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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   6/5 ペンテコステ:隔ての壁を前にして エペソ2:11〜22
☆聖書箇所  エペソ2:11〜22
 11ですから、思い出してください。あなたがたはかつて、肉においては異邦人でした。人の手で肉に施された、いわゆる「割礼」を持つ人々からは、無割礼の者と呼ばれ、
12そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。
13しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。
14実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、
15様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、
16二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。
17また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。
18このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。
19こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。
20使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。
21このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。
22あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

☆説教 隔ての壁を前にして  

今日はペンテコステでございますので、ペンテコステのメッセージを色々思い巡らしている内に、私(藤本牧師)はエペソの手紙に心を留めることになりました。
説教の前半は、このエペソの個所の説明をいたします。話は堅くて難しいかもしれません。
でも丁寧に話をしますので、ぜひ聖書を追いかけていただきたいと思います。
そして後半は、今の世界にあって、私たちの祈りがどうあるべきか、というお話をいたします。

1)【エペソ2章の後半に記されていること、このユダヤ教的な影響は、キリスト教の中に及びます。】

まず、最初にペンテコステの日のペテロの説教を見ていただきたいと思います。
それは聖書の個所が違いまして、使徒の働きの2章であります。
お手元の聖書でありますと――ペンテコステの日にペテロは――234ページになりますね、こういう風に始まりますね。ペンテコステの日の説教はこういう風に始まります。
【画面:使徒の働き2章14節「声を張り上げ」、17節「終わりの日に、わたしは すべての人にわたしの霊を注ぐ。青年は幻を見、老人は夢を見る」に黄色のハイライト】

ここから始まります(※と14節から指を差して行く)
<使徒の働き2:14〜17>
 14ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、並びにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。・・・

と言ってペンテコステの説教を始めます。
イエスが十字架にかかり、そして復活され、天に昇り、しばらくしての出来事でありました。
で、説教の初めはこういう風に始まります。
17 「神は言われる。
  終わりの日に、わたしは
  すべての人にわたしの霊を注ぐ。
  あなたがたの息子や娘は預言し、
  青年は幻を見、老人は夢を見る。

と言うように、聖霊がこの世界に注がれるという預言をいたしました。

ペンテコステの日と言うのは、ユダヤの人々、エルサレムの人々が夢を見て来た「終わりの日」の到来でありました。
当時の文書を色々見ますと、「終わりの日」には、メシア(救い主)が来ることを彼らは期待していました。

ところがユダヤ人たちは、この救い主と思わしきイエス・キリストを十字架にかけて殺してしまいます。
しかし、神はこの方を、この2章の24節を見てください。(※23節から読む)
【画面:使徒の働き2章23節全文、24節「しかし神は〜よみがえらせました。」に黄色のハイライト】
<使徒の働き2章23節24節>
23神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。

「律法を持たない人々」と言うのはローマ帝国です。ローマ帝国に引き渡し、ローマの極刑である「十字架」によって、あなたがたは殺したのです(※と説明)。

24しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。・・・

それはイエス・キリストがメシアであるとの証しが公になされた。
「この方こそが、私たちが待ち望んで来たメシアであった」という説教をいたします。
しかも、30節をご覧ください。このメシアは復活されただけではないですね。
【画面:使徒の働き2章30節「自分の子孫の一人を〜知っていました」にハイライト】
<使徒の働き2:30>
30彼は預言者でしたから、自分の子孫の一人を自分の王座に就かせると、神が誓われたことを知っていました。

「自分の子孫の一人を自分の王座に就かせると」というのは、ダビデの子孫のイエスを、神の御国の王座に就かせると神が誓われたことを知っていました。
ということは、「復活されたイエスはいま神の権威の座に座っておられる」ということをペテロはユダヤ人たちに説教をいたしました。
――この「終わりの日」にメシアがやって来る。それがイエスであった。あなたがたはイエスを殺した。しかしこの方を父なる神は復活させ、そして王座に就かせられた。――

そのしるしとして出て来るのが33節です。
【画面:使徒の働き2章33節「イエスが〜御父から受けて」「聖霊を注いでくださった」に黄色のハイライト】
<使徒の働き2:33>
33ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。

「目にし、耳にしている」というのは、ペンテコステの日に、聖霊を受けた人々が諸国語でイエス・キリストの証しをしたからです。
――習ったこともない言語を用いて、彼らが一斉に聖霊の賜物によって話し始めたというのを、あなたがたは目にし、耳にしたでありましょう。
聖霊はそのようにして、「終わりの日」に私たちに注がれたのです。――

という説教をいたします。
この日に、ペテロの説教を聞いて、心を打たれて洗礼を受けたユダヤ人たちは三千人でありました。(***使徒2:41)
しかし、それはまだユダヤ人たちだけでありました。
やがて、初代教会の人たちは、同じ聖霊が、文字通り「すべての人に」、つまり異邦人にも注がれていくことを目の当たりにいたします。
それを10章で見ていただきたいと思うんですが、
【画面:使徒の働き10章44節全文、45節「割礼を〜驚いた」に黄色のハイライト】
10章44節でこう言いますね。
コルネリウスのところに、ペテロが訪問していた時の話です。(***10:1)
コルネリウスというのはローマの人物でありました。つまり異邦人ですね。
しかし敬虔な彼は神を求めていて、そしてイエスのことを話しにコルネリウスのところにペテロが出かけて行った時(※と状況説明をして続ける)、

<使徒の働き10:44〜45>
 44ペテロがなおもこれらのことを話し続けていると、みことばを聞いていたすべての人々に、聖霊が下った。
45割礼を受けている信者で、ペテロと一緒に来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたことに驚いた。

つまり「終わりの日」にヨエルが預言いたしましたよね(***使徒2:16)。
――「すべての人に聖霊が注がれる」と言った時に、《「終わりの日」を待ち望んでいるユダヤ人》だけではないんだ。
《異邦人キリスト者》の上にも同じように、信じる者すべてに、聖霊が注がれるんだ。――ということを目の当たりにして驚いたわけですよね。

「終わりの日」に、メシアであるイエスによってダビデの王国が再建される、と信じていたユダヤ人キリスト者が驚いているわけです。
キリストの十字架と復活はすべての人のためであり、
聖霊はイエスを信じるすべての人の上に注がれる。私の上にも、皆さんの上にも。
ペテロやヤコブのような《ユダヤ人キリスト者》だけではない。
パウロが伝道していく、やがて日本にも渡って来る《異邦人キリスト者》の間に、区別はない。差別はない。
神は「終わりの日」に、皆に聖霊を注いでくださり、私たちの上に――ということですね。

信仰の父アブラハムが神の声を聞いて以来、イスラエルの人たちはずっと、
「自分たちこそが、いや自分たちだけがアブラハムの子孫である。そして自分たちだけが神の祝福を独占している」と信じて来ました。
世界の勢力はギリシャに味方し、やがてローマ帝国に味方をし、それでも「神の祝福は自分たちだけのものである」と信じていました。
「終わりの日」が来れば、「自分たちこそがこの世界をメシアと共に支配する。諸国の者たちはひれ伏しにやって来る」と、そういう風にユダヤ人も、ユダヤ人キリスト者も信じていました。

そうして出来上がっていったのが
――エペソに戻っていただきますけれども――そのようにして彼らの選民意識によって出来上がっていったのが、エペソの2章のこの言葉です。
ちょっと見ていただけます?
【画面;エペソ2章14節「隔ての壁」「敵意」に黒ペンの囲みと黄色のハイライト、15節「この二つをご自分において新しい一人の人に」に黄色のハイライト】

「隔ての壁である敵意」(14節)――こうして出来上がっていったのは「隔ての壁」でありました。
割礼を受けているユダヤ人、そのユダヤ人たちはイエスを殺したかもしれない。
しかし「イエスこそが救い主である、メシアである」ということに気づいた者たちは、洗礼を受けて《ユダヤ人キリスト者》になります。
それでもそこには、《異邦人》との一線は依然として存在していました。
「割礼を受けていない者たち、或いは文化、食事規定が違う者たちは、神の祝福を受けることができない」というこの「隔ての壁」が依然として存在している中、このエペソの手紙が書かれているわけですね。

現在のイスラエルは高さ8m、長さすべて行きますと約700キロに及ぶ――東京から神戸ぐらいですかね――分離壁を20年かけて築き上げて来ました。
分離壁の建設が始まったのが、2000年位ですから。
ま、当時パレスチナ解放軍によって、自爆テロが頻繁に入って来て、エルサレムでテロ事件を起こす。
で、彼らはそうした人々が入って来ることができないように、「隔ての壁」を作って、エルサレムを中心としたこのパレスチナを、ガザ地区から守った、西岸地域から守ったわけですね。
それは安全保障のためである、ということは当然でありましょう。
しかし結果的に、それは世界においてベルリンの壁と同じように、分断を生じ「隔ての壁」を作ってしまったということは事実で、
「隔ての壁」が何を意識しているのか?――それはこの聖書の個所にありますように、(※エペソ2章14節の言葉を指して)「隔ての壁」である「敵意」を象徴しているわけですね。

パウロの時代を考えてみましょう。
ちょっと聖書を追いかけて行きますので、皆さんもう一回、(エペソ2章)11節から見ていただきたいと思うんですね。
【画面:エペソ2章11節「無割礼の者と呼ばれ」12節「遠く離れ」「除外され」「他国人で」に黄色のハイライト。13節「キリスト・イエスにあって」に水色のハイライト】
<エペソ2章11〜13節>
 11・・・あなたがたはかつて、肉においては異邦人でした。人の手で肉に施された、いわゆる「割礼」を持つ人々からは(***ユダヤ人からは、と説明)、無割礼の者と呼ばれ、
12そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。

という風に同じ人間であっても、ユダヤ人の目から見ると、他の人々はキリストから、メシアから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の神の祝福については他国人で、
――しかもここにありますね――「望みもなく、神もない者たち」でありました。

13かつては遠く離れていたあなたがたも・・・

という風に、エペソのキリスト者に対して、パウロは筆を進めていきます。
――異邦人がどれほど道徳的であり、或いは正しく生きていたとしても、
割礼を受けていなければ、イスラエルの律法を守っていなければ、
神の祝福からは遠く離れ、除外され、他国人で望みもない者たち――
と見下されて来ました。

【画面:エペソ2章14節「隔ての壁」、15節「この二つをご自分において新しい一人の人に」に黄色のハイライト。14節「隔ての壁」と「敵意」(16節にも)に黒ペンの囲み】
<エペソ2:14〜16>
14実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、
15様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、
16二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。

それを14節で、「キリストは隔ての壁である敵意を打ち壊し」と書いてありますよね。
そして(15節)そのキリストは、その二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、
この平和は敵意に対して造り上げられた。「敵意を打ち壊し」(14節)、「ご自身のうちに、一人の人を造り上げて平和を実現し」(15節)――これが聖霊のなせるわざでありました。
そしてそれが今朝のメッセージであります。

18節、見てください。
【画面:エペソ2章18節「一つの御霊によって」19節「もはや」に黒ペンの囲み。19節全文に同ペンで傍線と「聖徒たちと〜神の家族なのです」に黄色のハイライト】
<エペソ2:18〜19>
18このキリストを通して、私たち二つのものが(***敵対する二つのものが、と説明)、一つの御霊によって御父に近づくことができる(***神を礼拝することができる、と説明)のです。
19こういうわけで、あなたがたは、(***そうなると、異邦人は、私たちはと説明)、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。

ペンテコステ以来、聖霊がユダヤ人キリスト者だけではない、異邦人でも罪を悔い改め、そしてキリストに近づく者には、同じ聖霊が注がれた時に――今までユダヤ人・異邦人という、当時にあっては厳然と存在するこの区別が、「敵意」が、「隔ての壁」が打ち壊され――そしてキリストにあって一つの人が造り上げられ、聖霊によって同じ神を礼拝するという、驚くべきことが書いてあるんですよね。

そして22節をちょっと見ていただきますと――
【画面:エペソ2章22節全文に黄色のハイライト、「ともに築き上げられ〜神の御住まいとなるのです」に黒の傍線】
22あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊(***聖霊、と説明)によって神の御住まいとなるのです(***神殿となるのです、と説明)。

――ユダヤ人たちは「終わりの日」がやって来ると――ヨエルの預言ですね――すべての人に聖霊が注がれ、そして神殿が新しく建設され、その神殿に神の栄光が満ちると、
それはソロモンの神殿とは比べ物にならない程、バビロン捕囚後に建てられた第二の神殿とは、ヘロデ大王が改修したさらに大きな神殿とは、比べ物にならない程の神殿が出来上がるということを信じていました。
しかし、実際、その神殿は建物ではなかった。
その神殿は、聖霊を宿すあなたがた神の家族であって、その神の家族が世界中に存在し、
宗派、教派は若干異なるかもしれない。
そして教会の文化は国によって違うかもしれない。
しかし、あなたは聖霊によって一つとなり、神を礼拝し、神の家族なんです。
――という風にパウロは述べているんです。

これがパウロが見た、メシアがもたらした神の国の現実でありました。
すべての人に聖霊が下るということを、一体どういう風に理解するのか?
聖霊は人種とは関係なく、信じるすべての人に注がれ、彼らは一つとなって礼拝を捧げ、そして聖徒たちと同じ祝福を得て、神の家族である。

ユダヤ人たちは信じ待ち望んでいた「終わりの日」に新しい神殿が造られるという、
「神の栄光が満ちる」というのは、実は教会のことであり、すべての教会のことであり
――いやこの建物の教会ではなく――
イエス・キリストを信じるすべての人に、聖霊は注がれ、その人が神の御住まいになる、ということをパウロは書いているんです。
それが終わりの日にまつわる、福音のキリストから始まる新しい世界、新しい地平についてパウロは書いているんです。

2)さて、ここで皆さんに問いかけがあります。

こういうパウロの真実な教え、神の言葉を、私たちは受け止めているんだろうか?ということです。
自分の内に聖霊が注がれている、という事実を私たちは往々にして軽んじます。
軽んじると、聖霊は私たちのもとから去って行く、という場合もあります。
聖霊の声よりも周囲の声、或いは自分の声を中心に生きている場合もありますし、
「隔ての壁」をキリストが打ち壊されたのに、もう一度「隔ての壁」を造ってしまう場合もあれば、
また様々なものの考え方や文化によって、新しいユダヤ人と異邦人の区別のような、新しい「隔ての壁」が世界中に存在しているという現実を、
皆さんはどういう風に考えるんだろうか? 私はどういう風に考えるんだろうか?

ということを、私(藤本牧師)は金曜日の夜に、NHKのアナザーストーリーで、ピカソの大作「ゲルニカ」の特集を見て急に考えるようになりました。
アナザーストーリー、多分再放送であったんだろうと思いますけれども、皆さんNHK+で登録をすれば、今でも観ることができます。
私はNHK+というのがあるんだ、とOさんから教えてもらったんですけれども、「見逃した番組は、先生、これで観ることができます」と。

番組は――ピカソが描いた「ゲルニカ」という大作が40年かけてスペインに戻る。
その戻っていくために、三人の重要な人物がいたと。
その重要な人物のインタビューで、話は構成されていました。

1937年スペインは内戦状態でありました。
フランコ将軍は、反対派の勢いが増すバスク地方のゲルニカという町を攻撃いたします。 
なんとスペインのフランコは、ナチスドイツのヒットラーに頼んで、町の空爆をお願いするんですよ。
自分と同じスペイン人の町ですよ。ドイツから爆撃機が飛んで来て、そして空爆が始まる。
これが歴史上初めての、無差別市中空爆と言われています。

スペインの画家ピカソは、そのニュースを住んでいたパリで聞きました。
そして彼は縦3.5m、横7.7mの「ゲルニカ」という作品を描いて、パリ万博に出展いたします。
その作品は長〜くニューヨーク近代美術館に飾られていました。
その作品がスペインに戻るまで40年かかった。
その背後にあるストーリーを、三人の方のインタビューと共に取り上げているんですが、その一人が非常に興味深かったですね。

シャフラジという名前の、ニューヨーク在住の男性でありました。
彼は毎日のようにニューヨークの近代美術館に通って、ピカソの「ゲルニカ」を観ます。
彼がインタビューで答えていたのは、
「私はゲルニカを観に行ったんじゃない。観に行っている内にゲルニカから声が聞こえて来た。私はゲルニカを聞きに行ったんだ。
描かれている絵は、空爆によって悲鳴を上げている人々、亡くなった子ども、子どもを腕に抱いている母親、家、牛、叫び声を上げている牛、そして町。
そのすべての悲鳴が、どの時代でも、どの世界でも、戦争に喘ぎ苦しむ人々の悲鳴を、ピカソはあの大作の中に全部込めた。
私はこの絵の前に立つ度に、その『隔ての壁』の向こう側で空爆を受けている人々の叫び声を聞く。
ところが、近代美術館にこの作品を観に来る人々は、ことごとく絵を眺めて静かな思いで去って行く。
あたかも何事もなかったかのように、平然と作品を鑑賞している。」

シャフラジは頭を抱えます。この叫びが聞こえないのかと。
アメリカは積極的にベトナム戦争を展開していきました。
ピカソはアメリカという自由な、そして平和な国だからこそ、この「ゲルニカ」を託すことができるということで、近代美術館に掲げることを許すわけですよね。
でも実際、その期待を裏切って、アメリカはベトナムを攻撃し、ナパーム弾という空爆の嵐をベトナムの町、村に落としていきます。

シャフラジは、ピカソの「ゲルニカ」にいのちを取り戻すために、奇策を思いつきました。
真っ赤なスプレー缶を、白昼堂々カバンから出して、そして「ゲルニカ」に赤いスプレーを塗ってしまいます。
ピカソの作品はこの狂った男によって台無しにされ、そしてそのニュースは世界中の新聞、世界を駆け巡ります。
しかしなんとスプレーインクは、簡単に拭き取ることが可能でありました。あっという間に元に戻ります。

シャフラジは、ピカソが「ゲルニカ」に込めた人々の叫びを、世界にもう一度聞かせたかった。
そのためには、自分がとんでもない行動を起こし、夜中ではない、白昼みんなが見てる前で、この作品に赤いペンキを――しかも簡単に取れてしまうペンキなんですけれども――それをスプレー缶で吹きかけてしまう。
それがニュースになることによって、再び世界はゲルニカを思い出し、あの戦争によって平和が破られたあの出来事、人々の叫びを思い出し、もう一度ベトナム戦争についてもゆっくり考えてほしい、と思わせるために行動を起こしました。

ま、ぜひ「ゲルニカ」という作品、或いはNHKのアナザーストーリー、まだ観れますので、見ていただきたいと思いますが。

実はパウロは、ピカソのように渾身の力を込めて、このエペソへの手紙を綴っているに違いないわけです。
敵対する世界がイエス・キリストという一人の人において、新しく一人の人が創造され、二人の人が一人となり、そして敵対する者たちが同じ聖霊に満たされ、同じ神を同じように礼拝することができる。
今はユダヤ人もギリシャ人もない。この二者はいつも戦っていたわけですよね。

私たちは皆一つの家族であって、一つの神の住みかなんだ、ということを、ロシアとウクライナーー
中国のクリスチャン人口は一億人を越えるんですよ。アメリカと中国。
台湾にも多くのキリスト者がいます。中国からの宣教師も台湾に入っています。

ウクライナは、東欧世界に入るためのキリスト教の玄関口と言われていて、どれほど多くの神学校、キリスト教病院、キリスト教施設があったことでありましょう。
それが空爆されていくわけですよね。

NHK+があの番組を作ったのは、きっとずっと以前ではないかと思うんです。
しかし改めて考えてみると、平然とこの世界の今の時代を受け入れている私たちに、もう一度衝撃的な叫びを聞こえさせることによって、
エペソの手紙に記されている「終わりの日に聖霊が注がれると、一体何が起こるのか?」
私たちは皆「隔ての壁」が打ち壊され、一つ聖霊に注がれ、一つ神の家族として神を礼拝することができる、というこの事実をただ平然と読まないで、ショッキングな力強いメッセージとして捉えてほしい、というのがパウロの思いであったに違いありません。

☆お祈りをして終わりにいたします――藤本牧師
天の父なる神さま、パウロが描きたかったペンテコステの祝福です――敵対する者たちの「隔ての壁」が取り壊され、キリストにあって一つの人に新たに創造され、一つの神の家族として礼拝を捧げ、互いを愛し尊ぶ。

この霊的現実を前に、まるでそれが夢見物語のように、現実感なく、平然と眺めてしまう私たち。またこの世界の現実。
キリストが「隔ての壁」を打ち壊したのに、新たに幾つもの壁を作り、空爆を続けるこの世界。苦しむ人々の嘆き。今年のペンテコステ、平和のために祈る者とさせてください。
パウロのように、キリストにあって到来した新しい世界、信じる者たちに注がれる聖霊、そして神の家族を実感する者とさせてください。

決して平然とパウロが描いているキリストの王国の前を通り過ぎることがありませんように。どうか戦争による犠牲者の叫びに耳を傾けることができますように。天安門事件33年と聞きました。どこまでも「隔ての壁」を造り上げていく愚かな私たちをお許しください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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