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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   11/7 香油を注いだマリア マルコ14:3〜9
☆聖書箇所  マルコ14:3〜9  
 3さて、イエスがベタニアで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたときのことである。食事をしておられると、ある女の人が、純粋で非常に高価なナルド油の入った小さな壺を持って来て、その壺を割り、イエスの頭に注いだ。
4すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなに無駄にしたのか。
5この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そして、彼女を厳しく責めた。
6すると、イエスは言われた。「彼女を、するままにさせておきなさい。なぜ困らせるのですか。わたしのために、良いことをしてくれたのです。
7貧しい人々は、いつもあなたがたと一緒にいます。あなたがたは望むとき、いつでも彼らに良いことをしてあげられます。しかし、わたしは、いつもあなたがたと一緒にいるわけではありません。
8彼女は、自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました。
9まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」
 
☆説教  香油を注ぐマリア
来年に至るまで、勿論アドベントの時季になりましたら、クリスマスのお話をいたしますけれども、それまで聖書に出て来る女性、マルタを二回見ました。
今日はマリアを見ます。そういう風に考えますと、あんまり数をこなすことはできないんですけれども、
今日はこのマグラダのマリアとベタニアのマリア――読んでいただきましたのは、ベタニアのマリアですけれども――いっしょに見ていただきたいと思います。

聖書には複数のマリアが出て来ます。マリアはとても一般的な名前ですから、出身地や所属によって呼び名が違います。
1.勿論有名なのは、イエスの母マリアで、受胎告知、カナの婚礼、十字架から遺体を下ろす時、と何回も出てまいります。
2.クロパの妻マリア。イエスの身体に香油を塗りに行ったマリアの一人ですけれども、あまり知られていませんでしょう。
3.ベタニア一家のマリア――これはマルタ・マリア・ラザロのマリアです。
4.マグダラのマリア。

ベタニアのマリアに入る前にほんの少しだけ、4番目のマグダラのマリアについてお話をいたします。
イエスさまに従って行った女性の弟子の中では、最も優れていたと考えられています。

何しろ復活の主が一番最初にご自身を現わされたのが、マグダラのマリアでありました。
ヨハネの福音書(***20章)には、詳しくその状況が書いてあります。
遺体に香油を塗ろうと思って、マグダラのマリアが香油の壺を持って、日曜日の朝に(墓に)やって来ました。
ところが墓に封印されている石がずれていました。
急いでペテロとヨハネを呼びに行きます。

その時、二人の弟子たちは中に入って、イエスの遺体がないことに気づき、みんな仲間のもとに帰って行ってしまいます。
マリアは墓の外にたたずんで、誰かが遺体を盗んだと思って泣いていました。

泣きながら墓の中に入った時に、「マリア」と声をかけられました。
振り向いて見ると復活されたイエスさまでありました。「ラボニ(先生)」と呼んで近づきます。

復活のイエスが最初に現れたマグダラのマリアは、ルカの福音書(***ルカ8:2)では「七つの悪霊を追い出してもらったマグダラの女、マリア」と記されています。
 
そのようにして、ガリラヤ伝道の時代からずっとイエスさまと共に行動をしていたのが、マグダラのマリアです。

(※コロナ禍の礼拝出席者数制限で)今日はヤ行の方が入っていますから、「山本さん」が私たちの教会では一番名字として多いんです。
で、私たちは狛江の山本さん、世田谷の山本さん、横浜の山本さんと呼んで区別をしていますけれども、それと同じように、
マグダラのマリア、ベタニアのマリアと、地名によってマリアの名前が区別されています。

1)前置きになりますが、マグダラのマリアと違う、ベタニアのマリア。

マルタの妹・マリアです。
マルコの福音書の14章の3節では「イエスがベタニアで、ツァラアトに冒された人シモン(***これはラザロと考えられますね、と説明)の家におられたときのことである。食事をしておられると、ある女の人が・・・」と。
これはマタイの福音書(***マタイ26:7)の同じ場面でも、「ある女の人が」と名前は出てまいりません。
(※ルカの福音書7:37でも、「罪深い女」となってはいますが名前はありません。またルカ伝の方は「足下に香油を塗った」ようです)

ところが、ヨハネの福音書をちょっと見ていただきたいと思うんですね。映しますね。
12章の1節に全く同じ出来事として、このように記されています。
【画面:ヨハネ12章1〜3節。1節「ベタニア」「ラザロ」3節「一方マリアは」「イエスの足に塗り〜香りでいっぱいになった」にオレンジのハイライト、「1リトラ」に黒ペンで余白に引き込み線と「300cc」の書き込み】
<ヨハネ12:1〜3>
1さて、イエスは過越の祭りの六日前にベタニアに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
2人々はイエスのために、そこに夕食を用意した。マルタは給仕し、ラザロは、イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた。
3一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ(***というのは300ccぐらいです、すると三百デナリ位の量になります、と説明)取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。

これは、マタイとマルコとヨハネで、ほぼ話は同じでありますけれども、ヨハネだけが「マリア」だと名前を挙げています。
マルコとマタイでは、「ある女」となっていますけれども、(※ヨハネ12:3「一方マリアは」を指差して)ここにありますように「マリア」と名前がついています。

もう一つ大きな違いがあります。それは3節で香油を頭から注いだのではなく、足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった、という風になります。
ですから「これは別の人物で、別の出来事だった」という人もいますけれども、しかし他の点においてはすべて同じです。

過越の祭りの始まる少し前、同じ週ですね、それから場所はベタニア、女性が高価な香油を溢れるほど注いだ。そこにユダが文句を言います。
「無駄だ。少しだけ塗って、残りを貧しい人に施すべきだ」
イエスさまはたしなめます。
「貧しい人はいつでもあなたのところにいる。この女はわたしのために、葬りの備えをしてくれました」
そこまで全部一緒です。

そういう風に考えますと、ヨハネがこの女は香油を足に塗り、足をぬぐうという、特別な表現にしたのではないか?
なぜなら、次の(ヨハネ)13章でイエスさまは弟子たちの足を洗い、それを手ぬぐいでぬぐうという行為をしておられますので、きっとそれにかけたのではないかと。
ま、私も(藤本牧師)もそういう風に思っています。

これを第一番目(のポイント)として、第二番目、もう一度マルコの福音書に戻っていただきます。

2)大胆な信仰告白

このマルコの福音書の出来事を、ちょっと映しますね。
【画面:マルコ14章3節「ある女の人が」「その壺を割り、イエスの頭に注いだ」にオレンジのハイライト】
<マルコ14:3>
3・・・ある女の人が、純粋で非常に高価なナルド油の入った小さな壺を持って来て、その壺を割り、イエスの頭に注いだ。

これはマタイの福音書(***マタイ26:7)と同じ表現です。
マタイでは「その壺を割り」とは書いてありませんけれども、実際に割ることによって、その油を全部イエスさまの頭に注いだということでありましょう。

ナルドというのはヒマラヤの植物で、その葉っぱを乾燥させて、そこから採れる香油でありました。
当時であれば、金や宝石と同様、最も高価なもので、5節にありますように、売れるとしたら三百デナリというのは、250万円〜300万円で売れる。
と考えたら、この女性の全財産であることは間違いないですね。
それを香油をもって財産にしていたということは、何とも女性らしいあり方であろうと思いますけれども――

マリアは「その香油をイエスさまに注ぎました」とだけ記されているのでなく、壺ごと割って、全部をイエスさまの頭から注いだ。
●それは何のためらいもなく、惜しみもなく、《大胆に徹底して全部をイエスさまに注ぎ出した》ということの現れですよね?

で、もう一つ注目すべきことがあるとしたら、マルコとマタイに記されているように、
●《頭の上に油を注いだ》ということです。
聖書の中で、「頭に油を注ぐ」というのは、特別な仕事(※王、祭司、預言者)に就くための《任職の儀式》でしか行われていません。
王となるべき人物に油を注ぐ、祭司となるべき人物に油を注ぐ、預言者となるべき人物に油を注ぐ、しかも非常に限定的な場面でしか使われていません。

皆さん、私たちはイエスさまのことをキリストと呼びますよね?
ギリシャ語ではクリストスです。どういう意味か?《油注がれた者》という意味です。
すると、ここでマリアがイエスさまに油を注いでいるということは、
「あなたこそがクリストスです」と、
つまり「救い主として、王として、祭司として、預言者として、特別に油注がれた者です」という《信仰告白》にあたります。

どこかでイエスさまにそのような任職式があっても良かったのだろうと思います。
勿論バプテスマのヨハネがイエスさまに洗礼を授けた時に、「聖霊が鳩のようにイエスさまの上に降った」(***ヨハネ1:32)と書いてありますから、
あれが聖霊そのものの任職式であったと考えていいわけでありますけれども、

イエスさまがこれからエルサレムに入って、救い主となられる時に、一番ふさわしい行為として、イエスさまに油を注ぐということだろうと、彼女は判断したとしか考えられませんね。
「あなたこそ真の救い主です。まことの王です。まことの祭司です。預言者です。メシアです」と言って、自分が持っていた油を壺ごと割って、全部(※頭から)注いだんですね。

マリアという人物は――ま、この場面でもそうですけれども「マルタは給仕していた」(***ヨハネ12:2)とこの場面に書いてありますよね?――
で、ルカの福音書の10章(***39〜40節)でも同じように、マルタはおもてなしの準備をしていて、妹のマリアはじっと座っていたと。
その「じっと座っていた」ということは、イエスさまの判断では「良いこと」をしていると。
つまり《今一番必要なことは、わたしのためにもてなすことではない。わたしの教えをじっと座って聞いてほしい。それが一番大切なことなんだよ》ということを、イエスさまはマルタお姉さんに言いました。

この場面ではマリアは座っているだけではない。
話が終わった後に、イエスさまに自分の持てるすべてを捧げて、そしてイエスさまを救い主として認める告白の行為をしているんですね。

私たちは、最も良きことがあるとすれば、やはり何と言ってもイエスさまの御前に座って、その教えを聞くことだろうと思います。
そしてマリアにしても、何度でもできることではないです。
何しろ全財産ですから、ここで壺を割ってしまったら(笑)、二度と同じ行為はできないですよね。
だけどイエスさまにとって最も必要とされている時に、非常に大胆な信仰の行動に出た。
それは量でもないし、額でもないし、だけどここぞと思って信仰を発揮する時に、存分に信仰を発揮することができたのが、マリアでありました。
それは当然、《心だけの問題だけでなく、行動を伴なっていた》ということはとっても大きなことだろうと思います。
イエスを救い主として信じ、そしてイエスさまに自分の一生を賭けるかのように、(※二度繰り返して)賭けるかのようにこの行動に出た、ということは非常に大胆でありましたね。

3)その信仰告白をイエスさまは受け取ってくださいました。

ま、こういうことですね。
ユダはその時、数名の者たちと共に批判をしたんですね。
(マルコ14章)4節、ちょっとユダの批判を見てください。こうありますよね。
【画面:マルコ14章4節「何人かの者が」に黄緑のハイライト、「無駄にしたのか」に水色のペンで囲み】
<マルコ14:4〜5>
4すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなに無駄にしたのか。
5この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そして、彼女を厳しく責めた。

私たちが大胆な信仰の行動に出ますと、必ず私たちを責める人がいるのかも知れませんね。つまり、何もそこまですることはないと。
もっと時間を、もっと財を、自分の賜物を、この世界のために有効に活用することができるんじゃないの?と、そう批判する人がいるのかも知れませんね。

でもイエスさまはそれを受け止めてくださった。しかも二重に受け止めてくださったんですね。
これから自分がエルサレムに入って行く時に、クリストスとしての油を注いでくれたマリアの信仰をイエスさまはしかと受け止めた上で、先のことも話されました。
14章の8節を見てください。こう書いてありますよね。
【画面:マルコ14章8〜9節を指で押さえながら読む】
<マルコ14:8>
8彼女は、自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました。

というのは、実はマリアが考えていたこととは違ったと思います。
マリアはあくまでも、イエスさまが王としてエルサレムに入って行く時に、この方のために任職の油を注いだんですよね。
それを受け止めた上で、「彼女のしたことは二倍になって、わたしにとって意味がある」とイエスさまは仰った。
「そりゃ、確かにわたしは王として入る。祭司として、預言者として入る。
でも同時に人々は、わたしを殺す。
でも殺すことによって、わたしは父なる神から託された贖いの御業を全うし、あなたがたの罪をみんな担い、わたしはあなたがたのために新しいいのちの道を開く。
一旦埋葬される。その埋葬のために、マリアはわたしにナルドの香油を塗ってくれたんだ」

ということは、マリアには分かってない。
後にマリアには分かるわけですけれどもね(※と笑って、カメラ目線で)
でもイエスさまはマリアがささげた捧げものを二倍にして、二重にして捉えてくださったということは、私たちにとってはものすごく期待できるんだろうと思います。

これほどの出来事でありました。であるから、聖書の最後、ちょっと見ていただきますとこうですね。9節に――
【画面:マルコ14章9節「世界中どこでも〜記念として語られます」にオレンジのハイライト】
<マルコ14:9>
9まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」

というのは、これはもうものすごく特殊です。
つまりここの部分ですね――「この人の記念として語られます」なんてことをイエスさまは仰ったことないですよ。
「福音のために」だとか、「神さまを記念して」とか、「ある人物が記念されて」というのは特別なことですね。

私(藤本牧師)と戸塚先生が通っています胃腸科の検査病院があります。
検査だけじゃないんですけれども、先生が先月いらっしゃったのかな、私は今週の火曜日に胃カメラと大腸をやりに行きます。
そして今までず〜っとお世話になってきた高山先生が引退されました。
昨年から若手の先生が入っていて、この若手の先生が非常に上手いんですよ(笑)。
で、私昨年やっていただいた後に、
「先生、ずっといらっしゃるんですか?私、高山先生より先生の方が上手かったと思うので、これから先生を狙ってこの病院にまいります。」(※楽しそうに語る藤本牧師)
どこかの大きな大学病院の胃腸科の部長だったということを、看護師さんから聞きました。
で、病院は高山記念クリニックですよね?(※と、戸塚伝道師の方を振り向いて尋ねる藤本牧師)そうですよね。」
そういう風に名前が残ったんですよ。それは高山先生が始めて、そして病院をそこまでして、その先生に後継ぎになってもらったんだけれども、病院は高山記念クリニックなんですよね。
高津区に住んでおられる方々、とってもいい病院ですから、(※カメラ目線になって)ぜひいらっしゃるといいと思いますけれども(笑)。

ね、記念というのはそういうことですよ。
これ、マグラダのマリアではなく、ベタニアのマリアですよね?
ベタニアのマリアというのは、このことのゆえに覚えられ、このことのゆえに記念されるんです。
他に人生沢山のことをして来たんですよ。だけど最後、イエスさまがエルサレムに入る前に、イエスさまに油を注いだと。
そしてその油は墓に行くだけではないんですね。
ナルドの香油はイエスさまの身体に、イエスさまが着ておられた洋服に染み付いたに違いありません。
香油はイエスさまの髪の毛を伝って、髭へ、身体へ、そして洋服へ。

その香りは、これから先イエスさまがいらっしゃる所に全部ついて回りました。
最後の晩餐の二階座敷でも、その香りは充満した。
ゲッセマネの園でイエスさまが祈っていた時も、このナルドの香油が充満した。
大祭司の官邸で、ヘロデの官邸で、そしてピラトの官邸で、やがて十字架を背負ってエルサレムを引き回され、ゴルゴタの丘の上で磔にされた時に裸にされます。
そしてイエスさまの着ていた着物が、ローマの兵士がくじ引きによって分けます。
その時兵士は分かりましたよね。この高級な服は何だ?と(笑)。
いや、服が高級だったんじゃないんですよね。香りですよね。
ナルドの香油が染みついた洋服となったわけです。

そしてイエスさまが(十字架の上で)息を引き取られた時に、十字架から降ろされ、(墓に納められて)その香りは墓の中を包みます。
つまり神さまは、ベタニアのマリアの香油をこれ程までに用いられたということですよ。
そして確かにマリアの人生、マリアの生涯の中で、この出来事はマリアの記念となった。
イエスのために犠牲を払って大胆に尽くすこと。
そして尽くすだけではない。
イエスさまはそれを受け取ってくださり、何倍にもしてそれを用いてくださる出来事の記念となって、
福音が語られるところでは、いつでもベタニアのマリアのことは想像を超えて語られるようになったんですね。

つまりイエスさまは覚えていてくださいます。
私たちが何か捧げたということでなくて、じっとイエスさまの足下でイエスさまのみことばに耳を傾けていたことを覚えていてくださいます。
私たちの精いっぱいの信仰告白。そしてイエスさまに人生を賭けるかのごとくに、私たちが動いた第一歩に何倍もの意味を持たせて、イエスさまはず〜っと覚えていてくださる。
私たちの信仰に何倍もの意味を持たせて、イエスさまは覚えていてくださる。
私たちの信仰をイエスさまは肌身離さず、ご自身の内側に取り込んでいてくださるということを、覚えておいていただきたいと思います。

☆お祈りをして終わりにいたします。――藤本牧師
8彼女は、自分にできることをしたのです。・・・
(マルコ14:8)
恵み深い天の父なる神さま、私たちにできること、きっと一番できることは自分や愛する者のために為すのかもしれません。しかしそれでもあなたは、小さな小さな私たちの信仰を覚えていてくださるお方であります。
せめて一生に一度位は、というような勢いで、あなたを愛することを明確に表すことができるように、そしてあなたがまことのクリストスであられることを、行動をもって表現することができるように、私たちにもベタニアのマリアのような信仰を授けてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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