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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   2/20 戸塚伝道師:《永遠のいのち》のプレゼント ルカ10:25〜37
☆聖書箇所  ルカ10:25〜37
  25さて、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試みようとして言った。「先生、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」
26イエスは彼に言われた。「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
27すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」
28イエスは言われた。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
29しかし彼は、自分が正しいことを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とはだれですか。」
30イエスは答えられた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下って行ったが、強盗に襲われた。強盗たちはその人の着ている物をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
31たまたま祭司が一人、その道を下って来たが、彼を見ると反対側を通り過ぎて行った。
32同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
33ところが、旅をしていた一人のサマリア人は、その人のところに来ると、見てかわいそうに思った。
34そして近寄って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って介抱した。
35次の日、彼はデナリ二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
36この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」
37彼は言った。「その人にあわれみ深い行いをした人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って、同じようにしなさい。」

☆説教 《永遠の永遠のいのち》のプレゼント
皆さん、おはようございます。(※カメラの方を向いて)皆さんと言っても、圧倒的にオンラインで共に礼拝の時間を持っておられる方々が多数だと思いますけれども、私(戸塚伝道師)はここに立つと、教会堂はガランとしている状況で、でもその背後にもう200名近くの方々がこの時間共に礼拝に参加されているということを覚える時に、《ああ、私たちは一つなんだ》ということを改めて感じさせられることでございます。

(※にこやかに続けて)今日の讃美動画の最初で、「こんな時ですけれども、私たちは神さまを見上げて讃美しましょう」という第一声がありました。こんな時だからこそ、神さまを見上げて讃美する――それを忘れたくないと思います。今ここには集っておられない圧倒的多数のお一人お一人、私たちは今週も共に助け合い、共に祈り合い、支え合って歩んで行きたいと思います。

今日のみことばですけれども、新約聖書のルカの福音書第10章の25節〜37節。
「《永遠のいのち》のプレゼント」と題して、共に思い巡らしをしていきたいと思います。
3つの視点で見ていきたいと思います。

1)良きサマリア人のたとえ

これは有名なたとえ話ですね。ここから教会学校のお話も沢山為されて来ました。

でもこの「良きサマリア人のたとえ」は単独で語られたものではなくて、一つの流れの中で語られているということが分かります。
それは、10章の25節をご覧いただきますと、律法の専門家の質問から始まるイエスさまとのQ&A、質問と答えのやり取りで成り立っている、この部分があるということを覚えたいと思いますが、この部分を読んで行きたいと思います。

 25さて、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試みようとして言った。・・・

「イエスを試みようとして」――動機は純粋ではなかった。
イエスさまを何とか貶めようとする質問を投げかけたのがこの第一声でありました。
「先生。何をしたら、《永遠のいのち》を受け継ぐことができるでしょうか。」(25節)
イエスさまは、この律法の専門家の動機を百も承知であったので、イエスさまは直接質問には答えておられません。
逆に相手に質問をして、自ら考えた答えを言わせている――それが分かります。
「何をしたら、《永遠のいのち》を受け継ぐことができるでしょうか?」
イエスさまは仰いました。「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」(26節)
すると彼は答えた。「神さまと人を愛しなさい、と書いてあります。」(27節)
イエスさまは言われました。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすればいのちを得ますよ。」(28節)

でもイエスさまとのやり取りはこれで終わりませんでした。
律法の専門家は二回目のQ&Aを行っています。29節――

29しかし彼は、自分が正しいことを示そうとしてイエスに言った(※二回繰り返す戸塚伝道師)。「では、私の隣人とはだれですか。」

この「自分が正しいこと」というのは、「私は実行しているんです。だから隣人って一体誰か、教えてください」とイエスさまに質問をしています。
何を実行していたのか?それはこの律法の専門家は、隣人をユダヤ人・同胞であると捉えていました。
だから「私はその人を隣人を愛している」――だから「自分が正しいことを示そうとしてイエスに言った。
「では、私の隣人ってだれですか?」と。
イエスさまは、それに直接答えられないで、この「良きサマリア人のたとえ」を語られたわけですね。
そして語られた後、36節「この三人の中で、だれが強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか?」と質問して、37節、律法の専門家が答えています。
「その人にあわれみ深い行いをした人です。」
するとイエスさまは仰いました。「あなたも行って、同じようにしなさい。」

「良きサマリア人のたとえ」はこのような流れの中で語られていた譬えだということが分かります。
この律法の専門家の第一声、「先生。何をしたら、《永遠のいのち》を受け継ぐことができるでしょうか?」というこの質問をよ〜く読んでみますと、「何をしたら」という言葉にこの律法の専門家がこだわっているのではないかと思われます。
「何をしたら《永遠のいのち》を受け継ぐことができるでしょうか?」(ルカ10:25)

私たちは何をしたら良い結果が得られるかということを知りたいものです。
どうすればいい結果が得られるだろうか?何をしたら希望通りになるだろうか?
所謂How toが知りたいのですね。

礼拝時間が一時間になるということを聞いて(笑)、私(戸塚伝道師)はどうしようかと思いました。
どうしたら、何をしたら、説教時間が短くなるでしょうか?
その方法を(笑)知りたいなぁと思いました。
説教原稿を書きなさい。例話の数を減らしなさい。序論や本論、結論のバランスを考えなさい。知識的には色々なことがあると思います。何をしたら。
でも実際問題として、それがなかなかできない――それが今の私(戸塚伝道師)です。
でも、【30分以内に何とか説教を治める】という訓練を(笑)今年させていただきたいと心に決めました。

「何をしたら」、私たちは「何をしたら、こうなる」ということを求めております。
私たちはそれによって、いい結果を沢山得ることができるような、そういう経験をしますけれども、
この律法の専門家の「何をしたら?」というのは、それとは質が違う「何をしたら」でした。

この律法の専門家は、《永遠のいのち》も何かをした結果、手に入れることができる、と考えていました。
ここに一つの大きな問題点を、イエスさまは感じられたのではないだろうかと思います。
律法の専門家ですから、律法を守る事によって救いが得られる――そういう価値観に立っていたと思われます。
《永遠のいのち》も何かをした結果、その報酬として手に入れることができる。
このことをイエスさまは見据えた上で、律法の専門家に逆に質問して「良きサマリア人の譬え」を語るわけですね。
「何をしたら?」
「あなたが見事に答えたことを実行しなさい。そうすればいのちを得ますよ。」
「何をしたら?」
「そんなに言うなら、あなたが忌み嫌うサマリア人がしたように、あなたも憐れみ深い行いをしなさい。」
とイエスさまは仰るわけですね。

でもイエスさまがほんとに言いたかったことは何か?それは――
「あなたの答えは正しい。でもその通り実行できないでしょう?無理でしょう?」
「いや、実行しています。ユダヤ人、同胞を隣人だと思って愛しています。」
そこで(イエスさまは)「サマリア人の譬え話」をした後に、「あなたも良きサマリア人と同じようにしなさい」と言ったその裏には、
「あなたは良きサマリア人と同じようにはできないでしょう?憐れみ深い行いは無理でしょう?」っていうイエスさまの暗黙な言葉が、そこに秘められているのではないかと思うんですね。

そうしますと、「あなたも行って、同じようにしなさい」(ルカ10:37)という言葉が、
この話の流れの中でよ〜く読んでみますと、全然違った風景に見えて来るんですね。
「あなたも行って、同じようにしなさい。それは無理でしょう?何かすることでは、《永遠のいのち》を受け継ぐことはできないんですよ」
このことをイエスさまは、この律法の専門家に一番言いたかったのではないかと思うんです。
恐らく、この律法の専門家はイエスさまの言葉にカチンと来たと思います。
この後、何も書かれていません。

2)では、《永遠のいのち》それはどのようにして受けるのでしょうか?――それは《永遠のいのち》はプレゼントである、ということなんですね。

何をしたら、《永遠のいのち》を受けることができるか?
誤解を恐れずに申し上げるならば、何もしなくていいんです。
何もしなくていい。《永遠のいのち》を受けるためには。
なぜ?イエスさまがしてくださったからです。
天の父なる神さまが、イエスさまを救い主として与えてくださったからです。
私たちは《永遠のいのち》を受け継ぐためには、何もする必要がない。
そもそも私たちは救われるためには、何もできない者なんです。
それ程までに、私たちはどうしようもない罪人。
だからイエスさまが十字架にかかってくださいました。

何の資格もない者に、神さまがこの《永遠のいのち》をプレゼントしてくださいました。
ローマ人への手紙6章の23節にこういうお言葉が在ります。

<ローマ6:23>
23罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

ここに「神の賜物は」とあります。
神の賜物は、主イエス・キリストにある《永遠のいのち》。
賜物、それはプレゼントです。神さまからのプレゼントです。すべての人に備えられているプレゼントです。
このすばらしいプレゼントは、私たちの努力や行動ではなく、向こうからやって来る、神さまの方からやって来る。
そして神さまがぜ〜んぶお膳立てしてくださった。
イエスさまの十字架と復活によって、私たちの主キリスト・イエスにある《永遠のいのち》です。
私たちはそのプレゼントを前にどうすればいいか?
「いただきます」と言ってプレゼントに手を伸ばせばいいわけですね。

小学校3年生を担任していた時に、給食を前に質問したことがありました。
「いただきます」って、みんな言うけれど、「いただきます」ってだれに向かって言っている言葉なの?「いただきます」って。
ある子は言いました。
「給食を作ってくださった人に向かって『いただきます』って言っている。」
別の子は言いました。
「いや、給食費を払ってくれる家の人に向かって、『いただきます』と言っている。」
ある子は言いました。
「いや、ここにこれから食べようとしている物は、肉も魚も野菜も全部いのちがあるもの。そのいのちを『いただきます』という気持ちで言っているんだ。」
と答えた子もいました。ああ、そうか――「いのちをいただきます。」
でも、神さまに向かって「いただきます」と言っている、という子は(笑)さすがに一人もいませんでした。

でも「いただきます」というのは、一方的に備えられたものをありがたく頂戴するっていうことですね。まさにプレゼント。
神さまからいただいたプレゼント。それを「いただきます」って言って、包みを開ける。中にすばらしいものが入っている――それは《永遠のいのち》というプレゼントなのだ。

私たちもその包みを開けました。
まだ包みを開けてない方々が沢山おられる。なんと勿体ないことでしょうか! 
その方々も、いつか何かのきっかけで、目の前に既に備わっている、私たちの主キリスト・イエスにある《永遠のいのち》というプレゼントを、開けていただきたいと願わずにいられません。

3)それでは《永遠のいのち》とは一体何なのでしょうか?

考えてみれば、《永遠のいのち》って、一体なんだか掴みどころのないものですね。
目には見えませんし、何かすごいいのちを体験した、持ったという実感がありませんし、でも、《永遠のいのち》を神さまの賜物としていただいた、というそのことは確かであります。
新約聖書にはこの《永遠のいのち》という言葉が43回出て来るそうです。
私(戸塚伝道師)が数えたわけではありません。
43回も《永遠のいのち》という言葉が出て来る。
その一つ一つをよく読んで行けば、《永遠のいのち》がどういうものなのか、なんとなく分かって来るのではないでしょうか?

それは肉体のいのちとは別のものでしょう。
新しいいのちです。神さまがくださった新しいいのちです。
でもその《永遠のいのち》があまりにも掴みどころがないために、あんまり意識しないでありがた味もあまり感じないで、毎日生活しているのではないかと思うんですね。

で、43回も出て来る《永遠のいのち》。新約聖書に出て来る《永遠のいのち》。
一つ目はローマ人への手紙6章23節でお話ししましたけれども、あと3つ、その《永遠のいのち》それはどんなものか、みことばから見ていきたいと思います。

@死後のいのち――ヨハネ3:16
16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

「一人として滅びることがなく、永遠のいのちを持つためである」――この永遠のいのちは死後のいのち。それこそ永遠に生きることができる滅びないいのちです。

A信じた時に与えられた新しいいのち――ヨハネ6:47
47まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。

ここでは死後のいのちではない。今信じた者に与えられているいのち。
私たちは今その《永遠のいのち》を持っている。ああ、そうなんだ。
イエスさまがはっきりと宣言しておられる。
「信じる者は永遠のいのちを持っています」(ヨハネ6:47)
それでも《永遠のいのち》って何か?っていうのが分からない。ほんとに曖昧なものです。

Bヨハネ17:3
3永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。

いのちの源である神さまとイエスさまを知ることが、《永遠のいのち》なんだとここに書かれています。
神さまとイエスさまを知る――「知る」とはどういうことでしょうか?
「知る」というのは交わるということです。単に信じているだけではなくて、神さまと交わる。人格的に交わる。
人格的に交わるということはどういうことか?
それは今私たちが神さまに礼拝を捧げている。そして神さまのお言葉を読んだり聞いたりする。そして神さまにお祈りをする。神さまと共に歩む――これが人格的な交わり。
この人格的な交わりが「知る」という意味です。
このような交わりの状態――神さまと深い人格的な交わりをしている状態が《永遠のいのち》なんだとイエスさまは仰っている。

考えてみれば、すごいプレゼントを神さまからいただきました。
恐らく掴みどころがないというのは、言葉で表現することができない程すばらしいものではないかと思う。
でも確かに、与えられていることは事実です。
その《永遠のいのち》、神さまからいただいたそのいのちに生かされて、歩んでいくことができる――それが私たち信仰者であります。

私たちはもっともっとその《永遠のいのち》を自覚し、実感して生きたい。
生活のただ中で、大変な状況のただ中で、
「私たちは《永遠のいのち》をいただいているんだ。
そしてその《永遠のいのち》に生かされているんだ。
神さまと交わり、神さまと深い恵みの中に、私たちは共に歩む仲として生かされているんだ。」
そのことを深〜く実感して生きたいと思うんですね。

最後にあの星野富弘さんの詩を紹介して終わりたいと思います。
  ****いのち一式****
新しい命一式 ありがとうございます
大切に使わせていただいておりますが
大切なあまり仕舞いこんでしまうこともあり
申し訳なく思っております

いつもあなたが見ていて下さるのですし
使いこめば良い味も出て来ることでしょうから
安心して思い切り
使って行きたいと思っております

☆お祈りいたします――戸塚伝道師
イエスさま、私も良きサマリア人と同じようにはできないものです。にもかかわらず、いやそうであるがゆえに、あなたは十字架で死なれ、三日後に復活されました。そして何の資格もない私たちに永遠のいのちをプレゼントしてくださいました。ありがとうございます。今週も日常生活の様々な場面で、あなたがくださったこのいのちに生かされ、このいのちを十分に用いて、恵みを味わうことができますようにお導きください。あなたのお名前で父なる神さまにお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2022.02.20 - 23:01

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