☆聖書箇所 黙示録3:20
20見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
☆説教 共に食事をする
先ほど読んでいただいた黙示録に、「わたしは戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」という聖書のことば、キリストのことばがあります。
子どもたちはもう目いっぱい歌っていますので、ちょっと子どもたちはよく聞いていただきたいと思います。 少し前にね、先生、神戸に行ったの、お仕事でね。夜九時頃着いて、晩御飯まだだったので、晩御飯どうしようかなと思ってホテルの前にいたら、ずら〜っと(行列して)並んでいるラーメン屋さんがあったの。 でもラーメン屋さんの看板に和歌山ラーメンって書いてあった。 神戸に来て和歌山ラーメンは、どうなんだろう?と思って、ちょっと迷っっていました。
まあ、すぐ後ろに東京から来たビジネスマンの青年が二人いて、 「ここで間違いないっすよね?」と言っていたのね。 おう、東京からでもわざわざこのラーメン屋に来るのかと思って、まぁ、美味しいことは間違いないだろうと思って、座りました。
結構な時間待っていました。 食べている人たちが、なかなか帰らないの。 どうして帰らないのかとわかったのは、それは、関西の人は食べながらしゃべるんだよね。しゃべる。それから動く、そしてうるさい(大笑)。
ようやく順番が来て座りましたら、その東京から来たビジネスマンの二人と一緒のカウンターで、3人並んじゃったのですね。 注文しますと、すぐに二人は、スマホを出して、携帯をいじっているのですね。 私(藤本牧師)はものすごくびっくりして――会話はひと言もないのです――ああ、これが関西と関東の違いかも、と考えました。
回りの神戸の人たちは、もううるさいばかりにしゃべっているのです。たかがラーメンに(大笑)。 でも、二人は静かにスマホをいじって、並んで、ラーメン食べているのね。 例えばね、食べながら「おいしいね、この麺は」とか「このチャーシューはやわらかいね」とか「関西人はうるさいね」とか、そんな会話が全然ないのです。 ただひたすらスマホをいじって、まるで一人で来たかのように、座って食べて、帰っていく。
まあ、そういうのもお気楽でいいかなと思いますが、考えてみると、食事はそういうものじゃないということを、ちょっと短くお話をします。
イエスさまはこう仰った――わたしはあなたと一緒に食事をし、あなたもわたしと一緒に食事をすると。 どういうことかというと、それはね、イエスさまがいのちの糧であるみことばをくださった時に、私たちは一言も喋らずにそれを食べて、お店の外へ出て、今日も美味しかったねと、教会を去っていくということではないのです。
イエスさまは私たちに食事を備えていてくださる。 でもそれをイエスさまと一緒に食べるということはどういうことか、ちょっと簡単に考えてみます。
いいかい?智花ちゃんがいま小学生でしょう? 小学校から帰ってくるとね、お母さんが特別なおやつを作って待っている。そのおやつはな〜に?お母さんの得意なおやつはな〜に?(笑) 先生が子どもだった頃、先生のお母さんはプリンが得意、それからアップルパイが得意で、これくらいの時期になると、アップルパイを楽しみでした。いい?
それで我が家は三人兄弟なんだけれども、僕が学校から帰って来て、お母さんが「みっちゃん、待っていたよ。今日はアップルパイだからね」と僕がテーブルに座って、アップルパイを食べて、静か〜に黙々とアップルパイを食べるというのとは、ちょっと違う。 だって、そこにいるのは僕とお母さんなわけでしょう。そうすると、お母さんは自分のアップルパイも持ってきて、自分のお茶も運んで、二人で一緒に食べるよね?
ママがケーキを持ってきて、天海ちゃんの前に持ってきて、「一緒に食べようね」って、そういうでしょう、ねっ? そしてことはちゃんに「今日、学校でどんなことがあったの?」って言うでしょう? そうすると、ことはちゃん、黙々とアップルパイを、ママの前で食べて、「ああ美味しかった、おやつおいしかった」じゃあ、つまんなくない?つまんないですよね? まもるくんに特別なお菓子を用意してくれたということは、そのテーブルの前で、まもるくんとママが――日頃、まもるくんの家には三人兄弟だからママを独占することはできない。でもまもるくんがたまたま来たらさぁ、ね――ママは、もともとはパティシェだから(笑)特別美味しいティラミスを作って、「まもる、よく帰ってきたね。今日は暑かったね。冷たいジュース飲みな」って一緒に座ってくれるでしょう?――これが二人で食べるということなのです。
だから神さまが、イエスさまがね、「わたしは、あなたとともに食事をし、あなたもまた、わたしとともに食事をする」というのは、イエスさまはポーンと料理を出して、ケーキを出して、「さぁ食べなさい」(と言われ)、食べたらお腹いっぱいになって「今日も、結構美味しかったです」と言って、帰るんじゃない。
礼拝というものは、イエスさまが私たちのために、スペシャルなものを用意してくださる。 それだけでなくして、イエスさまは私たちの前に座って、私たちに必要な言葉をかけて下さり、私たちと一緒にその食事をするというのが、礼拝ですね。
三人兄弟のあきらくんはいつも僕は二番目だ。でもきょうはママを一人で独占できた。独り占めできたというのは特別な恵みで、大人の人もわかって欲しいと思います。 イエスさまは私たちに、「心の扉を開けなさい。わたしが中に入って、その時、わたしがあなたとともに食事をし、あなたもわたしとともに食事をする」というのは、そういうことなんですね。
こういうのを英語で何というか知ってる?こういうのを英語でhospitalityという(笑)。 日本語では、何て言うと思う?ホスピタリティーの日本語は何でしょう?(おもてなしという声) でもおもてなしではないよね。流行語大賞を取るのは、お・も・て・な・し(大笑)。ねっ、あれでオリンピックが来ることになったのだから……(笑)。
そういうことです。 イエスさまは、単純に、私たちに何か食べるものをくださるというのが礼拝ではない。 礼拝というのは、神さまが私たち一人一人をもてなしてくださる。 それはね、私たち一人一人、その週のその日の必要は違う。お祈りも違う。必要としているいのちのことばも違う。 語られる説教は一つかもしれない。でもイエスさまは、一人一人を心からもてなしてくださる。 今日もそういう準備したお祈りをいたします。
☆お祈り
恵み深い天の父なる神さま、あなたは仰ってくださいます。 「ここに来るのを待っていたよ。さぁ、食べなさい。あなたの話を聞こう」と、私たちの祈りを聞いてくださいます。 私たちが寂しく辛い時に、暖かい食事を用意して、 「二人でいっしょに食べよう」と礼拝で食べてくださいます。
そうか、じゃあ、これを食べて少し元気になろうと、これこそが私の慰めだ、力づけだと思って、礼拝に座ることができるように、みことばに耳を傾けることができるように、私たちを助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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