☆聖書箇所 創世記37章1〜20節 (+21〜35節) 1さて、ヤコブは父の寄留の地、カナンの地に住んでいた。 2これはヤコブの歴史である。 ヨセフは十七歳のとき、兄たちとともに羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らとともにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを彼らの父に告げた。 3イスラエルは、息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。ヨセフが年寄り子だったからである。それで彼はヨセフに、あや織りの長服を作ってやっていた。 4ヨセフの兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、穏やかに話すことができなかった。 5さて、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。 6ヨセフは彼らに言った。「私が見たこの夢について聞いてください。 7見ると、私たちは畑で束を作っていました。すると突然、私の束が起き上がり、まっすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだのです。」 8兄たちは彼に言った。「おまえが私たちを治める王になるというのか。私たちを支配するというのか。」彼らは、夢や彼のことばのことで、ますます彼を憎むようになった。 9再びヨセフは別の夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また夢を見ました。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいました。」と言った。 10ヨセフが父や兄たちに話すと、父は彼を叱って言った。「いったい何なのだ、おまえの見た夢は。私や、おまえの母さん、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むというのか。」 11兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心にとどめていた。 12その後、兄たちは、シェケムで父の羊の群れを世話するために出かけて行った。 13イスラエルはヨセフに言った。「おまえの兄さんたちは、シェケムで群れの世話をしている。さあ、兄さんたちのところに使いに行ってもらいたい。」ヨセフは答えた。「はい、参ります。」 14父は言った。「さあ、行って、兄さんたちが無事かどうか、羊の群れが無事かどうかを見て、その様子を私に知らせておくれ。」こうして彼をヘブロンの谷から使いに送った。それで彼はシェケムにやって来た。 15彼が野をさまよっていると、一人の人が彼を見かけた。その人は「何を捜しているのですか」と尋ねた。 16ヨセフは言った。「兄たちを捜しています。どこで群れの世話をしているか、どうか教えてください。」 17すると、その人は言った。「ここからは、もう行ってしまいました。私はあの人たちが『さあ、ドタンの方に行こう』と言っているのを聞きました。」そこでヨセフは兄たちの後を追って行き、ドタンで彼らを見つけた。 18兄たちは遠くにヨセフを見て、彼が近くに来る前に、彼を殺そうと企んだ。 19彼らは互いに話し合った。「見ろ。あの夢見る者がやって来た。 20さあ、今こそあいつを殺し、どこかの穴の一つにでも投げ込んでしまおう。そうして、凶暴な獣が食い殺したと言おう。あいつの夢がどうなるかを見ようではないか。」 *****(※ここまでが週報にある聖書箇所)***** 21しかし、ルベンはこれを聞き、彼らの手から彼を救い出そうとして、「あの子を打ち殺すのはやめよう」と言った。 22また、ルベンは言った。「弟の血を流してはいけない。弟を荒野の、この穴に投げ込みなさい。手を下してはいけない。」これは、ヨセフを彼らの手から救い出し、父のもとに帰すためであった。 23ヨセフが兄たちのところに来たとき、彼らは、ヨセフの長服、彼が着ていたあや織りの長服をはぎ取り、 24彼を捕らえて、穴の中に投げ込んだ。その穴は空で、中には水がなかった。 ****(※戸塚伝道師はここまで朗読)***** 25それから、彼らは座って食事をした。彼らが目を上げて見ると、そこに、イシュマエル人の隊商がギルアデからやって来ていた。彼らは、らくだに樹膠(じゅこう)と乳香と没薬を背負わせて、エジプトへ下って行くところであった。 26すると、ユダが兄弟たちに言った。「弟を殺し、その血を隠しても、何の得になるだろう。 27さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが手をかけてはいけない。あいつは、われわれの弟、われわれの肉親なのだから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。 28そのとき、ミディアン人の商人たちが通りかかった。それで兄弟たちはヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でヨセフをイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。 29さて、ルベンが穴のところに帰って来ると、なんと、ヨセフは穴の中にいなかった。ルベンは自分の衣を引き裂き、 30兄弟たちのところに戻って来て言った。「あの子がいない。ああ私は、私は、どこへ行けばよいのか。」 31彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎを屠って、長服をその血に浸した。 32そして、そのあや織りの長服を父のところに送り届けて、言った。「これを見つけました。あなたの子の長服かどうか、お調べください。」 33父はそれを調べて言った。「わが子の長服だ。悪い獣が食い殺したのだ。ヨセフは確かに、かみ裂かれたのだ。」 34ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、何日も、その子のために嘆き悲しんだ。 35彼の息子、娘たちがみな来て父を慰めたが、彼は慰められるのを拒んで言った。「私は嘆き悲しみながら、わが子のところに、よみに下って行きたい。」こうして父はヨセフのために泣いた。 *****(※ここまでが今日の学びの聖書箇所)*****
☆説教 ヨセフ(1)神の摂理が働く舞台 (※動画配信担当の)Oさん、今日は頻繁に聖書を見ていただきますので、よろしくお願いいたします。 私(藤本牧師)はある先生に昔言われて、自分でも言うようにしているんですけれど、「馬から落ちて、落馬した、というような説教はするな」と。 「馬から落ちて落馬した」(笑)というのは、聖書の言葉をそのまんま言い伝えているだけの説教ですね。そんなつまらない説教するなと。
でも今日は、「馬から落ちて落馬したという説教」です。いいですか。 忠実に戸塚先生に読んでいただきました箇所を、私はつまみ食いをして読み返していくだけ。 で、読み方は戸塚先生の方がはるかに上手いので、「馬から落ちて落馬した以下の説教」になるかもしれませんけれども、覚えていただきたいと思います。
元旦礼拝ではすべての始まりを一番最後から持って来ました。 すなわち、これから壮大なヨセフ物語を学んでいくわけですけれども、最後のクライマックスに出て来る130歳の、ヨセフの父ヤコブがエジプトに遊牧民の一族を連れて旅していくその不安な夜に、ベエル・シェバで神が現れてヤコブに仰いました。 「このわたしがあなたとともにエジプトに下る。このわたしが必ずあなたを連れ上る」(創世記46章4節) それが今年の高津教会の表題聖句であります。
神さまがまだヤコブが若かった頃に初めて現れてくださったのも、ベエル・シェバの近くの荒野でありました。 その時もヤコブは不安な夜を過ごしていました。 若い時から高齢に至るまで、ベエル・シェバの荒野に行くと、なぜか彼は不安であり、なぜか苦悩の夜を過ごしていて、しかし必ず神さまはそこに現れ、 「わたしがともにいて、わたしがあなたを一緒にエジプトに連れて行き、もう一度連れ上る」(創世記46:4) つまり、《あなたの人生の旅路で、わたしはいつもあなたとともにいて、あなたを離れない》と仰いました。
で、私(藤本牧師)は高津教会が皆さんのベエル・シェバになっていただきたい――そういう話をしました。 一年間で様々な出来事がある度に、ここに来ると、神さまの約束の声を聞く。 《あなたは下って行く時も、上って行く時も、わたしはいつもあなたとともにいて、しかもこのわたしが、必ずわたし自身があなたと共にいる》 ということを分かっていただきたいと思います。
さて、今日は創世記の37章を見ていただきました。 2節をご覧いただきたいと思いますが、ここが壮大なヨセフ物語の最初になります。 2節のここからです。 【画面:創世記37章1〜5節。水色のハイライト――2節「ヨセフは十七歳のとき」「彼らの悪いうわさを彼らの父に告げた」3節「息子たちのだれよりもヨセフを愛し」5節「夢を見て」 水色のペンで囲み――2節「ビルハの子ら」「ジルパの子ら」 水色の傍線――4節「ヨセフの兄たちは」「彼を憎み、穏やかに話すことができなかった」】
2・・・・・・ヨセフは十七歳のとき、兄たちとともに羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らとともにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを彼らの父に告げた。
いいですか。ここから始まっていきます。 ヨセフ物語には一つの壮大なテーマがあります。 そのテーマは《神の摂理の中を生きる。》 「摂理」というのは英語で providenceです。ラテン語から来ていまして、proというのは「前」ですね。videnceというのは、videoという言葉にありますように「見る」です。 つまり私たちは、ヨセフと同じように、先のことなど全く見えません。 今現在の困難な課題で右往左往するだけです。 でも神さまはいつも先を見ておられるお方で、神さまは私たちが今現在の問題でどんなに右往左往し不安であろうとも、それら全部を繋ぎ合わせて、先のご計画を完遂されるお方だと。 で、今日はこの大きな《神の摂理》という物語が、どうやって始まっていくのか、まずそれを見ていただきたいんですね。 それで、説教のタイトルを、「神の摂理が働く舞台」といたしました。 どういう舞台、ステージで神の摂理は働いていくのか? 3つのポイントを用意してあります。
1) 人生は複雑、家族は複雑
聖書をもう一回見ていただいて、 <創世記37章2節> 2・・・ヨセフは十七歳のとき、兄たちとともに羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らとともにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを彼らの父に告げた。
この2節に出て来ますヨセフ、まだ若い。 そして「ビルハの子ら、ジルパの子らとともに、彼はいた」とあります。 これは、父ヤコブの複雑さなんですね。
父ヤコブの複雑さ――父ヤコブは若い頃、兄エサウの殺意から逃れるために、おじさんラバンのもとに身を寄せます。 おじさんに仕えて、彼は働くことになります。
ある日おじさんが、若いヤコブに話しかけました。 「ずっとわしのために働いていてくれるけれども、報酬を与えよう」と。 そうしたら、ヤコブはおじさんに 「でしたら、あなたのお嬢さんラケルを私は愛しています。ラケルと結婚させてください。結婚させてくだされば、私は7年間、あなたに仕えます。」 実際7年間仕えました。聖書には、愛のゆえに、その七年間は「数日に思えた」(創世記29:20)と書いてあります。
ところが7年経ち、婚礼の夜が終わり、朝目覚めたらベッドにいたのは、ラケルの姉のレアでした(笑)。 騙されたんですよね。(ラケル・レアの)父親に。ラバンに言われます。 「いや、悪く思うな。この地の習慣として、妹を先に嫁に出すわけにはいかない」と。
ヤコブは一週間姉のレアと過ごし、それから改めてラケルと結婚します。 そしてさらに七年間、合計14年間、おじさんのラバンに仕えます。 つまりヨセフの父ヤコブというのは、おじさんに騙されて、ラケルを愛していたにも関わらず、姉のレアとも結婚させられてしまった。
姉妹と結婚させられてしまったわけですね。 彼が愛したのは妹のラケルです。 そうなりますと、姉のレアは沢山子どもを産んで、妹に勝とうとします。 4人の男の子を産みました。 妹のラケルにはなかなか子どもができませんでした。 だから妹のラケルは、自分の女奴隷のビルハを送り込み、ビルハによってヤコブの子どもを二人を儲けます。 するとそれに対抗して姉のレアは、自分の女奴隷ジルパを送り込み、さらに子どもを儲けます。
この段階で、何がどうなっているのかもう分からないじゃないですか(笑)。 でも、この段階で、分かりますよね。 ヤコブの人生、家族がどれほど複雑であったのかが分かります。 そしてヨセフは11番目の子どもとして生まれて来るわけです。
(創世記37章)2節の途中から、その「ヨセフが十七歳のときに、兄たちとともに羊の群れを飼っていた。 さて、これからの展開がよく分かるように、物語は記されていますが、 一番目、いいですか。先程から何回か見ていますけれども、ここにこうありますよね。
【画面:創世記37章2節を指差しながら説明。「ヨセフは17歳のとき」「悪いうわさを彼らの父に告げた」に水色のハイライト。「ビルハの子ら」「ジルパの子らとともに」に水色のペンで囲み】
@「ビルハの子らやジルパの子らとともにいた」ということは、女奴隷に生まれた子どもたちと一緒にいたと。 そのすぐ後に、「ヨセフは彼らの悪いうわさを彼らの父に告げた」ということは、 ビルハとジルパの子らは――正妻の子ではないんですよ――女奴隷の子どもたちで、正妻の子どもたちからいじめられていたんですよね。 そのいじめられていた、という報告を父ヤコブに(ヨセフが)告げ口をしたという意味です。 ヨセフが悪いというよりも、この段階では、ま、父(ヤコブ)が悪いと言ってもよいのかもしれません。
A父ヤコブはことさら、このヨセフを愛しました。 【画面:創世記37章3節「息子たちのだれよりもヨセフを愛し」にハイライト。4節「ヨセフの兄たちは」「彼を憎み、穏やかに話すことができなかった」に水色の傍線】
3イスラエルは、息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。ヨセフが年寄り子だったからである。それで彼はヨセフに、あや織りの長服を作ってやっていた。(***特別な洋服を作ってやった、と説明)。 4ヨセフの兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、穏やかに話すことができなかった。
というのは、もう兄弟の間でヨセフだけ特別扱い、そして亀裂ができていたということですよね。
ヤコブは信仰の人です。 聖書で、神は、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と新約聖書でも言われています。 でも神の人、信仰の人、祈りの人であっても、人間は人間です。 ヤコブには愛するヨセフにいつもよそいきの服を着させ、他の子どもたちとは別格扱いだった。
どこの家庭にもあります。 私たち、色んな若い人たちと会うと、「え、あなたお姉さんですよね?」とか「あなた末っ子ですよね?」とか大体言い当てられますよね。 長女は長女なりの性格があり、次女は次女なりの性格がある。 性格の違いというよりも、あれは明らかに親の扱い方の違いですよね。 大体一番上の子には厳しいです。そして二番目は甘い。三番目は割とどうでもいい(笑)、とは言いませんけれどもね、 私(藤本牧師)は二番目で、そして幼い頃からぜんそくでガリガリでした。 それで美味しいものは全部私の所に来るんですよ。 母は全部私の所へくれるんですよ。 三番目の、妹は康子っていうんですけれども、康子自身、自分の名前を紹介する時に「健康の康です」と言う。その康子なんです。そして本当に健康で全然病気をしない。 だから食事において、一番損をしているのは妹の康子(笑)でありました。
それは「お兄ちゃんは病弱だからしょうがないよね」と思いながらも、色んな状況によって、親が子どもにどう対応するかっていうのは、その子だけの性格ではない。 その順番において、或いはその事情において、変わってくる。 二番目の子どもが生まれた時に、お父さんお母さんは、人生大変な時期でとっても忙しかった。 でも三番目の子どもができた時には、とっても余裕があったとか、親の事情によって、子どもへの対応が変わっていくわけですよね。
でも結果として、「ヨセフの兄たちは、ヨセフを憎むようになり、穏やかに話すことができなかった。」(4節) となります。
Bある夜、ヨセフは夢を見るんですよね。
先に7節から見てしまいましょうか。 【画面:創世記37章7節を指差しながら説明】 7見ると、私たちは畑で束を作っていました。すると突然、私(ヨセフの、と説明)の束が起き上がり、真っすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだのです。
という、ま、どんな夢を見るかというのはその人の自由ですし、この夢はどちらかというと預言的です。 でも自分に対して敵対心を持っている兄たちに、しゃあしゃあとこの夢について話をするんですね。
Cもう一回夢を見ます。 【画面:創世記37章6節〜11節。6節「この夢」「聞いてください」に水色のハイライト。 8節「ますます彼を憎むようになった」に水色ペンの傍線。9節「別の夢」「また夢を」に水色のハイライト。「それを兄たちに話した」に水色の傍線。「太陽」「月」「十一の星」にそれぞれ水色ペンで囲み。10節「父は彼を叱って言った〜拝むというのか」に水色の傍線】
9再びヨセフは別の夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また夢を見ました(***見てしまいましたですね、と説明)。見ると、太陽と月と(***これは両親ですね、と説明)十一の星(***兄さんたち、そして一人の弟ベニヤミンです、と説明)が私を伏し拝んでいました」と言った。 10ヨセフが父や兄たちに話すと、父は彼を叱って言った。「いったい何なのだ、おまえの見た夢は。私や、おまえの母さん、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むというのか。」
しゃあしゃあと、アホなのか(笑)ナイーブなのか、幼いのか正直なのか、日頃から兄たちの反感を買っていることが分かっていなかったのか、平気でその神経を逆なでするようなことを言うわけですね。 さすがに父さんも参ってしまって、「どのような夢を見ようがおまえの自由だ。しかしそういう夢を、みんなの前でしゃあしゃあと話すものではない」と(叱った)。
これが第一のポイントです。 見ていただきました。ヤコブの結婚関係が複雑です。 ですから当然子どもの関係も複雑です。 妙にヨセフだけを愛しました。 そしてヨセフは夢を見てしまいました。 その夢ゆえに、兄さんたちの反感を買うようになりました。 つまり人生は複雑で、家族は複雑で、ひいきと嫉妬、そしてその中で渦巻く憎しみ。 それを経験しながら、繰り返してしまうという愚かさ。 これが一番目の結論ですね。
2)複雑さの顛末、結末――大変苦々しいところに至ります。
12節を見ていただきたいと思いますが、 【画面:創世記37章12節「シェケム」に水色のハイライト】
12その後、兄たちは、シェケムで父の羊の群れを世話するために出かけて行った。
シェケムというのは、彼らが今いましたヘブロンの谷から約80キロ。2〜3日の旅路です。 父ヤコブは、息子たちが羊を連れて80キロ先で遊牧しているという様子を見るために、ヨセフを遣わします。 行ってみると兄さんたちはいませんでした。 どうやら先にもう30キロ行った、ドタンにいるという。 17節(最後の行)に書いてあります――「ドタンで彼らを見つけた」 ダジャレの好きな説教者は、「これがヨセフの土壇場だ」という風に言うんですけれども、まさに土壇場ですね。
【画面:創世記37章17節〜20節。17節「ドタン」18節「彼を殺そうと」19節「あの夢見る者」に水色のハイライト。20節「今こそあいつを殺し」に水色ペンの傍線】
18兄たちは遠くにヨセフを見て、彼が近くに来る前に、彼を殺そうと企んだ。 19彼らは互いに話し合った。「見ろ。あの夢見る者がやって来た。 20さあ、今こそあいつを殺し、どこかの穴の一つにでも投げ込んでしまおう。そうして、凶暴な獣が食い殺したと言おう。あいつの夢がどうなるかを見ようではないか。」
いいですか、長男のルベンだけが「殺すのをやめよう、穴に放り込むだけで十分じゃないか」と提案します。 ちょっとこれも見ていただきますね。 【画面:創世記37章21節〜26節。21節「ルベン」26節「ユダ」に水色のハイライト。22節「これは、ヨセフを〜帰すためであった」24節「穴の中に投げ込んだ」25節「イシュマエル人の隊商」「エジプトから下って行くところであった」に水色ペンの傍線】
<創世記37章21〜25節> 21しかし、ルベンはこれを聞き、彼らの手から彼を救い出そうとして、「あの子を打ち殺すのはやめよう」と言った。 22また、ルベンは言った。「弟の血を流してはいけない。弟を荒野の、この穴に投げ込みなさい。手を下してはいけない。」これは、ヨセフを彼らの手から救い出し、父のもとに帰すためであった。 23ヨセフが兄たちのところに来たとき、彼らは、ヨセフの長服、彼が着ていたあや織りの長服をはぎ取り、 24彼を捕らえて、穴の中に投げ込んだ。その穴は空で、中には水がなかった。 25それから、彼らは座って食事をした。彼らが目を上げて見ると、そこに、イシュマエル人の隊商がギルアデからやって来ていた。彼らは、らくだに樹膠(じゅこう)と乳香と没薬を背負わせて、エジプトへ下って行くところであった。 (※ずっと画面は聖書、指さし読みつつ説明)
「血は流さずに、穴に放り込むだけで十分じゃないか」と(***提案した。22節) そこで(※23節ヨセフのよそ行きの洋服、綾織りの長服をはぎとって)、みんなで穴に放り込んだ。(***24節) ルベンは、後からヨセフを救い出して、父のもとへ帰すつもりだったんですね。(***22節)
事が終わった後に、兄弟たちは、みんな座って食事をして楽しむわけです。(***25節) その場にルベンはいませんでした。 そこに、イシュマエル人の隊商が――というのは、商人の部隊ですよね。エジプトに下って行く途中、通り過ぎるわけです(***25節)。
【画面:創世記37章26〜35節。26節「ユダ」28節「銀二十枚でヨセフをイシュマエル人に売った」に水色のハイライト。29節「ルベンが穴の所に帰って来ると」31節「彼らはヨセフの長服を取り〜その血に浸した」34節「ヤコブは自分の衣を引き裂き〜嘆き悲しんだ」35節「私は嘆き悲しみながら〜下って行きたい」に水色ペンの傍線】
<創世記37章26〜35節> 26すると、ユダが兄弟たちに言った。「弟を殺し、その血を隠しても何の得になるだろう。 27さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが手をかけてはいけない。あいつは、われわれの弟、われわれの肉親なのだから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。 28そのとき、ミディアン人の商人たちがと要りかかった。それで兄弟たちはヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でヨセフをイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。 29さて、ルベンが穴のところに帰って来ると、なんと、ヨセフは穴の中にいなかった。ルベンは自分の衣を引き裂き、 30兄弟たちのところに戻って来て言った。「あの子がいない。ああ私は、私は、どこへ行けばよいのか。」 31彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎを屠って、長服をその血に浸した。 32そして、そのあや織りの長服を父のところに送り届けて、言った。「これを見つけました。あなたの子の長服かどうか、お調べください。」 33父はそれを調べて言った。「わが子の長服だ。悪い獣が食い殺したのだ。ヨセフは確かに、かみ裂かれたのだ。」
彼らに兄の一人のユダが提案します(***26節)。 「そうだ、弟を殺して血を隠しても何の得にもならない。このイシュマエル人たちに売ってしまおう、奴隷として。」(***27節) そうしてヨセフは銀貨20枚で売られていくんですね(***28節)。 後から救い出そうと考えていた兄のルベンが穴の所に帰って来ると、ヨセフはいませんでした。(***29節) もうエジプトへ下って行く商人たちの手に売られた後でありました。
当時の資料を見ますと、奴隷の売買は銀貨三十枚です。 ですからそれよりも安く銀貨二十枚で売られていく(***28節)という、このヨセフの心境について聖書は触れてないです。何も書いてない。 兄さんたちは考えました。 「長服を引き裂いて、雄やぎを屠って、その血を洋服にくっ付けて(31節)、父親の所に持って帰って言おう――動物に殺されましたと。」
実際にそうした時、父ヤコブの嘆きが書いてあります。34節―― 34ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、何日も、その子のために嘆き悲しんだ。 35彼の息子、娘たちがみな来て父を慰めたが、彼は慰められるのを拒んで言った。「私は嘆き悲しみながら、わが子のところに、よみに下って行きたい。」こうして父はヨセフのために泣いた。
「私は歎き悲しみながら、息子と一緒に死にたい」と(***35節)、 誰の慰めも彼は受け付けることがない程、彼(ヤコブ)は悲しみました。
いいですか。私たちの人生はこれほどではないかも知れない。 簡単に復習しますとね―― 人生は複雑、そして家族は複雑。 そこに時に妬みや、嫉妬や、憎しみや、 分かっていながらヨセフは二度、「こんな夢を見ました」と、神経を逆なでするような夢を兄さんたちにわざわざ告げます――言わなくてもよかったんですよね。
父は自分には責任がないんですが、ヨセフのためにいつもベストな服を用意して、彼だけを可愛がります――それはヨセフには何の責任もない。
それら全部が一つの結末に行くんですよ。 それはある時兄さんたちが、ヨセフを殺しにかかる。殺されずに済みました。 ルベンは何とかして洞穴に。 でもルベンがいない間に、イシュマエル人の商人たちに売られ、エジプトへと奴隷としてヨセフは売られて行きますね。 その結果をごまかすために「動物によってかみ殺されました」と、その長服に血をつけて父親の所に持って行ったら、父親の悲しみはもうあまりにも酷くて、 「私も一緒に息子と一緒に死にたい。」
これがヨセフ物語のはじまりなんですよ。 私たちは有名なローマ人への手紙の言葉を知っています。 これが三番目になりますけれども、開かなくても――(※覚えてるままの聖句を語る藤本牧師) 「神を愛する人たち、すなわち御心に従って召された人たちのために、すべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」です。
3)神の摂理は、人生の最悪の状況の中に働く。
<ローマ人への手紙の8章の28節> 28神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
私たちはあの言葉を、摂理のみことばとして用います。 神を愛する人たちのためには、様々な事柄を神さまは相働かせて、益としてくださる。 その人物の益としてくださることを、私たちは信じています。 しかし、摂理のテーマで描かれているヨセフ物語を見ますと、すべてのことを働かせて益としてくださる、そのすべての中に良い要素は一つもないです。 全部悪い要素です。 そして今見たところ、知る限りにおいて、ヨセフに偉大な信仰があったとは書いてありません。 どんなどん底でも、神さまは守ってくださるとヨセフは信じていた、と書いてないです。 彼は涙の内に、兄たちに殺されかけて、エジプトに下って行く。 そしてエジプトで待ってるのは、これまたとんでもない状況なんですよね。 すべてのことを働かせて益としてくださると、われらは知ると言いながら、このすべてのことに悪い要素しかない。 これをどういう風に、神さまは働かせて、益としてくださるのか、さっぱり分からない。 そういう中で、神の摂理は本当の力を発揮していくんだなぁということを、信じ続けていくのが信仰者なんだなぁということを、まず初めに覚えていただきたいと思います(アーメン)。
☆お祈りをいたします――藤本牧師 恵み深い天の父なる神さま、良いことも悪いこともあなたは全部、全部相働かせて益としてくださると信じていますが、時に悪いことしかないじゃないか、これをどのように働かせて益としてくださるのだろうか? 神さま、あなたは仰います。「それはあなたにはできないことですが、神にはそうではありません。神にはどんなこともできるのです。わたしはすでにあなたの人生の先を見ている」と。 そのあなたについて参ります。そのあなたについてエジプトに下ります。そのあなたについて、エジプトから連れ上っていただきます。どうか一年間よろしくお願いいたします。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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