☆聖書箇所 ルカ22章31〜34節 31シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。 32しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 33シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」 34しかし、イエスは言われた。「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
☆説教 新年・戸塚伝道師:祈られている信仰 新しい年2022年に踏み出だしまして、高津教会では今日は最初の礼拝であります。 いつも年頭、思うんですね、今年はどんな年になるんだろうか?分かりません。 だから不安です。何が起こるか分からない。1分後に何が起こるか分からない。 しかし、ただ分かっていることが二つあります。
●それは、主が私と共におられるということ――詩篇23篇をお読みいたしました。 「主がともにおられますから、私はわざわいを恐れません。死の陰の谷を歩むことがあっても」(詩篇23:4)と、そのようなお約束が与えられている。 神さまが共におられる、ということがどんなにすばらしいことか、私たちはまだそのほんの僅かしか味わっていないのかも知れませんけれども、でも共におられる神さま。
●そしてもう一つ分かっていることは、「すべてのことを働かせて益と変えてくださる」(***ローマ8:28)ということです。どんなことが起こっても、神さまの御手の中でそれは益に変えられる。そのことを信じて歩む年とさせていただきたい。
この二つのことだけは分かっています。(※笑顔で)なんと安心なことでしょうか。 そのために必要なのは、私たちの信仰であります。 で、今日は、信仰について考えてみたいと思いまして、ルカの福音書22章31節〜34節をお開きいたしました。 今日は特にこの32節のお言葉、イエスさまがシモン・ペテロに対して言われたお言葉に注目したいと思います。お読みいたします。
32しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
ここから、「祈られている信仰」と題して、3つの視点で思い巡らしをいたします。
1)信仰はなくなることがあり得る
「信仰がなくならないように、あなたのために祈りました」(ルカ22:32)とイエスさまは仰っていますが、信仰がなくなる可能性があるんだということです。
では信仰がある状態って一体どういう状態でしょうか? それは33節にシモンがイエスさまに言った最初の言葉ですね――「主よ」です。 「主よ」――このように告白することができる。 目の前のイエスという人物を、「主よ、私の救い主」と告白することができる――これが信仰がある状態、基本的にそうです。
私たちも信仰を持っています。 イエス・キリストというお方を「主よ」と言う、「私の救い主」として信じている――それが信仰です。 キリスト教という、一つの宗教的イデオロギーに賛同したわけではありません。 私たちはキリスト教を信じているんじゃありません。そんな宗教を信じているんじゃないんです。 イエス・キリストを「救い主」として信じている。
ではいつ信仰がある状態になったのでしょうか? クリスチャンの家庭で育った方は、いつの間にか信じていた、という方が多いみたいですね。 気がついてみたら、なんか信じていた。気がついてみたら、洗礼を受けてたとかね。 あんまり、こうぼんやりとした、はっきりとしない、いつという時が言えない――そういう信仰なのかもしれません。 ある方はものすごくはっきりとした霊的な体験を通して、あの日イエスさまを信じたということが分かる、という方も沢山おられると思います。
今日は1月9日です。日曜日です。50年前の1月9日も日曜日でした。 なぜそんなにはっきりと申し上げることができるかと言いますと、 ちょうど50年前、私はイエスをキリストとして心にお迎えするお祈りを捧げた日だからです。 場所はインマヌエル富士見台教会、その時の牧師先生は河村襄(かわむら・のぼる)先生――昨年、藤本栄造先生のお別れ会(2021/2/27)の時にここで説教をしてくださった先生――あれから奇しくも50周年。 しかもほんとは、私月1回、講壇に立たせていただくんですけれども、第三聖日なんですが、奇しくも藤本満先生が「今日と交代してほしい。私は静岡へ行くから」。 そこで私は今日、50周年の日に、この場に立たせていただくという、不思議な神さまからの巡り合わせ――それを感じております。 もうすぐですね。(※会堂後ろの時計を見上げて)50周年ちょうどは。午後1時35分でした。 はっきり覚えています(笑)。教会の後ろの時計がお祈りして、パッと目を上げたら午後1時35分だった(笑)。 もう少しで50周年ちょうどの時刻がやって来るんですね。 だけれども、そんなにはっきりとした体験ではありませんでした。 ただお祈りしたっていうだけです。だけど、後からじわ〜っとですね、じわ〜っと、イエスさまの愛とか、十字架とか、復活のすばらしさとか、色んなことが心で捉えることができました。
信仰がある状態、私たちはみんな信仰を持っている――それをクリスチャンと呼ぶんですね。 でもこの信仰がなくなることがあり得るんだ。 シモン・ペテロにとっては100%なくなるということを前提で、イエスさまはこのお言葉を語っておられる。 「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。」(ルカ22:32) なぜなくなるのでしょうか? それは、サタンのゆえであるということを、イエスさまは語っておられます。31節――
31シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。
悪魔が働いている。信仰を失わせようとする悪魔。 信仰を試練のふるいにかけて、「おまえの信仰はどれ位なのか」と言って、 もう無茶苦茶にふるいにかけてしまって、揺さぶられてしまうような、そういうサタンの働きがある。 もしかしたら、それは試練を通してかもしれない。様々な絶望感を通してかもしれない。 サタンは虎視眈々(こしたんたん)と狙っている。 大きな罪を犯した後かもしれない。
イエスさまは百も(承知で)先をしっかりお見通しで、シモン・ペテロにこのように語っているわけですね。 「シモン、シモン。見なさい。・・・・・・」
さらには、信仰がなくなってしまうというのは弱さのゆえだと思います。 肉体的弱さ、精神的弱さ。 私たちは辛い時、精神的に追い込められた時に、信仰を働かすことさえできなくなってしまう。お祈りさえできなくなってしまう。 眠れない夜を悶々と過ごし、そして辛い状況の中、どうにもならない苦しみの中に置かれた時、 自分は信仰を持っているんだろうか?ということさえ、分からなくなってしまうことがあるかもしれない。 人に躓いた。もう教会なんか行かない。クリスチャンなんか信じられない、という方もいらっしゃるかもしれない。 色々な要因の弱さのゆえ、さらには老いることによって、私たちは信仰がなくなってしまうような状況に追い込まれることもあり得るわけですね。 全く信仰のことが分からなくなってしまう。
さらには信仰をイメージで捉える傾向がある場合もあります。 これが原因になっている場合もあります。 信じればこうなる。信じれば、私はこうできる。イエスさまを信じていれば大丈夫――確かにそうです。 でもそれがイメージとなってしまっている場合、 「イエスさまの血潮はすべての罪から私たちをきよめてくださる」(***Tヨハネ1:7)。 「私たちは主にあって、圧倒的な勝利者だ」(***ローマ8:37)。 「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝する」(***テサロニケ5:16〜18)ことができるような恵みが与えられる。 確かにそうです。でも威勢はいいけれども、きれいごとで実体のない信仰もあり得る。
このシモン・ペテロもそうでした。 (ルカ22章)33節、シモン・ペテロはイエスさまにこう言っていますね。
33シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
シモン・ペテロはもう本気で、この時点ではそのように思っていたんですね。 イエスさまとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、私は覚悟できているんだ。 イエスさまからのお言葉は、「(だれでも)わたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」(***マタイ16:24) はい、わかりました。牢であろうと、死であろうと・・・ でも、まさか十字架にかけられてしまうとは、まさかあんな形で殺されてしまうとは、先生が! ペテロにとって、ものすご〜いショックでした。有り得ないことでした。 信仰をイメージで捉えている。 だけど実体がないと、ちょっとしたことで全部(※左から右へ両腕を放り出すように回して見せて)信仰がなくなってしまうってことも有り得る。
信仰がなくなってしまう――私たちもそのような所に置かれることがあるかもしれません。
2)私たちは、信仰がなくならないように、祈られています。
イエスさまはシモン・ペテロのためにお祈りされました。(ルカ22章)32節――
32しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。・・・
第三版ですと、この「あなたのために」が逆になっているんですね。 「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました」になっています。 (2017版で)変更したのが何が原因だか分かりませんけれども、でもこっちの方が原語に忠実なのでしょうかね。分かりません。 でも「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました」で覚えていますので、そっちの方がしっくり来るんですけれども、 「あなたのために祈りましたよ、わたしは」とイエスさまが仰っている。 ペテロのためにイエスさまは祈っておられたお方です。
2000年後の私たちにも、時空を超えて、イエスさまの祈りは届いている。 「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈っていますよ。」 ああ、私は、私の信仰は祈られているんだ、イエスさまに。祈られている。 本当に覚束ない信仰です。 弱さゆえに、何が起こるか分からない状況の中で、この信仰をしっかり持たなくちゃいけない、というのは頭では分かっていても、 いざ自分が想像もしないことに直面した時に、果たしてその信仰を働かすことができるかどうか? でも、イエスさまは祈ってくださっています。
それだけではありません。 教会の方々も、私たちのために祈ってくださっている。 家族によっても祈られている。 もしかしたら、教会の人たちにはお話しできなくても、心許せるあの人にちょっと祈ってもらおうと思って、個人的にお祈りをお願いされている、という方もいらっしゃるかもしれません。 私たちは祈られて、私たちの信仰は、祈られて支えられている。 つまり私の信仰は、他の人の祈りによって、支えられている。 頑張って信じます――それもすばらしい信仰の姿勢ですけれども、 でもそれ以上に、私の信仰は、他の人の信仰によって支えられている。
プロテスタント教会は、往々にして、神さまと私との個人的な関係を大切にする、という傾向があるような感じがいたします。 私は神さまの前にどうであるか?私の信仰は神さまの前にどうであるか? 個人的な神さまとの関係。
でも気をつけないと自己責任の信仰になってしまうことがある。 「信仰をしっかり持ちなさい。」 「だったら大丈夫です。」 「あなたはどうですか、今?信仰をしっかり持って歩んでいますか?」 「自己責任(笑)。いや、歩んでいません。」 「ああ、そうですか〜。じゃあ、しっかり持ちましょう。」 私の信仰――でも「こんな覚束ない信仰で、しっかり持ちましょう、いやあ無理です」って言ってしまうことがあるかもしれないです。 でも、《私の信仰は、他の人の祈りによって、支えられている》とするならば、私の信仰は私たちの信仰に繋がるんですね。 支え合いの信仰です。私たちの信仰、私たちが共に神さまを信じている。私たちが共にイエスさまを信じている、それが教会です――『私たち』意識ですね。
藤本満先生が今日静岡教会に行っておられるということで、思い出しました。 毎週新幹線に乗って行った私でした。毎週(笑)日曜日、新幹線に乗って、静岡の駅まで。 静岡の駅に到着する10分ぐらい前から、車内放送が入るんですね。 「まもなく、静岡、静岡に停まります。」 日本語はこれでおしまい。あと細かな連絡はあるんですけれども。
ところが、そのあと英語が入るんですね。 英語はWe will soon make a brief stop at Sizuoka. 極端に直訳しますとね、「私たちは静岡において、短い時間の停車を生み出していくのです」。 (※普通にmake a stop at〜で「〜で停車する」というフレーズで覚えていて、weは鉄道会社側のアナウンスだと思っていましたが、乗務員と乗客全体を指していると考えるのですね?なるほど、それも良い信仰的な視点ですね。) ちょっと大げさですよね――「私たちは静岡において、短い時間の停車を生み出していく、まもなく」。 でも私たちが、静岡の停車を生み出していく。 新幹線に乗っている何千人という、一つの車両っていうか一つの編成で――何千人もいないですか、千人位ですか、 でも「私たちが、静岡において、短い停車を作り出して行くのです、まもなく」という、その英語の直訳は、新幹線に乗っている乗客の『私たち』意識を掻き立てるんだなぁと思いました。 「私たちは静岡にoccasionを作り出して行く」って、連帯感ですよね。私たちが静岡で。 これは信仰の連帯感にも繋がると思いました。
今、新型コロナウィルスが世界大で感染状況が繰り広げられている。 同じ状況の中に置かれていて、もう私一人が救われる、というような感覚では済まないですね。 世界のみんなで何とかしなくちゃいけない、という『共同体意識』が生まれる。 「主の祈り」もそうですね。「主の祈り」も、教会の『共同体意識』の中で祈っている。 「天にましますわれらの父よ」――私たちが信じている父なる神さま、われらの父。
私の信仰は他の人の信仰によって支えられている、ということは私たちの連帯意識を生む。 たった一人で信じているんじゃない。 私たちが一生懸命頑張って信じていなくちゃだめなんじゃない。 みんなのお祈りで支えられているっていうことが分かります。 すると、3つ目の視点に行き着きます。
3)私たちの信仰を、他の人のために用いる恵みですね。
イエスさまはこう語っています。
32しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
「ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 「立ち直ったら、あなたの信仰で、兄弟たちを力づけてあげなさいね」とイエスさまはシモン・ペテロに仰っているんですね。 ペテロが信仰を失うことをしていた予見していたイエスさまは、信仰が回復され立ち直ることも予見されていました。
もしペテロの信仰が燃え続けていたら、どうなっていたか? イエスさまを三度も知らない、なんて言わないで、もうそのまま、牢であろうと死であろうと、イエスさまと一緒に十字架に掛けられて死んでいたらどうだったのだろうか? そうしたら、兄弟たちを力づけてやることはできませんでした。
「あなたはわたしを愛しますか?」(***ヨハネ21:15〜17) 「はい、主よ、私があなたを愛することはあなたがご存じです。」 「そうですか、ではわたしの羊を飼いなさい。」 そのような使命をペテロに、イエスさまは与えるわけですね。
でももしここで信仰が躓かないで、優等生の信仰を貫き通したらどうでしょうか? イエスさまによる十字架の贖いも、復活の希望も、ペンテコステの力も、教会の働きも分からないまま、パラダイスに上げられてしまった。 本来のペテロの生き方ではなかったのかもしれない。 新約聖書の「使徒の働き」のペテロの記事も、「ペテロの手紙」もなかったことでしょう。
祈られて、立ち直ったシモン・ペテロの信仰は、優等生的な信仰ではない。 一度挫折して、失敗して、そこを通過して、傷ものになっているような信仰だった。 でも、それだからこそ、そのようなどうしようもない、情けない信仰だからこそ、兄弟たちを力づけることができる。
私たちも成功体験をどんなに聞かされても、全然慰められない。 挫折体験を経験されている方の話を聞くと、何かすごく励まされますよね。 私たちが悩みを抱えている時に相談したい、どなたに相談しようか? キラキラに信仰が輝いていて、圧倒的な勝利者の信仰を持っている方に相談するよりは、 自分も辛い悲しみを抱えて、弱さを覚えて一度は信仰を失ってしまったような、そういうような方に、 あるいは苦しい試練を体験された方に、私たちは相談するんじゃないかと思うんですね。
2022年、私たちはすばらしいみことばをもって、スタートいたしました。 高津教会のしおり(創世記46章4節) 《このわたしがあなたとともに下り、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る。》 「このわたし、このわたし」という神さまからの迫り。 この迫りに応えて、私たちは新しい信仰をもって、この年をスタートいたしました。 不安があります。課題は山積しています。 失敗は避けられないことでしょう。挫折することがあるかもしれない。 予想もしていなかったことに直面することがあるかもしれません。
しかし「主は私の羊飼い。あなたが共におられるならば」(詩篇23:1,4)、 「あなたとご一緒ならば」(ルカ22:33)――ペテロもそうでした。 そんなカッコイイこと言わなくてもいいです(笑)。 私たちが信仰が弱いことはイエスさまは十分ご存じです(笑)。 自分が頑張らなくても、イエスさまは私たちの弱さを、置かれている状況を、そしてこれから歩んでいく道を、すべてご存じの上で言われます。 「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。」(ルカ22:32)
☆お祈りいたします――戸塚伝道師 愛するイエスさま、あなたを救い主と信じる信仰を与えていただき感謝いたします。吹けば飛ぶような信仰かも知れません。ペテロのように厳しい現実を目の当たりにして、いざとなったら信仰を働かすことなどできないかもしれません。それでも、そんな私の信仰のために、イエスさま、あなたは祈られ、また祈ってくださる方も備えられますことを感謝いたします。
新しく踏み出しました2022年の日々、祈られ、支えられている私の信仰、私たちの信仰をどうぞお守りください。そして目の前の課題のみならず、家族のために、友人のために、どなたかのために、その信仰を生かす時が与えられますようにお導きください。あなたのお名前で父なる神さまにお祈りいたします。アーメン。
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