☆聖書箇所 ローマ8:31〜39 31では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。 32私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。 33だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。 34だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。 35だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 36こう書かれています。 「あなたのために、私たちは休みなく殺され、 屠られる羊と見なされています。」 37しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。 38私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配する者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、 39高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
☆説教 受難週:御子とともにすべてのものを
<お知らせの追加> 先程紹介しました「受難週の黙想」は教会員の方々には皆お送りいたしました。かなりの数お送りしまして、もしかしたら漏れている方もいらっしゃるかもしれませんが、その時はお許しいただきたいと思います。 なおインターネットからは、ホームページからはいつでもダウンロードできますので、ご覧いただきたいと思います。 教会にはOMさんが管理しておられるfacebook もあります。そちらにも載りますのでよろしくお願いいたします。
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先週、「パウロのショッキングな大逆転」と題してお話をいたしました。 (※実際は「十字架――神の愚かさ」というタイトルでした。) イエスさまが公の生涯に立たれた時、イザヤ書61章からの引用をイエスさまは用いられました。 <イザヤ61:1> 1 【神】である主の霊がわたしの上にある。 貧しい人に良い知らせを伝えるため、 (※良い知らせというのは福音ですね、と説明) 心の傷ついた者を癒やすため、 【主】はわたしに油を注ぎ、 わたしを遣わされた。・・・
この「油を注ぎ」という言葉がメシアという言葉だというお話をいたしました。 それをギリシャ語にするとクリストスとなると。 人々はメシアが来ることを待望していました。 《神はその民イスラエルの罪を赦し、イスラエルを救ってくださり、そして諸国の王たちがイスラエルの王を拝むことによって、神の祝福は諸国にも及ぶ》という終わりの時を、人々は待っていました。
旧約聖書の預言も見ていただきました。 イザヤ書51章の5節「わたしの義は近い。わたしの救いは現れた」――イエスさまは「それがわたしだ」と宣言されたわけです。
ところが、この方がローマ帝国の極刑、十字架に磔にされます。 《十字架に処せられたイエスがメシアであるはずがない》――常識的に考えればそうです。 そのイエスをキリストと信じているクリスチャンなる人々は《ユダヤ教の異端者》だということで、パウロは迫害に乗り出して行きました。
そのパウロの行く手を塞ぐように、復活のイエス・キリストはパウロに現れ、 「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか?」と仰いました。 その時、いやそこから、パウロは理解するようになりました。 この方はご自分の罪ではなく、イスラエルの罪、人類の罪、私の罪を背負って、自分のいのちと引き換えに、私のいのちを神のもとへと買い戻してくださった。
メシアの到来は終わりの時、終末の始まりであります。 サウロはかつて、終末はてっきり政治的に始まる、と思っていました。 ――ローマ帝国が追い出されて、諸国がイスラエルのもとにやって来て跪く。 ところが終末の到来は全く違っていました。 終末、つまり歴史の辿り着くところ――アダム以来、人類が神さまに背いて生きてきた――そのことが許され回復される《その終末は、イエスの十字架と復活とともにやって来た》とパウロは理解するようになります。 死からの復活――つまり神が十字架の上で息絶えたイエスを復活させられた――ということは、パウロの人生観、パウロの価値感、パウロの考えすべてに大逆転を起こしました。
神はこんな方法で、人類に救いの道を開いてくださるのか! 十字架という方法で――つまりローマの極刑という手段を使って――神さまは罪を贖ってくださる、ということは、パウロは想像だにしていませんでした。 復活という方法で――人類に張り付いて絶対に離れない究極の問題、つまり死から――私たちを解放してくださる。 それによって、終わりの時が始まった。まさか神さまがこのような方法で! ということを先週学びました。
それはユダヤ人にとっては躓き、ギリシャ人にとっては愚かと思える方法でした。(***Tコリント1:23) しかしパウロは納得しました。パウロは分かったのです――それを「啓示」という風に言います(***エペソ3:3)。 「啓示」というのは、普通の目では隠されていることが明らかになることです。 人の知恵では到底理解できない、ま、神の愚かさ(***Tコリント1:25)を納得させてもらった。 隠れたことを、心の中に明らかに納得させてくださったわけです。 その納得させてくださる力が聖霊です。 聖霊は私たちの罪を悟らせ(***使徒2:37)、イエスの言葉、イエスの行いすべてを思い起こさせ(***ヨハネ14:26)、神の愛を私たちの心に注ぎ(***ローマ5:5)、復活のいのちのすごさを悟らせる。 ――それが聖霊で、その聖霊がなければ、パウロはユダヤ人サウロのままでありました。 私たちは教会に足を踏み入れることなどありません。
大逆転を起こしたパウロが記した手紙が、今日読んでいただきましたローマ人への手紙です。 ローマにいるクリスチャンのために彼は手紙を書きました。この手紙の最初では、 「何度あなたがたのところに行こうとしたことか」(***ローマ1:13)と告白をしています。 理由は分かりません。でも行けない。 彼は人生の最後の瞬間にローマに行くことになります。 でもそれは教会の人々と会うためではなく、ローマ市民として皇帝裁判を受けるためでありました。 そして彼はローマで殉教いたします。
1)不思議だと思いません?(ローマ人への手紙8章)37節をご覧いただきたいと思いますが、こう書いてあります。
37しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。
「圧倒的な勝利者です」と。 ではその「これらすべて」というのは――ちょっと聖書をお見せしますね――どういうことなんだろうか? 【画面:ローマ8章35〜38節。35全文に緑のハイライト。37節「これらすべてにおいても」に黒ペンで囲み「圧倒的な勝利者」に同色ハイライト】
「これらすべて」(37節)というのは、「苦難、苦悩、迫害、飢え、裸、危険、剣」(35節)と、パウロが経験して来たありとあらゆる苦難、患難ですね。 「圧倒的な勝利者」どころではない、圧倒的な敗北者です。
キリストに出会う前に、パウロは勝利者でありました、どちらかと言えば、ユダヤ人として。 ユダヤ教において、厳格でエリートなパリサイ派。 そして著名なガマリエルという教師のもとで学び、そしてユダヤ社会において、若くして地位も評判も抜群に獲得していった人物でありました。 彼はユダヤ教においては、勝利者でありました。
でもそれらのことすべてを、キリストを知っていることのすばらしさのゆえに、自分はちりあくた、ごみ、埃と思っている(***ピリピ3:8)。 でもそんな彼が、いま身を浸している所は苦難、苦悩、迫害、飢え、裸、剣、危険(ローマ8:35)なんですね。
でも彼はそういう中にあっても、パウロはキリストの十字架と自分の苦悩を重ね、復活への希望を抱きながら、この世界のすべて、この人生のすべてを神さまに委ねている。 自分は圧倒的な勝利者となれる、ではなく、《自分は圧倒的な勝利者なんだ》と宣言しています。 ちょっとその理由を、今日は見ていただきたいと思うんです。それがメインですね。
聖書を見ていただきますと―― 【画面:ローマ8章の31節「神が私たちの味方」に緑色のハイライト。同色で31と32節弧で繋ぐ線】
31では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
「圧倒的な勝利者」(ローマ8:37)である最大の理由は、「神が私たちの味方」だからです。 皆さん、友人が味方であるってのは、ありがたいことですよね。 私には味方がいる。 それは家族においてもそうです。 お母さんは私の味方だ、お父さんは私の理解者だ、というのは大きなことです。 職場にあって、同僚が自分を味方してくれる、その時は一日が報われる思いでありましょう。 自分が大きな失敗をしたにもかかわらず、上司が自分の盾となって、「私があなたの味方だ」と守ってくれた時のことは、多分仕事人生で一生忘れないと思います。 味方っていうのはすばらしいことなんですよ。 でも《私たちの最大の味方は、神さま》だと。
正直、信じがたいですよね――えっ、神さまが私の味方なんですか?と。 今日はこの《信じがたいこと》を、一緒に見てみたいと思うんです。 神さまがどうして私の味方なんだろう? こんなに苦難があり、こんなに格闘し、神さまが味方であるなら、もっとスムーズに行って良いようなものを、 神さまという味方がおられない人々と同じように、私は苦労の連続の中を通っている。 でもパウロは、「イエス・キリストを信じるすべての者は、神を味方としている」。
続く32節、ちょっと見ていただけます? 【画面:ローマ8章32節「どうして〜あるでしょうか」に緑色のハイライト】
32私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。
私たちを愛し、御子を与えてくださった神は、 一番大切な御子を与えてくださったのですから、御子と共にすべてのものを私たちに与えてくださる。 本当なんですか?――不思議で一杯で、 パウロの確証があまりにも確固たるもので、パウロの確信があまりにも強くて、 私たちの日常から何か遠いことのように思える。 しかし、私たちはこの受難週、これをしっかりと心に留めたい。 ――あなたの味方は、あなたの友人であり、家族であり、同僚であり、上司であり、しかし神はあなたの味方です。 私には足りないものが沢山ある、自分の才能も、自分の時間も、自分の体力も。 ――しかし御子をあなたに与えてくださった神は、御子とともにすべてのことをあなたに与えてくださいます。 本当にそうなんだろうか?
2)現実的に信じられますか?
御子イエスの十字架が私のためであることを信じた者に、神は圧倒的な味方になる。 神さまは、あなたの味方であり、他に神を信じる者の味方であり、こんなに大変な中で、すべてのものを与えてくださる。
パウロ自身の状況を見たら、その状況は私たちの状況よりもはるかに酷いですね。 でもパウロは確信しています――御子イエスを受け取るなら、御子イエスと共にすべての祝福をあなたがたは受け取っているということが分かってほしい。 本当なんですか? パウロは頷くんですね。 本当です。本当です。御子イエスと共に、すべての祝福はあなたにあり。
私(藤本牧師)はこの話を高津教会でするのは4回目です。 皆さんもう良く分かっておられる。2007年、2011年、2016年、2021年。 初めて聞いた、昔からおられて初めて聞いたと言う方は、忘れ物外来?じゃない、何でしたっけ(笑)、そういう外来にいらっしゃった方がいいかもしれない程、私は熱を込めてこの話をして来ました。で、お許しいただきたい。 回を重ねる毎に、私はこの話の意味と言いますか、この話の味わいが深く分かるようになったと自分では思っています。 事実ではないと思う、「息子」と題された話ですね。
ある所に大金持ちと息子がいた。二人とも絵画の収集に情熱を燃やしていた。 現代絵画のピカソから、フランスの印象派のモネに至るまで幅広く、 二人はよく一緒に座って、家に飾られた名画の数々について話をし、仲良く暮らしていた。
戦争が始まり、息子の方は戦争に取られていきます。 彼は勇敢で、仲間の兵士のいのちを助けるために、自分のいのちを投げ打って戦死してしまいました。 そのニュースが届いて、お父さんはその死を嘆き悲しみ、何しろ一人息子で親子二人でありますから、お父さんは毎日毎日家のドア、その前に座って嘆いていました。
戦死のニュースが届いてから一か月後、家を訪ねてくれる男性がいました。 若い男がドアの所に立って、大きな大きな紙包みを下げているんですよね。 そして言いました。 「初めてお目にかかります。私は戦争であなたの御子息に助けられた男です。 彼はいのちを懸けて私を助けてくれました。 私はあの日、戦場で倒れて私を助けようと背負っていた彼に、背中から銃弾が当たり彼は即死でした。 私は彼の背中に守られて、生き延びたのです。戦場でよく彼は、お父さん、あなたの話をしていました。 そしてあなたがどんなに絵が好きか、という話もしてくださいました。」
この青年はパッケージを差し出して言います。 「大したことはないんです。でも私は画家です。名のある画家ではありません。でも私は画家なんです。」 そうして彼はパッケージを差し出し、お父さんが開けてみますと、 なんとそこに描かれていたのは、戦服を着、傷つきながらも前を向く息子の姿でした。 父はその絵に感動をいたしました。 無名の画家が、良くここまで息子の人格をキャンバスに描いてくれた。 「ありがとう。是非お礼をさせてください。」 「いえ、とんでもありません。プレゼントです。彼はいのちを僕に与えてくださったのですから。」 父親はその絵を応接間の真ん中に掛け、客が来るたんびにその絵ばかりを見せる。 そして息子の話をするんですよね。
しばらくして、父親も他界しました。 それで身寄りのない家でありますので、オークションが開催されます。 世界中から、世界中が注目する絵画がオークションにかけられる。 世界中から、ブローカーが集まってきます。
オークションが始まりました。 「まずこれから行きます」と言って、出て来たのが、戦争で亡くなった息子の肖像画でありました。 「さて、落札される方」。だ〜れも手を挙げない。 「さて、落札される方」。後ろの方から、男が黙って手を挙げました。言った値段が10ドル。千円ちょっとですね。 会場の人々はだ〜れも反応しない。主催者は絵を降ろさないんですよね。 「100ドルではどうですか?」「200ドルではどうですか?」
会場の人々は、 「私たちはピカソやモネやレンブラントを買い付けに来ました。ちゃんとオークションをやりましょうよ。」 主催者は全く無視ですね。「息子」と題された絵です。 「さあ、いかがでしょうか?どなたか落札される方はいませんか?」 だ〜れもいないので、10ドルでその絵は貧しい男の所に行きました。 絵画のブローカーたちはイライラして言いました。 「これでいいでしょう。10ドルで落札。」 さて、いよいよオークションの始まりだ、とフロアに緊張感が漂った瞬間に、主催者は言います。 「これにてオークションは終了しました。」
「皆さんには申し訳ない。これが個人の遺言です。そして今の今まで誰にも漏らしてはいけない、というのも遺言です。 今日オークションにかかっていたのは、息子さんの肖像画一つです。 遺言によりますと、残りすべての絵は、そして財産のすべては息子さんの肖像画を落札した人が譲り受けることになっています。 《息子を迎えてくれた者がすべてを落札する》というのが、亡きご主人の遺言でありました。」 そうして、遺言状の写しを全員に配るわけですね。
パウロが言っているのは、そういうことなんですよ。 それは、私たちがどういう風にキリストを見ているのか? ――キリストは私たちのために十字架にかかり、いや、全人類のために十字架にかかり、 父なる神は、そのキリストの贖いをも〜のすごく高く評価し、 キリストを死者の中からよみがえらせ、キリストの復活を人類の復活の初穂とし、 やがてキリストはこの世界を支配するために、天より再び来られる。 その時キリストを信じる者は、キリストと共にこの世界を支配する―― という全体像が、私たちには全く見えてない。 そしてイエス・キリストを信じて洗礼にあずかった、というのは、まるで10ドルの絵を落札したかのように思っている。
パウロが言いたいのは、 「遺言はそういう風にはなってない。 神の契約はそういう風にはなってない。 御子を信じ、受け入れる者は、御子と共にすべてのものを神から相続することになる。 だから私にとって、この地上の艱難も剣も、飢えも裸も、実際大したことはない。 勝ち得て余りあり、「圧倒的な勝利者」(ローマ8:37)として生きている。 私の人生はこんな短い70年、80年、100年で終わるような人生ではない。 私はキリストと共に、この世界を支配する者となる。」
すると、私たちはパウロを見て、「ほんとですか!?」って、またまた不思議に包まれてしまうんですよね。 これが聖書の不思議さです。 つまり私たちは聖書を読む時に、不思議に感動しなければいけない。 妙に理性を読み込んで、納得して「はい、分かりました」なんて言えないようなことが沢山書いてある。 なぜなら、神の愚かさは、人の知恵を全部集めても、それをはるかに超えている(***Tコリント1:25)。 パウロはその感動を、心に聖霊の働きによって納得させていただいたことを誇りにし、 そして少しでもそれを私たちに分け与えようとしているわけです。
☆お祈りをして終わりにいたします――藤本牧師
32私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。 (ローマ8:32) 恵み深い天の父なる神さま、私たちは《御子イエス・キリストを受け取った》という自覚が乏しければ、当然御子とともにすべてのことを受け取るという自覚には程遠い者でありましょう。ですから、今週私たちの願いは、「キリストはわが罪のために死せり」(***Tテモテ1:15)――このことを心に刻むことができますように。
「わがために死せり」とは、まさに神の愛であった、キリストはそれほどまで私を愛してくださり、その愛を受け取る者に対して、神は味方となってくださり、そして私たちにとって必要なすべてのものは既に用意されている――というこのパウロの言葉をほんの少しでも心に掛けることができるように、この不思議で及び難い程の啓示の力を、ほんの少しでもこの身に受けることができるように助けてください。
今日、礼拝にあずかりながらも、パウロのように苦しんでおられる方々の上に、あなたが力を現わして、復活の恵みを注いでくださいますことをよろしくお願いいたします。愛するイエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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