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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   10/31 召天者記念:天の住処 Uコリント5:1〜10
☆聖書箇所  Uコリント5:1〜10
1たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。
2私たちはこの幕屋にあってうめき、天から与えられる住まいを着たいと切望しています。
3その幕屋を脱いだとしても、私たちは裸の状態でいることはありません。
4確かにこの幕屋のうちにいる間、私たちは重荷を負ってうめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいからではありません。死ぬはずのものが、いのちによって吞み込まれるために、天からの住まいを上に着たいからです。
5そうなるのにふさわしく私たちを整えてくださったのは、神です。神はその保証として御霊を下さいました。
6ですから、私たちはいつも心強いのです。ただし、肉体を住まいとしている間は、私たちは主から離れているということも知っています。
7私たちは見えるものによらず、信仰によって歩んでいます。
8私たちは心強いのですが、むしろ肉体を離れて、主のみもとに住むほうがよいと思っています。
9そういいうわけで、肉体を住まいとしていても、肉体を離れていても、私たちが心から願うのは、主に喜ばれることです。
10私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。

☆説教  召天者記念:天の住処
11月の2番目の(聖日)14日、子ども礼拝、子ども祝福式は本当に楽しみにしております。ぜひ無理のない程度でお越しくださいますようによろしくお願いいたします。
コロナが(感染者の)若干人数が下がったせいで、随分の方が出社を求められていますし、電車は満員ですし、多くの苦労があるようです。約二年間ほとんど接触のない世界で生きて来ましたので、お疲れもあるかなあと思いますけれども、助けられるように、また無理をしないようにお祈りをしています。

先ほど高津教会の召天者の写真を観ていただきました。
昨年から考えますと、藤本幸子・藤本栄造(先生方)、そして吉田さん、山田純子さんの写真がございました。
昨年の召天者記念礼拝の前に柳場さんご夫妻はすでに天に召されていました。
昨年の召天者記念礼拝から今日に至るまで、あの写真になかった皆さんのご家族、ご親族、ご友人の方々も含めて、今日の召天者記念礼拝はあります。
ですからあそこに顔があるなしに関わらず、皆さんご自身に関わる愛するご友人、ご家族の方々のことを思いながら、みことばを見ていただきたいと思います。

今日の第二コリントの5章、よく読みますと非常に単純に書かれていますので、ちょっとまず最初に、聖書を見ていただきたいと思います。
【画面:Uコリント5章1節「地上の住まいである幕屋」「神が下さる建物」に赤ペンで囲み】

戸塚先生に読んでいただきましたけれども、こういう風に始まりますよね。
1たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。

1)「地上の幕屋」と「神が下さる建物」

ここで非常にクリアに「地上の住まいである幕屋」と、「神が下さる天の建物」の違いが出てまいりますが、そこにまず目を留めてみたいと思います。

「地上の住まい」というのは私たちの身体です。
私たちが今住んでいる家のことではないです。
そしてそれは幕屋、つまり遊牧民のテントとして表現されていまして、
テントは持ち運び、あちらこちらに移動して行きます。
私たちの人生で、たとえ引っ越しはなかったとしても、様々な出会いがあり、別れがあり、社会の変化や時代の荒波にもまれて生きていくということですね。
そしてこのテントには弱さがつきまといます。
老朽化で敗れてしまうこともあれば、嵐で私たちのテントという肉体が、また心が砕けて吹き飛ばされてしまう、ということもあります。

「地上の住まい」というのは、肉体のことだけでなく、精神もそうですよね。
それはしっかりと建てられた家のような私たち自身ではなく、
老朽化していき、また新品であっても弱く壊れ易いものです。
写真を見ていますと、懐かしく思い出される顔と共に、ついつい召された年齢を見てしまいます。
勝間田寛(かつまた・ひろし)さんは45歳でありました。勿論写真に出て来ない小さな子どもたちもいますね。
しかしあの年齢にして天に召された――金子さんのご主人が天に召されたのは、大変な癌の戦いを越えて召されましたけれども――67歳?64歳。倉持(順次)さんも、64か65でしたよね?
私(藤本牧師)が64ですから、そこで癌との闘病を重ねて最期天に行くというのは、
いや、いくら何でも早いだろうと思いますし、いくら何でも苦しかったと思いますし、
それを支えて来られた金子姉やまた倉持姉の、その苦労というものも察することができます。
写真には50代の方がいましたよね。30代の方がいましたね。
80代になりますと、それは思わず「行ってらっしゃい」(笑)という声をかけるようになりますよ。
でもそれ以前ですと、まだすべき、また味わうべき幸せが沢山ある中、天に帰るということの辛さというものは、
辛いんですけれども、聖書にありますように、人には「生まれるのに(***神の、を入れて)時があり、死ぬのに(***神の、を入れて)時がある」(伝道者の書3:2)という。
あ、「すべての時は神の御心に適って美しい」(同3:11)という言葉があるように、私たちではどうしようもない、その神の時があるんだなぁという風に思います。

でも一つ言えることがあるとしたら、(Uコリント5章)1節に「地上の住まいである幕屋が壊れる」とあります。それが「死」ですね。
でも、その死の先に待っているのは、神さまがくださる――今度は幕屋ではないんです――建物、丈夫で頑丈な建物が待っていて、
しかも1節にそれは、「人の手によらない永遠の住まいである」と。
ですから召天者記念礼拝は、この永遠の住まいに迎えられた方々のためにあるのではないです。
地上に残され、依然として弱い、はかない、老朽化したこの幕屋に住んでいる私たちのためにあります。

二番目に見ていただきたいのは、これもまたとっても分かり易いです。聖書を見ますね。
二つ繰り返されています。
【画面:Uコリント5章2節「この幕屋にあってうめき」4節「この幕屋のうちにいる間」「重荷を負ってうめいて」「天からの住まいを上に着たいからです」に青いペンで囲み】

2)2節「この幕屋にあってうめき」

4節に「確かにこの幕屋のうちにいる間、私たちは重荷を負ってうめいています」。
で、遡りますが2節に「私たちはこの幕屋にあってうめき」です。
ですから2節と4節の違いは「重荷を負う」という言葉があるかないかだけで、二つとも同じ言葉ですね。
私たちはこの肉体、この生涯、このたましい、心の中にあって、地上に生きる間、私たちはうめいています、というのが、2節と4節に繰り返されています。

4節の「重荷を負って」というのは、人生の重荷だけではないでしょう。この幕屋そのものが重い。
身体にあっては、病気なのか、あるいは病弱なのか。
それともずっと健康で来たのか。健康で来たにも関わらず、突然病んでしまったのか。
若くて元気があふれている身体もあれば、年老いて記憶もまた認知機能も、膝も腰も様々に悲鳴を上げておられる方々もいらっしゃるじゃないですか。

私たちは地上の幕屋の中に生きている限りにおいて、その能力も才能も、生まれも育ちも、友人も、国も環境も、どういう家族がいるのか、どういう友人があるのか。
この地上生涯のすべてが、時に私たちにとっては重荷になっている、というこの現実を、
パウロは「幕屋にあってはうめく」という言葉でまとめているわけですね。

往々にして、他人の人生と私たちは比べます。
しかし人の人生と比べても嘆いても仕方がありません。
何しろ、私たちは私たちに与えられた幕屋というのがあり、
そしてよく見える他人の人生も、同じようにうめきの中にある、ということには変わりがないからですね。

先ほど申し上げました、昨年の10月以来、4名の方々を天に送りました。
加えて皆さんの家族がいらっしゃいますので、数はそれだけではないです。
この配信のおかげで、私たちは故人を偲ぶことができます。
中でも、私の母と吉田成男さんは、それぞれ年齢は進んでいましたけれども、最後の数か月、あらゆることに不自由であって、そして苦痛もありました。

吉田さんは、おなかが痛いということで最初の病院に行き、初めて胆管炎だということが分かりました。
しかしもっと分かったことは肝臓に癌があるということでした。
そこから始まって数か月ですね。一年弱。どれほどの病院の検査をされていったことなのか。吉田さんは黙々と。
そして(奥さまの)初枝さんはどこへ行っても付き添いながら、最後は自宅からホスピスに転院され、本当に苦労でございました。
吉田さんという方は非常に痛みに強い人で、痛みに強いんだか何だかよく分からない。
ある時、作業で破傷風になられて、「破傷風になってしまいました」って手を見せていただいたら、手が三倍くらい膨れ上がっているんですよね。
「吉田さん、そんな身体で教会に来ないで、病院に行って。破傷風っていうのはいのちを落とすかもしれないんだよ。それを何か薬をつけてごまかさないで、病院に行ってくださいよ」
と言わなきゃいけない程、吉田さんは痛みに耐えるということに対しては格別でありました。
しかし最期の姿を見ますと、本当にすべての体力を使い切ったという位、お痩せになっていました。

皆さん、そうです。
私の母(藤本幸子先生)の場合は、最期納棺の時に立ち会ったのは私と姉なんですけれども――これ、楽しそうに話すと不謹慎だという風に皆さんから言われますので――
でもこれは、私たち二人は、棺に入って出て来た母を見て、「えっ、これ別人じゃないの?」「母じゃないよね」「どの角度から見ても母じゃないのよね」と。
後々考えてみると、きっと他にもう一家族、「これは、うちの母ではない」と言ってる人がいるに違いない(大笑)という、これは我が家ではもうほんと語り草ですよね。
それはものすごく体力を尽くして痩せていった。最期はやっぱり口の中に綿を入れてもらいますもの。
そしてまさか自分の母親がこんなにまでやつれていたということは、やっぱり分からなかったんですよね。
いつもうずくまっていましたので、いつも顔を見ていたわけではない。
これが皆さん、やがて私たちに来るんですよ。これは来るんですね。来なかったというケースは、あんまりないです。

申し上げましたように父(藤本栄造先生)の場合は、慢性心不全を抱えて、呼吸がしんどいというのは本当に辛そうでした。
最期亡くなる前に、心臓が止まるということは何回かありました。
その度ごとに看護師さんに声をかけてもらうんですよね。そうするとまた心臓が動き始めて。
一回私(藤本牧師)が足をマッサージしていた時に、父が気を失いました。
で、私は一応声を掛けました。
「どうしたの?苦しくないの?(※声を大きくして」どうしたの!」
って揺すった途端に、ふっとこう起きて、「どうだったの?」(と聞くと)
「いや、よく覚えていない」と。
「そうだよね、これが心不全で心臓が止まった瞬間で、こういう形で天に召されたら一番いいよね。痛くないんだから。」
それから二人で、こういう形で天に召されますようにってお祈りをしました。
そして看護師さんに
「もし床で倒れているのを見たら、すいません、30秒放っといてくださったら、それで天国に行けますので、そういう風にしてください」
ってお願いしましたら、看護師さんが、
「それはできません。」
「あ、そうですよね」と。
「それは神さまの時っていうのが有るのかもしれませんけれども、私が当直の時にそうなりますと、大変なのは私でもあります」と、看護師さんがそう仰ったんです。
「あ、なるほど、よく分かりました。じゃ、いくらでも起こしてあげてください(笑)。そんな形で真夜中にご迷惑をかけるということは父の本望ではないと思います。」

そんな父も、自分はもう友人が全部いなくなってしまったと。
何しろ父の葬儀をするはずの岩上輝夫先生でさえ、先に逝ってしまいました。
自分の葬儀は誰が一体してくれるんだと、それほど長く生きてしまった父は、やっぱりものすごく不本意でありました。
つまり元気な時から最期に至るまで、地上の幕屋を着ている私たちは、不本意なことだらけであるということですよね。
私たちはそういう人生しか知りませんので、やがて天国でどのようなすばらしいいのちが待っているのか全く分からずに、私たちは想像しているわけです。
でもただ一つ言えることは、この地上の幕屋というのは、精神的にも肉体的にも必ずしも喜びばかりではないということです。

山田純子さんは突然でありました。どれ位突然か、もう申し上げていいと思いますね。
ワクチンを打った二日目に、急に腹痛を覚えて病院に行き、一旦は退院ですね。
しかしその夜、ご主人の腕の中で苦しみ続け、そして次の日に看護師さんが来て――それは日常的に来る看護師さんだったんですけれども――すぐ救急車を呼ばれ、そのまんま天に召されました。
私(藤本牧師)はせめてご主人の手の中で、苦しみを受け止めながら、最後の時をお二人で過ごすことができてよかったなぁと思います。
ご主人は泣いておられました。
「最後息を引取った時も、自分は一緒にはいられなかった」と。
「あれほど毎日毎日共にいながら、感謝の言葉もろくろく交わさず、一瞬にして天にとられてしまった」という、「そして一人残された」という現実がどれほど辛いのか、もう話す度に涙が止まらないですね。

天に召された方々はみな、地上の幕屋を脱ぎ捨てて天に逝かれました。
地上のうめきから解放されて、すごい恵み、神さまがくださる永遠のいのちへと移られました。
そうしますと、慰めを受けなければいけないのは、天に召された方々ではない。
慰めを受けなければいけないのは、私たちですよ。地上に残された私たち。
それが召天者記念礼拝の意味ですね。

そう考えますと、この三番目の言葉はとっても意味があります。

3)2回繰り返される「うめき」と同様に、2回繰り返される言葉があります。

【画面:Uコリント5章 6節「いつも心強い」8節「心強い」に赤ペンの囲み】

6節「ですから、私たちはいつも心強いのです」
8節「私たちはいつも心強いのです」
この二つの言葉も強調されているのです。

つまり地上の幕屋を考えた時に、パウロが二回連続して使った言葉は「うめき」です。
でも天国の建物を考えた時に、パウロが二回使っている言葉は、「それゆえ、私たちは心強い」。

一体そのように言っている理由は何なんでしょうか?
なぜ「いつも心強い」と言っているのか?
パウロはなかなか見事な表現でまとめています。
聖書を見ていただきます?ここですね。
【画面:Uコリント5章5節すべてに青の傍線。「神です」と「御霊を下さいました」に青の囲み】

5そうなるのにふさわしく私たちを整えてくださったのは、神です。・・・

「ふさわしく整えてくださる」というのは、二つ意味があります。
つまり「天の建物」を整えてくださるのは神さまです。
イエスさまは仰いましたよね――「わたしはあなたがたのために、神の家の中にあってあなたがたの居場所を整えに行く」と(***ヨハネ14:2)。
つまり場所を整えてくださるのは神さまです。
と同時に、その天の家にふさわしい人間となるように、その家に住むことにふさわしい人間となるように、私たちを整えてくださるのも神さまですね。

それは私たちを考えたらよく分かります。
神さまの家に住むっていうことは、私たちにふさわしいことではないです。
私たちのためにイエスさまが備えてくださる家がどんなにすばらしいか。
でもそのすばらしい家は、そこに住もうとしている私たちとは、その価値はかけ離れているでしょう。
でも神さまは、天の住処を整えてくださり、同時に、その住処を受け継ぐのにふさわしいように、私たちを整えてくださる。
ですから、不安の中にあっても、不自由の中にあっても、神は私たちを整えてくださる。
試練は私たちをその住処に整えるように、神は与えてくださる。

5節(の最後を)もう一回見ていただきます?「神はその保証として御霊(***聖霊を、と言い換えて)を下さいました。」
聖霊というのは、なんで保証になるのか?
聖霊は、真理へと私たちを導いてくださり、聖霊によって、私たちは自分の罪深さを認め、キリストを信じる信仰を与えていただく。
聖霊は、神の愛を私たちの内に注ぎ、私たちは「アバ、父よ」と神さまに声をかけることができるんですね。
聖霊によって私たちはテント生活をする旅人かもしれません。
そのテントの中でさえ、私たちはボロボロなのでしょう。
しかし、聖霊によって私たちは罪赦され、神の子どもとされ、聖霊によって今日神を礼拝する者となっている。
これらはすべて、『保証』だと言うのですね。
何の保証なのか?――それは私たちもやがて「天の建物」に住むのにふさわしい者とされる保証です。

ですから、しっかりしようではありませんか。
私たちが天へと送りました愛する者たちは、地上の幕屋を脱ぎ捨て、神の建物の中で喜びと平安に満たされて生きています。
残された私たちは、地上の幕屋を着ながら、今もなおうめいています。
でもしっかりしようではありませんか。神はすべてを整えてくださる。
あなたの必要も――7節を見てください、出て来ますね。
【画面:Uコリント5章7節「信仰によって歩んでいます」に赤ペンの囲み】

7私たちは見えるものによらず、信仰によって歩んでいます。

「この地上の幕屋を着て、信仰によって歩んでいる」というのは、神がすべてのことを整えてくださる。
「こんな私は天国へ行けない」などと絶対に思うな。
聖霊はあなたの心に神の愛を注ぎ、天国に行くのにふさわしい者へと整えてくださる。
今週、私たちの日常に何が待っているのか、何も心配することはない。
神が整えてくださる。
自分はこれが足りない。あれがない。時間もお金もない。才能も余裕もない。
ぼろぼろのテント生活です。あるいはテントの破れを修復しようと、一生懸命に労しています。
私たちはただの地上の旅人(で罪人)です。
でも神さまは整えてくださる。
天の住まいにふさわしい者へと整えてくださる。

皆さん、中世の騎士って聞いたことがありますでしょう?
で、中世・近世のヨーロッパに、騎士という特別な階級があるわけですよ。
最初は十字軍で十字軍を率いたような方々が、王から騎士の称号を授かるわけですけれども、やがて中世にも侍精神のような騎士道というものが生まれていきます。
今でも騎士道の中で残っているのはレディー・ファーストだと。
女性を守り女性を大切にしていく、自分よりも女性を優先するというのは今に残るジェントルマンシップ、騎士道だという風に書いてありました。

騎士道には、十の戒律があります。
汝、すべからく教会の教えを信じ、その命令に従うべし
(第一戒)
汝、いついかなる時も正義と善の味方となり、不正と悪に立ち向かうべし
(第十戒)

その間に様々な騎士道の精神があります。寛容であること、弱者を助けること、忠実であること等々。
本当に日本の侍精神。あるいはギリシャ時代から語られている道徳にきちっと歩んでいくというのがあるんですが、
私(藤本牧師)が、騎士道を読んでいて、なるほどと思ったのは第5戒です。
「汝、敵を前にして退くことなかれ」

この地上の幕屋を着ながら、私たちは様々な苦労の中を行くんですよ。
でもパウロが重ねて言っているように、「いつも心強くありなさい」
なぜなら神さまが整えてくださり、私たちはこの地上生涯を、この神さまを信じることによって生きているのです。

先程、戸塚先生が読んでくださった詩篇の23篇(5節)。
「主は敵をよそに食事を整え、あなたに油を注いでくださり、あなたの杯はあふれています。」
敵を前にして退くな。
神は敵がいないかのようにあなたのために、食事を整えてくださる。
信仰によって、「自分には到底負かすことができない」と思うような敵であっても、あなたは進んで行きなさい。
病を受け止める人は、信仰の勇者です。
悲しみに耐える人は、信仰の勇者です。

そのようにして私たちはいつも心強い。
神さまがあらゆることを整えてくださいます。

☆お祈りをいたします――藤本牧師
恵み深い天の父なる神さま、あなたのみ旨によって私たちはこの生を受け、あなたのみ旨によって私たちは天に戻され、でも天に戻された者は皆あなたのいのちと光の喜びの中を、今日も生き生きと涙ぬぐわれ、痛みから解放されて、元気に礼拝していることでありましょう。

時に彼らを私たちの夢の中に登場させてください。天の使いとして登場させてください。そしていつも「十分なことはできなかった」とか、「親に十分感謝することができなかった」とか、あれもできない、これもできない、自分は今一人寂しく――というような私たちを慰めてください。

なぜならあなたは、敵を前にして食事を整えてくださる神であり、私たちは心からあなたを信じているからです。そして《やがての時に、死の陰の谷を私たちが歩む時があれば、イエスさまがすっと寄り添って歩いてくださる》というこの信仰を培って、天の御国に整えられて行く者とさせてください。愛する主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2021.10.31 - 21:23

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