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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   10/27召天者記念礼拝:だれも閉じることのできない門 黙示録3:7〜8
☆聖書箇所         ヨハネの黙示録3:7〜8

7また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。
 『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。
8「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。

☆説教         だれも閉じることのできない門

黙示録の3章7節にこういう風に始まります。

7また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。

その次のことばは、

聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。

ということばが、7節に書いてあります。つまりイエス・キリストはいったいどのような方か――聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っていて、その方が開くとだれも閉じる者がなく、その方が閉じるとだれも開くことができない――それがイエス・キリストだと言うのです。

言うまでもなく、その「閉じる」はこの「門」。門の話をする時に私(藤本満牧師)は必ず夏目漱石(1867~1916)の「門」という小説(1910)を思い出します。

人生の道を求めて、鎌倉の禅寺を訪ねる主人公の姿について、漱石はこう記しています。
      *自分は門を開けてもらいに来た。
   *しかし、門番は扉の向こう側にいても、遂に顔さえ出してくれません。
      *ただ、声がします。「たたいても駄目だ。一人で開けて入れ」
   *しかし、どうしても、無理です。

小説には、こうあります。
「彼は、(平生)自分の分別を頼りに生きて来た。その分別が今の彼に(祟ったのを)は口惜しく思った。……                       
彼自身は長く門の外にたたずむべき運命をもって生まれて来たものらしかった。……
彼は後ろを顧みた。そうしてとうてまた元の路へ引き戻す勇気もなかった。
彼は前を眺めた。前には堅固な扉がいつまでも展望を遮っていた。
彼は、門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。
要するに、彼は、門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」

聖書は人生を旅路として描いています。そして、その旅路の果てに待っているのが、神の国だとして、その神の国には、門がある。
「彼は、門の下に、立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人」になってはならない――そういう意識もまた、召天者記念礼拝には込められています。
私たちはやがてだれもが、門の前に立つことを聖書は教えています。

自分は門の外にたたずむべき運命なのか、自分は門を通る人ではなかったのか、門は私のために開いてくれはしないのか――そういうイメージを持って、聖書は私たちの人生を描いていきます。
 
3つのポイントで短くお話をします。一番最初、8節をご覧ください。

1)「わたしはあなたの行いを知っている。」――8節

私たちの愛する兄弟姉妹で、先に天国に召されたお一人お一人に対して、イエスさまは「私はあなたの行いを知っている」と仰ってくださいます。
ずいぶん人数が増えましたので、一人ひとりご説明をし、今日来られているご遺族の方をご紹介することはもういたしません。

ちょっと聞いていただきたいと思いますが、鈴木将照(まさてる)兄は鈴木説子姉と一緒に教会のすぐそばに住んでおられて初代の信仰者です。
あるいは永岡姉は教会のすぐ裏に住んでおられて、川崎の駅の路傍伝道も、溝の口の駅の路傍伝道も全部、永岡姉は私(藤本満牧師)の父(藤本栄造牧師)と一緒に参りました。
当時教会には、三公会ということばがあり、――礼拝、伝道会、祈祷会――そのどの集会にも休まれることはありませんでした。

横溝寿満(すま)さんという方がいらっしゃいますが、この方は女手一つで、家族を皆立派なクリスチャンに育てられました。指揮者の横溝(恭一)兄が、今年80歳におなりになるのですが――ばらしてよかったですか?(大笑)あまりにもお元気なので、ちょっと自慢がてらにお話ししたと思ってください――横溝寿満さんは、横溝恭一兄のお母さんですね。このお母さんが、溝の口に越して来たということに端を発して、横溝家は高津教会員になります。

相馬木一(そうま・きいち)兄は役員としてこの教会をずっと引っ張って来られました。いつも教会の祈祷会で一番最初にいらっしゃる。そしてお祈りが始まりますと、相馬木一兄が一番最初にお祈りをなさる。ある時、兄弟は後ろの席におられた戸塚兄に言いました。
「もう一番最初のお祈りを引っ張るのはしんどい。代わってもらえないか」。
しばらく戸塚兄がずっと一番最初のお祈りをしておられました。今は学校の仕事の関係で、なかなか最初の部分にいらっしゃるのが難しいので、大体折井兄が引っ張っておられます。

堀越兄、教会の責任役員として、次の勝間田英生兄や、綾子姉や佐伯恒子姉もず〜っと教会の第一線で、いわゆる高津教会の初代の信仰者です。
今村綾姉もそうでありました。勝間田英生兄の奥さまの綾子姉は筑波のキングス・ガーデンにまだ入っておられます。

写真にはありませんが吉田初枝姉のお母様、藤井姉もそうでありました。永岡姉の友人で、いつも高津教会のすべての集会に来られました。
ざっと写真を見て、武部姉、松本キクエ姉、武田ヨスエ姉という方は、いずれもご高齢の方でありまして、信仰の大先輩であるばかりか、戦争を超え、戦後の貧しい中を、信仰で乗り切り、そして教会とご家庭を信仰で引っ張って来られた方であります。              
 
イエスさまが「わたしは、あなたの行いを知っている」と彼らに仰るならば、私たちもうなずくような方々ばかりですね。
豊かなときも厳しいときも、健やかなときも病めるときも、真実に信仰を貫かれた方々をイエスさまはよく知っておられます。

イエスさまは、私たちの行いをよく知っていると言ったときに、伝道や教会における働きであるばかりでなく、病との戦いも入っていたに違いありませんね。
  
ガンとの壮絶な戦いを越えて、若くして天に召された松本興四郎兄、癌になってから死に至るまで、「(死に至るまで)わたしに忠実でありなさい」(***黙示録2:10)という聖書のみことばをもらって、そしてお医者さんや看護婦さんの勧めにも従わず、ひたすらモルヒネを使わなかった兄弟です。私は使うように勧めたんですけれどもね(笑)、でも痛みに耐えることで、自分の忠実さを表したいという思いを持っておられたのでしょう。

倉持順次兄は普通の検診で体調が悪くて、聖マリアンナに行った帰りに、先生が保険のあれ(診断書?)で病名を書いてくださった、その封筒に封をなさらなかった。そして何だろうと思って封を開けてみたら、「急性白血病」と書いてあった。それから熱心に礼拝にいらっしゃいました。その紙をもらって即、兄弟は家に戻らずに教会にいらっしゃったのを覚えています。

金子光夫兄は50代で病床洗礼をお受けになり、最後はがんでありましたけれども、自分でなかなか聖書を読めないので、看護実習の女の子に一生懸命聖書を読んでもらっていました。

三好正彦兄は英兄姉のいとこさんですけれども、高松で、私が参りましたときにはお腹がパンパンで、もう腹水が張っておられました。でも本当に主にすがるように、その場で病床の洗礼を受けられて晴れやかな顔をしておられました。

田島勇一兄は51歳で天に召されました。この写真は、最後に家族そろってディズニー・シーに行った時の寒〜い写真です。最後に何か思い出を作りたかったのだろうと思います。田島兄はがんとの戦いが長かったです。病院でホスピスに入られ、そのやせ細っていく様子をご家族が見ておられ、辛かったと思います。

藤川静子姉は高津教会の前で、美容室を営んでおられました。私(藤本牧師)はお得意様で(笑)、いつも藤川さんに、髪の毛があったころは(と強調されて、大笑)藤川さんに刈ってもらいました。感謝なことで、藤川さんに「いま空いてる?」「何とか時間作ります」沢山人が並んでいるのですけれども、大体私が先頭でやってもらえるというのは、気持ちのいいものですね(大笑)。
とても信仰熱心な方で、正岡姉は藤川姉に導かれました。

玉木芳一兄は北海道、そして大阪、大阪で信仰を持たれ、高津に移られ、玉木兄のお父さんでいらっしゃいますが、温厚な方でした。癌の闘病が長くて奥様は本当に疲れ果てたのだろうなと思いました。

臼井健二兄は病床で、もうむさぼるように聖書を読んでおられました。もともとのお住いが遠い遠い三浦半島の先の久里浜ですから、それでも毎週のように礼拝に来られ、そして病んでからは、聖書をよく知っているはずの兄弟が、より熱心に聖書を読むぐらい。

イエスさまは、み〜んなこれらのことを知っていると仰るのです。

小林武男兄は天に召されるまでに23冊の写本を書かれました。病室でも、老健でもどこへ行っても写本をしておられました。そして病に倒れられてからもほとんどペースが落ちないで、一日13ページぐらい聖書を書いておられました。

塩口昭子姉は、きょうは久しぶりに中村兄姉の家族が鴻巣から来ておられますけれども、癌で天に召されました。
そして今月天国に召された、岡林鈴代姉。ご主人が来ておられますが、今年のことですから、ご主人ちょっと立っていただけますか。(拍手)

私は思うのですね。昔のクリスチャンは、迫害の中、殉教でいのちを落とした人たちを聖徒と呼びました。
皆さん、カトリック教会でセイントとか、サン〜とか、聖徒、――列聖されると言いますが――聖徒となるには二つ理由がいる。いのちをかけて信仰を守ったという事実と、奇跡をなしたという事実がないと聖徒にはなれない。
この審査には普通数年かかるのですね。今まで一番短かったのがマザー・テレサでありました。
問題になりましたのは、マザー・テレサはいったいどんな奇跡をしたのか、ということで引っかかった。
でもマザー・テレサが、貧しい人たちのために、迫害ではない、でもいのちを注ぎ出して神の愛に生きたという事実は変わりありませんでした。

病と闘う方々が 信仰だけを握りしめてイエスさまにすがり、その踏ん張っていた姿は、どの方を見ても聖徒のようでありました。イエスさまはそれを知っていると仰います。

辛いのはガンだけではなく、相沢広一兄は脳梗塞でありましたか、脳溢血でしたか、心臓?(と前の方のご本人に尋ねられ)勝間田寛兄は全身の動脈硬化、――今日はお嬢さんお二人で来ておられます――お若くして天に召されました。

福井兄、石井米子姉――今日はお嬢さんご夫妻と、お父様(ご主人)が来ておられますね――脳梗塞でずっと長い間、帝京病院に通っておられました。

高橋望兄は2年前、突然に天に召されました。森廣兄もまさに突然の死でありました。
前田達也兄は脳腫瘍ができて、そして手術をして、そのまんま聖マリアンヌに入院されることになり、そこから天に召されました。  

長い戦いの方もおられます。
大西カジャ姉は、20歳で平滑筋肉腫を発症され、40で天に召され、受けた手術の回数は30回。最後は平滑筋肉腫で亡くなったというよりは、もうさんざんに身体を痛めつけた挙句の果てに、吐血して亡くなったというのが実情でありました。

石井和彦兄はパーキンソン的な不自由を背負われて、あんなに頑丈な、石井兄は転勤がありましたので、鶴瀬の教会で労され、久留米の教会の建て上げに労され,そして津の教会に戻られ、やがて浦和の方に引っ越され、今日は姉妹(奥様)が浦和から来ておられますけれども、あれだけ頑丈な方が、パーキンソン病を背負われたら、本当に奥様ともどもご不自由だっただろうなぁという風に思います。

イエスさまは、「わたしは、あなたの行いを知っている」と仰る。
それは、積極的な行いばかりでない。それは、周囲への多大な影響を与えた行いもあるでしょうし、社会的に貢献度の高い行いもあるでしょうし、家族のために教会のために尽力をしたという行いもあるでしょうし、そういうものは沢山あるに違いない。
しかし、イエスさまは覚えていてくださる行いは実は必ずしもそういう行いではない。
    
その行いとは、8節の最後「あなた方には少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである」。
「わたしのことばを守り、イエス・キリストの名を否まなかった」――人生の歩みの中で、信仰を捨てなかった、ということでしょう。そのことを私は知っていると言って、高津教会の愛する兄弟姉妹を皆、天の御国に入れてくださいました。

心して聞いていただきたいのですが、私たちの偉大な信仰の先輩たちも、癌と勇敢に戦って天国に召された方々も、実は、8節「少しばかりの力があって」と、記されています。――ギリシャ語では、ミクロス、英語では、ミクロンです。
今の感覚で言えば、極端に小さい。顕微鏡でしか見られないほど小さい。私たちの力はせいぜい頑張っても、神さまから見たら、どんなに張り切ってもミクロンの力に過ぎない。
がんばっているようであっても、誇らしげであるように思っていても、神さまの目から見たら、私たちはみな、小さな、少しばかりの力しかない、弱い者です。

フィラデルフィヤの教会の方々も、高津教会の(信仰の)先輩たちも、ある意味で、自分の弱さをよく知っていた人たちです。よく知っていたがゆえに、イエス・キリストに依り頼むしか、他ならなかった人たちです。
つまり、私たち人間というのは、元気なとき、自由なときは、往々にして自分の力はミクロンだとは思っていないです。「自分はできる。自分ならできる」――私たちは自分の罪深い、傲慢な生き方にあぐらをかくのです。
   

それとは違い、フィラデルフィヤの教会の人々や、高津教会から召天された方々は、自分たちの弱さを知っていた。
それは愛する幼子を天に送りました山本兄姉もそうですし、長尾兄姉もそうです。
何にもできなかった。まだ小さい小さい愛する子どもたちです。何にも出来なかった。自分の力はミクロに等しいと痛感されたのではないでしょうか。

2)それが故に、彼らはみな、キリストの憐れみに依りすがったのです。

皆知っていました、キリストこそが門であるということを。「わたしは門である」とキリストは仰いました〈ヨハネ10:7,9)。

旧約聖書の中に、「義の門よ。私のために開け」という詩篇(***118:19)の歌があります。
エルサレムの門に向って、巡礼した人が、その門に向って、「義の門よ。私のために開け」(と叫んで祈るのでした)。
私たちはみな思うのです、私のためには開かないだろうな、私もまた、門の下に立ちすくむ運命にあるのだろうなと。

しかし、神さまへと通じる門は、私のために開くのです。なぜなら、イエスさまが「わたしは羊の門です」と仰ったからです。(ヨハネ10:7)
「だれでも、わたしを通って入るなら、救われます」(同10:9)とイエスさまが仰ったからです。

【ヨハネ10:9わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。
同10:10わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。】
                    
イエスさまは、門として私たちを招いておられ、門は閉じられない。
いやむしろ、わたしが開けたらだれも閉じることはできないと仰るこの門はイエスさまで、イエスさまの十字架であるということがよくわかります。

主は神の国に到底入ることのできない私たちの罪を背負って、十字架にかかり、そして主は私たちを招いてくださいました。
わたしを通して、わたしの十字架という門を通して、天の門をくぐりなさい。義の門はわたしだ、あなたではない。わたしを通して天国に入りなさい、と。

そして最後の最後まで覚えておきなさい。
あなたの力はミクロンだ。それでよい。
そう思っている内は、あなたは自分により頼まず、わたし(イエス・キリスト)に依り頼む。自分の力はミクロンだということを、絶対に忘れてはならない。

3)最後に、イエスさまは、8節で仰いました。「見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。」

あ、開いてあったのか。私が立ったら開かれるのでなくして、すでに私のためには開いてあるのか。閉じられていない。

今月、岡林鈴代姉が天に召されました。
1年半ほど前、神戸から引っ越して来られて、すぐに高津教会に通うようになりました。
葬儀の時に、神戸の方々から、多くの証しをいただきました。
友の会で幼稚園の子どもたちを無償で教え、教会では責任役員を務めておられて、よくその両方ができたものだと、私〈藤本牧師)は後に信徒の方から一度メールを戴きました。
「以前から岡林さんってすごいなぁと思っていたけれども、その両方をよく神戸でできたなぁと思っていた」と。

岡林さんは、がんを再発されて、川崎に移って来られます。そして、一度、仰ったことがありました。
「先生、しばらく高津教会で、お客さんでいさせてください。友の会の方はお休みします。少し、しばらくのんびりしたいのです。」
そして実にゆっくりと、大らかに教会生活を生きていかれました。                    

人生には、私はそういう時があるのだろうなぁと思います。力の限りに、何かを荷う、何かを行なう、少し距離をおいて主の恵みにやすらぎ、憩う。
でも、姉妹はしばらくしますと、癌の再発が深刻になり、今度は激しい痛みの中を通過して、天国の門に立つことになります。

私たちはみんなそうなんだろうなぁと思うのです。人生のある時には、これでもかと思うような様々な責任を担い、ありとあらゆる行動範囲を広げ、いろんなものを背負い、でもある曲がり角に来た時に、それら全部を降ろして、しばらく休まないと私たちの人生は前に進まない。そして休んでいる内に病気になる。そして最後、これほどの痛みが自分の身体を走っていくのかというぐらい、私たちは苦労をするのでしょう。
でも、岡林姉妹はだれも閉じることのできない門を、イエスさまがしっかりと開いておられる十字架の門をくぐって、天の父なる神さまに迎えられていきました。

人の人生には、一生懸命働き、エネルギーを注いで苦労している時があり、少し引っ込んで休むこともあり、また病と闘うしんどい時があります。
でも、一貫して私たちの力はミクロンです。一貫してミクロスです。
ですから、一貫して、活躍しているときも、引っ込んでいるときも、病と闘うときも、ひたすら主に依り頼み、信仰を手放さないようにイエスさまにしがみつきます。
そうして、私たちもまたいつの日か天の門をくぐり、愛する者たちと再会することができたら感謝であります。

一昨年、前田姉のご主人、前田達也兄が天に召されました。前田兄はす〜ごく敬虔なお母さんに北海道で育てられ、小学校のころに洗礼を受け、でもやがて北海道大学、それから間組ですか、いらっしゃって転々とダムを作ったり、そうしていかれるうちに教会から遠のいていかれました。

そして、葬儀に来られた時に、前田兄は十の手術をしてそのまま、しばらくして天に召されましたので、あまり信仰のこと、聖書を読むことには疎かったのだろうと私は判断しています。
でも私はびっくりした。それは葬儀に来たご家族の方々は、ずらりと熱心な信仰者だった。私はその時思いましたね。ああ、この兄弟の背後には、これらの方々の祈りがあったのかと。

私たちは、自分の生き方を問います。自分の生き方が信仰者としてふさわしいか、あるいは自分の生き方が人として立派であったとか、自分の生き方がだめであったとか考えますが、そんなのみんなミクロンですよ。
世の中で立派と思える行為も神さまの目には微々たるものです。
私たちが立派で一生懸命信仰者の第一線として活躍していることを、神さまは喜んでくださいます。
でもそれがもし、私たちの財であり、私たちの力であるならば、神さまは必ずしもお喜びにはならない。

むしろ、私たちがミクロンであることを知りつつ、どこまでもイエス・キリストに依り頼むなら、病の中であれ、教会から離れているような場面であれ、教会の様々な重荷を担っている部分であれ、人生一貫してあなたのために祈ってくださる人は、そしてイエスさまは、「あなたの心も、あなたの行いも、あなたの事情も、あなたのからし種ほどの信仰もよく知っている」と言って、私たちのために門を開いてくださるお方であることを心に留めて生きたいと思います。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、あなたの恵みによりまして、今日もこのようにして、一同集うことができましたことを心から感謝いたします。久しぶりの方々も、変わらずして高津教会の家族であることを確認することができ、ありがとうございました。
どうかどこにあっても、故人のことを忘れることがありませんように。また故人のために祈った方々を忘れることがありませんように。そして故人を生かし続けたイエス・キリストのご愛と力、故人を天の御国に迎え入れてくださったイエス・キリストの憐れみを忘れることがありませんように、私たちを憐れんでください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2013.10.30 - 08:27
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