☆聖書箇所 ヨハネ14:1〜3 1「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 2わたしの父の家には住む所が沢山あります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。 3わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。
☆説教 母の日・石塚さんを偲んで:わたしを信じなさい
週報の上のところに、戸塚先生が毎回書いていてくださいます。ちょっと週報映していただきますと―― 【画面:◇本日は母の日の礼拝です。日本の母の日はアメリカに由来します。ウェストバージニア州に住むアンナ・ジャービスは1905年5月10日(第二聖日)、前日に亡くなった母を追悼するために教会で白いカーネーションを配りました。その後アンナは母に感謝する日を祝日にする普及運動を続け、それがアメリカ全土に広まり、1914年に5月第二日曜日が母の日と制定されました。これが日本の教会に広まり、現在に至っています。】
つまり1905年、ここから始まっているわけです。つまり色々「父の日」もありますし、でもごめんなさい、「父の日」はこのところ教会ではお祝いをしていません。そんなに重要ではない(笑)なんてことは申しませんけれども、やっぱり「母の日」は何と言ってもキリスト教に起源がありますので、きちっとしたいと思います。
私(藤本牧師)以前に申し上げたと思うんですが、母が亡くなった時に姉と一緒に母の荷物を全部片付けました。そんなになかったわけですけれども、一番多かったのは奈良に住む妹から来た手紙、恐らく何かお菓子とくっ付けて手紙を送った、と思うんですけれども、母は手紙だけは妹は妹の分、取ってありました。姉からの分も取ってありました。ところが私からの分は一枚もなかったんですよね。
よく考えてみたら、私は一枚も手紙を書いていませんでした。これはねぇ、良くないなぁと思いましたねぇ。手紙っていうのは、お母さん取っておくんだと。そして色んなことにつけ、物よりも言葉を残すというのは、人間関係の中でものすごく大きな影響を及ぼすなぁと。
ま、私は「母の日」ですけれども、逆もあっていいかなと思います。お母さんから息子に。高津教会のお母さんたちにちょっと申し上げておきますけれども、息子から手紙が来るとは思わない方がいいかもしれません(笑)。これはね、なかなか難しいんです。私も37年牧師をやっていて、毎回「母の日」に「何かやりましょう」と言いながら、一度もしませんでした。いつも礼拝終わると圭子に「何か送った?」と言いますと、「ちゃんと送っといた」と言ってますから、「あ、じゃそれでよしにしよう」という風に、それで納得してしまいましたけれども。
感謝の思いというのは、絶え間なくあるんですよね。それは絶え間なくあるんです。どうしても、それを乗り切って、何か言葉を書くという所に至らない。ま、今一番簡単なものと言えば、携帯電話のショートメールなのかもしれません。そういう形で結構です。でも本当に今生きている自分の証しとして、お母さんに感謝をする。それがいま自分が生きていることの証しなんだというつもりで、「お母さん、元気?」という一言だけでも送って差し上げるといいなぁという風に思います。
石塚さんの話を今日して、そして教会でお別れ会をいたしませんので、今日の午後葬儀を行いますけれども、《葬儀は教会の祝福である》と考えながら一緒に聖書を見ていただきたいと思います。
石塚さんのご主人は2017年11月9日、85歳で天に召されました。そしてここで御葬儀をいたしました。 お父さまは外出の途中に倒れて心肺停止、しばらくして救急車がやって来てまいりました。病院に二か月、リハビリ病院に移って間もなく天に召されました。 お一人になりました石塚さんはNさんを、特に助け手として頼っておられました。 やがてWさん(※ケアマネMさん)と一緒に(探して)、サービス付き高齢者住宅――ま、介護施設の中でも一番程度の軽い所ですね――そこに入っていただき、 Kさんがよく電話をしたり、必要なものを届けてくださいました。 まだ自分で、その時は散歩や買い物に行ける状態でありました。
でも、やがてコロナが蔓延いたします。 施設でもクラスターが起こる中、外に出るのが難しくなっていくという時に、歩行がやっぱり鈍化していきます。 そういう中で、ちょっとした坂道で骨折をされ、そして入院した病院で脳梗塞を起こされました。 そこからずっと車いす生活で、病院に入院したということで、家族と遮断されるようになります。 病院は「更なる転院先を考えてください」と。そうして南町田の病院に転院され、約半年だったと思います。
こういうものだと思います。 若い頃は、イエスさまはペテロに仰いましたよね(***ヨハネ21:18) それと同じで、ほとんど引っ越しをすることはなく、いつも決まった環境で自由に生活され、教会にも熱心に通われ、そして以前のYMさんの家庭集会には皆勤でいらっしゃいました。 木曜日の朝の祈りの会では、いつものメンバー――山田さん、石塚さん、Iさん、Nさん、その他、この祈祷会を37年前に始めてから毎週出席されていました。
心配だっただろうなぁと思います、最後の方は。 とても気弱な方で、誰かに頼っていないと、判断がなかなか難しい方でいらっしゃいました。 それが息子さんでさえ、病院に見舞いに行くことができない。顔を見ることができない。 必要なものを届けますと、病院の受付から電話をするだけ許される。 でも声だけですから、果たして母親は自分だということを認識しているのだろうか、よく分からないと息子さんは仰っていました。 こんなに気忙しい、こんなに心騒ぐ晩年を、石塚さんは予想しておられなかったと思います。
お母さんは、子どもが小さい頃には、子どもたちのために心騒がせますよね。 でもお母さんはやがて晩年に、自分のために心騒がせますよね。 今日開いていただいたみことばは、 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」(ヨハネ14:1)です。 このみことばをもって、石塚さんは約40年前にイエス・キリストの救いにあずかりました。イエスさまのところに来ました。 それは繰り返し繰り返し、「私はこの言葉でイエスさまを信じた――『あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい』」と仰っていました。 三つのポイントで短くお話をします。
1)わたしを信じなさい、というイエス・キリストの言葉
イエスはご自分の心も激しく揺れ動き、弟子たちとの別れの雰囲気も感じ取り――最後の晩餐の席上ですね――その独特な不安の中で、力強く仰いました。 「心を騒がすな。神を信じ、またわたしを信じなさい」(ヨハネ14:1)
実は私たちはイエス・キリストを良く知っています。 でも神さまの世界のことも、自分の老後のことも、死後の世界のことも、永遠のことも、私たちは実はよく分かっていないです。 分からないことが沢山ある中で、不安におののく私たちに、主は「ともかくやってみなさい」とは仰いませんでした。 「大丈夫、きっとどこかにたどり着くから」――漫然と安心感を与えるような言葉も仰いませんでした。
一言、「わたしを信じなさい」と仰っただけです。 その力強さに私たちは惹きつけられて、信仰に入ることをキリスト教信仰と言います。 キリスト教には歴史があります。 キリスト教が成し遂げて来た出来事があります。 その出来事の中には、帝国主義が入っていたり、或いは問題点があり、弱点があり。 でも、キリスト教信仰というものは、キリスト教宗教よりももっと純粋なものです。 そして一言でキリスト教信仰とは、「わたしを信じなさい」と仰るイエス・キリストに人生を委ねて、全身全霊をもってイエスさまについていくことです。
「ケセラセラ」という歌がありますね。 ヒチコックの映画で、アメリカの女優ドリス・デイが歌った曲です。 映画も歌も英語ですけれども、ケセラセラというのはスペイン語に由来するフレーズです。 で、歌はこうですね―― 「私が小さな女の子だった時、お母さんに尋ねてみた。 私は大きくなったらどうなるの?私はきれいになるの?お金持ちになる?私の未来はどんな感じなの? するとママはこう答えた。ケセラセラ、何事もなるようになるのよ。先のことは分からない。ケ・セラ・セラ なるようになる。」 というのが、歌の全部の訳です。
時にお母さんとは、そのように言うしかないですよね。 そんなに心配にがんじがらめになってないで、なるようになる、と言ってあげなければいけない。 私たちもそのように言う時があると思います。 でも本当はそうではありません。 なるようになる、ではなく、「全能な、最善をなさる神に委ねなさい」ですね。 「イエスさまがなるようにしてくださる。神さまのご計画とイエスさまの力というのは、私たちのような小さな者にも及んでいて、イエスさまの最善に委ねよう」ですね。
小さな子どもだって気になるんです。 大きくなったらどうなるの? この大変な出来事の先はどうなってるの? 友人関係で心騒がせ、病気で心騒がせ、受験で心騒がせ、 その時「なるようになるから大丈夫」ではないんですね。
イエスさまが仰いました。 「心騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」(ヨハネ14:1) このイエスさまの確信が込められた言葉の土台を、もう2つ申し上げて、ポイント3つとしたいと思います。
2)イエスさまには、私たちには分からないことが分かる
ちょっと聖書を見ていただきます。 (ヨハネ)14章の2節にこうありますね。 【画面:ヨハネ14章1〜3節。1節全文に黒ペンで傍線、2節「場所を用意しに」を囲み、3節「わたしが行って〜迎えます」に傍線】
<ヨハネ14:1〜3> 1「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 2わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。 3わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。
(※2節を読んだ後、)ということは、こういう事実を弟子たちは知らないということですよ。 イエスさまは分かっている。だからわたしは「場所を用意しに行く」とあなたがたに言った。 でも弟子たちにはそんなことは分からないわけですね。
ちょっと幾つかこのままの状態で、見ていただきます。 【画面は順番にそれぞれの箇所を映す】 ここにも同じようにありますね。指で辿りますね。 ●<ヨハネの福音書1章18節> 18いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
私たちは神さまとお会いしたこともない。神さまを見たこともない。 でも父の「ふところ」――「ふところ」というのは一番近い所です。肌の温度を感じることができる一番近い所――におられたひとり子の神が、神の内側から外側に向かって説き明かすというエキセーグサト(※という風に聞こえましたが??)という言葉は、内側から外側に向かって説明する、という意味です。 それができるのは、イエス・キリストのみです。
●続けて<ヨハネ3章13節>を見てください。 【画面:「天から下って来た者」に赤ペンの傍線】 13だれも天に上った者はいません。しかし、天から下って来た者、人の子は別です。
「天国ってどういう所なの?」って言われて、答えられる人は私(藤本牧師)は見たことがないです。見たことがない。 霊の世界って一体どうなってるの?と言ったら、同じように、私たちは聖書から断片的にその解説をすることができたとしても、やっぱりいません。 天国ってどういう所か?っていう本を書いている、キリスト教の人たちは結構います。 私読みますと、「よく書くなぁ。行ったこともないのに」(笑)という風に思いますね。 ま、聖書から断片的に分かるんですけれども、 「五島列島行って来ました」と言ったら、「五島列島というのはこういう所だよ」って書くことはできますけれども、 行ったこともない所を、ちょっと書くの難しいですよね。 でもイエス・キリストはそういう意味も込めて、「神を信じなさい」と言った後で、 あえて、「神の内側から出て来たわたしを信じなさい」と仰るのですね。
●<ヨハネ8章の26節>を見てください。ここにも同じような表現がありますね。 ちょっと端から読んでいきますね。ここです。 【画面:ヨハネ8:26〜27。特に線はなし】 26わたしには、あなたがたについて言うべきこと、さばくべきことがたくさんあります。しかし、わたしを遣わされた方は真実であって、わたしはその方から聞いたことを、そのまま世に対して語っているのです。」
それ以外は語っていない、と。 つまりイエスさまが語ることというのは、神さまが語れと仰ったことをわたしは語っているんだ。で、27節――
27彼らは、イエスが父について語っておられることを理解していなかった。
イエスさまが語っていることは、実は神さまについてであり、神さまが語れと仰っていることである、ということを知っていなかったということなんですね。
私たちが何か知らないことについて情報を得ようとしたら、その情報の源をまずソースを確かめなければいけないですよね。 それと同じで、イエスさまが語っておられることっていうのは、イエスさまご自身が「わたしのソースはこれだよ」と仰る父なる神さまであります。 死後の世界のこと、神の国のことは誰も行ったことがないのですから、そこから来た者だけが教えることができる。 そのイエスさまが不安に包まれ、そして十字架の死と別れの雰囲気に包まれた部屋で、しっかりと確信をもって仰ったのが、「わたしを信じなさい」です。
3)(ヨハネ)14章に戻っていただいて、イエスさまはこう仰いました。このタイミングですね。
【画面:ヨハネ14章3節「わたしが行って〜迎えます」に黒ペンで傍線】 <ヨハネ14章3節> 3わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。・・・・・・
祈祷会でお祈りをしてまいりました。 石塚さんの病院の方から、「これ以上点滴をするのは本人が苦しむでしょう。看取りの時に入るということをご家族でお考えください。」 で、私(藤本牧師)は計算してみました。(点滴を外してから)10日でしたね。 で、石塚さんのご遺体を最終的に納棺する時には、三分の一ぐらいになっていたと思います。 ほんとに小さなお身体でありました。 息子さんたちもご覧になって、本当に母親なんだろうか?と言う位、面影が変わっていました。 金曜日にWさんが作ってくださった遺影を葬儀屋さんに届けたら、「あ、こういう人だったんですね」と言う位。 やっぱり最後は荼毘にふす私たちの限りある肉体というのは、たましいの抜けた抜け殻なんだなぁということは、あらためて実感しました。
私たちは丁寧に葬儀をいたします。 でもイエスさまは、石塚さんが息を引取った段階で、 「わたしが行ってあなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたを迎える」と仰ったんですよね。 ですからイエスさまが迎えに来られたわけです。
(ヨハネ14章)3節の最後には、「わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです」ということは、 わたしがいるところに、あなたがたを迎えるために、わたしはあなたのところに来た。 永遠のいのちにあずからせるために。 私たちが信じ、私たちが心から慕い、祈って来たイエスさまはそう仰るわけです。
天国ってどういうところなのか? 大山さんが召された時に、大山さんの奥様からメールをいただきました。 「今頃大山は、先に召された藤本(先生)のご両親と再会している。 気がついてみたら、周囲に山田純子さんも、吉田成男さんもいらっしゃるわけですね。 まだまだ天国の新入りですね。 そして初めて見るIさんのご主人もそこにいらっしゃるわけです。 で、しばらくしたら石塚さんがいらっしゃった。」
コロナで色々変わる。教会の働きも色々変わると言いますけれど、葬儀だけは変わらないです。 葬儀だけはコロナ以前とコロナ禍とほぼ同じペースで進んで行きます。 一つご高齢の方に申し上げたいことは、できるだけ人に会うこと。 そして適度に会話し、適度に外に出ること。 中に籠ってますと、足腰が弱くなり転ぶ機会が増えます。 そして骨折をすると、そこから先難しくなりますので、適度に外に出てくださいね、と申し上げます。
《葬儀は教会の祝福です》と申し上げました。 それはこういうことですね。 イエスさまは仰います――私たちの人生に行き当たりばったりはない、と。 「わたしは備えに行く。あなたのために、あなたの明日のために備えに行く。 だから心を騒がせることはない。」 というのは、文脈から考えますと、何も「死」の問題だけじゃないんです。
イエスさまはいつも私たちの先を行って、私たちの行くべき所を備えていてくださる。 これはお母さんにとって、大変大きな大きな励ましです。 子どもを新しい環境に送り出す。自分自身も引っ越して、新しい環境に行く。 でもイエスさまは先に行って、場所を備えていてくださる方です。
新しい扉が開いたということは、それは永遠のいのちの扉であれ、私たちの新しい環境であれ、場所が整ったから「わたしはあなたを迎えに行く」と。 もちろん地上生涯ですから、それは花園であるとは限らない。 時には十字架の道であるかもしれないです。 でもそれは神の最善である、ということを私たちは信じています。 なぜなら、イエスさまが先に行って、その場所を備えていてくださったからです。
大切なのはただ一つ、イエスさまを信じるその信仰ですね。 お母さんと子どもたちは励まし合い、私たちはイエスさまの後をついて行くわけです。
心を騒がせる要件というのは、別に老後の話だけではない。死の話だけではない。 私たちの日常にあって、いつもそのような状況が来た時にイエスさまは仰る。 「わたしが備えに行く。だから神を信じ、そしてわたしを信じなさい」です。 私たちは、そこに向かっていま途上にあるわけですよね。 で、教会で礼拝を守るわけですね。
私(藤本牧師)はここ最近15年ぐらいだと思います。 習慣としてホテルを予約した時に、チェックインの時間ってよく分かりませんので、割と遅い時間にチエックインを予約で入れておきます。 で全部のホテルに、チエックインする前に電話をします。 「何時にチエックインするかを書いたかどうか分かりませんけれども、今日、楽天から入りました藤本で、1泊いたします」と言うと、向こうは調べて、「お待ちしております」 となるんですよね。
そりゃ、私は不安で、ま、向こうも不安なのかもしれない。藤本は確かに来るんだろうかと。あんまり遅いと不安になりますよね。 だけど、私にしてみればもっと大きな不安で、努力して行った所で、 「藤本さんの予約は入っていません」とか、「何かの手違いで、お部屋はございません」って言われたら、「えっ、これからどうするの!」ですよ。 だから私は必ず自分の予約と部屋は、電話で確認するようにしています。
皆さんが礼拝にいらっしゃるというのは、私たちは生涯かけて、この《永遠のいのち》という最大の祝福――(※を確認したいから?) やがて自分の人生は、朝には花を咲かせているが、夕べには萎れて枯れてしまう(***Tペテロ1:24〜25、イザヤ40:8)ような人生である、 とよ〜く分かっているんですよ。 なぜなら、風邪一つで私たちは寝込むからですね。 そういう人生の中にあって、神を礼拝するというのは、私たちは確認しているようなもので、 「イエスさま、私の部屋は今ありますよね?」 で、礼拝に来ている者にイエスさまは仰るんです。 「心を騒がすな。わたしを信じ、そして今日一日、小さな重荷、それを全うし、来週一日、一週間それを全うし、わたしが用意して来たあなたの人生を辿り行く中、やがてわたしが用意して来たあなたの部屋へと辿り着く。 勿論のことながら、最後あなたの自由は効かない。効かない。でもわたしはいつでもあなたと共にいて、あなたをわたしの家へと連れ帰る。」
という、それが私たちの地上での礼拝であり、地上を生きる時の信仰なんです。 それが全部欠落していて、そしていよいよっていう時にこの信仰に入ったとしても、果たして実感はどれほどかなぁ?という風に思います。 ですからご家族の中で、なっかなか信じてくれない。なっかなか洗礼に至らない。 それはもう全然いいです(笑)。 でもしつこくイエス・キリストのことは言っておいた方がいいです(笑)。 そして最後の最後になって、観念したかのように信仰に入ればいいんです。
そうじゃなくて、最後の最後に初めて聞いたというのは、ちょっとその方にとっては残念だと思います。 もっと早く聞かせていてくれれば――そう思うでしょう。 ですから自分の信仰というのは、親族の中、友人の中にあって、明確にしておくということはとっても大切なことだろうと思います。
主の大いなる憐れみの中に、石塚さんご夫妻が入れられた。 そしてその祝福はいま教会を包んでいる。 大山さんと連続いたしましたけれども、主は連続して教会に励ましを与えてくださった、ということを心から感謝し、 ご遺族のためにお祈りをしたいと思います。
☆お祈り――藤本牧師 恵み深い天の父なる神さま、今朝の礼拝、大山兄も共にあずかっておられることと思います。あなたを信じておられ、ずっとあなたに忠実に生きて来られた方々です。再会において、どれほどほっとして、安堵して喜びの内に、地上に遺して来た者たちのためにお祈りを捧げていることでございましょう。
死の問題だけではない、明日の問題において、新しい環境において、お友だちとの関係において、私たちが心騒がす事柄はたくさんあります。でもお母さんも娘も、この信仰に立つことができるように。イエスさま、あなたが先を行って、私のために場所を備えていてくださる。それが茨の道かも知れない。でも茨の中に、きれいなバラがたくさん咲いているという喜びを味わわせてください。
母の日であります。親子共に祈るような母、娘、息子でありますように。子どもはまだ十分に理解していないのかもしれません。それでも忠実に祈ることができるように、母親に力を授けてください、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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※花台の向かって左はウクライナのために教会が祈る気持ちが表され、いつものウクライナ・カラーの造花、右は小さなサイズの赤のカーネーションの花鉢、そして十字架の下にはガラスの花瓶にカーネーションの赤とピンクの花に何か葉物を合わせてあり、「母の日」の講壇にしてくださいました圭子夫人に感謝。
※「母の日」のためにいつもの農園の方に季節の花もお願いしてありましたが、土曜日に圭子夫人のお母さまの納骨式、日曜日の午後に石塚さんのご葬儀などの事情から、生花の搬入をT・Yは取り止めました。 次回は、多分ペンテコステに奉仕を予定しています。
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