みなさま
アドベント第二週は、ウェスレアン・ホーリネス教団シャローム日田教会の辛島道也先生が作成してくださいました。
そのまま、ワードとPDFで転送されます。
お使いになる方は、どうか少しだけ、辛島道也先生とご家族、そのお働きのためにお祈りください。
今週は、甲府キリスト福音教会の松村識先生の霊想のしおりに支えられました。このようにしてアドベントの道のりに咲いている恵みの花を眺めながら、歩むことができたら感謝です
藤本満
*************************************************** ※以下は辛島道也先生が黙想、作成され、藤本牧師へ送ってくださったアドベント第二週の黙想です。 ワードの文章だけになりますが、ここに貼り付けております。 添付のPDFは3つ折りのパンフレット用に仕上がっており、挿絵もとてもきれいですので、そちらもご覧ください。T・Y **************************************************
12月6日(月)ルカ1:6-7 二人とも神の前に正しい人で、主の全ての命令と掟を落ち度なく行っていた。しかし、彼らには子がいなかった。エリサベツが不妊だったからである。また、二人ともすでに年をとっていた。
父なる神さま。ザカリヤとエリサベツ、二人ともあなたの前に正しく、あなたの全ての命令と掟を落ち度なく行っていました。「しかし」に続く事柄も二人の責任ではありません。だからこそ、二人は悩んでいたのでしょうか。あなたの前に正しく、命令と掟を落ち度なく行っている、にもかかわらず、そこにある「しかし」、という現実に二人は苦悩していたのでしょうか。 神さま。あなたは、エリサベツの告白のように、「しかし」という現実の中にいる「私に」(24.25節)目を留めてくださるお方であることを感謝いたします。 問題の大きさに自らを見失う私に、目を留めてくださることを感謝いたします。「しかし」という現実の中の私たちに、目を留めてくださることを感謝いたします。そして、あなたはそのような私たちの内にある悲しみを、取り除いてくださることを信じます。 12月7日(火)ルカ1:18 ザカリヤは御使いに言った。「私はそのようなことを、何によって知ることができるでしょうか。この私は年寄りですし、妻ももう年をとっています。」
神さま。私にも「〜ですし」という思いがあることを、あなたはご存じなのですね。そうです。私もザカリヤと同じ思いになることがあります。私自身のこと、教会のこと、そしてコロナ禍での状況のこと、私にとりましての「〜ですし」は多くあります。 ザカリヤは思ったのではないでしょうか。「なぜこのタイミングで!?」。主よ、私自身にそれを可能とさせる術が全て無くなった時、それがあなたの全能の御業を体験できるタイミングであることを教えていただいた思いです。ありがとうございます。 「何によって」の答えは、私にはありません。しかし、「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」(ゼカリヤ4・6)、これを答えとさせていただけることを感謝いたします。
12月8日(水)ルカ1:63-64 すると彼は書き板を持って来させて、「その子の名はヨハネ」と書いたので、人々はみな驚いた。すると、ただちにザカリヤの口が開かれ、舌が解かれ、ものが言えるようになって神をほめたたえた。
天の父なる神さま。ザカリヤは御使いに、「見なさい。このことが起こる日まで、あなたは口がきけなくなり、話せなくなります。」(20節)と言われたとき、「このことが起こる日」をいつと思ったのでしょうか。私は、エリサベツが男の子を産むその日と思いました。 けれども、それはエリサベツが男の子を産んでから8日目、ザカリヤが御使いの言葉を守り、書き板に「その子の名はヨハネ」と書いたその日のことでした。 神さま。あなたが御約束を決して翻されないお方であることを感謝いたします。その日が自動的に生じるかのように思いやすい私を憐れんでください。そして、その日の到来のために、あなたが示されることを信仰によって果たすことができますように、助けてください。 12月9日(木)マタイ2:11 それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
きらびやかな装いをしたヘロデ王をその目に映した東方の博士たちですが、ついにイエスさまを見て礼拝をするに至りました。それは、神さまが彼らの目にまことの王のお姿を映された瞬間です。そして、これ以降、博士たちはヘロデ王を見ることはありませんでした。 天の父なる神さま。私たちもまた博士たちのように、保身のために策略を企てる王を拝する者ではなく、私たちの救いのために御位を捨て、世に来られたまことの王を礼拝する者とさせてくださることを感謝いたします。
御位を降り 人の子となり 君は御救いを 成し遂げませり 歌わん イエス君の 奇しき救いを 歌わん 声高く 心合わせて (新聖歌155 御位を降り)
12月10日(金)ルカ2:17 それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。
羊飼いたちが目にしたもの、それは単なる情景ではありません。彼らにとって、それは「出来事」(15節)でした。救い主の誕生の知らせも、情報のままで終わらずに、そのとおりのこととして彼らは体感できたのです。 神さま。今年も私たちにクリスマスを迎える期間をお与えくださりありがとうございます。2021年です。あなたは、教会に来られることができるお方々、そうでないお方々、ご自宅でも、お仕事の場でも、「この民全体」(10節)が救い主のご降誕の喜びを情景や情報としてではなく、体感できるクリスマスとしてくださることを信じます。そして、その栄光があらわされるために、私を用いてください。 12月11日(土)ルカ2・6-7 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
天の父なる神さま。あなたは御子イエスさまがお生まれになった際に、その瞳に何を映されたのでしょうか。 そこに大勢の人はいません。マリアとヨセフを映されていたのでしょう。突然現れた羊飼いたちの喜ぶ姿も映されたのでしょうか。 博士たちが来た時には、イエスさまも礼拝をする彼らをご覧になられたのでしょうか。 イエスさま、私たちもあなたのご降誕を喜び、礼拝をします。仮にその場所が私の本意としない場所であったとしても、あなたはその瞳に私たちを映してくださることを信じます。 感謝しつつアドベント第3週を過ごすことができますように、私たちをお守りください。
みことばと共に行くアドベント 2021 第2週 (新改訳2017)
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