みなさま
お元気でしょうか。コロナのクリスマス、二回目ですが、昨年のパニック状態よりは落ち着いています。
とはいえ、世界の状況は必ずしもそうではなく、しっかりとマスクをしている韓国は、また記録更新ですね。60代以上の方々の八割がブレークスルー感染だと報道されていました。
さて、毎年、著作権のない、教会でプリントアウトして、自教会のものとして使えるアドベントの霊想をお送りします。
第一週は、JECA甲府キリスト福音教会の松村識先生による、「喜び」を題材としたクリスマス霊想です。
私も、この送信リストを10年ぐらい前に作って、加えることはあっても、減らすことはなく、お送りしています。どうぞ、先生方の手許からさらに知人の先生方にお送りいただければと思います。
第2週は、ウェスレアン・ホーリネス教団・日田教会の辛島道也先生。
第3週は、サンタクララバレー日系キリスト教会の中尾義之助先生
第4週は、藤本です。
先生方、ご家族の健康が守られ、良いクリスマスとなりますように、喜びがじわーっと浸透するアドベントでありますようにお祈りしています。
藤本 **************************************************** ※以下はアドベント第一週のみことばの黙想、松村識先生作成のものです。 実際はワードにきれいな挿絵も入っていましたが、都合でここに文章だけ貼り付けました。 添付のPDFの方は三つ折りパンフレット用にできており、きれいな挿絵もあります。(T・Y) ****************************************************
アドベントを迎えるこの週、イエス様を通して与えられた「喜び」をテーマに神が私たちにくださった恵みに思いを巡らしましょう。
●11月29日(月)ルカ2:10-11 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 賛美歌「もろびとこぞりて」の英詩は、"Joy to the world, the Lord is come! Let earth receive her King; Let every heart prepare Him room", 「世界に喜びを、主は来ませり。王を迎え入れよ、 みな主を心に迎えよ。」です。それは闇夜に夜番をする羊飼いたちに知らされた「大きな喜び」と重なります。羊飼いたちは来る日も来る日も休みなく、一年中同じ重労働を繰り返す小さな人たちでした。そこに世界を動かす大きな喜びの知らせが一番最初に届いたのです。彼らはベツレヘムに行って幼子を捜し出し、人々にこの恵みを伝えます。 私に知らされた喜びの知らせ。私たちの救い主であり、神の国の王であられるお方が来られた。その喜びを讃え歌い、喜びを伝える器にさせてくださいと祈ります。
●11月30日(火)ルカ1:41-45 エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。・・・「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています・・・主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」 年老いたエリサベツに、もうとっくにあきらめていた子を宿すという喜びが与えられました。処女マリヤは主イエスの母となるという光栄な務めを委ねられました。それは「神にとって不可能なことは何もありません」(1:37)という主にお従いする信仰ゆえです。私たちはときに多くのことを考え過ぎてしまいます。現実だけを見ると絶望や、先行きが見えない不安が覆い尽くし、神のことばを素直に信じる心を曇らせてしまいます。しかし、求められていることは神のことばをそのまま信じる信仰であり、そのような人こそが幸いな人なのです。そして、そこにはその信仰を共にする励まし手を主は備えてくださいます。エリサベツのところにマリヤが来ると、その子が胎で踊り〜お腹を蹴ったのでしょうか〜喜びを共にしました。 目の前の憂いや惑いを取り払い、素直にあなたのことばを信じます。主よ。それを共に信じる人たちと喜びをともにさせてください。 ●12月1日(水)ルカ15:7 あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。 これはイエス様がお話しになった九十九匹を残して迷い出た一匹の羊を探し見つけた羊飼いのたとえ話です。「見つけたら、喜んで羊を肩に担ぎ、家に戻って、友だちや近所の人たちを呼び集め、『一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うでしょう。」(15:5)という喜びです。私たちは神の元から迷い出、罪の中に迷っていた者です。イエス様はその私たちを連れ戻すために十字架でいのちを捨てる、そのためにこそ世に来てくださいました。私はどうでもいい一人ではない。大切な尊い一人。主は迷い出たならどこまでも探し出してくださるのです。 主よ。私は迷い出た羊そのものでした。それなのに、私を捜し、十字架の愛をもって連れ戻してくださいました。再びその恵みから迷い出ることのないようにお導きください。
●12月2日(木)1ペテロ1:8-9 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。 人にとって本当の喜びは、自ずから考え、決断し、行動する自由です。そして、自由に喜んで愛することです。ところが私たちは意識するとしないとに関わらず、病や老い、やがてくる死、人間関係や様々なストレス、それらがいっしょくたに絡み合って、縛られ、支配され、不自由です。それは罪ゆえにいのちの造り主なる神との交わりを失った結果です。しかし、主イエスの十字架とよみがえりを通して与えられる神との交わりの回復、死をも乗り越える永遠のいのちの希望をいただきました。それがたましいの救いです。 様々な困難が私たちの目の前に次から次へとやってきます。からだは弱り衰え、元気が出ないこともしばしばです。しかし、神がともにいてくださる平安と天にある永遠のいのちを仰ぎ見させてください。そこにある喜びに目を留めさせてください。 ⦁12月3日(金)ローマ12:15-16 喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。 一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。 私たちの喜び、それは一つ心で生きる愛です。しかし、私たちは人にレッテルを貼ってさばき、その心の痛みを見ようともしません。自分のことばかり考えてしまう自分勝手な者です。イエス様は神の豊かさを捨てて、貧しいとなってこの世に来られ、取税人、遊女、罪人とともに食事をなさいました。自ら友となってくださいました。「私はあなたになれないし、あなたも私にはなれない。」でも、イエス様の心をいただいて、共に重荷を負い合うことはできます。 主よ。あなたは人となって私のところに来てくださり、私の痛み、悩み、涙を負ってくださり、十字架の死をもって贖ってくださいました。私もその足跡に倣い、人の心に寄り添う人とならせてください。
●12月4日(土)ピリピ4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。 獄中にあるパウロの置かれている状況は決して芳しいものではありませんでした。しかし、「私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。・・・私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」(同4:12-13)と言い、「しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。」(同3:20)と語ります。望みは天にあり!死に打ち勝ち、私たちの王となられた主が私たちの希望。それを私たちは喜ぶのです。 主よ。私がどんな境遇に置かれていても、どんな悲しみの中でも、私に主にある動かぬ喜びに目を留めさせてください。
みことばと共に行くアドベント 2021 第1週
(新改訳2017)
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LAST UPDATE: 2021.12.03 - 22:44 |
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