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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   1/23 ヨセフ(2)不幸を嘆かないヨセフ 創世記39:1〜18
☆聖書箇所  創世記39:1〜18
1一方、ヨセフはエジプトへ連れて行かれた。ファラオの廷臣で侍従長のポティファルという一人のエジプト人が、ヨセフを連れ下ったイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。
2【主】がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。
3彼の主人は、【主】が彼とともにおられ、【主】が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。
4それでヨセフは主人の好意を得て、彼のそば近くで仕えることになった。主人は彼にその家を管理させ、自分の全財産を彼に委ねた。
5主人が彼にその家と全財産を管理させたときから、【主】はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を祝福された。それで、【主】の祝福が、家や野にある全財産の上にあった。
6主人はヨセフの手に全財産を任せ、自分が食べる食物のこと以外は、何も気を使わなかった。しかもヨセフは体格も良く、顔だちも美しかった。
 7これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「一緒に寝ましょう」と言った。
8しかし彼は拒んで、主人の妻に言った。「ご覧ください。ご主人は、家の中のことは何でも私に任せ、心配せずに全財産を私に委ねられました。
9ご主人は、この家の中で私より大きな権威をふるおうとはせず、私がするどんなことも妨げておられません。ただし、あなたのことは別です。あなたがご主人の奥さまだからです。どうして、そのような大きな悪事をして、神に対して罪を犯すことができるでしょうか。」
10彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが、彼は聞き入れず、彼女のそばに寝ることも、一緒にいることもしなかった。
 11このようなある日のこと、彼が仕事をしようとして家に入ると、家の中には、家の者が一人もいなかった。
12彼女はヨセフの上着をつかんで、「一緒に寝ましょう」と言った。しかしヨセフはその上着を彼女の手に残し、彼女から逃れて外へ出た。
13彼が上着を彼女の手に残して外へ逃げたのを見ると、
14彼女は家の者たちを呼んで、こう言った。「見なさい。私たちに対していたずらをさせるために、主人はへブル人を私たちのところに連れ込んだのです。あの男が私と寝ようとして入って来たので、私は大声をあげました。
15私が声を上げて叫んだのを聞いて、あの男は私のそばに上着を残して、外へ逃げて行きました。」
16彼女は、ヨセフの主人が家に帰って来るまで、その上着を自分のそばに置いておいた。
17彼女は主人に、このように告げた。「あなたが私たちのところに連れて来た、あのへブル人の奴隷は、私にいたずらをしようとして私のところに入って来ました。
18私が声をあげて叫んだので、あの男は私のそばに上着を残して、外へ逃げました。」

☆説教 ヨセフ(2)不幸を嘆かないヨセフ
さて、ヨセフの物語の2回目、前回が37章。
そしていきなり1章飛ばしまして39章の頭に――「一方、ヨセフはエジプトへ連れて行かれた」と始まるところから、2回目を始めていきます。

「一方」とあるように、「他方」があります。
その他方の出来事というのは、実は38章に書いてあります。
ヨセフの兄ユダの家族のことが記されています。
ユダは、ヨセフをエジプトに奴隷として売ってしまおう、と提案した人物でありました。
ユダに罪悪感が残ったのでありましょう。兄弟の間でもギクシャクが残ったのでありましょう。父のもとで暮らすことはできませんでした。

ユダは一人離れて暮らし始めている、というのが実は今日飛ばしました38章であります。
ユダはカナン人の女性をめとり、三人の息子を儲けます。
非常に複雑に物語が書いてあるので、私も短い時間で説明できませんから、申し訳ありません、飛ばしました。

長男はエル、次男はオナンですが、次々にこの二人は召されてしまいます。
聖書には、「【主】の目に悪しき者であった」と、この二人が(創世記38:7,10)。
それで【主】は彼らのいのちを奪われたと記されています。
長男エルの奥さんタマルが残されました。
本来ですと――当時の習慣から考えますと――三男シェラが長男の嫁さんタマルを妻として迎えますけれども、父親のユダはそれを嫌いました。
ということは未亡人になってしまったタマルは放置されてしまいます。

タマルは遊女に変装して、なんと義理の父ユダのところに入ります。
非常に複雑になってしまいました。
ユダの人生というのは、弟ヨセフを売ってしまったことを悔いた人生なのかもしれません。
でも自分のした悪事を悔いた、というそぶりはありません。
一言でいうと、ユダの方はどんどん神さまのもとから離れて行き、家族全体が悲惨な結末に至ったとしか書いてないです。

そして39章が始まる時(1節)に、「一方、ヨセフはエジプトに連れて行かれた。」
じゃ、そのエジプトに連れて行かれたヨセフはどうだったのか?
3つ確認したいと思います。

1)ヨセフはエジプトで真実を尽くします。

奴隷として売られて行った彼を買い取ったのは、ファラオの廷臣ポティファルでありました。以前はポテパルですかね?(※第2版以降はいずれもポティファルですが、絵画の説明などではよくポテパルと見かけますね)
2節をご覧いただきます。【画面:創世記39章2〜4続けて読む】
<創世記39章2〜4>
2【主】がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。
3彼の主人は、【主】が彼とともにおられ、(主)が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。
4それでヨセフは主人の好意を得て、彼のそば近くで仕えることになった。主人は彼にその家を管理させ、自分の全財産を彼に委ねた。

こう、エジプトに売られて行ったヨセフのことが記されています。
「ポティファルは神がヨセフとともにおられるのが分かった」と書いてありますけれども、
エジプト人ですから、ヨセフの神のことは分かりません。
ヨセフがしょっちゅう神さまに祈っていたということも実は記されていません。
そうなのかもしれません。

しかし、父ヤコブの複雑な家庭の事情の犠牲となり、兄弟の嫉妬によってエジプトに売られて行ったヨセフは十七歳。哀れなヨセフ。
その哀れな「ヨセフと神はともにおられた」(2節)という。

私たちは時に自分自身の人生が哀れだと思うことがあるでしょう。
でも哀れな時に、「神はあなたと共におられる」という認識があるかないかで、全然違います。
ということを少し話して行きますね。

ヨセフは主人に気に入られた。主人に愛された。主人の信頼を勝ち取った。そして家の管理、全財産の管理をするようになったということです。(4節)
もう絶大な信頼ですね。
一言で神さまの祝福なんでしょう。でもヨセフにとりまして、それはヨセフを包む大きな背景となった。

「【主】が共におられる」「【主】が祝福してくださる」ことを、ヨセフがしょっちゅう証ししたわけではありません。
神さまに祈っている姿をしょっちゅうみんなが見ていたわけではありません。
彼はただ単純に、自分に与えられた仕事を真実に誠実にこなしていたんですね。
そういうヨセフの背後に、【主】の大きな憐れみがあったということなんでしょうね。

もう少し現実的に言いますと、
@ヨセフは自分の悲惨な現実を受け入れたということです。
Aその現実の中でベストを尽くした。
Bその結果として主人の好意を得られるようになった。
というのは、ヨセフの涙ぐましい努力の結果でありましょう。

こういう風に考えると分かると思います。
本来なら、悲惨な現状で卑屈に生きるという選択肢がヨセフにありました。
でも彼は自由人のように、自由人のように、仕事に励みました。

そしてその優しい人柄、素早い判断力、適応力。
その積み重ねによって、主人はヨセフに全財産を管理させました。
そしてそのすべての背景に神の祝福がありました
という、そういうことなんじゃないですか?

今朝の礼拝に、久しぶりにM姉が来ておられます。
TC病院の看護師さんでいらっしゃいました。
私(藤本牧師)がかかりつけの病院で、M姉が「そろそろ総合病院はしんどいから退職します」と連絡いただいた時に、私は思わず「あ、Mさんが看護師の間に、あの病院に入院するのが夢でございました」と返事をいたしました(笑)。
「きっと私が入院したら、しばしばMさんは差し入れを持って来てくださるだろうなぁ」(笑)という想像をしておりました。

Mさんが看護学校にいらっしゃったのは40歳の時ですよ。
学科があり、実習があり、そして総合病院に就職されました。
その間、ご主人はほとんど単身赴任。よく単身赴任先から高津教会に日曜日、帰って来られました。
今は息子さん、Yくんは脳外科医ですね。お嬢さん、Mちゃんは看護師さんをしておられます。

今日礼拝に来られたのは、昨日がTC病院での最後の勤務だったからですね。
40歳にして看護学校に行くっていうのは、ちょっと私には想像ができないですね。
つまり国家資格ですから、ものすごく覚えなければいけないものが多い。
全く新しい世界ですね。
そして申し訳ないんですけれど、TC病院の病棟は、割とごちゃごちゃですよね(笑)。
凄く狭くて、人が行き交い、その患者さんは――私のような人間がいますので、高津には――割と厄介な人が多いのではないかと思いますし、高津教会の人がTC病院に入院すると、M姉は助けてくださいました。

Mさんだけではないです。
私たちのほとんどは、この世にあって、時にヨセフのような理不尽さと闘いながら、それでも真実に、誠実に仕事をすることによって、成功を得ていきます。
別に毎日みんなに向かって、「自分はクリスチャンです、神さまの恵みです」と証しをするわけではありません。
でも、皆さんの働きの大きな背景として、神の祝福があったということなんでしょう。

2)自分を聖く保つヨセフ

ポティファルの妻が、ヨセフに目をつけて誘います。
7節に「一緒に寝ましょう」と、執拗な誘いでありました。
【画面:創世記39章7節】
 7これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「一緒に寝ましょう」と言った。

目をつけられた。断っても断っても、ということでありましょう。
ヨセフは、9節の最後にこうありますね。
【画面:創世記39章9節最後を指さして読む】
「どうして、そのような大きな悪事をして、神に対して罪を犯すことができるでしょうか。」

どういうことか?いいですか。
@ヨセフは、悪事を悪事として理解していました。――まずこれが大切ですね。
A10節、執拗に迫るポティファルの妻に対して、「彼は聞き入れず、そばに寝ることも、一緒にいることもしなかった」と書いてある。
自分を聖く保つために、守るために、彼はできる限りのことをした、ということですね。
「そばにいるとまずいなあ」「一緒にいるとまずいなぁ」――ヨセフは悪事を悪事として理解したら、そこから距離を保つことを努力いたしました。
それがヨセフが祝された理由なんでありましょう。

創世記にアブラハムの甥のロトが出てまいります。
ある時二人は、別々の方向に別れて進んでいくことになりました。
ロトはソドムの町の近くに天幕を張った、と書いてあり(創世記13:12)、しばら〜くロトは登場いたしません。
5章位飛んで次にロトが出て来る時に、なんと彼はソドムの町の門に座っています(創世記19:1)。

ソドムの町がどれほどの悪の町であったか、ということはロトは知っていたんです。
でも悪の町であると同時に、ソドムの町は繁栄もしていました。
先ずは近くに天幕を張り、やがてソドムの町に住んでしまうというのが、私たちの傾向なのかもしれません。

でもヨセフは、ポティファルの妻のことで、主人に告げ口をする立場にはない。
したところで、彼は裏工作にはめられてしまうでしょう。
彼がしたことは一つだけです。
自分を悪事から遠ざけて、自分を聖く守った。

他の人を聖く保つことはできません。
しかし自分を聖く保つこと――それも簡単ではない中、彼は頑張りました。

でも誘惑の手はしつこいです。
11節の後半見てください。(※後半を指さす)
【画面:創世記39章11〜18節を読みながら説明】
 11このようなある日のこと、彼が仕事をしようとして家に入ると、家の中には、家の者が一人もいなかった。
12彼女はヨセフの上着をつかんで、「一緒に寝ましょう」と言った。しかしヨセフはその上着を彼女の手に残し、彼女から逃れて外へ出た。

ポティファルの妻は、ヨセフの上着をつかんで誘います。
ヨセフはその上着を脱ぎ捨てました。
すると、ポティファルの妻は14節、ヨセフの上着を取っておきました。

14彼女は家の者たちを呼んで、こう言った。「見なさい。私たちに対していたずらをさせるために、主人はへブル人を私たちのところに連れ込んだのです。あの男が私と寝ようとして入って来たので、私は大声をあげました。

すると、ポティファルの妻は(16節)「ヨセフの主人が家に帰って来るまで」――その上着を取っておきました。
取っておいて、夫が帰って来ると、それを差し出して、夫に訴えます。17節――

17彼女は主人に、このように告げた。「あなたが私たちのところに連れて来た、あのへブル人の奴隷は、私にいたずらをしようとして私のところに入って来ました。
18私が声をあげて叫んだので、あの男は私のそばに上着を残して、外へ逃げました。」

ヨセフにしてみれば、どうしようもなかったんですね。
もしかしたらこういう結末は予測できたのかもしれないですね。
でも奴隷の身分で何もできませんでした。

主人は彼に失望するだけではない。彼に裏切られたと解釈して、彼を投獄いたします。

ああ、こういう結末なんだ!という結末を皆さんも体験いたします。
ある教会員の方が、話してくださいました。
長く務めた会社で、自分は派閥の争いに巻き込まれた。
自分は別に、どちらの派閥に入っていたわけではない。
でも誤解されて、こちらの派閥でなければ絶対あちらの派閥だ、という風に誤解されて、最終的に勝った派閥から、制裁として別会社に出向を命じられます。
全く違う世界でした。
しかし、しばらくして、良きことが出向先の会社で待っていることになります。

私たちにしてみると、ま、サラリーマンでも、自営業でも、どうすることもできない問題っていうのがあるんですね。
そこでうまく立ち回って、どちらが強いのか、その派閥で。
そして強い側につく、ということもできるのかもしれません。
でも自分はそういうことをしたくない。
結果的に誤解されて、どこかに出向させられてしまうってことは十分にあり得るでしょう。
でも神さまの大きな背景が後ろにある時に、その出向先で良きことが待っているということもあるんですね。

3)不平を言わないヨセフ

自分の悲惨な状況に嘆かないヨセフ-――これはヨセフ物語の特徴です。
理不尽な目に遭いながらも、ヨセフは嘆かない。
もしかしたら嘆いていたのかもしれません。そして物語の記者はそのヨセフの嘆きを落としたのかもしれません。
そんなことは分かりません。
奴隷に売られて毎日のように泣いていて、こういう罠にはまって――それは物語の書き方によるんでしょう。

でもそういう風に言われれば、私たちも、私たちの人生の物語の書き方によるんですね。
同じ現実であっても、「不平不満と嘆きだけを挙げ連ねる」書き方をして、自分の人生を表現することもできれば、
その中で、《見つかるところの神さまの祝福を取り上げ、そして忍耐をもって、自分の人生の書物から不平不満を取り払ってしまう》という書き方もできないわけではないです。(アーメン)
それが私たちの自分自身の人生に対するものの見方なんですね。
或いはものの見方というよりも、《生きる姿勢》なんだろうと思います。
ヨセフ物語、ヨセフの生きる姿勢というものを考えると、
自分の背後にある大きな神の祝福という背景、それに信頼し、それに守られているということが、物語の書き方ではありませんか?

前回学びましたように、「神の摂理は、良きことと悪しきことと相働かせて益としてくださる」と、こう考えがちですが、
ヨセフの物語の最初には、悪しきことしか出て来ないですね。
今日も結局のところは、投獄で終わります。
しかしヨセフは降りかかる不幸を、嘆いているという場面は出て来ないですね。

今朝詩篇朗読のために、戸塚先生が選んでくださった詩篇の42篇をちょっと見ていただきたいと思います。
ここに、今日の説教の最後に見ていただきたい言葉があります。42篇の最後11節――
<詩篇42篇11節>※5節も同じみことばです。
11わがたましいよ
  なぜ おまえはうなだれているのか。
  なぜ 私のうちで思い乱れているのか。
    神を待ち望め。
    私はなおも神をほめたたえる。
    私の救い 私の神を。

戸塚先生のお祈りの中で、「自分自身のたましいに問うている」と、そういうフレーズがありました。
「わがたましいよ なぜ おまえはうなだれているのか。なぜ 私のうちで思い乱れているのか」
というのは、ヨセフの姿だったんでしょうね。
でもヨセフはどこかで、自分の人生の描き方として、
「神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い 私の神を」
と、《忍耐をもって、前を向く。希望を神に託して前を向く》ということを、彼は知っていたからこそ、ヨセフ物語には、不平不満・嘆きの言葉は、ヨセフの口から出て来ない。

私(藤本牧師)は実際、現実にそうであったのかというのは分からない。
でも物語はそういう風に書かれているとしたならば、私たちも人生の物語をできるだけそういう風に書きたいと思う。
それは《神を待ち望むという信仰の期待感の中で、自分に起こる様々な出来事を昇華》できたら感謝だなぁと思います。

☆お祈りいたします――藤本牧師
11わがたましいよ なぜ おまえはうなだれているのか。なぜ 私のうちで思い乱れているのか・・・・・・(詩篇42:11)

恵み深い天の父なる神さま、そのようなことばかりであります。ヨセフは結局のところ、信頼を勝ち得たものの、裏切られて投獄されていきます。でも彼はいつも誠実に、不平不満に溺れていくことなく、前を向いてあなたに信頼して生きていく姿が描かれています。

私たちも真実を尽くすことができますように。また失望から立ち直る事ができますように。そして何よりも、その失望の先に待っているあなたの祝福を思い描くことができますように助けてください。愛するイエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2022.01.23 - 20:24
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