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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   11/17神の人モーセ(49)祝福の祈り 申命記33:1〜7
☆聖書箇所        申命記33:1〜7

1これは神の人モーセが、その死を前にして、イスラエル人を祝福した祝福のことばである。
2彼は言った。
  「【主】はシナイから来られ、
  セイルから彼らを照らし、
  パランの山から光を放ち、
  メリバテ・カデシュから近づかれた。
  その右の手からは、
  彼らにいなずまがきらめいていた。
3  まことに国々の民を愛する方、
  あなたの御手のうちに、すべての聖徒たちがいる。
  彼らはあなたの足もとに集められ、
  あなたの御告げを受ける。
4  モーセは、みおしえを私たちに命じ、
  ヤコブの会衆の所有とした。
5  民のかしらたちが、
  イスラエルの部族とともに集まったとき、
  主はエシュルンで王となられた。」
6 「ルベンは生きて、死なないように。
  その人数は少なくても。」
  
☆説教          神の人モーセ(49)祝福の祈り

今日は49回目でございます。申命記の33章、1節をお読みいたします。

1これは神の人モーセが、その死を前にして、イスラエル人を祝福した祝福のことばである。

来週はギデオンの聖日で、それを明けた12月の最初が、クリスマス・アドベントの第一聖日になります。私は50回目、モーセがピスガの頂に立って約束の地を見て、そこで天に召されるという説教を、年末の12月27日(29日では?)の年末感謝礼拝にさせていただき、50回に亘りますモーセの学びを閉じたいと思っています。

約束の地に入ることができないということは、モーセは神さまから通告されました。あなたは荒野をさまよった民とともに葬られるということを、突然神さまから聞かされたということを先週お話しました。
四十年間イスラエルの民の先頭に立ち、荒野を旅し、そしてそもそも約束の地に民を導き入れるために召された、そのモーセがカナンに入ることが許されない。カナンを目の前にして、モーセは天に召されます。
この場でこの地で果てるとは想像もしていなかった彼です。

ちょっとページをめくって、34章の7節を見ていただきましょう。この時のモーセの健康状態が記されています。ちょっとご一緒に読みたいと思います。

34:7モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。

だとしたら、モーセはまだまだ元気であった。だとしたら、最後の仕事をやり遂げるために彼は精力的に備えをなしていた。にもかかわらず、彼はカナンに入ることが許されませんでした。

神さまはモーセにヨルダン川の対岸のネボ山に登らせ、はるか彼方に約束の地を見させながら、いったいモーセはどんな思いでその地を見渡したんだろうか?
無念だったといえば無念でしょうし、その無念さも主に委ねたのでありましょうし、使命の途中で戦線を離れなければいけないような、やるせない思いも、気がかりの思いも、胸に秘めて生涯を閉じることになるでしょうし、死というものはそういうものだろうと思います。
まだまだやり残したことが沢山あるような、何か自分の人生が中途半端であるかのような無念さでありますね。

その時モーセがいったい何をしたのか、それを一緒に考えていただきたいと思います。先ず第一番目に、モーセは祈った。しかも特別な祈りです。33章の1節に戻っていただいて、彼は――

1)祝福のことばをもって祈る。祝福の祈りをささげる

これまでモーセは四十年間、日常の思いを背負いながら日常とほんの少しの距離を置いた会見の天幕に立って、神さまの前で祈っていました。
神さまの方で「モーセとわたしは、顔と顔を合わせて親しく語った」と仰るほど、彼は祈りの人でした。
そしてその生涯の最後の仕事も、やっぱり祈りでした。
でもいつもなら、罪深い民のためにとりなしているモーセですが、今回は違います。

今回は、神の人モーセは、その死を前にして、イスラエルの民を祝福して自分の人生を終えようとしています。祝福の祈りをもって、自分の生涯の最後のことばとしたのです。
夢にまで見た約束の地カナンを目の前にしていながら、自分は入ることはできない。
しかし何の苦々しい思いもなく、彼は爽やかにイスラエル民族一つ一つのために、祝福の祈りをささげて、それを百二十年に亘る自分の生涯の最後の仕事として終えるわけです。

聖路加病院の名誉院長の日野原重明(ひのはら・しげあき)先生(1911年10月4日〜)のことは、皆さんよくご存知ですね。とうの昔に百歳を超えていらっしゃいますが、この先生が九十歳で執筆された「生き方上手」という本はベストセラーになりました。牧師の家庭で育ったお医者さんですよね。

日野原先生はこの本の中で、「医者として九十歳を迎えて現役で、その時点で、優に四千人以上の患者さんを看取って来た」と記しています。
四千人以上の患者さんの死を看取りながら、何を考えたのか?
日野原先生は「死は各人各様の生の最後のパフォーマンスだとつくづく感じます」と記しています。
死というものは、各人各様の人生の最後の最後のパフォーマンスである。
死に至る原因も、背景も、死を囲む状況もみんな違います。それは人はそれぞれに違うように、様々だということです。
それでもその死はみんなに共通してやってくる出来事で、しかも死というものは、すべての人に人生の最後のパフォーマンスとしての意義を与えられている。
自分の死をもって何を表すのか?表せない場合も多いでしょう。

日野原先生は「生の最後のパフォーマンスにふさわしいのは、『ありがとう』という言葉である」と記しています。
「ありがとう」ということは、納得して死ねるか、さらに言えば、最後に「ありがとう」という言葉を言って死ねるかどうか、それはとっても大切なのですね。
地位や名誉は死ねばなくなります。財産も残したところで争いの種をまくだけです。
「ありがとう」という一言は、残されていく者の心を救う何よりの遺産であると、日野原先生は仰っています。
「ありがとう」の一言が何よりも自分の人生を閉じるにふさわしく、この言葉こそが残された者にとって、最大の遺産となる。

先日、教会の関係の方で、ほぼ私と同じ年齢の男性の方が夜中、教会を訪れて来られました。お父さんが末期なのですね。末期のお父さんを見舞われた後、ご自宅に帰る前に教会に寄られて、ま、他にもいろんな話をしました。
数日してメールを戴きました。お父さんが亡くなって、葬儀を終えたと。その後に連絡をくださいました。
臨終のお父さんを見舞うことが許されたそうです。呼ばれて最後の最後に行ったときに、まだお父さんは目を開いていて、そしてお父さんと目と目を合わせることができた。その時お父さんは、彼を見つめてとっても何か言いたそうでした。でも言葉が出ることなく、亡くなっていきます。

彼は、そこに死を迎えるお父さんの、何とも言えない不安を感じたと(言うのです)。何とも言えない不安のことばを自分に伝えようと(していると)思ったと。
私はその場にいたわけではありませんけれども、慰めの意味も込めてお返事をしました――いや、必ずしもそういう考え方をしない方がよろしいんじゃないですか。家族に見守られて、死を迎えられることは幸せですよ。そして仮にそこに言葉があるとしたら、仮にお父さんの口から息子さんに対して何か言葉があるとしたら、葬儀はどうやって欲しいとか、死はどうなっているんだろうとか、自分の人生にはやり残したことがあるとか、そんな言葉を臨終の床で発するわけがないじゃないですか。私だったら発しませんよ。お父さんが言いたかったことは、もっと単純で、「間に合ってくれてありがとう」「ありがとう」という感謝の思いを家族に伝えたかったと思いますよ、と言いました。

モーセの場合は、実は「ありがとう」以上だった。彼は自分の人生の最後の行動に出るのです。まだ元気でしたから。彼は熟慮を重ねて十二部族のための祈りをします。ず〜っと33章に書いてあります。
全部見ることはできませんが、神の祝福を祈りつつ生涯を閉じたのは、モーセだけではありません。
モーセの前、イサクもそうでした。ヤコブもそうでした。イエス・キリストも手を挙げて弟子たちを祝福しながら、天に昇って行かれました。
私たちもそういう最後を迎えることができたらいいなぁと思いますが、なかなかできないものです。

ちょっとモーセの祈りを見ていただきたいと思いますが、こういうふうに始まります。
6節をご一緒に読みたいと思います。

6 「ルベンは生きて、死なないように。その人数は少なくても。」

短い祈りですが、独特なのですね。ルベンというのは、ヤコブの子ども十二人、イスラエルの十二部族、その長男でありました。
しかしその長男の祝福は、以前のヤコブの祈りの中で差し止められているのです。お前は祝福されない。長男でありながら、お前は祝福されない。
それは、ルベンはお父さんヤコブのそばめのビルハと姦淫を犯したことがあるからです。
ですからお父さんが亡くなる前に、一種の呪いを込めて、お前のしたことは大変大きな出来事だ。お前は祝福された人生を送ることはできないぞ、という言葉を残している。

しかしモーセは、そのことをよく知っていながら、最後、このルベンに対して、過去の部族を縛って来た負い目を、モーセは解くのです。
6節に「ルベンは生きて、死なないように」――その人数は少なくても、長生きしなさい。祝福を受けて成長していきなさい。

子どもたちの中には、それぞれが負い目を持っているでしょう。それぞれが独特な苦難を抱えているのかもしれませんが、お前がそんなことをしなければなぁ、とかですね、お前の人生は可哀想だとか、そんなことをモーセは言いませんでした。
モーセはむしろ、これから先のルベンの部族をよくよく考えながら、今まで背負っていた過去の負い目を解いています。

8節をご覧ください。

8 レビについて言った。「あなたのトンミムとウリムとを、あなたの聖徒のものとしてください。あなたはマサで、彼を試み、メリバの水のほとりで、彼と争われました。
9 彼は、自分の父と母とについて、『私は、彼らを顧みない』と言いました。また彼は自分の兄弟をも認めず、その子どもをさえ無視し、ただ、あなたの仰せに従ってあなたの契約を守りました。

って、いったいどういうことなのでしょうか?
レビ族、ちょっと見ていただきたいと思うのですが、出エジプト記の32章ですね。
しばらく前にさかのぼっていただいて、32章で、イスラエルの人々が、モーセが十戒の板をもらうためにシナイ山に上っている間に、アロンにお願いして、鋳物の子牛、偶像を造ってお祭り騒ぎをしているという場面が出てまいります。モーセはその現場を見た時に、15節――

出エジプト32章
15モーセは向き直り、二枚のあかしの板を手にして山から降りた。板は両面から書いてあった。すなわち、表と裏に書いてあった。
16板はそれ自体神の作であった。その字は神の字であって、その板に刻まれていた。
18するとモーセは言った。
19宿営に近づいて、子牛と踊りを見るなり、モーセの怒りは燃え上がった。そして手からあの板を投げ捨て、それを山のふもとで砕いてしまった。
20それから彼らが造った子牛を取り、これを火で焼き、さらにそれを粉々に砕き、それを水の上にまき散らし、イスラエル人に飲ませた。

という憤りのあまりに、子牛を囲んで踊って祭りをしている民を裁きます。その裁いた人々が(出エジプト32章)28節のレビ族でありました。
モーセは自分では手を下すことができなかった。でもモーセはレビ族に頼んで、レビ族に「この祭りに興じて不信仰に陥った者たちを滅ぼせ」と、28節で命じています。

そうしますと、先ほどの申命記の33章に戻りますと、9節にこのレビ族というのは、「自分の父と母とについて、『私は彼らを顧みない』と言いました。また彼は自分の兄弟をも認めず、その子どもをさえ無視し、ただ、あなたの仰せに従って、あなたの契約を守りました」というのは、とってもすさまじい出来事です。

現代ならこういうことは起こらないでしょう。でも古代であるならば、こういうこともあり得たでしょう。
非常に心を痛める出来事でありますが、その罪深〜い出来事に陥っていた者たちに、神さまが裁きを下されるときに、その裁きの実行役になったのがレビ族でした。
そして、神さまの仰せに従うために、兄弟であろうが親子であろうが、そういう人間関係を捨ててまでも、先ず第一に神さまに忠実であろうと、そう願った人々がレビ人です。

今の私たちに考えてみますと、状況は全然違います。
でも私たちもどこかで、家族の絆、あるいは友人との関係、これはもちろん大事にしますよね。でもそれ以上に神さまを第一とする時に、第一とするがゆえに神さまの祝福が約束されているということがある。――これは心に留めてておかなければいけない。
いかなることに勝って、神の国と神の義を第一に求めなさい。そうすれば、それらのことはすべて、あなたの上に加えられるようになる(***マタイ6:33)――これを実践することができたのがレビ族でした。

次のお祈りを見ていただきたいのですが、(申命記33章)12節にベニヤミンについて。

12ベニヤミンについて言った。「【主】に愛されている者、彼は安らかに、主のそばに住まい、主はいつまでも彼をかばう。彼が主の肩の間に住むかのように。」

ベニヤミンの部族は一番小さな部族です。ですからかばわれて育っていくのです。
「主の肩の間に住まうかのように」というのは、背負われて育っていく(という意味)。
部族の中で一番小さい者は、神さまの肩の間に住まうかのように、神さまに背負われながら育っていく。
「イスラエルという神の家族は、小さな者を、最も小さな者たちを大切にしなさい」というモーセのメッセージが部族全体につながるのです。

18節も興味深いです。ゼブルンです。

18ゼブルンについて言った。「ゼブルンよ。喜べ。あなたは外に出て行って。イッサカルよ。あなたは天幕の中にいて。
19彼らは民を山に招き、そこで義のいけにえをささげよう。彼らが海の富と、砂に隠されている宝とを、吸い取るからである。」

ゼブルンとイッサカルというのは、レアの最後の息子でありましたが、「外に出て」というのは、貿易・商売をして来いという意味です。「天幕の中」というのは、その場に留まれという意味ですね。ですから、ま、いわば牧畜です。

モーセの祈りの中には、霊的な祝福だけではない。民族のその生業(なりわい)をも祈られているのですね。
ゼブルンは将来貿易によって民族を栄えさせなさいと。
イッサカルは、牧畜によってこの国を栄えさせなさい。19節にありますように、海の富と、砂に隠されている宝とを、吸い取れと。その富、その宝は神さまのものです。

飛ばしてアシェルの部族のために。24節です。これはなかなか難しいんですね。
私たちは日頃から「遺言を書いたら?」とかですね、「最後の言葉を残したらいいね」とか言いながら、割とみなさん、何にも言わないで亡くなるのですね(笑)。
それで私たちは、残念だなぁと思うのですよ。せめて愛唱歌のひとつでも書いてくれていたらいいのに、と思うのですね。ぜひ言ったことを守っていただきたいと思うのですね。

すばらしいと思いますよ。お世話になった方々ですとか、高津教会の皆さんに対しての思いですとか、ま、短い一言でもいいのですけれども、できれば自分がこの教会で受けてきた恵みをほんの数秒で纏めることもできますでしょう。この教会に期待していることを、ほんの数秒で纏めることもできるんじゃないですか?

自分の教会の中には、ベニヤミンのように小さな者もいれば、ルベンのように、過去のいろいろな問題を引きずっている者もいれば、一生懸命仕事をしているゼブルンやイッサカルもいるのです。それらひとりひとりに何らかの祝福のことばを残すと大変ありがたいですが、24節と25節をご一緒に読みます。これは全体に言えることですので、とっても尊いと思います。

24アシェルについて言った。「アシェルは子らの中で、最も祝福されている。その兄弟たちに愛され、その足を、油の中に浸すようになれ。
25あなたのかんぬきが、鉄と青銅であり、あなたの力が、あなたの生きるかぎり続くように。」

アシェルの魅力というのは、ある意味イスラエル全体を代表していると思うのです。
アシェルがやがて割り当てられる土地というのは、地中海沿いの北の方に伸びる山岳地帯です。どちらかといえば荒い、硬い、岩の上の生活なのですね。
ですから「その傷ついた足が、油の中に浸されるようになれ」(24節)と書いてあります。
25節の「あなたのかんぬきが、鉄と青銅であれ」――このかんぬきということばは、サンダルや靴と訳すこともできるのですが、私(藤本牧師)はそちらの方がふさわしいのではないかと思います。

あなたがたの行く道は険しいよ。そこを進み行くには特別な靴が必要だ。これから進み行く道は険しいぞ。しかし神さまは、その試練を踏み越える力を与えてくださる。
死に行くモーセはアシェルのために、イスラエル全員のために、このことばを残していると言っても過言ではないです。

まだまだ先の出来事です。先程日野原先生の話をしましたので、「生き方上手」の話で(今日の説教を)閉じたいと思いますが、あの本の一番最後に、日野原先生の人生を決定づけた三つの出来事というのが記されています。

一つは京大の医学部の一年生であった頃に結核を患ったと(いうことです)。後にですね、自分があの時に結核を患ったのは、大学生として在学中に結核を患ったということは、神さまの恵みだと思うようになったと、病む人の心がわかるようになったと(記されています)。

二番目の出来事は三九歳というまぁ、中年でアメリカのメソジストの大学の医学部に留学するのですね。周囲からは三九歳では遅すぎると批判され、実際にそれに乗り出していくと、ま、若い方々の順応性がない自分はとっても苦労した。でもその苦労が自分を作った。

三番目が、あのハイジャックされた(JAL)『よど号』に日野原先生は乗り合わせていた。(おぉという声)そして四日間機内で拘束され、北朝鮮まで連れて行かれ、死の恐怖を味わったということは、自分の人生を作ったと、こう閉じているのですよ。

そうしますとね、この先生が仰る人生を決定した出来事というのは、みんな苦労と試練です。楽しかったこと、お祝い的な出来事は書いてない。
自分が一年間結核で、大学時代入院していたこと、み〜んなにそんな年齢で海外留学してどうするのといわれたあの年、そしてたまたまハイジャックされた飛行機の中に閉じ込められて、四日間様々な空港を転々としたこと。

そして日野原先生は仰います。その時にはわからないけれども、後になると、なるほどあれが自分を作ったのだと思えてくる。
その時には、解らないけれども、後になって、あ、これが私を作ったのだ、あの試練が、あの辛い出来事が私を作ったのだと言えるように、どうか主よ、アシェルの部族に、私たちに、試練を踏み越える力を授けてください。
肝心要の、油の中に浸されるような癒しがなければ、鉄や青銅の履き物がなければ、試練の山を踏み越えることはできない。
主よ、どうか試練の中で、ことさら私たちの人生を労わってください。そしてそれを踏み越えていく力を与えてください。
そうすれば後になって、あ、あの出来事が自分の人生を決定づけたのだと思えるようになります。

モーセはそんな思いで、自分が残していく部族一つ一つのために祈ったのです。
とっても考えさせられます。祈りは12ありますが、全部見ませんでした。
でも、私たちがもし天に召されるとして、もし私たちの後ろに様々な残していく家族がいるとしたならば、恨み辛みがあったり、あるいは過去の縄目があったとしたら、それをきれ〜いに外して、解放して召されるべきだと思いますね。

小さいものはことさらに互いに労わりあうようにという言葉を残して去っていくべきものでありますし、家族の中で、ほんとに商売に長けて、あるいは労働しながら、民族全体を潤すようにと祈るべき人物もいれば、でも全員に祈らなければいけない。
あなたの人生を決定できるものは、おおよそ、苦難と試練だけだよと。
でも神さまは必ず、あなたにその傷ついた足をいやす油を与えてくださる。鉄と青銅の履き物を用意してくださる――そのことを信じてモーセは祈りました。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、今日もこのようにして、礼拝の恵みにあずかれましたを心から感謝いたします。台風の被害の中、フィリッピンで、何もない中、礼拝をささげている私たちの兄弟姉妹もいるに違いありません。遠くニュージーランドの地で、礼拝をささげている兄弟姉妹もいます。あなたはそのようにして、この小さな川崎の群れを世界につなげていてくださることを心から感謝いたします。

ずっとモーセを学んで来ました。どうか今年の最後の礼拝に至るまで、この学びを祝福してください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

☆讃美       福390「主よわれは君のもの」
***週報に書いてあるのは、「満たしてくださる方」でしたが、この日の司会の英兄より訂正がありました。


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DATE: 2013.11.18 - 19:09

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