わいを、血みどろになって、神さまのことばとして、全身で受けるような、そういう思いで飢え渇いて聖書を読む、
心が満たされる経験をし、それを友だちにも伝えたいという思いに駆られました。
それも大きな悔い改めの時でした。

本当に神さまに語られた時、私たちは悔い改めに導かれます。
悔い改めというのは、懺悔(ざんげ)ではありません。「ごめんなさい」ではありません。
以前にもお話しいたしましたけれども、視点の転換です。メタノイアです。
神さまが私たちに話したい、なぜそんなに話したいのか?――視点の転換をしてもらいたい。そしてまだ気づいていない恵みの世界を知ってほしい、
そういう思いで一杯なのです。

神さまは語っておられます。
人の言葉を通して語られる時、人の言葉が気になって気になって仕方がない時、もしかしたらば、それは神さまからの語り掛けかもしれません。
あるいはテレビのニュースを見たり、様々な出来事に直面した時、
あるいは自分が人生の中で色々な失敗をしたり、日頃の生活の中で色々な思いもよらないような出来事に直面したりする時、神さまが語っておられる時があります。
ある場合には、何だか無性に聖書を読みたくなるような時がある。
大きな課題を前にした時や、不安や怖れに取り囲まれた時や、憂鬱な気分になった時、聖書を読みたくなる。
それぞれの時に、神さまが私に特別に話したいことがあるのです。
私たちはそのような神さまのことばを「主よ、お話しください」と受けて、そしてメタノイアに導かれて、今まで知らなかった恵みの世界を教えていただきたいと思います。

この朝もみことばを通して、神さまは何かを私にお話しくださっているかもしれません。
何かに気づかせてくださっているかもしれない。
あるいは今ではないかもしれない。この一週間の歩みの中で、神さまが私たちに本気で語ってくださる時があるかもしれません。
私たちは、神さまからのその語りかけを、みことばをそのまま受け取りたいと思います。
その時、私たちも変えていただける、気づかせていただける。
そんな力ある神さまのみことばを、いのちの泉として、折りに適う助けとして、心の糧として日々味わいながら、
この一週間もイエスさまと共に、先週と同じではない新しい恵みの中を歩ませていただきたいと思います。
「主よ、お話しください。しもべは聴いております。」

☆お祈りいたします――戸塚伝道師
サムエルの名前を呼ばれた神さま、今も全く変わらないあなたは、私たち一人一人の名前をも呼んでくださいますからありがとうございます。そして、「あなたにどうしても話したい。あなたに気づいてほしい」と願われ、恵みのみことばを語ってくださっていますから感謝いたします。エリのように鈍い者ですが、サムエルのように語っておられるあなたの思いを受け止めることができますように。そして与えられたみことばを通して、今まで知らなかった新しい恵みに生きる者とさせてください。イエスさまのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

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